11月2日前半から続く
安心して納経所へ戻って納経を受けたら、年配の女性に、「どこから来たの?」と訊ねられた。「北海道ですよ。」と、返事をすると「旭川?」と言ったので、少し驚いた。知床からだと知ると、「知床のお遍路さんの納経は初めてだわ。納経させてもらって嬉しいわ。」と、笑った。さらに「あと5分でお大師さんの食事を運ぶから、見送って!」と教えてくれた。時間になると、たくさんの参拝客がカメラを構えて待っていた。納経所の左手から、僧侶が3人出てきた。お地蔵さんにお参りし、食事の入った木箱を担いで運んでいった。『生身供(しょうじんぐ)』といって、一日二回の食事を1,200年も続けている。「すごいなぁ。」と、思わずにいられない。なにもかも、すべてが想像を超えている。奥の院を後にし、バスで金剛峯寺に行った。金剛峯寺は、高野山真言宗の総本山だ。だから納経帳も、1番霊山寺の前に奥の院と金剛峯寺のページがある。参拝者が多かったが、これで最後と鐘楼に行き、小さく鐘を突いた。納経は番号札をもらい、納経帳を預ける。『蟠龍庭』と呼ばれる静かな庭園や、寺内の仏間などを見学して戻ると、納経帳に『遍照金剛』と墨書きされていた。近くの壇上伽藍の根本大塔、金堂を参拝したが、根本大塔は鮮やかで圧巻だった。金堂の前では、若い僧侶が全身を使って、鐘を突くところを動画に収めることができた。納経所に並んで、2種類の御朱印をもらった。中門、大門にも行ったが、とにかく広いし、連休も重なり車は渋滞していた。特に、外国人のお遍路さんや観光客が目立った。髭のIさんも、どこかにいるのだろうかと思ったが、この人混みでは会うことはなかった。本場の高野豆腐を食べる予定をしていたが、食事処も行列で無理だった。『霊宝館』で直筆の『聾瞽指帰』を見たいと思ったが、これも叶わなかった。しかし、お礼参りができて充分満足した。日程が合わず、春のお遍路はできなかったけれど、念願だった四国お遍路を達成できた事が嬉しかった。何より3年間気持ち良く送り出し、毎日応援してくれたカミさんには感謝しかない。大阪まで戻り、『アパホテルなんば東』に宿泊した。翌日、すり減った金剛杖と一緒に、関空から乗り継ぎの千歳で一泊し、寒い北海道に帰った。3年間に受けた御朱印数は118。歩いた歩数が214万歩を超えたので、距離にして約1,500キロだった。
生身供_1
生身供_2
金剛峯寺
金剛峯寺/境内
蟠龍庭_1
蟠龍庭_2
根本大塔/鮮やかでした
金堂
鐘楼
中門
大門
令和元年
11月2日晴れ 朝早く、高野山に向かう電車に乗った。極楽橋でケーブルカーに乗り換え、たくさんの参拝客と共に高野山駅に降り立った。高野山町は広いので、バスの1日フリー乗車券を買って乗り込んだ。『一の橋口』で降りて、歩いて『奥の院』を目指すのが良いとネットで調べていたのでそのようにした。『奥の院』から『御廟橋』までは、まあ遠いこと!名だたる戦国大名や宗祖、偉人の墓碑、供養塔をはじめ、企業の顕彰碑や慰霊碑、個人の墓碑等が巨木の中に何万、何十万基あるのか分からない。参道に法然上人、親鸞聖人のお墓を見つけてお参りした。あまりの凄さ、壮大さにため息をついて見回しながら進んだ。『汗かき地蔵』の横に、『姿見の井戸』があった。みんなが覗いているので、私も何気なく覗いたら自分の姿が見えただけだった。あとで知ったが、自分の姿が見えないと、3年以内に死ぬという言い伝えがあるらしい。いよいよ渡る『御廟橋』からは神聖な霊域とされるので、お遍路さんは菅笠をはずす事になっている。『灯籠堂』でお参りし、お賽銭とお遍路中にお接待で預かった1,200円と、33番雪蹊寺手前で青年からお接待された200円を袋に入れ、一緒に納めた。左からお堂の裏側に進むと、『弘法大師御廟』があり、多くの参拝者が、ローソクを灯して一心に合掌していた。『灯籠堂』に背もたれして、じっと瞑想している人や、お祈りしている人も多かった。持参しているローソクが短いので、長いローソクを求めた。急に巨大なお大師さんに見下ろされている感覚に襲われ、思わず目を伏せてしまった。下を向いたままローソクを灯して読経し、納札を投入して、結願の報告と御礼を伝えたが、御廟の方には目を上げられなかった。本当に不思議な感覚だった。そのまま『灯籠堂』を回ると、地下法堂がありここも参拝した。
後半に続く
橋本駅
まことちゃんの像がありました
万葉碑
極楽橋でケーブルカーに乗り換えです
ケーブルカー
奥の院/入り口
ずっと続きます
巨木にビックリ!
姿見の井戸/見えました!
法然上人墓所
親鸞聖人墓所
織田信長墓所
豊臣家墓所
境内
紅葉がきれいでした
令和元年
11月1日晴れ ホテル前の高速バス乗り場から、大阪のJR難波駅に向かった。大阪は土地勘もなく、まったく分からない。南海なんば駅から高野線が走っているので、とにかく近くのJR難波駅まで行けば、何とかなるという程度だった。明石海峡大橋を初めてバスで渡ったが、3時間弱で着きずいぶん便利で速いと思った。JR難波駅から南海なんば駅は、地下通路で繋がっていた。人混みの中、複雑な表示を確認しながら途中で昼食を食べ、やっと南海なんば駅に着いた。切符の窓口でKitacaカードが使えるか訊ねたら、確認に待たされた。使えるという事が分かって、安心してホームに入った。カードのチャージ機があったので、五千円チャージした。始発駅らしく、迷う事なく高野線に乗った。まだチェックインには早かったので、橋本駅を通り越して九度山駅で下車した。駅舎は小さいが、真田氏の大きな『六文銭』の垂れ幕が目立った。九度山は、関ヶ原の合戦後に真田親子が幽閉されていた真田庵で知られているが、慈尊院と丹生神社を参拝したかった。慈尊院は、お大師さんの母の玉依御前が晩年過ごしたお寺で、高野山の世界遺産に含まれている。参拝者も多く、おっぱいの絵馬がたくさん奉納されていて面白かった。近くにある丹生神社の石段は、見上げる程の急勾配だ。中年の女性が笑いながら、「石段がきついね。ひと息では登れない。」と肩で息をついていた。正式には『丹生官省符神社』と難しい名称だが、意味は分からない。お大師さんがこの土地の神様に会って、高野山を知ったのだそうだ。伝説が多すぎるが、どれも信じてしまう。御朱印所で、高野山との関連を丁寧に教えていただいた。昔の女性は、女人禁制だった高野山に、ここから遙拝したそうだ。境内でレンガが埋めてある場所から、矢印の方角を望むと、晴れていたので高野山がはっきり見えた。石段を登ってきた女性が、この場所から合掌して拝んでいた。今の時代にも続いているんだなと感心して、明日行く高野山を望んだ。それぞれ御朱印を受けて、帰り道に真田庵を見学し九度山駅に戻った。駅舎では、明日からおにぎりの販売が始まるので、内覧会を催していた。案内されて入ったら、出来たてのおにぎりをふるまってくれた。梅も何も入っていないおにぎりだったけれど、温かくふっくらして美味しかった。橋本駅に戻り、売店で夕食用に『柿の葉寿し』を買って、『ルートイン橋本』にチェックインした。後で知ったが、九度山は富有柿の生産日本一らしい。それであちらこちらで、『柿の葉寿し』の文字が目に付いたのだ。道の駅は『柿の郷くどやま』とあり、驚くほど大量に山積みされた富有柿を求める旅行者で賑わっていた。さあ、明日はいよいよ高野山だ。
九度山駅/南海電鉄高野線
慈尊院への標識
慈尊院橋
読めないくらい古い標石
慈尊院/山門
大師堂/境内に入ると真っ先にありました
本堂(弥勒堂)
たくさんの絵馬が奉納されています
拝堂
多宝塔
みくじ石
弁財天堂
丹生神社/この石段の先にあります
丹生官省符神社
本殿
高野山を示すブロックの矢印
うっすらと高野山が見えます
真田庵
六文銭がついていました
敷地内
おもかるさま














































