突発性難聴 | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

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「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

朝起きたら耳に違和感があった。


「病院に行った方がいい」

 

そう感じる程だった。
 

しかし、病院に行かれたのは四日後。

 

こういうときに限って特に忙しくなるから不思議である。
 

診察室に入り先生に説明をする。
 

「四日前から耳に幕が張っている感じなんです。トンネルに入ったときとか、高いところに行ったときにツンとなる感じに似ています」
 

「そうですか。では、まずは耳をみてみましょう」

 

何やら器具を使って穴をのぞいてもらった。
 

どうやら鼓膜に傷は無いようだ。

 

一安心である。

 

しかし、では何が原因なのか。

 

そこで検査が始まった。

 

ヘッドフォンをつけて電話ボックスのような部屋に入る。
 

「音が聞こえてきたら、ボタンを押し続けて下さい」

 

看護婦さんが説明をしてくれた。
 

しばらくすると、小さい音がきこえてきた。

 

急いでボタンを押す。

 

その後も、だんだんと音が大きくなっていく。
 

「なんだ。はっきり聞こえるじゃないか」

 

またまた安心である。

 

具合がかなり悪くて、何も聴き取れないのではないかと不安だった。

 

意気揚々と先生ところへ戻る。

 

ところが……。

 

「ご年配の方の聴力になっているね。軽い突発性難聴だ。薬を出しておくから、一週間様子をみて下さい」と診断された。

 

三十年程早めに老いたようだ。

 

衝撃をうけた。

 

世の中は不測の事態が起こるものだ。

 

そう頭ではわかっているが、気持ちは沈む。

 

「同年代の人には聞こえているが、自分にはわからない音があるのか」

 

帰り道、うつむき気味に歩く。

 

足取りも重い。

 

こんなときはどうしたら気分を回復させられるのだろうか。
 

「暗くなっていても仕方が無い。きっと治るさ」

 

例しに前向きな言葉をささやいてみた。

 

ん……、心身がかみあっておらず違和感だらけだ。

 

強引な誘導はよくないらしい。

 

今はそっとこの気持ちを抱えることにしよう。


 

お釈迦さまの御教えに、以下のお言葉がございます。
 

『見よ、粉飾された形体を。(それは)傷だらけの身体であって、いろいろのものが集まっただけである。病に悩み、意欲ばかり多くて、堅固でなく、安住していない』
 

【岩波文庫 ブッタの真理のことば・感興のことば 中村元先生訳p31】

ありがとうございました。