法要の後席で、ご婦人が話しかけてくれた。
「子供のころから音楽が好きだったのよ」
学生のころは音楽部で木琴を演奏していたそうだ。
ただ、会社に就職し、やがて結婚、子育に忙しくなった。
演奏からは遠い生活となった。
それでも、家事をしながらラジオやレコード、cdなどで音楽を聴いていた。
「いつかは」
演奏したい気持ちはずっと忘れずに持ち続けていた。
それから数十年後、六十才となった。
生活がおちつき、余暇の時間もできはじめた。
「今こそ」
再び木琴を始めた。
さっそく教室を探す。
どうせなら街中がいい。
一時間程かかるが銀座の教室に決めた。
「ちょっと厳しいけれども、若くて綺麗で、いい先生ですよ。外国でも演奏している女性なの」
真剣な面持ちで教えてくれた。
つづけて、今度ははにかみながら。
「教室が終わってからは、銀座のデパートに行くの」
再開してから十五年が経つ。
月に二回、休むことなく練習に通っている。
発表会では大ホールで、大勢の前で演奏するそうだ。
「この年になっても、むきになれることがあるのは嬉しいことよ」
これまでの人生も幸せだった。
悔いもない。
しかし、現在が最も充実しているそうだ。
「なにより木琴が楽しいの。生まれ変わっても絶対に演奏するわ」
力強く、でも朗らかな口調だった。
ご主人も隣で微笑んでいた。
一生をかけて頑張りたい。
そんな言葉は時にきくことがある。
しかし、「生まれかわっても続けたい」と思う程のことがあるとは凄いことである。
うらやましい限りである。
鴨長明さまの発心集に、以下の記があります。
『少納言公経という能書の人がいた。地方官の除目の頃、心の中で願を起し「もし相応な国に任官できたら、寺を造ります」と思ったが、河内の国というさほど良くもない国の国司になったので、不本意に思った。「それでは、古い寺のなどの修理をしよう」と思って、任国に下向した。さて、その河内の国をあちらこちらと見て歩いた、ある古い寺の仏像の下に書きものがあったので、取って開いてみると「沙門公経」と書いてあった。不思議に思い、よく見てみると、「来世にはこの国の国司となって、この寺を修理しよう」という願いを立てた願文だった。これを見て、自分がこの国の国司になったのは運命なのだと悟り、望みが不本意な結果になったことを反省し、信心を起して修理した。書いてある文字なども、現在の公経の筆蹟と全く変わらず酷似していた』
【角川文庫 発心集 鴨長明さま著・浅見和彦先生、伊東玉美先生訳p389】
ありがとうございました。