庭の木が少しずつ減ってきた。
虫がついた。
奇病にかかった。
崖が崩れた。
理由は色々ある。
庭の鬱蒼とした感じは薄れてきた。
それはそれでよいのかもしれない。
ただ、どことなく寂しい感じはする。
もう少し植物があった方が落ち着くように思える。
そこで、今年の五月頃小さな花が咲く草花の種を撒いてみることにした。
再び植樹することも考えてみた。
しかし、大袈裟になると費用も手間も沢山かかる。
まずは一人で出来ることから始めるのがよい。
理想は、いずれの季節にも少しずつ花が咲いている庭だ。
ただし、大きな花ではない。
小さな花がそっと咲いている雰囲気がいい。
早速、それぞれの季節に咲く草花を調べてみた。
ところが、花はわかったものの、その種を手に入れるのが案外難しい。
植物のことは全く詳しくない。
今まで園芸を行ったこともない。
とうぜん、そんな者に上手く準備ができるわけがないですよね。
それでも、調べていくと「花の種ミックス」なるものをみつけた。
初めから凝ってしまうと、すぐに挫折してしまうかもしれない。
気軽にできるものの方が、素人には続けられることもある。
そう考えて、「ミックス」を数袋取り寄せた。
次は、土を耕さなければいけない。
日当たりの良い場所の雑草を丁寧に抜き取る。
物置から大きめのスコップと鎌を引っ張り出してきて耕す。
その後、袋の説明書を読みながら間隔を空けて種を撒く。
水をかける。
まずは完了だ。
以後は毎日欠かさず水やりをした。
朝晩の山門開閉のついでに行えば丁度いい。
二ヶ月くらいすると葉が育ってきた。
「もうすぐ花が咲くのかな」
とてもワクワクしてくる。
そんな折、庭の櫻に虫がついていることに気がついた。
下にフンが落ちてくるのでわかる。
急いで植木屋さんに来てもらう。
「いるね。わかった。じゃあ、どうせだから庭の掃除もしておくね」
有り難いことである。
数時間後、目の前の状況に驚いた。
「えっ?」
私の育てていた草花が全てなくなっていたのだ。
植木屋さんが除草の流れで全てカットしてしまったようである。
確かに、植木屋さんには何も伝えていなかった。
草花を守る囲いもしていなかった。
私が悪いのだ。
悲しいことではあるが、当然の結果である。
数日後、気をとりなおして再び種を撒いた。
「今度こそ」と考えて、囲いも施した。
さらに二ヶ月後、今度は柿を取り除いてもらうために植木屋さんをお願いした。
カラスやハクビシンがやってきて食い散らかしていくからだ。
前回は失敗したが、今回は囲いがすでにしてある。
種まきをした草の葉を切られることはない。
間違いなくそう考えていた。
しかし……。
再び葉がなくなっていた。
「あと少しで花が咲きそうだったのに」
もう種を撒く気力はなかった。
水やりもやめることにした。
さて、20日後くらいであろうか。
何の期待もなしに種をまいた場所を観てみた。
「うわー」
なんと、不思議なことに一輪だけ花が咲いているではないか。
紫色の小さくて綺麗な花だった。
うれしかった。
「やっぱり色々な花が咲いているところをみてみたい」
もう一度種をまく気持ちになってきた。
次は絶対に植木屋さんに事情を説明するぞ。
お釈迦さまの教えに、以下の言葉があります。
『他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。ただ自分のしたこととしなかったこととだけを見よ。うるわしくあでやかに咲く花でも、香りのないものがありように、善くとかれたことばでも、それを実行しない人には実りがない』
【岩波文庫 ブッタの真理のことば・感興のことば 中村元先生訳P17】
ありがとうございました。