新型肺炎により社会の動きが変化している。
学生スポーツの全国大会等も中止になった。
経営が厳しくなっている会社がある。
不要不急の行動を慎むよう政府からの呼びかけも続く。
感染への不安な日々は終わらない。
厳しい状況にある。
こうなると、自然と心の内側に意識が向く。
今までの生活状態も振り返る。
普段と違う環境におかれて、初めてこれまでの生活との対比が起きる。
買い物に行き、仕事に出かける。
そんな日常が全世界で崩れるとは想像しなかった。
穏やかに暮らせていたことは有難い。
身に染みて感じる。
そこまで近いと感じていなかった死も急に身に迫る。
死に対しての自己の心の準備、あるいは周りの人々のこと。
いろいろと気になる。
徳川家康公は、往生される前に葬送についての言葉を遺されている。
「臨終となったら身体は久能山に納めなさい。葬礼は増上寺に勤めさせなさい。位牌は三河の大樹寺に安置しなさい。一周忌を勤めた後は、日光山に小さな御堂をたてて、私をお祀りしなさい。八州を鎮守するためにそうするのです」
家康公は、どのような思いで遺されたのだろうか。
周りの人への配慮かもしれない。
死と向き合うために死後の役割をも考えていたのかもしれない。
死に直面したとき何を感じるのか。
その時、どんな思いでいることだけは避けたいのか。
どういった気持ちでいられることを望むのか。
人は死が現実になれば、思考は停止し、気は動転し、心は錯乱するものだ。
事前に考え、準備していても、やすやすと受け入れられるものではない。
しかし、重大な危機に何の備えもなく臨むのは、さらに怖い。
こうした質問は、いつとなく来る臨終の危機に、いくらかでも役立つことがあるであろう。
臨終が近づいた聖如房さまに対して、法然上人が御返事されたお言葉です。
『このたび本当に先立たれてしまわれても、まだ思いがけなく私が先立ってしまうことになる無常さでありましても、最後には阿弥陀仏一仏の住まう浄土に生まれ出会い申しますことは、疑いないことと存じます。夢まぼろしのようなはかないこの世で、もう一度会いたいなどと思いますことは、どうでもよいことでございましょう。会いたいというお考えはまったく捨てて、一層深く往生を願うお気持ちを増して、お念仏にお励みになって、浄土において私を待とうとお思いになるのがよいでしょう』
【現代語訳 法然上人行状絵図 浄土宗総合研究所P194】
ありがとうございました。
*参考文献・大日本仏教全書 第140巻 本光国師日記第三p160
・春秋社 往生際の日本史 小山聡子先生著 p156