旅行記(2日目・後編) ~伝説の豪傑が眠る地・誉田編~ | 犬小屋チャンプルー

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犬己那池の、オリジナルの小話やイラストをもさもさ更新するブログ。
最近は、歴史創作(南北朝~戦国時代)がメインになっています。

京都駅から新幹線に飛び乗り、新大阪へ。
車中では、ずっとスケジュールの変更と時間のことばかり考えていました。
仕方なく、帰りの新幹線の時刻を2時間ほど遅らせることに。

大阪では、薄田隼人正兼相に関係する史跡を見て回ります。
彼は伝説の豪傑・岩見重太郎の後身と言われ、大坂夏の陣で真田幸村たちとともに戦った武将です。
ちょうど今年の大河ドラマは真田幸村が主人公なので、もしかしたら薄田兼相もドラマに登場するかも……?

そんな彼の墓があるということで、まず向かったのは誉田史跡公園。
地下鉄と近鉄を乗り継いで、最寄りの道明寺駅で降ります。
駅の横には、「大坂夏の陣 道明寺合戦記念碑」が。
大坂夏の陣 道明寺合戦記念碑
記念碑の下に、隣の方の置かれた手荷物がそのまま写ってしまっていますが……(汗)。

道明寺の前を通って、地図の通り歩いていくと、民家と畑に囲まれた小さな広場が姿を現しました。
ここが誉田史跡公園――そしてその中に立っているのが、「薄田隼人正兼相の墓」です。
薄田隼人正兼相の墓
随分と立派な石碑でした。
こちらは、明治の頃に子孫の方が、兼相が戦死したのはこの辺りではないかと調査・判断して建てたものです。
早速、墓前に手を合わせてご挨拶。
福岡県の名島に「岩見重太郎誕生之地」の石碑があること、それに関連してここまで調査に来た旨を伝えました。

墓参りを終えて、周囲を見渡しながら、夏の陣における兼相の奮戦ぶりを想像していると、あるモノが目に入りました。
「橙武者」だけに?
これは……ミカン!?
まさか、「橙武者」と呼ばれた兼相の墓がここにあると知って……?
だとしたら、大阪人のセンスに脱帽せざるを得ない(笑)。

気が付くと、帰りの電車の時刻が迫っていたので、急いで来た道を戻ります。
当初は博労淵と増福寺にも行く予定でしたが、そんな余裕はありませんでした。
史跡の残っていない博労淵はともかく、兼相のもう一つの墓がある増福寺に行けなかったのは辛い。
多少の未練を抱きつつ、帰途につきました。

新幹線で新大阪から博多へ向かう途中、窓の外では徐々に雨が降りだしました。
そう考えると、今日一日、京都・大阪で曇り空だったのは幸いだったのかもしれません。
私も旅行前に天気予報を見て、大阪で雨中行軍を覚悟していましたし。

ようやく博多駅について、ホッとしたのも束の間。
最後の最後で、出口を間違えるという事態に(汗)。
駅員さん、あのときは本当にすみませんでした。
なんだか今回は鉄道の利用が多かっただけに、鉄道関係のミスが多かったな……反省。

――以上で、今回の旅は終了。
心残りはあったけど収穫もそれなりにあって、満足度としては70%くらいかな?
次はきちんと下調べして、時間的にも体力的にも余裕のある旅にしようっと!

 (終わり!)


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