雅楽の演奏には管絃楽と舞楽がある。
管絃楽は、管楽器と弦楽器と打楽器で演奏する。
舞楽は、管楽器と打楽器の演奏にあわせ「舞」をまう。
舞では色鮮やかな「装束」を着る。
複雑な重ね着となるので、整えるのもなかなか難しい。
私が舞を教わりはじめて間もないときだった。
「それでは、袍が短すぎる」
都内にあるホテルの大ホールにて舞う際に、御長老から注意をうけたのだ。
「袍」は、一身半くらいある上着のようなものである。
それだけ長いのだから、着た際には踵から後ろの方に伸びている。
動作中には引きずる格好となる。
ただ、舞人はそれぞれ身長がことなる。
何も調整をしないでそのまま着たら引きずっている部分の長さがバラバラになってしまう。
そこで、様々に細工をして、舞人皆で揃うように整えることとなる。
御長老は、これが短すぎるとおっしゃるのだ。
私は、初めて着付けた時と同じように整えたつもりだった。
だから、本当は「以前と同じ長さですから短いことはありません」と言いたかった。
が……。
立場上無理ですよね。
そこで、「え~」とか「は~」とか声を出しながらただただ指摘を伺う。
はっきりしない態度である。
すると「舞台が広いのだから、それを考えろ」と御長老が理由を説明して下さった。
私が納得していなことがバレてしまっていたようだ。
確かにホテルの大ホールは、ステージが広かった。
袍の後ろを普段通りにするとバランスが悪くなりそうだ。
「教えていただきまして、ありがとうございます」
御長老も頷いて下さった。
今度も、私が納得出来たことを声の調子から理解してくださったようだ。
環境が変わったならば、それに合わせて微調整が必要なことは多くある。
いつでも同じように行えばよいことばかりではない。
その都度、臨機応変に対応できなければいけない。
観察力も必要である。
私は、自分の視野が狭いことを恥ながら、急いで着付けを整えなおした。
法然上人のお言葉に、以下のようなお言葉がございます。
『聖道門の教えは深いといっても、時代が過ぎてしまったので、今のひとびとの能力には適しない。浄土門の教えは浅いように、見えるけれども、今の人びとの能力に適しやすい』
【現代語訳 法然上人行状絵図 浄土宗総合研究所訳編p84】
〔聖道門=この土において悟りを開く教え。難行道〕
〔浄土門=極楽浄土に往生し、そこで悟りを開く教え。易行道、念仏行〕拙僧記
ありがとうございました。