ひとけをさける | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

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「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

あえて口数は少なくしている。

 

とっさに考えたことや、意識を経由させていないことを口にするのが怖いからだ。

 

十代、二十代の頃、いわゆる「空気の読めない発言」をして周りの人の怒りをかったことが何度かあった。

 

今になれば何故相手が怒ったのか理解できることもある。

 

しかし、十年以上経っても理由がわからないことも沢山ある。

 

だから、以後は相手を不愉快にし、自分もつまらない気持ちになるのを避ける為、余計なことは言わないようにしている。

 

ならば、仕事でのお付き合いは別として、とうぜん自らの楽しみは一人で行うことが多くなる。

 

たとえば自転車。

 

気が向いたときに海岸や山に行く。

 

波の音をきき、潮風をうけながら気ままに走る。

 

森の香りと、澄んだ空気を吸いながら気持ちよく坂道を登る。

 

めまぐるしい街から離れ、人気のないところで運動をする。

 

自然の中に入り気分が穏やかになる。

 

誰と話をするわけでもないのだが、痛快である。

 

テニスも最近は、もっぱら壁打ちである。

 

試合に出るわけでもなし。

 

どなたかに教えるわけでもなし。

 

ただただ打感を確かめられればそれで満足なのである。

 

身体のあちらこちらを適度に動かせればいい。

 

お気に入りの壁は、海辺にある。

 

こちらもほとんど人がいない。

 

潮の香りを感じながら、ゆったりと練習できる。

 

快哉である。

 

龍笛。

 

もちろん合奏も心地よい。

 

しかし、好きな曲を一人で自由に吹くのも全く悪くない。

 

たまにいい音がでれば、誰かにきいてもらわずとも、それだけで嬉しくなる。

 

人の寄り付かない海辺の公園に笛を持って出かけることもある。

 

気ままに吹けば、下手な演奏でも自然にやわらかく溶け込める。

 

……、そんな錯覚に陥って喜んでいる。

 

なんと言われようと爽快である。

 

「自己や個性を主張することがよい」

 

現代社会ではあたりまえになっているようだ。

 

ところが、これには必ず対人が必要となる。

 

だから、私のような対人関係につまずいている者にはどうも馴染めない。

 

他にもそのような方はいらっしゃるかな。

 

強がるわけでもない。

 

でも、一人で対物や花鳥風月に心を向けるのは楽しいですよね。

 


鴨長明さまの「方丈記」に、以下の御記がございます。

『歌を詠んでも琵琶を弾いても、なお感興があふれてつきない時には、何度も松風の音に合わせて箏の琴で「秋風楽」を弾いた。あるいは、谷川の流れる音に合わせて琵琶の秘曲「流泉」を奏でる。私の腕前はつたないが、人に聞かせて喜ばせようとするつもりはないから、だれにも遠慮はいらない。独り楽器を奏し、独り歌って、自分で自分の心を風雅の世界に遊ばせるだけだ』

【角川文庫 ビギナーズクラシック方丈記 武田友宏先生編P120】

ありがとうございました。