桜の花が咲く季節になった。
お寺の周りには、道沿いに何十本もの染井吉野が植えられている。
何百本かもしれない。
街にも花見客が大勢くることになる。
手をつないで歩く人、絵を描く人、食事をする人、写真を撮る人、お酒を飲む人。
夜間はライトアップされる。
昼夜問わず、人で溢れかえることになる。
みんな楽しそうである。
私は、桜は好きだが花見行事は嫌いだ。
元来、性格が明るくないこともある。
大人数で寄り合うのは苦手だし、賑やかに社交するのも不得手だ。
加えて、やたらに多く人が集まると、ろくなことがない。
とにかく、やかましい。
ルールやマナーを守らないものは必ずいる。
実際に害をこうむることも多々ある。
花見の季節には、それが生活圏内で起きるのだ。
宴会は禁止と書かれていても、酒を飲んで大声ではしゃいでいる。
あげくには、ゴミはその辺においていく。
朝からムカムカしながら掃除をすることになる。
そこまでして気にいった方向から写真を撮りたいのだろうか。
車道に大きく出てきて撮影する人も後をたたない。
自分が轢かれるかもしれないのに、全く気にかける様子はない。
たしかに桜は綺麗だが、毎年代わり映えするものでもない。
日本中どこにだって咲いている。
若者には珍しく映るかもしれないが、いい年をした人たちが度を超して行っているのをみると、憐れにみえてくる。
そうだ。
菩薩さまが愚かな娑婆の衆生を哀れむように、寛容にみてあげればよいではないか。
その時季だけなのだから、大目にみてあげればいい。
散らかしたものは掃除をしてあげて、騒がしいのは我慢してあげればよい。
いや、だめだ。
こういうときは不動明王さまに「衆生を憤怒相でお救い下さい」と、祈るべきだ。
お釈迦様の御教えに、以下のお言葉があります。
『徳行をそなえ、法にしたがって生き、恥を知り、真実を語り、自分のなすべきことを行う人を、世人は好ましいと見なす』
【岩波文庫 「ブッタの真理のことば・感興のことば」中村元先生訳 p180】
ありがとうございました。