懲りないヤツ | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

読経の作法や発声は、初期の修行にて一通り教わる。

 

お陰で修行を終える頃には、一応の基準に達することができる。

 

ところが、修行を終えてしばらくすると、だんだんと記憶が曖昧になってくる。

 

教わった通りに勤めているつもりでも、どこか不安になってくる。
 

そこで私は定期的に本山の稽古に参加している。

 

多くの僧が唱え方、動き方の研鑽をしている。

 

「では、右から順に唱えてみなさい」
 

読経の稽古は、声明の先生の前で生徒が一人ずつ唱えていく。

 

三分間位かけて節のついた経文を唱える。
 

稽古に向かうときから毎回緊張している。

 

「今日もダメ出しをくらうのかな」「また息が続かなくなるかもな」などと考えてしまう。
 

「次の次だな」

 

いよいよ自分の番が回ってくるとなれば、脈拍は異常に上昇する。

 

口の中はカラカラになり、呼吸は浅くなる。

 

「失敗間違いなし」の状況に追い込まれる。

 

「なんとかしなければ」

 

あまり効果がないことはわかりつつも必死で改善をはかる。

 

静かにゆっくり大きく呼吸をする。

 

口を大きく開けたり閉じたりする。

 

唇を前後左右上下に動かす。
 

そうこうしているうちに、自分の番が来る。

 

「思い切っていくしかない」

 

なにも改善されないままなのだが、一応腹だけはくくる。
 

唱え終えると先生が講評して下さる。
 

優しい言葉を頂けることは無い。
 

「声が前に出ていない」「腹式呼吸が出来ていない」「口先だけで唱えるな」
 

わかってはいるのだが、やはり気持ちが沈む。

 

さて、先日、信徒さまから依頼をうけて法要を勤めた。

 

すると、その後席で施主さまが声をかけてくれた。

 

「とてもよいお経でした」

 

思わぬことに、戸惑いながらも嬉しくなった。

 

もちろん気を使ってくださったに違いない。

 

ただ、それでも「役に立てたのかもしれない」と思えた。

 

ひと安心できた瞬間であった。
 

先生の言葉は非常に厳しい。

 

四十歳にもなって叱られるのは恥ずかしい。

 

しかし、本当のことを「ズバッ」と伝えて下さる稽古は有り難い。

 

なによりも、こうして信徒さまのお役に立っている。

 

そんな訳で、次回も懲りずに稽古に参加します。


仏さまのお言葉に、以下のお言葉がございます。
 

『尊敬されるべき真人たちに対する信仰を財となし、安らぎに至るための教えを聞こうと願うならば、聡明な人は(ついには)いろいろのことについて明らかな智慧を得る』

【ブッタ 真理のことば・感興のことば 岩波文庫 中村元先生訳p191】

ありがとうございました。