令和元年

10月25日小雨のち晴れ 朝は小雨模様だったが、すぐに晴れて良いお遍路日和だなと思った。気持ち良く歩いていると、交差点の左に琴弾八幡宮の大きな鳥居が見えてきた。68番神恵院69番観音寺は近くなので、ここも参拝したいと寄った。境内も大きいけれど、石段もすごい。四国の神社仏閣の参拝は、足腰丈夫でなくちゃつとまらない。写真を撮りながら登って行ったら、二人の学生さんが足取りも軽く下りてきた。「おはようございます。写真を撮りましょうか?」と笑顔で話しかけてきた。態度といい、言葉づかいもなかなかの好青年だった。本殿には『琴』の文字がガラス戸に描かれ、納札箱が設置されていたので一枚入れた。御朱印をもらったら、『寛永通寶』の印も押された。訊ねたらテレビでよく観る『銭形砂絵』の展望台が、すぐ近くにあると教えてくれた。早速行ってみたら、数人の観光客が写真を撮っていた。思いもかけず良かったと思い、石段を下り車道に戻って、数百メートル先の神恵院へ向かった。ここは同じ敷地内に観音寺があるので、1ヶ所で2つの納経ができる唯一のお寺だ。神恵院の山号をみると『琴弾山』といい、神恵院は別名『琴弾八幡』とも呼ぶらしいので、前神寺と石鎚神社の関係と似たような由来かなと思ったりもした。ここの納経所は親切で、お賽銭用に10円、5円に両替をしてくれると張り紙があった。お願いしたら、20枚を紙でくるんで用意してあった。数十キロも歩かなければ着かないお寺もあるのに、得をしたような気分で5〜6キロ先の70番本山寺に向かった。昼過ぎになったので、道路沿いのマルナカで、またうどんを食べた。どこのうどん屋さんも安くて美味しいのでありがたいけれど、セルフでトッピングして食べるのに慣れていないせいか、どうも落ち着かなかった。いつの間にか観音寺市を抜けて三豊市を歩いていた。庭先を掃除していたおばあさんが、「ご苦労さんだねぇ。もうすぐそこを曲がったら塔が見えるよ。」と笑った。『弘法大師一夜建立』の看板が目に入った。「え〜、一晩で建てたお寺?」と思わず唸ったが、超人的な伝説が多いので、お大師さんならあり得るかと思った。本山寺には、千年以上前に建立された五重塔が広い境内に聳えていた。明治時代に再建されたらしいが、損傷が激しいので修復の浄財を募っている。御本尊は、霊場唯一の『馬頭観世音菩薩』だ。掲げてある御真言も、舌がもつれそうだった。馬頭観音という事は、この一帯が農作業にたくさんの馬を使っていたのかなと、勝手に想像した。大師堂をお参りすると、納札箱の上に金色の納札が置かれてあった。投入されていないので見たら、『浄土宗沙門』と書かれ住所と名前も詳しく書かれてあった。徳の高そうな僧侶の納札なら御守りになるかなと、頂いて納経帳に挟んだ。

後半に続く

 

 

琴弾八幡宮

 

琴弾八幡宮上り口

 

石段

 

本殿

 

由緒書

 

寛永通宝の銭形砂絵

 

道路標識

 

山門

 

神恵院本堂への入口

 

68番神恵院/本堂

 

神恵院/大師堂

 

69番観音寺/本堂

 

観音寺/大師堂

 

標石

 

三豊市へ向かう県道5号線

 

可愛い標石を見つけました

 

五重塔が見えます/本山寺

 

本山寺

 

本山寺/山門

 

70番本山寺/本堂

 

本山寺/大師堂

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10月24日 前半から続く

登山よりも長い距離を下っていった。寒さもあってか、左の足腰が痺れてきた。やっと着いた67番大興寺の納経所では、栗のお菓子を3種類出して、どれでもどうぞとお接待してくれた。また納経帳を包んでいるビニールが破れているのをみて、大きめの袋もいただいた。住職のちょっとした心遣いが嬉しかった。道標に従って、遍路道に入り観音寺市に向かった。身体は濡れているが、雨は止んだ。登山下山に緊張していたのか、3時近くになり急にお腹が空いてきた。大きい『うどん大喜多』と掲げた青い看板が目に付いたので、「良いですか?」と入った。「どうぞ、どうぞ!」と、笑顔で迎え入れてくれた。さっと、ペットボトルごと烏龍茶を出して「リュックをおろして、ゆっくりして下さいね。」と、何度も言ってくれた。ぶっかけうどんを食べながら、今夜の宿を検索して『白梅旅館』に予約した。代金を払おうとレジに行ったら、「今日はもうレジを閉めたので、お代はいいですよ。」と言われ、面食らってしまった。「そんなわけには、いかないでしょ。」と言うと「気にしないで下さい。今日はもう終わりなので、お接待です。これもどうぞ。」と、パックに入った赤飯のおにぎりと新香巻きを、箸まで添えて袋に入れて持たせてくれた。恐縮したなんてモンじゃない。ドキドキして頭がクラッとした。何度も御礼を言って、納札をおいて店を出た。「いやぁ、いいのかなぁ。」と、自分でも妙な感覚だった。『白梅旅館』は素泊まりだったが、翌日の朝食をお願いした。夕食は缶ビールと、『大喜多うどん』さんでいただいたのを感謝しながら食べた。雲辺寺の登山下山はきつかったけれど、大興寺と『大喜多うどん』さんに疲れが吹っ飛んでしまったようだった。高野山にお参りするのに、普段使っている数珠を持ってきたが、雨で房がぼそぼそになり、式章は色落ちしてしまった。ビニールで包んだ輪袈裟を掛けているお遍路さんを、あちらこちらで見かけた。なるほどと思ったが、それぞれ雨対策を考えている。私のように、ボーッとしているお遍路さんはいないのだ。

 

下山道の道標(手ぶれ写真です)

 

標石

 

途中で見かけた白藤大師堂

 

かわいい道標

 

67番大興寺

 

扁額

 

大興寺/本堂

 

大興寺でお接待していただきました

 

暖かいお接待をしていただいた『大喜多うどん』さん

 

お接待に感謝!

 

令和元年

10月24日雨 5時に朝食を摂り、雨が降る予報なので身支度をしっかりした。脚の痙攣と膝の痛み防止に、芍薬甘草湯とイブプロフェンを服用した。今までも、登山道の時は前もって服用していた。痛くなってからでは遅いからだ。佐野郵便局まで、75才の男性と送ってもらった。歩き始めたら、雲辺寺の登山口を見失ったのか、左右道標のない丁字路にぶつかってしまった。どうしようかと考えていたら、同じように40代のブルーの雨具を来た青年が、地図を広げながらやってきた。見落としやすいからと、『民宿岡田』で手書きの地図をもらってきていた。二人で地図を確かめると、通り過ごしたようだ。一緒に100メートル程戻ったら、土手に上がる細い坂に道標があった。雲辺寺の登山はきつかった。雨は降るし、足下は悪いし滑る。何よりも倒木があり急斜面で、昔のお遍路さんは偉いなあと思ったと同時に、『民宿岡田』のおじいさんが、本当にここの草刈りをしているのかと驚いた。難所で知られる雲辺寺にはロープウェイもあるけれど、歩き遍路は皆ここを登る。途中でカメラを落としたことに気づいた。ウィンドブレーカーの胸ポケットに入れたはずが、白衣との間に入れてしまい、そのまま落としてしまった。写真を撮った地点がわかるので、下りていったら運良く見つけられた。それ以後は胸ポケットに入れたら、必ずチャックをするように気をつけた。疲労困憊でようやく登りきって車道に出て、9時過ぎにお寺に到着した。山の上のお寺だけど、境内は広くて紅葉シーズンはきれいだろうなと思った。本堂、大師堂を参拝して納経を済ませ、67番大興寺への道を確認していた。『民宿白地荘』で宿泊した75才の男性は、雨が強いのでロープウェイで下山すると去って行った。下りは車道だから何とかなるだろうと思っていたが、大きな間違いだった。五百羅漢の像が並んでいたが、ゆっくり見ることもなく、いつの間にか下りの遍路道に入っていた。雨は降るし、不得手な段差が多く、滑って転倒もした。そこかしこに割れた栗がたくさん落ちていたが、下りるのが精一杯で拾ってみることはなかった。ブルーの雨具の青年が、トントンと下りてきた。彼は登山靴を履いて、金剛杖でなく登山用のポールを持っていた。さすがに今日は登山靴だよなぁと思わず呟いた。ウォーキングシューズと登山靴の、どちらを選ぶかは本人次第だ。平地が90%以上あるといわれているので、平地に登山靴は重いし、そうかと言って雨の中の登山にウォーキングシューズも辛い。両方持ち歩くことは無理だし、どちらにしても仕方がない。

後半に続く

 

 

道標

 

塀に手書きの道標がありました

 

雲辺寺登山道

 

雲辺寺登山道

 

登り切ったところの道標

 

お大師様と

 

道標

 

66番雲辺寺/山門

 

 

雨の本堂

 

大師堂

 

五百羅漢

 

道標/いよいよ香川県です

 

下山道

 

 

10月23日 前半から続く

椿堂を出てすぐ、住宅からご婦人が出てきて、冷えたリポビタンDをお接待してくれた。北海道からだと知ると、「旭川に親類があり、花の苗を送ってきたので、育てているから是非見て下さい。」と、嬉しそうに庭の紅い花を指さした。いよいよ最後の香川県『涅槃の道場』に入る。しかし、66番雲辺寺の住所は徳島県になっている。香川県寄りの県境なのだろう。今夜の宿は『民宿白地(はくち)荘』で、住所も徳島県三好市だ。雲辺寺に向かう国道を歩いて、途中のバス停でパンを食べた。女性の親子がやってきたが、私が休んでいるのを見て、笑顔で過ぎ去った。女性の親子は、すぐ近くの遍路小屋で昼食を摂っていた。トンネルが嫌で、境目トンネルの手前で左に曲がって200メートル程歩いたら、山越えのように思えたので、戻ってトンネルを抜ける事にした。女性親子が追いついてきて、「トンネルの方が分かりやすいそうです。」と教えてくれた。トンネル内は車の往来が激しくて、風圧で何回も立ち止まった。女性親子は、今夜『民宿岡田』に予約していた。『民宿岡田』の予約が、遍路中で一番難しいとどの本にも書いてある。雲辺寺の麓ではここしかなく、91才で人気のおじいさんが経営していて、部屋数も6部屋だと聞いた。宿泊した外国人から誕生日プレゼントが届くほど人気で、いつも予約がいっぱいだと『民宿白地荘』のご主人が話してくれた。私のように前日か当日の予約では叶うはずがない。『民宿白地荘』は、雲辺寺登山口から10キロ以上離れているので送迎してくれる。『民宿岡田』の前を過ぎ、佐野郵便局の前に着いた。郵便局長さんが、「中に入ってお休み下さい。」と親切に何度も言ってくれた。近所の男性も近寄ってきて、お休み所を解放していると言った。外国人も来るらしい。ここから『民宿白地荘』に電話を入れて、迎えに来てもらった。白地という地区の小高い山の上にあり、静かな民宿だった。到着すると、奥さんが真っ先に杖をゴシゴシとブラシで丁寧に洗ってくれた。宿泊者は私の他に、車中泊を中心に、時々宿に泊まりながら歩いている75才の男性と、岐阜県可児市から来た80才前後の老夫婦だった。ご主人は元バスの運転手で、四国から九州を車で旅行する予定だったらしい。1番霊山寺を参拝したら突然お遍路さんに心変わりし、門前で一揃い購入して、車遍路をしていると笑った。40年以上経営している民宿のご主人は、お遍路に関わるたくさんの話をしてくれた。例えば、遍路中に日射病で亡くなったご主人のあとを、続けてお遍路した奥さんが宿泊したとか、15年前までは1番にお礼参りするという話はなく、また逆打ちが御利益あるという事もなかったとか。ここで聞いた話で、88番から1番までお礼参りの気持ちが失せてしまった。一番感じ入ったのは、『民宿岡田』の91才のおじいさんが、雲辺寺の遍路道を、一年に数回草刈りをしながら登っているという話だった。それも、ボランティアで。部屋に戻り明日に備え、足にできた水ぶくれ4ヶ所を手当てして、早めに寝た。

 

 

国道192号線

 

標石

 

ヘンロ小屋

 

目指す雲辺寺の所在は徳島県です

 

道標

 

道標

 

境目トンネル

 

いつの間にか徳島県に

 

元気をもらった道標

 

民宿岡田

 

 

 

 

令和元年

10月23日晴れ 朝食後、三角寺に向けて出発。標高の高い所にあるお寺なので、登るルートがいくつかある。成り行きにまかせ、道標を頼って登って行った。坂を登って行くと、車道と遍路道の二叉に出た。車道を歩けば良いのに、また遍路道を選んだ。間違えたのか行き止まりになり、諦めて戻ったら、住宅の前でおじいさんがいたので訊ねた。鉄板の渡しのあるところから、右に登って行くのだと教えてくれた。私が首を捻っているのを見かねて、連れて行ってやると先導してくれた。50メートルほど行くと、確かに足下に鉄板の渡しがあり、小さい板に赤くかすれて見えない三角寺への矢印があった。「これじゃ分からんはずだ。」と思った。おじいさんに何度も御礼を言って、山道に入った。こんなところにも、『南無大師遍照金剛』の木札がぶら下がっている。ようやく車道まで登り切って、ベンチで一服していたら、散歩中のおじいさんが車道を歩いて追い抜いて行った。三角寺の入り口に着くと、先ほどのおじいさんが待っていて、『レモンまんじゅう』を差し出した。自分のおやつに持参したのを、お接待してくれたのだと思ったら嬉しかった。50メートル程歩くと、年配のお遍路さんが立っている。別ルートの山道を登ったらしい。道標がなくて、左右どちらを行くのか分からなく、ちょうど私を見かけたので待っていたようだ。ようやく三角寺に着いたら、見上げるほどの石段にがっくりした。山門に鐘が釣り下がっていたので、軽く突いて境内に入ったら、錫杖を持った大きなお地蔵様が立っていた。納経を終わって石段を下りたら、団体のお接待をしている方々が、一杯どうぞとコーヒーを入れてくれた。今度は下り坂なので、ゆっくり歩いた。地元の方が教えてくれる道は遍路道で、狭い石段を下りたり、車道に出たりを繰り返して進んだ。遠くから澄んだ鐘の音が聞こえてきた。別格14番霊場常福寺、通称『椿堂』だ。ここは必ず納経しようと決めていたお寺なので、鐘の音に誘われて向かった。途中の遍路小屋で、お遍路さんのグループを見かけた。サークルの名前を書いた札を下げていた。常福寺の狭い境内では、たくさんのお遍路さんがそれぞれ読経していた。赤い柱の山門に鐘が釣ってあるので、軽く突いてみた。境内に立つ、真っ赤な『火伏不動尊』が印象的だった。本堂で読経していたら、急に音楽が鳴った。誰のスマホだろうと思って見回したら、何と自分のiPhoneだった。誤作動して慌てた!納経をすると、「歩きのお遍路さんにだけ。」とお煎餅を添えてくれた。ここでも別格12番で出会った東南アジアの団体さんが、お弁当を広げて食べていた。境内に、福の神という数体の石像があった。スカートをめくった女性のお遍路さん達が、大笑いをしていた。何が可笑しいのかとめくったら、男女の・・・だった。ビックリ!

後半へ続く

 

 

標石

 

太鼓台の後片付けをしていました

 

趣のある標石です

 

車道に矢印が!

 

四国中央市を望みます

 

お接待されたレモンまんじゅうがとても美味しかった

 

道標

 

65番三角寺石段

 

鐘楼山門

 

三角寺/本堂

 

延命地蔵菩薩

 

三角寺/大師堂

 

写真を撮ってもらいました

 

道標/椿堂へ

 

遍路道の竹林

 

土佐街道の標石がありました

 

遍路小屋にあった道標

 

遍路道

 

66番常楽寺(椿堂)/山門

本堂

 

由緒書

 

真紅の火伏不動尊

 

福の神/のぞいてビックリ!