女子美術大学に伺った。
舞楽演奏のためだ。
校内のアートミュージアムにて舞楽装束の展覧会が開催されていた。
「女子美染織コレクション展」である。
舞楽はその催の一部として行われた。
展示室に入ると、女子美術大学に保管されている古の舞楽装束が一堂に展示されていた。
さすがは美術大学である。
江戸時代の差貫(さしぬき)、いわゆるハカマの一種である。
同じく江戸時代の銀帯(ぎんたい)、文字通り銀色が入っている帯だ。
紫色の袍(ほう)も列んでいた。
一身半位ある上着のようなものだ。
こちらも江戸時代である。
ひじょうに落ち着きのある色合いで静な美しさが感じられた。
室町時代の石帯(せきたい)もあった。
堅い帯に、緑色の石が装飾されている。
私が目にした中で一番古かったのは、奈良時代の裂(きれ)である。
裂であるから、ほんの一部となる。
しかし、一千二百年も前の装束である。
ほんの数十センチ前で観られることが不思議だった。
展示品を拝見した後は、早速舞楽の準備にとりかかる。
私は、裏方なので着付けのお手伝いだ。
演奏はもちろんだが、着付けもそれなりに難しい。
装束は重ね着となる。
五重六重となる。
これを紐や帯等で結びつけていく。
動きがあるものなので、きちんと結わなければならない。
万が一、舞中に着崩れを起こしたら大変である。
時間調整も悩ましい。
一人を着付けるまでに急いでも十分はかかる。
だから手伝いの人数が1、2人の場合には、開演一時間前から始めでたいところだ。
これだけあれば4人舞でも安心できる。
ただし、そうなると初めに着付けた舞人は、かなりの時間、装束を着けたままとなる。
舞と合わせれば、九十分以上であろう。
その間、トイレにもいかれないし、お腹は締めつけられっぱなしとなる。
仕方がないとはいえ、忍びないのである。
さてさて。
今回は、皆さんが早めの着付け開始に賛同して下さった。
焦らないで済むことに感謝である。
舞人を見送ってからしばらくすると、控え室にまで大きな拍手が聞こえてきた。
大成功だったにちがいない。
私は装束を干すスペースの整理をしながら、着崩れなかったことにホッした。
縁の下の力持ち程ではないが、支えになれていたらうれしい。
程なく、安堵の表情を浮かべながら舞人が戻ってきた。
なによりである。
四天王寺さまの法筵略記に以下の記録があります。
『三月二日 此日は震旦國(しんたんこく・中国)より経論渡りし日なれば、毎年経供養あり。秋野房経巻を守護して伶人楽を奏し、経堂・太子堂を行道あるなり。太子堂西の庭上にて舞楽ある。これを俗に掾(えん)の下の舞といふ』
【大日本名所図会. 第1輯第5編摂津名所図会P207】
ありがとうございました。