ジャガラモガラ | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

山形市の山寺・立石寺を参詣した。

 

小雨まじりの空模様だった。

 

梅雨らしい天候である。

 

参詣の後、「ジャガラモガラ」に行った。

 

標高906mの雨呼山(あまよばりやま)の山中に位置している。

 

天童市にある。

 

山形市内で住職を勤めている先輩がいる。

 

その方から教えてもらった地だ。

 

立石寺の麓から山裾に沿って向かう。

 

行程は約8kmとなる。

 

ジャガラモガラは標高550mにある。

 

すり鉢状のくぼ地である。

 

東西30m、南北62mの広さだ。

 

くぼ地内には多くの風穴(ふうけつ)がある。

 

穴からは真夏でも0度前後の冷風が出てくる。

 

お陰でくぼ地には特異な植物が生育しているようだ。

 

車で向かった。

 

山裾道から東へ向きを変え山道に入る。

 

樹木が覆い茂る細い道だ。

 

しばらく進むと行き止まりとなった。

 

(ここからは歩くしかない)

 

車を降りて整備されていない歩道を行く。

 

森林の中を縫うように歩む。

 

あたりはとても静かである。

 

まわりには人の気配がない。

 

足下はぬかるんでいる。

 

17時頃だった。

 

(熊がでてきたら……)

 

心細くなった。

 

(ここだ!)

 

それでも、200m程でひらけた場所に出た。

 

そこだけ高い木が育っていなかった。

 

ジャガラモガラは明るかった。

 

独特な優しさが感じられた。

 

先輩から話をきいたときは、暗くて湿った場所を想像した。

 

もの悲しい場景がうかんでいた。

 

「ほんとうに〈姥捨て山〉だったみたいだよ」

 

そう教えてもらったからである。

 

天童に伝わる民話に「ジャガラモガラ」の地名が出てくる。

 

昔、天童村に四人家族がいた。

 

父、母、10才くらいの子、その子のお婆さんだ。

 

天童のお殿様からは「働けなくなった老人は、ジャガラモガラに捨てていい」とお触れが出されていた。

 

ある日、両親は、お婆さんを山に捨てる決断をした。

 

口減らしのためである。

 

父親はお婆さんを背負って山を登った。

 

子も一緒だった。

 

「ぼくも連れていってくれ」

 

子が強く訴えたからである。

 

ジャガラモガラに着く。

 

お婆さんおろす。

 

今生のお別れを告げる。

 

ジャガラモガラを離れる前、子は辺りの石や木を見てまわることにした。

 

「なにをしているんだ」

 

父親が子に質問をする。

 

「こんな寂しいところに婆ちゃんを残して帰るのはつらい。いつか、父さん母さんを連れてこなければならないのもつらい。でも、……。だから場所をよく覚えておくんだ」

 

父親はわれにかえった。

 

子の返答で気づかされた。

 

(次は自分の番だ)

 

それがわかると、お婆さんを残して帰ることはできない。

 

再び背負って三人で下山した。

 

家に戻ると母親も反省した。

 

民話の概要である。

 

(自分はいつまでも変らない)

 

人はどこかでそう思い込んでいる節があるかもしれない。

 

ジャガラモガラを後にする際、わずかに夕日が差し込んできた。

 

ゆっくりと山道を下ることにした。

 

 

お釈迦さまの御教えに以下の言葉があります。

 

『この世においては、過去にいた者どもでも、未来にあらわれる者どもでも、一切の生き物は身体を捨てて逝くであろう。智ある人は、一切を捨て去ることを知って、真理に安住して、清らかな行いをなすべきである』

 

【岩波文庫 ブッダの真理のことは・感興のことば 中村元先生訳P164】

 

ありがとうございました。