負の連鎖 | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

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「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

毎春、本山にて大法要が厳修される。

 

その際、大法要ならではのお経を唱えることがある。

 

いわゆる声明(しょうみょう)である。

 

上手なお坊さんが唱えると誠に厳かな雰囲気に包まれる。

 

(僕も唱えられるようになりたい)

 

そう思い稽古に通い始めた。

 

ところが、これが本当に難しい。

 

十五年程続けているが、一向に上達している手応えがない。

 

先日、本番さながらの稽古があった。

 

嬉しいことに、私は独唱の役をいただけた。

 

稽古では、時々、独唱の役をいただけることがある。

 

しかし、その都度何らかの失敗をしてしまう。

 

(今日こそ)

 

だから、気合いを入れる。

 

模擬儀式が始まる。

 

先輩や後輩が式次第に従って独唱を行っていく。

 

だんだんと、自分の番が近づいてくる。

 

(焦ってはだめだ)

 

(大きく呼吸をして)

 

あれやこれやと自分に言い聞かせて身心の準備をする。

 

それなのに、なぜだろうか脈は異常に速くなっていく。

 

息も満足に吸えなくなってくる。

 

(まずいぞ。落ち着け。落ち着け)

 

こうなると負の連鎖が止らない。

 

(決められたところ以外で息継ぎをしてしまうかも)

 

(喉が詰まって声が出ないかも)

 

頭の中もマイナス方向の考えで満ちていく。

 

そうしているうちに順番がくる。

 

「我等……」

 

やや震えてはいるが声は出せた。

 

だが、定められた音程よりもだいぶ高く出してしまった。

 

つまり、上ずっているわけです。

 

途中から低くするわけにはいかない。

 

恥ずかしいやら、情けないやら。

 

寒い堂内なのに全身から汗が噴き出してくる。

 

(あぁ~)

 

以後、模擬儀式の最中なのに放心状態である。

 

「音が高すぎる。前の人のお経をよくきいておきなさい」

 

案の上、振り返りの際、先生から注意を受けた。

 

失なっては困るほどの何かを持っているわけではない。

 

注目を集める程の実力はそもそもない。

 

(それなのにどうして……)

 

帰り道、電車に揺られながら原因を考えてみた。

 

が、どれも腑に落ちない。

 

(次回こそは)

 

だからそう思えるほど、まだ心が回復していない。

 

 

お釈迦さまの御教えです。

 

『かれらは、過ぎ去ったことを思い出して悲しむこともないし、未来のことにあくせくすることもなく、ただ現在のことだけで暮らしている。それだから、顔色が明朗なのである。ところが愚かな人は、未来のことにあくせくし、過去のことを思い出して悲しみ、そのために萎れているのである』

 

【岩波文庫 ブッダ神々との対話 中村元先生訳P20】

 

ありがとうございました。