老いの実感 | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

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「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

仕事で埼玉県春日部に行った。

 

流山インターで常磐道を降りてから一般道で向かう。

 

途中、川沿いの道を走った。

 

「綺麗になったなぁ!」

 

実は、過去にその道を何度も通ったことがある。

 

通っていた大学は東京の巣鴨にあった。

 

しかし、グランドやテニスコートは埼玉にあった。

 

所属していたテニス同好会の練習は、毎週日曜日、そのコートで行われた。

 

その際、その道を通っていたのである。

 

もっとも、当時は、自分が運転していたのではない。

 

最寄り駅から先輩の車に同乗させてもらっていたのである。

 

昔は、デコボコとした道だった。

 

今は、見違えるように整備されている。

 

「さて、いつ以来だろうか?」

 

記憶をたどりながら、最後に通った日を思い出す。

 

「あぁ……、随分歳をとったなぁ」

 

計算すると、おおよそ三十年前だった。

 

めまいがしそうな年月である。

 

老いたことをおもいっきり実感させられた。

 

数日後、龍笛の稽古に参加した。

 

かれこれ十五年近く、法要儀式などで演奏される雅楽の稽古に毎週通っている。

 

笙、篳篥、龍笛の三つの楽器の中から一つを選び学ぶ。

 

多くのお坊さんは、大学を卒業するとすぐに稽古に通い始める。

 

しかし、私は始める年齢が遅かった。

 

稽古の同期はひと回り年下の人達である。

 

よって、歳は下でも先輩となるお坊さんが多い。

 

もちろん、歳下の先輩にも話をするときは敬語を使う。

 

キャリアが上なのだから当然だと考えている。

 

「えぇ?」

 

その日、稽古開始直前、あたりをみまわすと私より歳上の人が一人もいなかった。

 

厳密に言えば、先生以外、みんな歳下だった。

 

「いつのまに……」

 

以前は、必ず一人や二人は年齢も先輩の人がいたはずである。

 

ところが、気がつくとその日は自分が最長老になっていた。

 

そのことに慣れていないせいか、とても居心地が悪かった。

 

先の理由で敬語を使う頻度が高い。

 

だから、少なくとも稽古においては、自分が年配の領域に入っていた実感が薄かった。

 

「随分と歳をとったなぁ」

 

再び老いたことを強く実感した。

 

 

お釈迦様の御教えに、以下のようなお言葉があります。

 

『ああ短いかな、人の生命よ。百歳に達せずして死す。たといそれより長くいきたとしても、また老衰のために死ぬ』
【岩波文庫 ブッダのことば 中村元先生訳P181】
 

 

ありがとうございました。