ときどき隣街の喫茶店へ行く。
純喫茶である。
カウンターには三人座れる。
二人がけのテーブル席は三セットある。
マスターがペーパードリップでコーヒーを淹れてくれる。
とても美味しい。
高校生の頃、ある純喫茶店でアルバイトをしていた。
広さは十五畳くらいだった。
やはりコーヒーが美味しい店だった。
コーヒーを淹れていたのは、マスターともう一人の先輩だけだ。
二人だけがカウンターの中へは入ることができた。
アルバイトの時間帯は、主に十七時ごろから二十一時半くらいまでだった。
夏休みなどは、昼間に行くこともあった。
今でも印象に残っているお客さんたちがたくさんいる。
週に三回くらい、二十時ごろになると来店する女性がいた。
四十歳くらいにみえた。
空いていれば、いつも入口から二つめのカウンター席に座った。
「ブレンドをください」
注文は毎回同じだった。
少し疲れたような、でも優しい声だった。
先輩がコーヒーを落としているあいだ、女性は必ず楽譜をみていた。
ピアノ譜らしい。
「近くのバーで演奏をしているみたいだよ」
先輩がそう教えてくれた。
とても綺麗な人だった。
「いつか演奏をきいてみたい」
大人の雰囲気に憧れた。
「○○スタジオへ行ってきて」
出前に行くこともあった。
店の前の国道を進み、それから横道へ入る。
そうすると、写真スタジオがいくつもあったのだ。
「今日は、誰がいるんだろう」
この出前はワクワクした。
初めてスタジオへ運んだときは、目が点になった。
「そのテーブルに置いて下さい」
スタッフらしき人に指示された。
御代もいただいた。
しかし、足が出口にむかわなかった。
「もうさがってください」
そういわれて我にかえった。
仕事のことを忘れて無自覚ながら見入ってしまっていたのだ。
すぐ目の前にいたのが、後藤久美子さんだったのである。
「これがモデルさんなのか」
自分と年齢はたいして違わない。
それなに、全く異次元の人だった。
余りにも雰囲気が違いすぎて驚いた。
「アイスコーヒーをください」
いつも笑顔で注文してくれる人がいた。
とても親しみやすい方だった。
五十歳くらいの白人男性である。
時間は十時ごろか十五時ごろだった。
その方は、喫茶店の近くで骨董品店をかまえていた。
お店へ出前に行くこともあった。
ならべられてある品は、日本のものが多かった。
ときおり品物を詳しく説明してくれることもあった。
初めて階段箪笥を知ったのはこのお店だった。
世間話もよくした。
「勉強は何がすきなの?」
「好きな子はいるの?」
こちらからも質問した。
「いつから日本にいるのですか?」
「アメリカのどこからいらしたのですか?」
日本語がとても上手な方だった。
だから会話は全て日本語だった。
ただ、ときおり滑らかな英語が交じることがあった。
もちろん簡単な言葉である。
「本物の英語がききとれたぞ」
それでも、異国の雰囲気に浸れて嬉しかった。
隣まちの喫茶店へ行くと、高校生の頃のことがいろいろと思い出せる。
コーヒーの香りとともに記憶が甦ってくる。
悩んでいたことも、夢中になっていたことも、落ち込んだことも……。
私には、タイムマシンのようなお店である。
お釈迦さまの御教えに以下の言葉があります。
『みずからは清き者となり、互いに思いやりをもって、清らかな人々と共に住むようにせよ。そこで、聡明な者どもが、ともに仲良くして、苦悩を終滅せしめるであろう』
【岩波文庫 ブッダのことば 中村元先生訳P62】
ありがとうございました。