床暖房は暖かい。
予想を上回る心地よさに驚いている。
風が吹くと天井から埃が落ちてくる。
床からは隙間風がどんどん入ってくる。
朝からエアコンを入れても、昼を過ぎたって部屋が暖かくならない。
それくらいに本堂と客間が老朽化したために、数年前に建て替えることとなった。
そして、そのときの会議で客間に床暖房設備を入れることが決まった。
以来、冬は床暖房の恩恵にあずかっております。
法要に参列された方も、「あれっ、床暖房かな。暖かいね」と。
また、お茶を飲みながら「動きたくなくなってきた」と法要前におっしゃる方も。
本当ですよね……、イヤイヤこれからご供養です。
本堂は、畳なので床暖房ではない。
しかし、複層ガラス窓になっているため、エアコンを入れれば直ぐに暖まる。
読経が終わるとお客さんが、「前とは全然違うね。暖かい。お経をきいていたら眠くなっちゃうよ」と。
はい、とても快適になりました。
でも、ご供養ですから起きていて下さい……。
ただ、中には「お寺は寒いくらいがいいんだよ。その方が身が引き締まるからね」とおっしゃるかたも。
確かに、お寺は山の奥にあったり、険しい階段があったりと、厳しい環境の中に建てられていることも多い。
ごもっともなご意見である。
現代社会、特に都会はとてもよく制御され整備されている。
一年中室温がコントロールされているし、どこへ行くにも交通網が整っている。
お陰で雨風も寒暖もそれ程心配しないでいられるし、予定も立てやすい。
でも、だからといって自然の災害がなくなったわけでもなく、全てが予定通りに進むわけではない。
お釈迦さまが、「諸行無常」と説いて下さっている通り、制御不能のことも多くある。
不自由のない生活が続いていると、ついそのことを人は忘れてしまう。
床暖の恩恵にあずかりすぎている私が言うのもおこがましいが、そのことは忘れないようにしたいものである。
法然上人の御教えに、以下のお言葉があります。
『受けがたい人の身を受け、遇いがたい仏の教えにめぐり遇うことができました。この世の無常は刻々と迫り、死の訪れは老若を問うことがありません。すでに病に冒されていることも知らぬまま、生死の境が間近にあることも誰一人として気づいていません。とにもかくにも急がねばなりません、励まねばなりません。お念仏を称えるにあたっては三心を具えなさいと言われているのも、これらの真理をふまえてのことなのです』
【法然上人の御法語3 浄土宗総合研究所編P26】
ありがとうございました。