花見はきらい      | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

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「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

桜の花が咲く季節になった。

 

お寺の周りには、道沿いに何十本もの染井吉野が植えられている。

 

何百本かもしれない。
 

街にも花見客が大勢くることになる。

 

手をつないで歩く人、絵を描く人、食事をする人、写真を撮る人、お酒を飲む人。

 

夜間はライトアップされる。

 

昼夜問わず、人で溢れかえることになる。

 

みんな楽しそうである。

 

私は、桜は好きだが花見行事は嫌いだ。

 

元来、性格が明るくないこともある。

 

大人数で寄り合うのは苦手だし、賑やかに社交するのも不得手だ。
 

加えて、やたらに多く人が集まると、ろくなことがない。

 

とにかく、やかましい。

 

ルールやマナーを守らないものは必ずいる。

 

実際に害をこうむることも多々ある。

 

花見の季節には、それが生活圏内で起きるのだ。

 

宴会は禁止と書かれていても、酒を飲んで大声ではしゃいでいる。

 

あげくには、ゴミはその辺においていく。

 

朝からムカムカしながら掃除をすることになる。
 

そこまでして気にいった方向から写真を撮りたいのだろうか。

 

車道に大きく出てきて撮影する人も後をたたない。
 

自分が轢かれるかもしれないのに、全く気にかける様子はない。

 

たしかに桜は綺麗だが、毎年代わり映えするものでもない。

 

日本中どこにだって咲いている。

 

若者には珍しく映るかもしれないが、いい年をした人たちが度を超して行っているのをみると、憐れにみえてくる。

 

そうだ。

 

菩薩さまが愚かな娑婆の衆生を哀れむように、寛容にみてあげればよいではないか。

 

その時季だけなのだから、大目にみてあげればいい。

 

散らかしたものは掃除をしてあげて、騒がしいのは我慢してあげればよい。

 

いや、だめだ。

 

こういうときは不動明王さまに「衆生を憤怒相でお救い下さい」と、祈るべきだ。

 

 

お釈迦様の御教えに、以下のお言葉があります。
 

『徳行をそなえ、法にしたがって生き、恥を知り、真実を語り、自分のなすべきことを行う人を、世人は好ましいと見なす』
 

【岩波文庫 「ブッタの真理のことば・感興のことば」中村元先生訳 p180】

 

 

ありがとうございました。