令和元年

10月22日晴れのちくもり 朝食後、四国中央市に向かって国道11号を進んだ。新居浜市を抜ける頃、右手の広場で十数名のお遍路さんが出発の準備をしているのか、手を振ってくれた。道なりに進み、旧道に入ったり、知らずに国道に戻ったりを繰り返しながら、先へ先へと歩いていた。別格12番札所延命寺の看板が見えた。別格の札所に参拝する予定はなかったが、道の二叉に差しかかると、遠くから手を振って手招きするおばあさんが見えた。そちらに向かって歩くと、右の方を指さして住宅に入っていった。私が延命寺に行く道に迷っていると思ったのだろうか。これも成り行きと思ったので、参拝することにした。別格12番札所延命寺には、東南アジアからの団体お遍路さんが大勢いて、引率の業者が納経帳をたくさん抱えながら、お弁当を配っていた。『いざり松』という枯れた松が名勝らしく、写真を撮っていたら「歩きですか?」と、地元の老人に声をかけられた。話をしていると、ハッと気づいた。昨年、55番南光坊と56番泰山寺で出会った先達さんだった。先達さんは覚えていないようだったが、出会った時期や声の調子、泰山寺で地蔵車を教えてもらった事、全身白装束だった事などを伝えると符号するらしく、「そんなことがありましたか。」と、笑った。偶然とは言え、こんな事もあるのだとビックリした。四国中央市への遍路道を教えてもらい別れた。すれ違う年配のご夫婦に、「きばりや!」と声をかけてもらった。関西人だろうか、「きばりや!」などと初めて聞いた。後方から追い越して行く車の窓を開けて、「がんばって!」と手を振ってくれた女性もいて、可笑しかった。立ち話をしていた女性二人に、寒川のお祭りを是非観ていくように勧められた。笛や太鼓の音は聞こえたが、行列に遭遇することはなかった。車道の交差点付近に、『しんきん庵 秋桜』という遍路小屋を見つけた。空腹だったので、休憩してパンを食べた。ゴミ袋も置いてあって、きれいな遍路小屋だ。四国中央市に入り、本によく出てくる『旅館大成荘』の前を通過して、道に迷いながら『ビジネスホテルマイルド』にチェックインした。三角寺へ向かう前日は、四国中央市に宿泊するのが歩き遍路の定番らしい。入浴後レンタサイクルを借りて、大きな『コスモス』というドラッグストアに行った。持参した大きめのキズバンを、使い切って足りなくなったからだ。日本中がキャッシュレスを叫んでいるのに、カードの対応をしていなかったので、少しがっかりした。夜、窓の外から太鼓や笛の音が聞こえてきた。カーテンを開けたら、勇壮できれいに飾った『太鼓台』の山車が、通過するところだった。この周辺の秋祭りは、『太鼓台』が有名らしい。寒川で見られなかった『太鼓台』が、ここで観ることが出来てよかった。『太鼓台』とは、御神輿さんと同じ意味のようだ。

 

 

道路標識

 

国道沿いに立つ観音様

 

道標

 

案内板

 

道標

 

ガンダム!?

 

道標

 

別格12番延命寺

 

延命寺/本堂

 

延命寺

 

いざり松

 

いざり松

 

寒川

 

思わず微笑んだ標語

 

しんきん庵秋桜

 

 

 

10月21日 前半から続く

加茂川に架かる大きな橋を渡った。左へ曲がれば、今朝出発した伊予西条駅に突き当たる標識が見えた。それを横目に国道を進んだ。お昼が過ぎて空腹になった。ちょうど食品スーパーのマルナカを見かけ、店内で定食を食べた。安かったけれど、茶碗が小さくご飯が少なくて物足りなかった。国道に戻って歩いていると、体格のガッチリした青年のお遍路さんに、無言で追い抜かれた。彼は両手でスマホを前に差し出して、アプリで道を確認しながら歩いていた。今はお遍路用のアプリも数種類あるので、私も使っている。ルートや札所の詳細が見られる。全部が正確とはいえないが、それでもずいぶんと助けてもらった。旧街道の道標を見つけたので、国道をそれて古い住宅街を歩いた。国道と並行して狭い道だが、車が少ないだけに安心できる。しばらくして、遠くにファミリーマートが見えた。牛乳が飲みたくなって、また国道に戻った。牛乳とバナナを買い、いっきに飲んで食べた。国道を歩いていたら、突然「こんにちは!」と、背中の方から甲高い声が聞こえた。振り返ると、自転車に乗った二十代の女性が、ニコニコして「はい、これどうぞ!」と、アクエリアスを差し出した。「あ〜、ありがとう。」と御礼を言ってお接待を受けたけれど、若い女性からのお接待は初めてだった。「遍路道は旧道だけど、国道を歩くんですね。」と言われたので、牛乳が飲みたくて歩いていることを話すと、「旧道にコンビニはないですモンね。気をつけて。」と、笑いながら手を振って去って行った。年配の男性にも、「歩くのに良い気候だね。」などと声を掛けられたが、本当に頑張って歩こうという気にさせてくれる。西条市を過ぎ、新居浜の『ビジネスホテルミソラ』に着いたのは3時を過ぎていたが、チェックインが4時なので、玄関が閉まっていた。100メートル程戻ったところにマルナカが見えたので、コーヒーを飲みに入った。5日ぶりに飲んだコーヒーと白玉ぜんざいは、とても美味しかった。4時過ぎたので戻ってチェックインし、宿泊カードに住所を書いたら驚かれた。新居浜は雪がほとんど積もらないので、数年に一度数センチ積もったら、お子さんや犬が大喜びをすると笑った。私より若いご夫婦で経営しているビジネスホテルで、改装したので部屋もきれいで気持ちが良かった。別棟に洗濯機と業務用の乾燥機が備えてあり、短時間で洗濯物がフワフワになった。薄い敷き布団と掛け布団が一枚の民宿は、若い女性のお遍路さんには敬遠されがちだ。ビジネスホテルだが、これからのお遍路宿はこう変わっていくのかなと感じた。夕食は、ホテル近くにあった『すき家』に入った。うな重とビールを注文したが、うなぎが小さくて、安価だからこんなモンかと少しがっかりした。お遍路中は、髭を剃らずにいた。鏡をのぞいたら、日焼けした顔に、無精髭がだらしなく見えた。それできれいに剃って、あご髭だけ残した。どう違うのか分からないが、あご髭だけは何故か真っ白だ。頭も白髪が目立ってきたので、いよいよ高齢者になりかかっている。いや、もうなっている。

 

 

道路標識

 

嬉しいお接待の水道ポンプがありました

 

高松が近くなりました

 

ビジネスホテルミソラ

令和元年

10月21日晴れ 朝食後、8時21分発の電車で、2つ隣の伊予氷見駅に向かった。車内は大勢の高校生で混んでいて、通学列車のようだった。伊予氷見駅は、ホームだけで駅舎がない。63番吉祥寺は歩いてすぐ近くにあった。昨年訪れた時は雨だったが、今朝は気持ちが良い。英字新聞で納経帳を包んでくれた住職さんは不在で、参拝後、夫人とみられる女性に御朱印をもらった。昨年できなかった『くぐり天女』をくぐってみた。気づかなかったが、『成就石』というのもあった。眼をつぶって、少し離れたところから杖を前に差し出して歩き、中央にある石の穴に入ると願いが成就すると説明書きがあった。試してはみたが、薄目をして穴に入れたので、多分願いは叶わないなと笑ってしまった。ここにも『念ずれば花開く』の石碑があった。さあ、ここからが今年のお遍路の本番だと気合いを入れ、64番前神寺を目指し国道11号線を進んだ。距離は3キロちょっとなので、どんなにゆっくり歩いても、1時間はかからない。道路沿いに、大きな『石鎚神社』の看板が見えてきた。有名な神社だし車道から200メートルくらいなので、立ち寄ってお参りしようと思った。大きな鳥居を過ぎると、神門に天狗の像が2体安置してあった。天狗は石鎚山と神社とを、行ったり来たりしているらしい。境内も広くて、途方もなく大きな神社だ。本殿まで石段が多く、見たことのないような鉄の太い鎖の手すりだった。登った先の本殿前は、広くて見晴らしも良く、静かで参拝して良かったなと思った。社務所に寄って御朱印をもらい、石段を下って行ったら、数人のお遍路さんが通り過ぎた。「石鎚神社をお参りしないのかな。もったいないなぁ。」と思った。神門を出て右に曲がると、女性の歩き遍路さんに「おはよー。」と、笑顔で声をかけられ追い抜かれた。前神寺はすぐ近くだった。「前に神様がいるお寺って、石鎚神社の神様の事かな?それで、前神寺か。」などと、思いを巡らした。後に前神寺の山号を確認したら、『石鉄山(いしづちさん)』とあるので、別当寺だったのだろうと思ったが、それ以上詳しくは調べなかった。本堂、大師堂の前は、団体のお遍路さんが陣取って、先達さんの音頭で読経していた。納経を済ませて、愛媛県最後の札所65番三角寺へ向かったが、まだ45〜46キロ離れている。

後半に続く

 

 

伊予氷見駅/ホーム

 

63番吉祥寺

 

吉祥寺/山門

 

吉祥寺/薬師堂

 

石碑

 

成就石

 

お迎え大師と吉祥天女

 

石鎚神社/看板

 

石鎚神社/神門

 

石鎚山大天狗

 

石鎚山小天狗

 

石鎚山口之宮本社/本殿

 

道標

 

前神寺/石柱

 

64番前神寺/本堂

 

 

 

 

 

 

 

令和元年

10月20日晴れ 朝食後、7時半に民宿を出て、県道28号線を歩いた。海岸線を進んでいたら、『おつかれさま おへんろ道は左です』と立て札があったので、左に進んだ。すると更に二叉の立て札に『遍路道俳句の径(こみち)』と道標があり、迷ったが急ぐこともないと思い行ってみることにした。遊歩道と書かれていたが、ゴツゴツした山道で、俳句の入選作の木柱が点在していた。お遍路を詠んだ俳句が多くあったので、お遍路さんはこの道を歩くのだと実感した。元の県道28号に出て、あとは日和佐に向かうだけだった。軽トラックから手を振ってくれたり、散歩中の方が挨拶をしてくれたり応援してくれるのが嬉しい。やっぱり四国の人はいいな。10時半に日和佐に着いたら、突然iPhoneが鳴った。カミさんから「ようやく薬王寺だね。」と、メールが入った。日和佐町だと思っていたら、由岐町と合併し十数年前に美波町と変わっていた。薬王寺の石段を上っていくと、若い男女が「この一円玉は何だろうね。」と言いながら登ってきた。再度、同じ事を話しているので「厄落としに、厄年の数だけ置いているんですよ。」と知ったかぶりで言ったら、「そうなんですか。ありがとうございます。へぇ〜。」と妙に感心していた。見上げると、豪華な瑜祇塔が建っていた。参拝を済ませて御朱印をもらい、一昨年歩けなかった20番から23番まで歩いたので、モヤモヤしていた気分がすっきりした。近くのうどん屋さんでぶっかけうどんを食べて、日和佐駅に行った。無人駅で、隣接する物産館のレジで切符を買い、ソフトクリームも買って食べた。今日はこれから愛媛県の西条市まで行く。12時38分発の電車で徳島駅、高松駅と乗換えて、午後5時20分に伊予西条駅に着いた。駅前の『西条ステーションホテル』で、早速汗を流した。外は暗かったけれど、ホテルの自転車を借りて、少し離れた100円ショップのあるフジグランというショッピングセンターに向かった。菅笠は簡単な造りなので、度重なる風雨で頭をのせる竹の部分が折れてしまった。買い替えるわけにもいかず、修理する何か良いものがないかと思ったからだ。手芸用のモールと針金、園芸用の細い結束バンドを買って戻った。夕食は、駅前の串焼き店で食べた。老眼鏡をかけながら、不器用な私にしては、なかなかよく修理できたので、なんとか被られそうだ。テレビをつけたら、ラグビーワールドカップの、日本対南アフリカ戦を実況していた。30分程観たが、眠たくて寝てしまった。

 

道標

 

標石

 

道標/左へ行きます

 

俳句の径へ

 

俳句の木柱

 

俳句の木柱

 

俳句の木柱

 

徳島県最後の23番薬王寺/山門

 

薬王寺/本堂

 

薬王寺/大師堂

 

厄除消除の鐘

 

JR日和佐駅

 

特急いしづち

 

伊予西条駅/愛媛県

 

 

 

 

 

10月19日 前半から続く

畑から大きな白い鳥が飛ぶのを見て、吉鳥かと思ったが、昨年、仏木寺から明石寺に向かう途中に見たのを思い出し、当てにはならんと苦笑した。昨年は白い鳥を見た直後の道路が、通行止めになっていたからだ。その時は何とか歩けたけれど、今日の吉鳥は何が待ち受けているやら。突然、両方の太ももが痛くなり筋肉痛かと思ったが、何とか22番平等寺に着いた。一昨年は本堂に向かって右手から来たが、遍路道では左手から着いた。石段を登り、正面の本堂に行った。御本尊から縁を結ぶ五色の紐が、鰐口のところに下がっており、握って参拝した。大師堂では住職さんだろうか、朗々とした声で読経をしていた。御朱印をもらって、国道55号線を歩いて薬王寺を目指すことにした。国道まではすぐ出られると思ったが、数キロあった。ちょうどお昼を過ぎていたのでお腹が空き、ローソンでおにぎりと牛乳を買った。イートインができない店舗だったので、歩道側の土手に寄りかかって食べた。小雨が降ったりやんだりする中を、歩いていた。薬王寺まで11キロの立て札を見たときは、あと2時間少しかと思い、夕方までには到着できると急いだ。国道なので、大きな車がビュンビュン走る。少し緊張して左側を歩いた。反対側に道標が見えたので、横断して確認したら遍路道の矢印があった。車が少ないような感じがしたので、その道を行った。『由岐道』という遍路道らしいが、国道に比べてかなり遠回りになっていた。薬王寺まで11キロと立て札を見たのに、途中で薬王寺まで13キロと道標を見たときは、「またやってしまった。」と、がっかりした。車の往来が少なくて歩きやすかったけれど、時間がどんどんと過ぎてゆくので、薬王寺のある日和佐までは無理かなと思った。走ってくる車に手を挙げて停まってもらい、由岐駅までの距離を訊ねたら、まだ7〜8キロはあるといわれた。取り敢えず、駅まで行けば何とかなるだろうと先を急いだ。由岐駅で近くの旅館に電話をしたら断られたが、『民宿ゆき荘』を紹介してくれた。午後4時過ぎだったが、泊めてもらうことができ安心して向かった。駅前で親切な老婦人がゆき荘への道を教えてくれたが、まったく反対の方角だったので、途中で引き返した。同じ名前の宿があるのだろうか。道端で談笑している老人に、声をかけられた。いつも通り、どこから来たのかと訊ねられ、北海道と答えると、「ほぉ〜、わざわざ北海道から。それは凄い。私は若い頃、仕事で何回も当別に行っていた。」と懐かしそうに話した。『民宿ゆき荘』は、海岸すぐ近くにあって、部屋から波の音が聞こえ、小さな漁船が行き交うのが見えた。「洗濯物を出して下さい。お接待です。」と言ってくれたので、お言葉に甘えてネットに入れお願いした。お風呂に入ったら、両太ももに痛みがはしった。見ると、すり傷と皮がむけて血が滲んでいた。どこでぶつけたのか記憶にない。大根峠だろうか。風呂上がりに大きなキズバンを両太ももに貼ったが、10日以上傷が治らなかった。夕食も美味しく、私より若いご夫婦の経営で会話も楽しかった。北海道旅行で釧路湿原に行った事や、6月なのに寒くて震えた等と手振り身振りで話してくれた。

 

 

ありがたい水のお接待です

 

平等寺が見えてきました

 

22番平等寺

 

石段がきついです

 

大師堂/平等寺

 

由岐坂トンネル/四国はトンネルが多いです

 

民宿ゆき荘