10月27日 前半から続く

丸亀市内に入り、丸亀城も見学せず通過した。78番郷照寺のある宇多津は、宇夫階(うぶしな)神社の祭典の最中だった。にぎやかに地区ごとの太鼓台が行き交い、露店も多くたくさんの人で溢れていた。郷照寺への道標を探したが、人が多くて見つけられず、太鼓台を眺めていた老人に訊ねて教えてもらった。どこから来たのか逆に聞かれたので、「北海道です。」と返答したら、「ふ〜ん、北海道か。」と返された。賑やかな山車や笛の行列が、通り過ぎるのを待っていた。お寺に向かおうとしたら、その老人が財布からお金を出して差し出した。千円だ!驚いて、「いえ、いえ、結構です。」と断ったが、「お接待だ。」と言って、握らせてさっさと人混みに去ってしまった。先ほど北海道からと話したので、お接待してくれたのだと嬉しかった。しかし納札も出さず、どうしようか。もったいなくて、とても使えない。それで高野山にお参りした時に、お賽銭にしようかなとおぼろげながら思った。そうすれば、あの老人への御礼にもなるかな。郷照寺は小高い丘の上にあった。一遍上人の時宗だという。丘の下は宇夫階神社の祭典で賑わっているが、境内は静かだ。奥に『淡島明神』という女性の守護神をお祀りしてあった。納経を済ませ、7キロ弱先にある坂出市の79番天皇寺へ向かった。祭典で警備の若いお巡りさんに、道を訊ねたら首を捻った。年配のお巡りさんが、笑いながら八十場(やそば)のお寺だねと教えてくれた。天皇寺と呼ぶより、八十場というほうが地元の人にはしっくりくるらしい。お遍路もあと残り10ヶ所になり、長かったけれど、早かったなと思った。まだ先があるのに、よくここまで来たものだとも思った。歩いていると、『親鸞聖人二十四輩御霊場』の石柱が建っていた。門徒なのに意味もわからず、立ち寄れば良かったのに素通りをしてしまった。何度も道標に導かれて遍路道に入ったり、車道に出たりを繰り返して行くと、『八十八(やそば)名物ところてん』の看板があった。お遍路さんには特に名前が通っていて、ほとんどのお遍路さんは食べるらしい。良質の湧き水があるのだろう。私はところてんが苦手で、まったく食べたことがない。学生時代に仙山線のとある駅で食べて、ひどい目にあってから食べられない。喉を通らないので、口に入れられないのだ。しかし評判でもあるし、わずか数本でも試食程度にチャレンジしてみる気になった。意を決して店の前に行くと、『本日定休日』の看板が置いてあり、何故かホッとした。天皇寺は高照院とも称され、崇徳天皇ゆかりのお寺で、白峰宮と標記された柱の横に朱塗りの三輪鳥居があった。境内には菊の御紋を付けた御神馬の像もあり、お寺と神社の両方を参拝した。今日はここまでと思ったが、まだ時間があるので少しでも先へと次の鴨川駅まで歩いた。鴨川駅に着く頃には薄暗くなったが、電車で宇多津駅まで戻り、駅前の『ホテルアネシス瀬戸大橋』にチェックインした。ここのホテルには、コイン洗濯機が設置されていないので、洗濯物を持って夕食がてら外に出た。両腕は日光湿疹とあせもでボコボコになり、足もキズバンとテーピングでグルグル巻き。なぜこうまでして歩いているのか、自分でも可笑しかった。歩数計を確認したら50,000歩を超えていた。

 

古そうな標石

 

道標

 

宇夫階(うぶしな)神社の祭典

 

宇夫階神社の祭典

 

参拝客で賑わうお店

 

78番郷照寺/山門

 

厄除大師の石柱がありました

 

淡島大明神

 

波切不動王

 

郷照寺/本堂

 

郷照寺/大師堂

 

道標

 

標石

 

古い標石がありました

 

八十八名物 ところてんのお店

 

79番天皇寺(高照院)

 

三輪鳥居

 

白峰宮

 

御神馬

 

天皇寺/本堂

 

天皇寺/大師堂

 

 

令和元年

10月27日晴れ 朝、早めに御影堂に行ったら、すでにたくさんの宿泊者が座っていた。6時に厳かな朝の勤行が始まった。男性僧侶の中に女性僧侶も混じって、朗々とした気持ちの良い読経だった。光明真言の時に、僧侶が右の袖を掲げていたが、どのような理由なのか帰宅したら調べてみようと思った。読経の40数分をiPhoneで録音した。法話と読経のあと、全員が奥殿でお大師さんにお香をあげて合掌した。その後、戒壇巡りもあった。前日も体験したので2度になった。そのまま、食堂に促されて朝食を摂った。ウォーキングおじさんは、朝食後すぐに出て行ったようだ。私は堅パンを買いたくて、熊岡菓子店の前に行ったが、すでに数人が並んでいた。8時ちょうどに、店の戸板が滑るように開いた。60年前の我が家の店舗の戸板を彷彿とさせて、懐かしかった。数種類あったが、メインの堅パンは親指大のカチカチのビスケット風で、想像していたパンとは違った。昔ながらのはかり売りで、紙の袋に入れてくれた。リュックに入れて、4キロ先の76番金倉寺を目指した。金倉寺は、『智証大師御誕生之所』の大きな石碑が目についた。天台宗の高僧で、お大師さんの甥だといわれている。甥なら真言宗でないのは何故だろうと思った。境内には、金ピカの大黒天が鎮座していた。『金箔をはっておかげを頂いて下さい。』と、看板に書かれてあり苦笑してしまった。四国88ヶ所のお砂踏みもあった。境内の一角に、『乃木将軍妻返し松』と刻まれた石柱と、手入れされた松の木が立っていた。金倉寺を宿舎にしていた乃木将軍に、東京から夫人が面会に来た。自分だけ面会しては兵士の士気が下がると思い、会わずに返したという。その時に、夫人が佇んだ松という事らしく、しばらく眺めていた。甲高い声の先達さんに引率された団体が、騒がしくバスから下りてきたので、納経を済ませて早々に立ち去った。77番道隆寺へも5キロ弱と近い。近くのデイリーヤマザキというコンビニで焼きたてパンの文字が目に入ったので、焼き印に『空海』と押してあったパンを2個買った。コンビニのおにぎりとパンは、飽きてしまったので、少し変わったのが食べたかった。一本道を歩いていたら、お堂の周りの草取りをしていた年配の夫婦に呼び止められて、近道を教えてくれた。ここでもお遍路さんは、人々に見守られている。道隆寺が見えた時、突然「お遍路さ〜ん!待って下さい!」と窓を開けて、老人が叫んだ。驚いて立ち止まったら、走って近寄ってきた。「これ、息子が作ったお地蔵さんの焼き物です。どうぞお持ち下さい。」と、小さなお地蔵さんを手渡してくれた。いろいろなお接待を受け、嬉しいやら驚くやら。道隆寺の本堂に、高僧の雰囲気が漂う法衣を着たお坊さんが、若い二人のお坊さんと、4人のおじいさんおばあさんを連れて入ってきた。確か曼荼羅寺の駐車場で見かけた方々だ。柿色の衣を着ていたので、本山寺で頂いた金の納札のお坊さんかなと思った。大きな五鈷杵が安置されていたが、若い二人のお坊さんが五鈷杵を撫でて何回も頭や腰に擦っていた。腰を曲げて遅れて入ってきたおばあさんも、一生懸命に何回も撫でて足腰に擦っていた。じっとその光景を見ていたら、近寄りがたいお坊さんが私にやれと目配せをした。そんな事は今までした事がなかったので、「えっ!」と思ったが、せっかくなので会釈して五鈷杵を撫でて右眼に擦った。本堂外の左手に、ガラスケースに入った赤い『賓頭盧(びんずる)さん』が鎮座していて、ここもまた若い夫婦が頭を撫でて、自分の頭に擦っていた。これはもうやるしかないと思って、真剣に『賓頭盧さん』の右眼を撫でて、自分の右眼に何回も擦った。お菓子などがお供えしてあったので、私も買ったパンをお供えして右眼の回復をお願いした。帰宅後、カミさんにこの話しをしたら、涙を流して笑ったので、つられて一緒に笑ってしまった。道隆寺は『目なおし薬師さま』と呼ばれ、全国から大勢の人々が、眼病の平癒に訪れるそうだ。私にはピッタリのお寺ではないか!門前のお遍路用品店で、少し足りなくなる気がしたので納札を買った。お茶と飴をお接待された。

後半に続く

 

 

境内に居並ぶ五百羅漢さん/善通寺

 

熊岡菓子店

 

有名な堅パン

 

標石

 

76番金倉寺/山門

 

境内への入口がたくさんありました

 

金倉寺/本堂

 

金ぴかの大黒天にビックリです

 

金倉寺/大師堂

 

88ヶ所お砂踏み

 

乃木将軍妻返し松

 

思わず買ったパンです

 

古い標石

 

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道標

 

お接待でいただいたお地蔵様

 

77番道隆寺

 

道隆寺/本堂

 

賓頭盧(びんずる)さん

 

道隆寺/大師堂

 

道隆寺/境内

 

 

 

 

 

 

10月26日 前半から続く

74番甲山寺は、平坦な道で2キロ少しのところにあった。御本尊は薬師如来だが、お大師さんが彫ったと伝わる石像の『毘沙門天王』を示す赤い旗竿が、何本も目立っていた。698回のお遍路さんが、ベンチで休んでいたので手を振って去った。75番善通寺に向かう途中、宮川製麺所の前を通った。製麺工場だと思っていたら、店舗の内も外のベンチも、どんぶり片手にうどんを食べているお客さんでいっぱいだった。食べられるのだと、並んでみたものの、どの様に注文していいものか分からないほどにぎやかだった。食べた後に代金を払うのだと、外で食べているオジさんが教えてくれた。通常セルフは食べる前なのに、何を言っているのだろうと思った。うどんの大中小で、どんぶりの色が違っていて、自分でトッピングして食べた後に自己申告で払うというのだが、本当にそうだった。小のぶっかけにトッピング2個で、300円しなかったのでビックリした。お土産に買いたいと思ったが、添加物を使っていないので、3日が限度だと言われ諦めた。善通寺に着くと、やっとここまで来たか、長かったなと思った。善通寺の境内はグランド2〜3面あるかと思うほど広く、どこが山門なのか分からなかった。本堂の場所が分からなくて、訊ねたほどだ。お大師さんが誕生した聖地だから、何でも豪華で立派だ。本堂と御影堂(善通寺は大師堂を御影堂と表示していた)をお参りし、まずは納経を済ませて境内を散策した。五重塔や五百羅漢はじめ、見所はいっぱいあるし、参拝客も溢れていた。戒壇巡りを体験したいと思っていたので、御影堂に行った。地下階段を下り、左壁に手を触って真っ暗な中を手探りで進んでいく。前後に人がいるらしいが、本当に暗闇で何も見えない。やがて、小さな灯りが見えると祭壇があった。お大師さんが生まれた場所の真下らしい。跪いている青年もいたが、合掌してまた進むとようやく階段の外に出た。門前に堅パンで知られる熊岡菓子店を見つけたので、ここだと行ったら、午前中で売り切れだと言われた。せっかく楽しみにしていたので残念に思って、明日の開店時間を聞いた。できる事なら食べてみたかった。再度境内を散策していたら、突然「あっ、久し振り、知床の人だよね。」と話しかけられた。昨年、高知の『民宿くもも』で同宿し、宿毛で別れたウォーキングおじさんだった。スポーツメーカーのキャップをかぶり、金剛杖を持っていないのは、昨年と同じだった。こんな出会いがあることに驚いた。今日の宿はまだ決めていなかったが、善通寺の宿坊に泊まりたいなと思っていたので、ベンチに座って電話をかけた。予約ができて安心したとたん、頭上でいきなりゴ〜ンと鳴って飛び上がった。大きな鐘楼の下のベンチだと気づかず座っていたのだ。場所を移れば良いものを、2度も突かれて耳が痛くなった。宿坊は『いろは会館』という、隣接した3階建ての建物だった。2階の部屋に行くと、ウォーキングおじさんが隣の部屋でまたビックリ。名前も知らなかったが、初めてTさんだと知った。温泉宿のようにお風呂も大きくて、コイン洗濯機も充実していた。食堂は団体さんや多くの外人さんが、一同に食べられる大きな食堂で、食事前の「一粒のお米にも・・・云々」が、あちらこちらで聞こえた。精進料理が美味しかったし、ウォーキングおじさんとも懐かしく談笑した。自販機にはビールもあって、1缶買って部屋に戻った。今日は4ヶ所の札所に納経して、とんでもないお遍路さんにも巡り会って、良い日だったなと思った。なによりも石段で登る札所がなく、股関節が痛くなかったのが一番だった。北海道を出発前から、今年は右股関節が痛かったのだ。明日は6時から朝のお勤めがあり、その後でないと朝食が食べられないので早めに寝た。和室だけど敷き布団の他にマットもあって、背中が痛くならなかった。

 

 

標石

 

甲山寺

 

74番甲山寺/山門

 

甲山寺/本堂

 

甲山寺/大師堂

 

毘沙門天堂

 

毘沙門天王さま

 

親子地蔵尊

 

標石

 

宮川製麺所

 

善通寺

 

75番善通寺/山門

 

南大門

 

善通寺/金堂(本堂)

 

五重塔

 

釈迦堂

 

正覚門

 

 

令和元年

10月26日晴れ 朝食後、電車で善通寺市に戻り、コミュニティバスを待った。8時10分発の次は10時15分までない。何としても乗り遅れることができないので、間に合って安心した。ただし、このバスは昨日の道の駅まで行かず、500メートル程手前の県道48号で降りなければならなかった。道の駅まで歩いて、また同じ道を戻る二度手間になった。弥谷寺から、車道まで下りずに遍路道に入る道標もあったが、お寺まで登るのが嫌で行かなかった。71番からは73番出釈迦寺へ行き、72番曼荼羅寺、74番甲山寺へと歩くルートもあるが、そんなに距離に違いはないので、私は番号順の72番曼荼羅寺へ向かった。曼荼羅寺には、『笠松大師』と扁額を掲げた小さなお堂があった。創建は88ヶ所の霊場で、最古と伝わる西暦596年だという。静かで落ち着いたお寺だなとは思ったが、そんな歴史が深いとは思わなかった。納経を終えて向かった出釈迦寺では、とんでもない事が待っていた。山門前には、寄進された『干支別守り本尊』が整然と並んでいた。参拝後、納経を終えて、何げなくお休み所に寄った。老遍路が納札に名前等を記入していたらしいが、側に座っていた年配の女性が私を見て、空に指で文字を書いた。不審に思って首をかしげると、もう一度なぞった。すると6・9・8となぞったらしい。何の意味か分からなかった。更に「698回。」と言った。それでもまだ理解ができなくて、「何が698回ですか?」と聞き直したら、なんと!お遍路を698回目だという。今は脚が悪くて歩行が困難なので、乗用車で巡っていると笑った。女性が、「5年間家に帰っていないんだよ。」と話しかけたら、「よけいな事を言うな。」と笑って制した。私は驚いて唖然とし、思わず手を合わせてしまった。少し間をおいてから、「納札をいただけないでしょうか?」とお願いしてみた。「あんた、どこから来た?」「北海道です。」「ほぉ〜、歩いているのか?」「はい、区切りで3年目ですけど。」「全部、歩き通すのか?」「はい、今年で最後まで歩きます。」「じゃあ、あんたの納札と交換してやる。」「えっ、僕のはまだ1回目のですよ。」「いいんだ、一期一会だ。」と言われ、白いなんの変哲もない納札をテーブルに置いた。すると、記入し終わった錦の納札を「いろいろ考えながら歩くんだぞ。」と渡してくれた。初めて錦の納札を手にして嬉しくなった。表には、岡山県の住所とNさんの名前が印刷されていた。裏には、大日如来の御影と御真言、御宝号、「立志記念」「智宗」「見身養生」「佛心楽行」と印刷され、四国巡拝698回、令和元年10月26日81才第73番出釈迦寺と手書きされていた。Nさんは30代の頃に、美幌峠まで行ったことがあると、懐かしそうに話してくれた。側にいた年配の女性は、毎回Nさんに会って話しをするのを楽しみにしている、地元の人のようだった。深々と頭を下げ御礼を言って、出釈迦寺の裏手に行った。伝説『捨身ヶ嶽禅定』の我拝師山本堂まで行ってみたいなと思ったが、遙拝所があったのでそこで合掌して引き返した。同じ道を下がると、曼荼羅寺の近くにうどん屋さんがあったので、入ろうかなと思った。入り口に『歩きのお遍路さんにはお接待します。』と書かれてあったので、代金なしと分かって入るのには躊躇して遠慮した。あとで知ったが、ここはうどんのお土産販売だけの店舗で、通常は食べられない店だった。ただ歩きのお遍路さんだけには、特別にお接待している。お腹が空いていたので残念だった。

後半に続く

 

善通寺駅

 

道の駅 『ふれあいパークみの』

 

県道48号を歩きました

 

標識

 

標石

 

西行庵へは行きませんでした

 

道標

 

72番曼荼羅寺/山門

 

曼荼羅寺/本堂

 

曼荼羅寺/大師堂

 

笠松大師

 

大日如来

 

 

出釈迦寺/山門前

 

干支別守り本尊が並んでいます

 

73番出釈迦寺/山門

 

出釈迦寺/本堂

 

出釈迦寺/大師堂

 

いただいた錦の納札/表

 

いただいた錦の納札/裏

 

『捨身ヶ嶽禅定』の我拝師山

 

道標

 

 

10月25日 前半から続く

山門を出て71番弥谷寺に向けて標識を見たら、右になっている。歩きかけたら左に道標を見つけた。近寄って確認したら、左の方向を指している。車は右の車道を遠回りし、歩き遍路は左の街中を行くらしい。危うく間違えるところだった。弥谷寺は12〜13キロ先なので3時間はかからないなと、安易な気持ちで歩いていた。『へんろ小屋茶処高瀬』と書かれた大きな立て看板と、『おせっ隊ボランティア』の表示のあるお休み所があった。中を覗いたら、お遍路さんにお接待しているたくさんの写真が貼ってあった。残念ながら、今日は誰もいなかった。徐々に坂道になり、二叉で道路の反対側を歩いていた地元の女性に道を訊ねたら、「あの山の上ですよ。」と指で示してくれた。遍路道を歩き、近づくにつれ石像などが目に付くようになった。『八丁目大師堂』を過ぎて、坂を登って車道に出ると、左手に『道の駅ふれあいパークみの』が見えた。弥谷寺は、石段、石段、また石段!これでもか!というほど石段が多く、嫌になった。石段が無理な参拝者には、駐車場から専用の車で上まで送ってくれるらしい。「ホントに弥谷(嫌だね)〜」などとダジャレを呟きながら登ったが、540段ほどあると聞いた。見晴らしは良かったが、脚と太ももにはきつかった。お遍路中、初めて磨崖仏を見た。よくもまあ、どうやってこんな岩肌に刻むのかと驚いた。80才前後の男性が、肩で息をしながら登ってきたが、手水場の水を両手ですくって、顔をザブザブと洗ったのでビックリした。よほど疲れたのか、「もういいから帰るわ。」と、本堂をお参りしただけで大師堂には寄らずに下りて行った。大師堂は土足厳禁なので、靴を脱いで入った。畳が敷いてあり、建物内に『獅子の岩屋』という奥の院がある。お大師さんが、幼少期に学問をした岩窟が祀られていた。大師堂も撮影禁止なので撮れなかった。納経してゆっくりと石段を下りた。72番曼荼羅寺まで5〜6キロなので、まだ歩けると思ったが、苦手な石段で太ももが震えてきたのでやめて、道の駅に行った。アイスコーヒーを買い、善通寺駅までバスか近くの駅から電車で行けるかと訊ねた。道の駅から、善通寺駅まで行けるコミュニティバスが、数分後にあると教えてくれた。タイミングが良いなと、ミカンも買ってバスを待った。バスが来ると、売店の若い女性が停留所まで案内してくれた。本当に四国の人は親切だ。乗客は、地元の人が二人乗っているだけだった。二人が途中下車して私ひとりになったので、運転手さんに弥谷寺に戻る始発のバス時間を訊ねた。明日は、自分がまたバスで来ると、笑って教えてくれた。10キロ弱あるのに、何とバス料金は100円だった。今夜の宿は、善通寺市内に予約が出来なくて、丸亀市内の『アパホテル丸亀駅前大通』だった。雲辺寺で会ったブルーの雨具の青年は、琴平に宿をとると言っていたが、宿泊できたのだろうか。丸亀市は電車で4駅先だったが、午後6時過ぎに到着した。夕食は、カミさんが調べてくれた、骨付き鳥で有名な『一鶴丸亀本店』で食べることができた。店外まで並んで混雑していたが、ひとりだったのでカウンター席に優先してくれた。ビールも旨くてとても満足し、洗濯後早々に寝た。

 

道標

 

道標は最高のお接待だと思います

 

へんろ小屋茶処高瀬

 

遍路道の途中にあります

 

標石

 

道標

 

弥谷寺/山門

 

金剛拳菩薩

 

長い石段

 

磨崖仏

 

71番弥谷寺/本堂

 

お大師さん

 

コミュニティバスがありました

 

善通寺駅