あえて口数は少なくしている。
とっさに考えたことや、意識を経由させていないことを口にするのが怖いからだ。
十代、二十代の頃、いわゆる「空気の読めない発言」をして周りの人の怒りをかったことが何度かあった。
今になれば何故相手が怒ったのか理解できることもある。
しかし、十年以上経っても理由がわからないことも沢山ある。
だから、以後は相手を不愉快にし、自分もつまらない気持ちになるのを避ける為、余計なことは言わないようにしている。
ならば、仕事でのお付き合いは別として、とうぜん自らの楽しみは一人で行うことが多くなる。
たとえば自転車。
気が向いたときに海岸や山に行く。
波の音をきき、潮風をうけながら気ままに走る。
森の香りと、澄んだ空気を吸いながら気持ちよく坂道を登る。
めまぐるしい街から離れ、人気のないところで運動をする。
自然の中に入り気分が穏やかになる。
誰と話をするわけでもないのだが、痛快である。
テニスも最近は、もっぱら壁打ちである。
試合に出るわけでもなし。
どなたかに教えるわけでもなし。
ただただ打感を確かめられればそれで満足なのである。
身体のあちらこちらを適度に動かせればいい。
お気に入りの壁は、海辺にある。
こちらもほとんど人がいない。
潮の香りを感じながら、ゆったりと練習できる。
快哉である。
龍笛。
もちろん合奏も心地よい。
しかし、好きな曲を一人で自由に吹くのも全く悪くない。
たまにいい音がでれば、誰かにきいてもらわずとも、それだけで嬉しくなる。
人の寄り付かない海辺の公園に笛を持って出かけることもある。
気ままに吹けば、下手な演奏でも自然にやわらかく溶け込める。
……、そんな錯覚に陥って喜んでいる。
なんと言われようと爽快である。
「自己や個性を主張することがよい」
現代社会ではあたりまえになっているようだ。
ところが、これには必ず対人が必要となる。
だから、私のような対人関係につまずいている者にはどうも馴染めない。
他にもそのような方はいらっしゃるかな。
強がるわけでもない。
でも、一人で対物や花鳥風月に心を向けるのは楽しいですよね。
鴨長明さまの「方丈記」に、以下の御記がございます。
『歌を詠んでも琵琶を弾いても、なお感興があふれてつきない時には、何度も松風の音に合わせて箏の琴で「秋風楽」を弾いた。あるいは、谷川の流れる音に合わせて琵琶の秘曲「流泉」を奏でる。私の腕前はつたないが、人に聞かせて喜ばせようとするつもりはないから、だれにも遠慮はいらない。独り楽器を奏し、独り歌って、自分で自分の心を風雅の世界に遊ばせるだけだ』
【角川文庫 ビギナーズクラシック方丈記 武田友宏先生編P120】
ありがとうございました。