僧侶をしていると着物を身につけることが多い。
白衣(はくえ)や衣(ころも)である。
頻繁に着ていると、ほつれることもある。
けっして器用ではない。
ただ少々のほつれであれば自分で直す。
今も直している。
その際、針の糸通しがとても役立つ。
四~五年程前から使うようになった。
糸通しがなければ、万が一にも針に糸を通せない。
老眼なのである。
糸通しは裁縫セットに付属されているものを使っている。
コインのようなものに、細い針金がついているアレである。
(ところで、この方はだれなのだろうか)
毎回、コインのような部分に描かれている人物が気になる。
(コインみたいだよな)
ならば、それをもとに考えてみる。
例えば米国のコインだ。
リンカーン大統領やルーズベルト大統領が描かれている。
これを糸通しにあてはめてみる。
(裁縫の神さま)
昔、裁縫の達人と呼ばれていたような人なのかもしれない。
(おっと、忘れた)
針金の部分に糸を通したところで気がついた。
近頃は、裸眼だと針の穴の場所がわからない。
老眼鏡をかけなければ、針に糸通しすら通せない。
(大昔の老人はどうやって裁縫をしていたのだろうか)
またまた考える。
ちょんまげ姿で眼鏡をかけている肖像画をみた記憶はない。
眼鏡の使用は、せいぜい江戸時代後期か明治になってからなのかもしれない。
庶民の裁縫は、おばあちゃんが(どれどれ見せてごらん)などと言いながら繕ってくれるところを想像する。
でも、これは現代のイメージなのかもしれない。
昔の裁縫は、若い人が担っていたのかもしれない。
腰を上げて、経机(きょうづくえ)に老眼鏡を取りに行く。
朝に浄土三部経(じょうどさんぶきょう)を読む。
その際、老眼鏡がないと送り仮名が読めない。
覚えられれば問題ないが、愚僧なので仕方がない。
(大昔のお坊さんは凄いな)
三度考える。
老眼鏡もなくお経を読んでいたのである。
きっと全て暗記していたに違いない。
少なくとも漢字の読み方は記憶していたはずだ。
(ああ、なさけない)
こちらは記憶力も衰えている。
なげいても眼鏡に頼るよりほかはない。
浄土宗鎮西派第三祖・良忠上人の御弟子・了惠上人のお言葉です。
『元亨元年辛酉のとし。ひとへに上人の恩德を報したてまつらんかため。又もろもろの衆生を往生の正路にをもむかしめむかために。此和語の印板をひらく。
一向專修沙門南無阿彌陀佛圓智謹書
沙門了惠感歎にたえす隨喜のあまり七十九歳の老眼をのこひて書之』
【拾遺和語灯録 了恵輯緑】
(1321年 法然上人の御徳に報いるため。また多くの人々に往生浄土の道を伝えるため。法然上人のお言葉を集録してお伝えします。念仏沙門・圓智、謹んで記します。沙門・了惠は喜びの感動をおさえられず、79歳の老眼をぬぐってこれを書きます)
拙僧訳
ありがとうございました。