その日は、15時半に寺を出発した。
通夜に向かうためである。
斎場は多磨霊園に近い所だった。
十八時より読経開始の予定である。
通常、葬儀式を勤める際には、開始時刻の一時間前に斎場へ入るようにしている。
斎場に着くと、初めに祭壇前にて故人様に手を合わせる。
そして、鏧(かね)や木魚などの確認を行う。
続いて控え室にて喪主様にご挨拶をする。
次に葬儀社様と打ち合わせをする。
話を終えたら、念のためお手洗へ行っておく。
戻ってきたならば、唱えるお経を考える。
時間、参列者数などで多少の調整が必要となるからだ。
それから衣を替え袈裟を被着する。
おおよそこのような支度が必要となる。
「当日は、十七時に着くように向かいます」
だから、葬儀社様には、事前にそのように伝えている。
ただ、実際には一時間半前到着を目安にしている。
渋滞を考えてのことだ。
その日も、十六時半過ぎに多磨霊園小金井門前を車で通り過ぎた。
冬の空だからかもしれない。
遠くに山が見えてきた。
奥多摩の山々だろうか。
「あっ!」
驚いた。
稜線の上に目をやると紫雲がたなびいていたのだ。
特別な日に故人の夢をみる。
土砂降りの雨が突然止み、読経中には日がさし込む。
このような奇瑞には何度か出会ったことがある。
しかし、紫雲は初めてみた。
奇瑞とは、信仰者に現れる不思議な出来ごとのことである。
あるいは、よいことが起こる前兆なども含まれる。
平安時代以降、高僧、法華信仰者、念仏信仰者などが仏の国に往生したとする説話が記されるようになった。
いわゆる往生伝である。
それらの伝に往生の証として奇瑞が多く書かれている。
紫雲があらわれる。
音楽が聞えてくる。
香りがしてくる。
特徴的な夢をみる。
その日に通夜をお勤めするべく故人様も信心深い方だった。
お寺へはお参りによくいらしていた。
墓前や仏前では数珠を手にお念仏を熱心にお称えされていた。
紫雲がたなびいていたことも納得である。
阿弥陀さまが迎えに来て下さったことは間違いない。
日本往生極楽記に以下の記があります。
『近江国坂田郡の女人、姓は息長(おきなが)氏なり。毎年(としごと)に筑摩(つくま)の江の蓮華を採りて、弥陀仏に供養したてまつり、偏に極楽を期(ご)せり。かくのごとくすること数(あまた)の年、命終るの時紫雲身に纏(まつは)りぬ』
【岩波書店 往生伝・法華験記 井上光貞先生・大曽根章介先生 P40】
ありがとうございました。