先頃、ジュニアテニス選手の練習に混ぜてもらった。
学生時代、師事していたコーチが主催しているクラブチームの練習だ。
終了後、選手たちが皆帰路につくと、久しぶりにコーチとクラブハウスで話をした。
内容は、所属選手たちのストロングポイントや戦績などが主だった。
コーヒーを数杯おかわりしながらの長話となった。
「近頃は、女子選手が少ないんだよ」
現状のジュニア大会の状況も教えてくれた。
「大坂なおみさんが活躍しているのに?」
不思議に思い質問をした。
コーチの答えは意外だった。
「大坂さんが凄すぎるみたいだね」
身体能力も言語力も世界一流レベルである。
自分とはあまりにも違いすぎる。
だから、初めから挑戦をしないそうなのだ。
大学生の女子選手も少ないらしい。
「テニスを続けても就職にはつながらないみたいだからね」
なるほど、大学生ならば、まもなく社会に出ることとなる。
現在の自分の状況を分析する必要もあるだろう。
その上で、テニスをやめる選択をすることは考えられる。
しかし、十歳くらいの子達がすでに見切りをつけている。
このことは、単細胞で感果されやすい自分には驚きだった。
他のスポーツでも同じなのだろうか。
帰り道、電車に乗りながらコーチの言葉を振り返っていた。
私が子供の頃は、バブル経済が全盛だった。
それがよかったのかはわからないが、世の中に勢いは感じた。
しかし、近頃はなんとなく閉塞感がある。
経済状況がよいと報道されることも少ない。
となると、とうぜん将来が不安になってくる。
そこで、先行きのことを早くから考え始める。
勉強はもちろん大変だ。
しかし、それでもスポーツでの大成を目指すよりは懐は大きい。
そこでスポーツが選択肢から外される。
もちろん、そこまで意識している十歳の子は少ないであろう。
ただ、もしかすると現実社会や大人の言動からそのような雰囲気を受け取ってはいる可能性もある。
もちろん、これは勝手な推測である。
無責任ながら、だからどうすればいいのかもわからない。
いずれにせよ、未来のあるテニス選手が少ないことを寂しく感じるのである。
イギリス初代駐日公使オールコックの滞在記に以下の言葉があります。
仏教との関連はありません。
江戸時代のことです。
『イギリスでは近代教育のために子供から奪われつつあるひとつの美点を、日本の子供たちはもっているとわたしはいいたい。すなわち日本の子供たちは、自然の子であり、かれらの年齢にふさわし娯楽を十分に楽しみ、大人ぶることがない』
【岩波文庫 大君の都(下) オールコック著 P226】
ありがとうございました。