仕事で埼玉県春日部に行った。
流山インターで常磐道を降りてから一般道で向かう。
途中、川沿いの道を走った。
「綺麗になったなぁ!」
実は、過去にその道を何度も通ったことがある。
通っていた大学は東京の巣鴨にあった。
しかし、グランドやテニスコートは埼玉にあった。
所属していたテニス同好会の練習は、毎週日曜日、そのコートで行われた。
その際、その道を通っていたのである。
もっとも、当時は、自分が運転していたのではない。
最寄り駅から先輩の車に同乗させてもらっていたのである。
昔は、デコボコとした道だった。
今は、見違えるように整備されている。
「さて、いつ以来だろうか?」
記憶をたどりながら、最後に通った日を思い出す。
「あぁ……、随分歳をとったなぁ」
計算すると、おおよそ三十年前だった。
めまいがしそうな年月である。
老いたことをおもいっきり実感させられた。
数日後、龍笛の稽古に参加した。
かれこれ十五年近く、法要儀式などで演奏される雅楽の稽古に毎週通っている。
笙、篳篥、龍笛の三つの楽器の中から一つを選び学ぶ。
多くのお坊さんは、大学を卒業するとすぐに稽古に通い始める。
しかし、私は始める年齢が遅かった。
稽古の同期はひと回り年下の人達である。
よって、歳は下でも先輩となるお坊さんが多い。
もちろん、歳下の先輩にも話をするときは敬語を使う。
キャリアが上なのだから当然だと考えている。
「えぇ?」
その日、稽古開始直前、あたりをみまわすと私より歳上の人が一人もいなかった。
厳密に言えば、先生以外、みんな歳下だった。
「いつのまに……」
以前は、必ず一人や二人は年齢も先輩の人がいたはずである。
ところが、気がつくとその日は自分が最長老になっていた。
そのことに慣れていないせいか、とても居心地が悪かった。
先の理由で敬語を使う頻度が高い。
だから、少なくとも稽古においては、自分が年配の領域に入っていた実感が薄かった。
「随分と歳をとったなぁ」
再び老いたことを強く実感した。
お釈迦様の御教えに、以下のようなお言葉があります。
『ああ短いかな、人の生命よ。百歳に達せずして死す。たといそれより長くいきたとしても、また老衰のために死ぬ』
【岩波文庫 ブッダのことば 中村元先生訳P181】
ありがとうございました。