温泉津(ゆのつ)へ旅行に行ったときだった。
起床して時計をみると、午前6時。
朝食の時間までは、まだしばらくある。
宿を出て海の方へ歩いてみることにした。
念の為に、龍笛も持参して。
玄関の前を流れている小川に沿って下流に進むこと5分。
海岸についた。
驚く程透明な水。
右をみても左をみても、長く続く岩場の海岸線
振り返って後ろを見れば、緑豊かな山。
「綺麗だなぁ」と自然に声が出てくる。
様々な形をした岩の上を気をつけながらゆっくりと歩く。
心身が清々しくなっていくのがわかる。
程なくして、座りやすそうな大きな岩をみつけた。
「ここにしよう」。
静かに腰掛けて笛を取り出した。
2つ3つ大きく深呼吸をしてから笛に息を入れる。
辺りは、波の音、風の音、鳶の声。
そこに龍笛の音色が混ざり合っていく。
とても心地よく幸せな時間だった。
一頻り吹き終わると、「この景色は、昔のひとが観ていたものと同じなのかもしれない」と考え始めた。
なぜならば、これだけ手つかずの自然が残っているのだから。
そう思うと、ロマンを感じ気持ちが高揚してくる。
再び笛を取り出し吹き始めた。
試しに、「戦国の世が終わり、安寧の時代となってよかった。石見は銀で栄え皆が豊かな暮らしができている。この美しい海と山を前に、神仏への感謝を込めてゆっくりと笛を吹こう」、なんて江戸時代の人になりきって。
さて、一曲終えるとさらに思い出すことが。
浄土宗の第三祖さまは、鎌倉時代に活躍された良忠上人だ。
そして、上人は石見国出身。
「ならば、上人もこの風景を眺めていたのかもしれない」。
早速、良忠上人になりきって、……とはいかない。
愚鈍の私がなりきるわけにはいかない。
そこで、三祖さまの御遺徳を讃えるための演奏として、心を込めて。
宿への戻る道、「時を超えて同じ光景をみながら御回向の笛を吹けたのかもしれない」と振り返ると、とても感慨深くなっていた。
ところが、それでも「グーっ」とお腹がなってしまうところが……。
帰りを急いだ。
梶村昇先生の御著書に、以下の記があります。
『浄土宗は宗祖法然上人、二祖聖光上人、そして三祖良忠上人と続く。三祖良忠が、石見国三隅荘で生まれたのは、正治元年(1199)で、法然上人67歳の時である。11歳の時、父円尊を訪ねてきた僧が、恵心僧都源信の『往生要集』について話をした。傍らで聞いていた良忠は、子ども心にその中の「悪趣苦患・浄土快楽」(この世の悪と浄土の楽)という言葉が、深く心に沁みたという。(中略)良忠が生涯をかけて浄土を求め、念仏を布教して歩いた源流をみた思いがする』
【JP文庫 念仏者・あの人この人 浄土宗出版編P266】
ありがとうございました。