令和元年
10月30日晴れ 朝、髭のIさんは、これも縁だから納札を交換したいと言った。交換すると「66才かぁ。若いね。」と笑った。彼は72才だった。「JINさんは歩くのが速いから、また何処かで会えるかもね。」と、近くの駅から電車に乗ると出て行った。札所以外にも、名所に寄っているらしい。私は、タクシーで屋島寺へ戻った。運転手さんに訊ねたら、以前の車道は有料道路で自転車や歩行は禁止だったが、数年前から無料になり、自転車や歩くのも許可されたと言う。今朝まで、またあの登山道を下りるのかとがっかりしていたから、急に目の前が明るくなった。この車道には、ミステリーゾーンといわれる場所があると教えてくれた。目の錯覚で、登り坂に見えるが、実は下っている。その反対もある。下り坂に見えるところで、車をニュートラルにして停まってみせてくれたら、本当にバックした。屋島寺の境内をゆっくり見て回り、満足して車道を下りていった。『源平屋島古戦場』の標識があり、晴れていたので眼下に入り江がはっきりと眺められた。煙草をふかしながら、トラックのドライバーがひと休みしていた。ここから対岸に自宅があると指さした。一番落ち着く眺めだという。街中を歩くと『射落畠(いおちばた)』とか聞いたことのない史跡はあったが、残念ながら那須与一が弓を射った場所は分からなかった。途中から、八栗寺への坂が少しきつくなり、ケーブルカー乗り場に着いた。左の坂に『85番八栗寺表参道』の道標を見つけ、登って行った。屋島寺の登山よりとても楽だった。参道に草餅のお店が一軒だけあり、声をかけられた。パンを持っていたので間に合うと思ったが、この先に店がないので、2個くらい持って行くと良いと言われ買った。映画『男はつらいよ 寅次郎の縁談』のロケ地にもなっていたらしくて、大きな看板が立っていた。登って行くと、「お休み下さ〜い。」と声がした。『仁庵』と看板があった。お茶の先生らしい女性が、お接待をしてくれている。10数年前から続けていると話してくれた。お茶やミカン、お菓子、甘酒等々たくさん出して、もてなしてくれた。納札を出すと、ノートを取り出し貼ったが、たくさんの納札で膨らんでいた。外国人らしいお遍路さんが入ってきたので、御礼を言って入れ替わりに去った。讃岐平野を望む、見晴らしの良い小高い台座の上で、『お迎え大師』が迎えてくれた。『歓喜天』と揮毫された扁額のある鳥居の先に、八栗寺があった。山の上にあるのに広い境内だ。納経所で、歓喜天をお祀りしている唯一のお寺だと言われたので、『歓喜天』の御朱印もいただいた。若い20代の青年がいたので、「お兄ちゃん、草餅を一つ食べませんか?」と声をかけた。逆打ちで今朝、87番長尾寺から歩いて来たと言う。お遍路する理由は、もちろん分からない。学生に見える若者も歩いている。長尾寺の門前の『民宿ながお路』に泊まったと言うので、私も電話をして今夜の宿を確保した。もうすぐ終える私は、これから始まる青年にエールを送った。86番志度寺に向かおうとしたら、前方から杖を突いて登ってくる老遍路が見えた。「どこかで、見た顔だな。」と、笑った。なんと!698回のNさんだった。「出釈迦寺で、納札をいただいた北海道の者ですよ。」と返事をしたら、「お〜お、歩いて来たか。ようがんばった、ようがんばった。」と喜んでくれた。握手して別れたが、大きながっちりした手だった。Nさんに以前会っていたような気がして、ずっと考えていた。昨年55番前後の札所で、杖を突き、辛そうに壁にもたれて石段を下りてくるお遍路さんに、「大丈夫ですか?」と声をかけたのを思い出した。その時、脚が悪いので、車で回っていると言った。そのお遍路さんが、この698回のNさんではなかったか。フッとそんな気がした。
後半に続く
屋島寺/東大門
伝説の太三郎狸/蓑山大明神
七福神
熊野権現社
車道から見える屋島古戦場
射落畠への標石
古い標石
八栗寺表参道入口とロープウェイ乗り場
道標
お接待していただきました
仁庵
参道
参道
お迎え大師
85番八栗寺/山門
八栗寺/本堂
八栗寺/大師堂
歓喜天堂
標石




















































































