おばけ | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

先日、皇居へ行った。

 

宮内庁式部職楽部の先生方による奏楽を鑑賞するためだ。
 

何度も拝聴しているが、毎回とても楽しみにしている。
 

楽部へは、大手門から入り、白鳥濠横の汐見坂を登るルートで向かった。
 

東御苑の緑豊かで綺麗な道のりを歩くだけでも、心は豊かになれる。

 

陛下もご覧になられるお庭なのかと思えば、有り難い気持ちにもなってくる。

 

入り口では、皇宮警察による荷物検査があった。

 

皇族の方がお聴きにいらっしゃるのだから、万が一のことがあってはいけない。
 

建物内には、砂利が敷かれた地面の上に、約十五メートル四方の舞台が設えてある。
 

その左右には、五メートル程の大きな太鼓がある。
 

聴衆は舞台をコの字に囲むようにして座る。
 

定時になると、開演を知らせるブザーが鳴った。

 

レトロな雰囲気の音であり、心が温まる。
 

いよいよ楽師の方々が舞台にあがり、おもむろに座る。

 

その所作でさえ雅である。

 

演奏が始まる。
 

安定感のある美しい音色が静かに広がっていく。

 

雅楽特有の拍も楽師の方々が奏でると、ことばにならない程心地がよい。

 

いつのまにか意識は日常の錯雑を離れ、心身は清らかになっていく。
 

贅沢なひとときである。

 

それにしても、皇族の方々がいらしている中で、一点の曇りもない演奏をされるのは驚くべき凄さである。
 

楽師なのだからあたりまえ、といえども感服してしまう。

 

緊張することなど、万が一にもなさそうである。
 

私も端くれながら、龍笛を吹いている。

 

仲間内とする稽古であっても、独奏部分は指が震えてしまう始末である。

 

納得できる吹奏など、できた例しがない。

 

そんな経験しかしたことがない者からすると、化け物のようである。

 

いったいどんな心臓をされているのだろうか。

 

どうしたら、少しでも近づくことができるのだろうか。

 

いつか先生に伺ってみたいところだが、「くだらない事を考えている暇があれば、稽古をしろ」と、叱られそうで怖い。
 

 

「十訓抄」に、以下の記があります。
 

『堀河院の御代、勘解由使の次官で、明宗という、大変に上手な笛の演奏者がいた。ところがこの人は、驚くほどの気後れをしてしまう人であった。堀河院が笛をお聞きになりたいと思って、召し出した時、帝の御前であると思っただけで、もう心は臆してしまい、がたがた震えて、まったく吹くことができなかった』
 

【小学館 新編・日本古典文学全集 十訓抄 訳者・浅見和彦先生 p80】
 

 

ありがとうございました。