妄想スイッチ | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

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「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

生まれも育ちも、ずっと東京。

だから、他の地での生活がどのようなものかわからない。

 

が、時に都会が窮屈になり、「田舎生活はパラダイスに違いない」と勝手に決めつけ、一人妄想を楽しみ現実から逃れることがある。

 

人の往来の激しさ、騒音、空気の淀み、人々の賑やかさや派手さに疲れてくると始まるのだ。

ある山陰のお寺さまに伺った際、そのことを御長老に話したことがある。

すると。

「この町には、学校や役場より高い建物はないぞ。だから、高台に登ればが全部見える。騒音なんてない。きこえてくるのは、波の音と鳥の声と漁船の音ぐらいだ。空気は潮の香り。道を歩いていても人とすれ違うことはあんまりないな。でも、すれちがえば皆知り合いだから、「おう」と声をかけたりなんかする。暇なときには、海岸の岩場に座って海を眺めたりする」と。

 

「うゎー。理想的」と心の中で興奮していた。

また、「わしは海が好きでな。東京の海は汚れていて泳げんだろが。ここの海は綺麗だぞ。そんでホレ、夏に泳ぐのは町の子供ら位だけど、みんな広い浜で自由に泳げる。テレビでみるけれどもすごいな湘南は。混んでるな」とも。
 

「うらやましい」と感心しつつ、いつもの妄想が現実に近づきつつあると感じワクワクしてきた。


ところが、「でもな。若いもんらには、つまらんかもしれんな。都会のように殺伐とはしとらんし、誘惑も少ない。時間もゆっくり流れとる。だけ、刺激はない。仕事も都会のように沢山はないな。町の付き合いも、よくもわるくも濃い。それに、大きな町へつながる道は国道が1つだけ。もしそれが塞がったら、いざというときに総合病院までたどり着けなくなってしまう」と。

「ん~。色々と田舎にも苦労もあるな」と、妄想がだんだん修正されていくにつれ、寂しさがでてきた。

最後に、「田舎にはいいことが沢山あるが、厳しいこともそりゃあるで」と、論破できない正論を穏やかにガツンと。
 

「わかっています。わかっています。いや、わかりました」と気持ちのなかで。


東京に戻ってから、しばらくは御長老の話が身にしみていたようで、田舎パラダイスの妄想から離れていた。

しかし、再び身体と心に都会の喧騒が攻めこんできた今日この頃は、妄想スイッチが定期的に作動している。

 

どこにいても大変なことも、そんなことをしても仕方がないことも、わかりつつ……。

 


鴨長明さまの方丈記に、以下のようなお言葉がございます。

『だいたい、世間とのつきあいを絶ち、出家してからというもの、人を恨むことも、ものを恐れることもなくなった。

自分の命は天にまかせているから、命の尽きるのを惜しんだり、死を忌み嫌ったりしない。

また、自分自身をはかない浮き雲とみなしているから、将来をあてにしたり、現状に不満を抱いたりもしない。

ありのままの自分をすなおに受け入れている。

わが人生で一番の楽しみは、のんびりと腕枕でうたた寝して、自由の境地を味わうこと以外にない。

また、生涯で最後の望みは、四季折々の美しい景色を味わって、大自然にあそぶことである。』

【角川文庫 ビギナーズ・クラシック方丈記 武田友宏先生編p140】


ありがとうございました。