近所の商店街へ「灌仏会」の手伝をした。
いわゆる、花祭りである。
お釈迦様のお誕生日をお祝いする儀式だ。
花で飾られた小さなお堂にお釈迦さまをお祀りする。
そこへ甘茶をそそぎお参りをするのが作法となる。
甘茶をそそぐのは、お釈迦さまが誕生された際、天から神々が降りてきて祝福のために甘露の水を注いだと書かれていることに由来している。
その商店街では、お堂が設えられている中央広場まで行列をつくって歩いて行く。
道のりは、約一キロくらいだ。
おおよそ四〇分位かけて進む。
行列は、雅楽師、僧侶、導師の後に、百名以上のお稚児さんつづく。
綺麗な装束をまとい、大変可愛いらしい姿である。
大使館が多いこともあり、お稚児さんは多国籍だ。
まさに、世界中の人々でお誕生日をお祝いしているようで心あたたまる。
もちろん、お稚児さんの家族も参列している。
さらに、沿道には沢山の方々が見物にいらっしゃる。
ものすごく盛大なお祭りなのだ。
練り歩きがスタートしてしばらくすると、坊さんが紙製の花びらを撒きはじめる。
散華(さんか)である。
ちなみに、普通は散華(さんげ)と読むが、浄土宗では声明(しょうみょう)の散華(さんげ)と区別するために散華(さんか)としている。
すると、毎回、お稚児さんのみならず、沿道にいる子供らまでもが競って花びらを集めにやってくる。
これがもの凄い。
行列もなにもあったものではなくなる。
列に割り込んできたり、地面に座り込んで待っていたりするのである。
私は龍笛を吹きながら歩いているのだが、落ち着いて演奏が出来ないこともある。
「ねぇ、それちょうだい」。
なかには直接交渉にくるつわ者まであらわれる。
「撒いてから」。
坊さんは苦笑いをしながらたしなめる。
それはも大騒ぎなのである。
それでも、子供たちが笑顔ではしゃいでいることはなによりと言えよう。
仏さまも、にぎやかなことに喜んでおられるはずだ。
ただ、私はそこまでして集めることのうれしさを理解出来なくなっている。
随分と年をとってしまったようで寂しい……。
お堂の前で読経を勤め、お稚児さんたちが甘茶をかけおえると、儀式は終了した。
この日は、多国籍の人々がみなで仏さまに祈りを捧げた。
平和の祈りそのものである。
どうか、同じように、世界が永く平和でありますように。
お釈迦様のお弟子さまの御教えに、以下のお言葉がございます。
『四つ辻に、修行完成者のストゥーパをつくらなければならない。そこに花輪、または香料、または顔料をささげ、あるいは礼拝をなし、あるいは心を浄めて信ずる人々は、長いあいだ利益を得、また幸福となるであろう』
【岩波文庫 ブッダ最後の旅 中村元先生訳p168】
ありがとうございました。