平成29年10月25日その1 
『民宿ロッジおざき』前の太平洋の日の出です。
清々しい朝でした。


 
平成29年10月22日 
前日からの暴風雨で、この日は電車も運休するほどの台風でした。
薬王寺の境内もゆっくり見られず、お遍路をあきらめた一日でした。


 

10月31日 前半から続く

ここは交通の便が悪く、志度駅まで戻らなければ、徳島に帰られない。『民宿ながお路』で教えてもらった、コミュニティバスを待って乗り込んだ。乗客が少ないので、さかんに話しかけられた。「あんたは、1番にお礼参りだとか行くのか?」と聞かれ、「行きませんけど。」と返事をしたら笑顔で頷いた。「1番には行かなくて良いんだ。例えば、広島の人は愛媛県の松山あたりからお遍路を始めるだろ。松山に戻って1番には絶対行かない。お礼参りは高野山にするものだ。」と言い放った。中年の女性も、その通りだと満足そうに頷いた。車中はずっとお遍路の話をして、バスから降りるときは手を振ってくれた。たくさんの人に見守られ、助言を受けて大窪寺まで歩いた事が嬉しかった。コーヒーが飲みたくて、志度駅の近くのお土産店に入ったら、お接待だと『かまど』という和菓子を出してくれた。『名物かまど』の看板は、どこでも見かけたので気になっていた。最後のお接待だなと、コーヒーと共に美味しくいただいた。若い女性の店員さんが異様な格好をしているので、何か変だと思ったら、ハロウィンだからと笑った。志度駅では、板東駅までの乗車券を求めた。一昨年のお遍路のスタートは『大麻比古神社』から始めたので、四国での締めくくりはこの神社にしようと思っていた。電車を乗り継いで坂東駅に着いたのは、午後4時半に近かった。駅から神社まで2キロ以上ある。御朱印を受けたくて、ここでも息を切らしながら走った。途中、『門前一番街』に寄り、御朱印帳を一冊買った。2年前にスタートした『民宿観梅苑』を横目で眺めながら、5時数分前にやっと境内に着いた。まっすぐ社務所に行き、御朱印をお願いした。「ゆっくりお参り下さい。その間にしておきます。」と言ってくれたので、無事にお遍路出来たことを感謝して報告した。帰りに霊山寺の前を通ったので、山門から入ってみたが、5時を過ぎていたので電灯も消えて真っ暗だった。板東駅に戻り徳島行きに乗り、志度駅でネット予約していた『ダイワロイネットホテル徳島駅前』にチェックインした。素泊まりのシングルで予約していたが、受付でツインの広い部屋に変更してくれた。ランクを上げてくれるのは、ホテルではよくあることだが、お風呂も洗い場があり、大きくて気持ち良かった。駅に行き、ドラッグストアで湿疹の軟膏を買った。日焼けした両腕と首筋が、日光湿疹とあせもで、恥ずかしいくらいボコボコになっていた。明日は高野山まで行かず、九度山手前の橋本まで予定している。そんなに歩くことはないだろうと安心して、徳島駅地下の飲食街でビールを飲みながらゆったりと夕食を摂った。地ビールの店のカウンターで飲んだ時、「半月前に来てくれた方ですね。」と覚えていてくれた。3年かけて全部歩き通したと話したら、唖然としていた。ここで食べたパテがとても美味しくて、お土産にして送った。ホテルに戻るとホッとしたのか、ぐっすり寝てしまった。

 

大麻比古神社参道の橋

 

大麻比古神社

 

参道にある天神社

 

1番霊山寺

 

 

 

 

 

 

令和元年

10月31日晴れ 朝食に行ったら、髭のIさんは高野山にも参拝すると言った。私も大窪寺で結願したら、北海道に帰らず高野山に御礼参りに行く予定だと話した。「それじゃあ、また高野山で会えるかもね。JINさんとは縁があるから。」と笑った。朝食を終えて、向かいの長尾寺を参拝した。一番かなと静かな境内に入ったら、すでにローソクが1本灯っていた。静御前が得度したお寺で、『静御前剃髪塚』があるのを本で読んでいたが、すっかり忘れていた。見られなくて残念だった。納経を終えて、大窪寺に向かった。交差点で交通指導員が、「この寒いのに、半袖とは元気なものだ。」と、話しているのが聞こえて可笑しかった。北海道と四国の人では、気温の感覚に相当ズレがあると思う。どこでも半袖に驚かれた。道標の大窪寺の文字が嬉しい。6キロ先にある『道の駅ながお』の道をはさんで、『おへんろ交流サロン』があるのを知っていたので、是非寄ろうと決めていた。たくさんの資料が展示されてあり、お遍路の長い歴史がよくわかる。歩き遍路の確認後、『四国八十八ヶ所遍路大使任命書』と共に、DVDやバッヂなど記念品をいただいた。昨夜の外国人も遅れて入ってきて、申請し大喜びしていた。ヨーロッパの人は、スペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラの聖地巡礼を経験すると、日本のお遍路にも興味を持つらしい。御礼を言って、大窪寺を目指した。女体山の山道を行くか、県道を歩くかルートが2通りあった。女体山経由は5.9キロ、県道経由は9.5キロの石柱が立っていた。右膝の裏側に力が入らず腰砕けになるので、山道の段差は無理かなと判断して、峠越えの3.6キロ長い県道を選択した。細い白線だけで歩道がなく、車の往来が激しくてビクビクしながら歩いた。『おへんろ休憩所』の手前には、『竹屋敷口 三十丁石』の看板が立っていて、この先から結界に近づくと説明があった。あと1キロの立て看板を見たときは、「やっと着いた!」と、打ち戻りも含めてすべての行程を、一筆書きで歩いた事に大満足だった。『醫王山大窪寺』と『四国霊場結願所』の大きな石柱が両サイドに建っていたので、ちょうど参拝を終えて下りてきた女性に、写真を撮ってもらった。「バンザイの写真もお願いします!」と言ったら笑われたけれど、全部歩いたと知ると「そうですよね。それなら本当にバンザイですよね。」と、快く撮ってくれた。鶴林寺から薬王寺まで歩くのが残っていたら、気持ち良くバンザイは出来なかっただろうと思った。最後になった本堂、大師堂を参拝し、納札には『感謝』と『私に関わったすべての方々への報恩』と書いた。納経してもらい、有料だったけれど、『結願の証』も書いてもらった。結願されたお遍路さんの中には、杖を奉納する方もいるが、私は持ち帰ることにした。理由は判らないが、境内には『原爆の火』も灯されていた。大師堂の前で、頭を丸めて法衣を着た若い女学生の一団が読経していた。尼さんになるのだろうか。まだおしゃれを楽しみたい年頃なのに、立派な志があるのだなと妙に感心した。私を見て、会釈をしてくれたツルツル頭の笑顔が印象に残った。

後半に続く

 

初めて見る旗です

 

87番長尾寺

 

長尾寺/山門

 

長尾寺/本堂

 

長尾寺/大師堂

 

長尾寺の広い境内

 

クスノキ

 

標石

 

古そうな標石

 

前山 おへんろ交流サロン

 

いただいた『四国八十八ヶ所遍路大使任命書』

 

 

結願の文字がうれしい!

 

標石

 

竹屋敷口の看板

 

たぶん最後のおへんろ休憩所です

 

残り1kmの遍路道

 

88番大窪寺

 

バンザ〜イ!

 

大窪寺/本堂

 

大窪寺/大師堂

 

原爆の火

 

奉納されたたくさんの金剛杖

 

巨大なお大師さん

 

結願の証

 

 

 

 

 

10月30日 前半から続く

国道11号に出て志度寺に向かい、道路沿いにある『道の駅源平の里むれ』に寄って昼食を摂った。香川県はうどん屋さんだけでなく、セルフの食事処が多い。さぬき市に入り、志度寺では山門の大きなわらじと、運慶作と伝えられる仁王像が迎えてくれた。境内は公園かと思うほどに緑が生い茂って、他の札所と趣が違った。五重塔も建っていて不思議な空間だった。庭園が有名だと後から聞いて、見逃したのが残念だった。ここの札所で初めて、『南無観世音菩薩』の白衣を着た一団に出会った。御本尊が十一面観世音菩薩だそうで、『さぬき三十三観音霊場』だと知った。閻魔大王も祀っていて、御朱印もあったのでいただいた。奪衣婆が拝観できる『奪衣婆堂』もあるらしいが、それよりも奪衣婆は閻魔大王の奥さんだと知って身震いした。最強で最恐の夫婦なのだ。隣の常楽寺に『源内さんのお墓所』と、案内板があった。さぬき市志度は、平賀源内の生地らしい。どれほど立派なのかと思って入ったら、小さくひっそりとして、見逃しそうなお墓があった。少し遅くなったので、87番長尾寺に急いだ。道端に、種田山頭火の句碑を見た。『カラスないて わたしもひとり』と読めたが、「う〜ん、カラスね〜。」と意味不明のため息をついた。10分ほど歩くと、今度は萩地蔵休憩所があって、『はぎ地蔵 弘仁三年頃 空海作』と書かれていたので、入ってみた。あとで調べると、弘仁三年は西暦812年だ。お地蔵様を祀っているが、損傷がなくきれいだった。とても1,200年以上経っているお地蔵様には見えなかった。県道3号線を歩くこと7キロ、ほぼ直進した先に長尾寺があった。道路を挟んだお寺の向かいに、『民宿ながお路』がある。夕方5時前だったので、明日の朝一番に納経しようと宿に入った。今日もかなり歩いたと思ったが、40,000歩弱しか歩いていなかった。夕食に食堂へ行ったら、肩をポンと叩かれた。振り向いたら、髭のIさんだった。よほど、縁があるらしい。宿泊客はイギリス、デンマーク、スウェーデンなど外国人が6人で、日本人は4人。お遍路は国際的だ。隣に座った中年の歩き遍路だという夫婦が、髭のIさんと話をしていた。聞くつもりはなかったが、自然と聞こえた。髭のIさんは、十数年前に奥さんを亡くしていると言った。女性の「奥さんの写真を持って、歩いているんでしょうね。」との問いに、髭のIさんは頷いた。するとすかさず、「男の人は、みんなそうするんだよね。女はそんなことしないけれど。」と言った。一緒に座っていたご主人が苦笑したので、可笑しかった。髭のIさんが、尺八を携えてお遍路している理由が、やっとわかった。亡くなった奥さんの供養に、霊場で尺八を吹いていたのだ。そうか、そうだったのか。様々な思いで、多くの人がお遍路している。ただこの中年の夫婦には、少し違和感を覚えた。歩き遍路だというが、途中まで車で迎えに来てもらい、翌日は区切りの良いところまで、また車で送ってもらうという。夫人は「送迎してもらえるか、電話で確認してから宿泊を決めている。10キロくらいなら、どこの宿も言えば迎えに来てもらえるから。」と言った。ご主人は「本人が歩き遍路だと言えば、車に乗っても歩き遍路で良いんだ。」と付け足した。そうやって、87番長尾寺まできたらしい。明日は朝食後に、6キロ先の『おへんろ交流サロン』まで送ってもらうと言った。髭のIさんや私を意識して言ったのだろうが、いろいろな考えのお遍路さんがいるものだ。髭のIさんは、苦笑いをしていた。他人はどうあれ、私は当初から全行程を歩ききる事と決めていたので、自分としては大満足でスッキリしていた。いよいよ明日は、88番大窪寺で結願を迎える。カミさんから、「気を抜かないで、最後まで気をつけて歩くように。」とメールが届いた。まったくその通りだ。

 

道の駅 源平の里むれ

 

標石

 

道路標識

 

86番志度寺

 

立派な五重塔

 

志度寺山門の大わらじ

 

志度寺/本堂

 

本堂に掲げられている絵

 

さぬき三十三観音霊場を巡礼している一団

 

志度寺/大師堂

 

植物園のような境内

 

 

常楽寺/志度寺の山門前にあります

 

案内板

 

平賀源内のお墓

 

種田山頭火の歌碑

 

県道3号線の標識

 

萩地蔵休憩所

 

はぎ地蔵

 

87番奥の院/玉泉寺

 

標石

 

民宿ながお路