生まれも育ちも、ずっと東京。
だから、他の地での生活がどのようなものかわからない。
が、時に都会が窮屈になり、「田舎生活はパラダイスに違いない」と勝手に決めつけ、一人妄想を楽しみ現実から逃れることがある。
人の往来の激しさ、騒音、空気の淀み、人々の賑やかさや派手さに疲れてくると始まるのだ。
ある山陰のお寺さまに伺った際、そのことを御長老に話したことがある。
すると。
「この町には、学校や役場より高い建物はないぞ。だから、高台に登ればが全部見える。騒音なんてない。きこえてくるのは、波の音と鳥の声と漁船の音ぐらいだ。空気は潮の香り。道を歩いていても人とすれ違うことはあんまりないな。でも、すれちがえば皆知り合いだから、「おう」と声をかけたりなんかする。暇なときには、海岸の岩場に座って海を眺めたりする」と。
「うゎー。理想的」と心の中で興奮していた。
また、「わしは海が好きでな。東京の海は汚れていて泳げんだろが。ここの海は綺麗だぞ。そんでホレ、夏に泳ぐのは町の子供ら位だけど、みんな広い浜で自由に泳げる。テレビでみるけれどもすごいな湘南は。混んでるな」とも。
「うらやましい」と感心しつつ、いつもの妄想が現実に近づきつつあると感じワクワクしてきた。
ところが、「でもな。若いもんらには、つまらんかもしれんな。都会のように殺伐とはしとらんし、誘惑も少ない。時間もゆっくり流れとる。だけ、刺激はない。仕事も都会のように沢山はないな。町の付き合いも、よくもわるくも濃い。それに、大きな町へつながる道は国道が1つだけ。もしそれが塞がったら、いざというときに総合病院までたどり着けなくなってしまう」と。
「ん~。色々と田舎にも苦労もあるな」と、妄想がだんだん修正されていくにつれ、寂しさがでてきた。
最後に、「田舎にはいいことが沢山あるが、厳しいこともそりゃあるで」と、論破できない正論を穏やかにガツンと。
「わかっています。わかっています。いや、わかりました」と気持ちのなかで。
東京に戻ってから、しばらくは御長老の話が身にしみていたようで、田舎パラダイスの妄想から離れていた。
しかし、再び身体と心に都会の喧騒が攻めこんできた今日この頃は、妄想スイッチが定期的に作動している。
どこにいても大変なことも、そんなことをしても仕方がないことも、わかりつつ……。
鴨長明さまの方丈記に、以下のようなお言葉がございます。
『だいたい、世間とのつきあいを絶ち、出家してからというもの、人を恨むことも、ものを恐れることもなくなった。
自分の命は天にまかせているから、命の尽きるのを惜しんだり、死を忌み嫌ったりしない。
また、自分自身をはかない浮き雲とみなしているから、将来をあてにしたり、現状に不満を抱いたりもしない。
ありのままの自分をすなおに受け入れている。
わが人生で一番の楽しみは、のんびりと腕枕でうたた寝して、自由の境地を味わうこと以外にない。
また、生涯で最後の望みは、四季折々の美しい景色を味わって、大自然にあそぶことである。』
【角川文庫 ビギナーズ・クラシック方丈記 武田友宏先生編p140】
ありがとうございました。