タイムマシン | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

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「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

ときどき隣街の喫茶店へ行く。

 

純喫茶である。

 

カウンターには三人座れる。

 

二人がけのテーブル席は三セットある。

 

マスターがペーパードリップでコーヒーを淹れてくれる。

 

とても美味しい。

 

高校生の頃、ある純喫茶店でアルバイトをしていた。

 

広さは十五畳くらいだった。

 

やはりコーヒーが美味しい店だった。

 

コーヒーを淹れていたのは、マスターともう一人の先輩だけだ。

 

二人だけがカウンターの中へは入ることができた。

 

アルバイトの時間帯は、主に十七時ごろから二十一時半くらいまでだった。

 

夏休みなどは、昼間に行くこともあった。

 

今でも印象に残っているお客さんたちがたくさんいる。

 

週に三回くらい、二十時ごろになると来店する女性がいた。

 

四十歳くらいにみえた。

 

空いていれば、いつも入口から二つめのカウンター席に座った。

 

「ブレンドをください」

 

注文は毎回同じだった。

 

少し疲れたような、でも優しい声だった。

 

先輩がコーヒーを落としているあいだ、女性は必ず楽譜をみていた。

 

ピアノ譜らしい。

 

「近くのバーで演奏をしているみたいだよ」

 

先輩がそう教えてくれた。

 

とても綺麗な人だった。

 

「いつか演奏をきいてみたい」

 

大人の雰囲気に憧れた。

 

「○○スタジオへ行ってきて」

 

出前に行くこともあった。

 

店の前の国道を進み、それから横道へ入る。

 

そうすると、写真スタジオがいくつもあったのだ。

 

「今日は、誰がいるんだろう」

 

この出前はワクワクした。

 

初めてスタジオへ運んだときは、目が点になった。

 

「そのテーブルに置いて下さい」

 

スタッフらしき人に指示された。

 

御代もいただいた。

 

しかし、足が出口にむかわなかった。

 

「もうさがってください」

 

そういわれて我にかえった。

 

仕事のことを忘れて無自覚ながら見入ってしまっていたのだ。

 

すぐ目の前にいたのが、後藤久美子さんだったのである。

 

「これがモデルさんなのか」

 

自分と年齢はたいして違わない。

 

それなに、全く異次元の人だった。

 

余りにも雰囲気が違いすぎて驚いた。

 

「アイスコーヒーをください」

 

いつも笑顔で注文してくれる人がいた。

 

とても親しみやすい方だった。

 

五十歳くらいの白人男性である。

 

時間は十時ごろか十五時ごろだった。

 

その方は、喫茶店の近くで骨董品店をかまえていた。

 

お店へ出前に行くこともあった。

 

ならべられてある品は、日本のものが多かった。

 

ときおり品物を詳しく説明してくれることもあった。

 

初めて階段箪笥を知ったのはこのお店だった。

 

世間話もよくした。

 

「勉強は何がすきなの?」

 

「好きな子はいるの?」

 

こちらからも質問した。

 

「いつから日本にいるのですか?」

 

「アメリカのどこからいらしたのですか?」

 

日本語がとても上手な方だった。

 

だから会話は全て日本語だった。

 

ただ、ときおり滑らかな英語が交じることがあった。

 

もちろん簡単な言葉である。

 

「本物の英語がききとれたぞ」

 

それでも、異国の雰囲気に浸れて嬉しかった。

 

隣まちの喫茶店へ行くと、高校生の頃のことがいろいろと思い出せる。

 

コーヒーの香りとともに記憶が甦ってくる。

 

悩んでいたことも、夢中になっていたことも、落ち込んだことも……。

 

私には、タイムマシンのようなお店である。

 

 

お釈迦さまの御教えに以下の言葉があります。

 

『みずからは清き者となり、互いに思いやりをもって、清らかな人々と共に住むようにせよ。そこで、聡明な者どもが、ともに仲良くして、苦悩を終滅せしめるであろう』

 

【岩波文庫 ブッダのことば 中村元先生訳P62】

 

ありがとうございました。