ご供養の形式 | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

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「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

緊急事態宣言が出された。

 

新型肺炎の蔓延がこれ程のことになるとは驚くばかりだ。

 

残念なことだが、志村けんさんもご逝去された。

 

私も子供の頃、ドリフで沢山笑わせてもらった。

 

大好きだった。

 

報道では、志村けんさんの葬送についても伝えられていた。

 

誰も立ち会えないまま荼毘に付されたそうだ。

 

仕方がないとはいえ、つらいことである。

 

世界では葬儀の禁止令が発令された国もあるそうだ。

 

家族や親族にとっては、とても悲しいことである。

 

こういった世情では、供養も常ならない。

 

浄土宗の葬送は念仏を中心に勤められる。

 

念仏を称え「阿弥陀さま、どうか故人さまを御救い下さい」と願うのである。

 

形式は、「通夜・葬儀・火葬」と二日間かけて僧が読経を勤める格好だ。

 

ただし、これは今わたしのいる東京近郊の話である。

 

同じ浄土宗でも平時から地域によって形式はことなる。

 

東北方面では荼毘に付してから葬儀を勤めているようだ。

 

関西方面では、東京のように遺骨を全て骨壺に納めることは行わないらしい。

 

現状では、同じ地域でも以前とことなる葬送となる可能性は大きい。

 

気にかけておられる方もあるであろう。

 

しかし、同じ宗派でも常のときから形式の多少の違いはある。

 

どれが正しいわけでもない。

 

全て阿弥陀さまにお救いいただいているのである。

 

だから、たとえ葬送形式がこれまでと違っても不安に思われる必要はない。

 

故人さまの往生浄土が揺らぐことはない。

 

もし、やむおえない事情で葬送の儀が半年後、一年後となっても心配ない。

 

称名念仏の功徳は衰えない。

 

詳しいことを記すことができないが、そのことは浄土宗の「伝書」にきちんと伝えられている。

 

とはいえ、なんとかこの禍は早期におさまってほしいものである。

 

 

儀式の厳修形式は、法然上人のお言葉にもござまいます。

 

『法然上人はご臨終の時、遺言をなさって、「私への供養のためにといって寺院を建立してはならない。そうした気持ちがあるのなら、それぞれが一所に群がり集まらず、静かに念仏して恩に報いるべきである、もし群集すれば争いごとの原因にもなる」とおっしゃった』

 

【現代語訳 法然上人状行絵図 浄土宗総合研究所編P410】

 

ありがとうございました。