山形市の山寺・立石寺を参詣した。
小雨まじりの空模様だった。
梅雨らしい天候である。
参詣の後、「ジャガラモガラ」に行った。
標高906mの雨呼山(あまよばりやま)の山中に位置している。
天童市にある。
山形市内で住職を勤めている先輩がいる。
その方から教えてもらった地だ。
立石寺の麓から山裾に沿って向かう。
行程は約8kmとなる。
ジャガラモガラは標高550mにある。
すり鉢状のくぼ地である。
東西30m、南北62mの広さだ。
くぼ地内には多くの風穴(ふうけつ)がある。
穴からは真夏でも0度前後の冷風が出てくる。
お陰でくぼ地には特異な植物が生育しているようだ。
車で向かった。
山裾道から東へ向きを変え山道に入る。
樹木が覆い茂る細い道だ。
しばらく進むと行き止まりとなった。
(ここからは歩くしかない)
車を降りて整備されていない歩道を行く。
森林の中を縫うように歩む。
あたりはとても静かである。
まわりには人の気配がない。
足下はぬかるんでいる。
17時頃だった。
(熊がでてきたら……)
心細くなった。
(ここだ!)
それでも、200m程でひらけた場所に出た。
そこだけ高い木が育っていなかった。
ジャガラモガラは明るかった。
独特な優しさが感じられた。
先輩から話をきいたときは、暗くて湿った場所を想像した。
もの悲しい場景がうかんでいた。
「ほんとうに〈姥捨て山〉だったみたいだよ」
そう教えてもらったからである。
天童に伝わる民話に「ジャガラモガラ」の地名が出てくる。
昔、天童村に四人家族がいた。
父、母、10才くらいの子、その子のお婆さんだ。
天童のお殿様からは「働けなくなった老人は、ジャガラモガラに捨てていい」とお触れが出されていた。
ある日、両親は、お婆さんを山に捨てる決断をした。
口減らしのためである。
父親はお婆さんを背負って山を登った。
子も一緒だった。
「ぼくも連れていってくれ」
子が強く訴えたからである。
ジャガラモガラに着く。
お婆さんおろす。
今生のお別れを告げる。
ジャガラモガラを離れる前、子は辺りの石や木を見てまわることにした。
「なにをしているんだ」
父親が子に質問をする。
「こんな寂しいところに婆ちゃんを残して帰るのはつらい。いつか、父さん母さんを連れてこなければならないのもつらい。でも、……。だから場所をよく覚えておくんだ」
父親はわれにかえった。
子の返答で気づかされた。
(次は自分の番だ)
それがわかると、お婆さんを残して帰ることはできない。
再び背負って三人で下山した。
家に戻ると母親も反省した。
民話の概要である。
(自分はいつまでも変らない)
人はどこかでそう思い込んでいる節があるかもしれない。
ジャガラモガラを後にする際、わずかに夕日が差し込んできた。
ゆっくりと山道を下ることにした。
お釈迦さまの御教えに以下の言葉があります。
『この世においては、過去にいた者どもでも、未来にあらわれる者どもでも、一切の生き物は身体を捨てて逝くであろう。智ある人は、一切を捨て去ることを知って、真理に安住して、清らかな行いをなすべきである』
【岩波文庫 ブッダの真理のことは・感興のことば 中村元先生訳P164】
ありがとうございました。