令和元年

10月19日くもり時々雨 朝方4時頃、窓を開けたら雨が収まりつつあった。朝、ハワイのAさんはバスで新野駅に向かい、22番平等寺に行くと言う。私は歩きたいので、太龍寺に戻ると言ってここで別れた。朝食後ロープウェイで太龍寺まで戻る途中、乗客が2〜3人だったので、ガイドさんが親切に何でも教えてくれた。山頂駅から舎心ヶ嶽へ向かった。何としても行きたかったので、急勾配の斜面を滑りながら登って行った。山側はたくさんの仏像が並び、谷側は靄がかかっていた。老お遍路さんが屈んで、山から流れる水を谷に流れるように、泥で埋まった細い側溝を直していた。このように、見えないところでたくさんの善意が溢れている。私は自分のことで精一杯で、まねができないと頭が下がったが、朝早くから清々しい気持ちになった。息を切らして、やっと舎心ヶ獄に着いた。お大師さんが、山に向かって瞑想している後ろ姿を拝んだ。一昨年来られなかったので、とても嬉しかった。周囲に誰もいなかったので、憚ることなく般若心経をあげた。納経所に行き、舎心ヶ嶽の御朱印とお姿を受けたが、「昨日も来られた方ですね。」と言われたので、「舎心ヶ嶽に行けて良かったです。」と返事したら笑顔を返してくれた。納経所を出ると、老お遍路さんが、リュックから納経帳や地図をバラバラと落としながら歩いていた。気づかずにいたので、呼び止めたら慌てて拾っていた。背中のチャックを閉め忘れたのだ。私も17番井戸寺に向かう時に、開けたまま歩いていた事があった。その時は雨で上からカバーを掛けていたので事なきを得たが、開いていたのでドキッとしたのを思い出した。再び雨が降りそうな気配だったので、納経所のベンチでウィンドブレーカーを着て、誰もいない県道28号を下って歩いた。昨夜の大雨の影響はほとんどなく、下りの坂道は楽だった。白い小さなカニが道路を横断しているので、踏まないように気をつけて歩いた。山側から流れている冷たい水をすくって、汗が流れる顔を拭いた。途中、カエルが何匹も重なっている不思議な塔を見た。数年前に廃業したらしい遍路宿の前を通り過ぎ、ようやく国道109号に出た。国道にそのまま曲がろうとしたら、『まっすぐへんろ道』の道標があった。2キロ近道とも書いてあったので、へんろ道を選んだ。ここのベンチでひと休みし、パンを食べウィンドブレーカーを脱いだ。最初は平坦な畑の中を歩き、少しずつ坂が急になり、突然として段差が見えてきた。「やってしまった。」と思ったが、後戻りはできないし、仕方なしにそのまま一段一段左足で上っていった。右足では力が入らず、腰砕けになってしまう。いい加減に喘いだ先に、大根(おおね)峠の頂上があった。地図で見た大根峠とは、ここだったのかと苦笑した。時折、枝に下がっている『南無大師遍照金剛』の木札が元気をくれる。杖が1本では下りていくのが危ないので、赤い太い枝を拾って、杖を2本にして下りた。足元に気を付けてゆっくりと峠を下りきると、農家の水道があったので、飲ませて貰ってひと休みした。更に道路を歩いて行くと、今度は『おへんろさんへ お水をご自由にお飲み下さい。阿南市新野町 大根いやしの道守る会』と書かれた水道の蛇口があり、またがぶ飲みした。

                           後半に続く

 

標石

 

舎心ヶ嶽

 

お大師さんが瞑想しています

 

後ろ背中が神々しいです

 

道標

 

不思議な亀の塔

 

遍路道におられる不動明王

 

道標

 

休憩所にある地図

 

元気をくれる短冊

 

大根峠頂上の看板

 

助けてもらった赤い木の枝

 

短冊

 

がぶ飲みさせてもらいました

 

 

         

 

          

 

 

10月18日 前半から続く

水井橋を渡り、今度は車道のない太龍寺への登山道に入った。これが、とてもじゃないけれどきつかった。段差が高くて脚が上がらない。下りと同様に、左足から一段一段杖で踏ん張って登った。2〜3段毎に立ち止まり、肩で息をついていたが、そのうち太ももが痙攣して震えだした。「焼山寺よりきついな、参ったぞ。」と、木に寄りかかって休んでいたら、ハワイの彼が楽々と追いついてきた。「大丈夫?」と、また声をかけられた。今日は太龍寺から、もう少し先まで歩きたいと思っていたが、初日からこんなにきついとは思ってもみなかった。太龍寺に登り切る前に雨が降り出し、雨足が強くなってきた。山門の前で、雨具を着ていた横浜ナンバーのバイクの青年が、挨拶をしてくれた。これから室戸岬まで行くと言う。本堂と大師堂をお参りして、納経所で御朱印をもらい、南舎心ヶ嶽へ行けるか訊ねたら、雨が強くて滑るので今日は危ないと言われた。ロープウェイの乗降所に行ったら、女性従業員が、笑顔で温かいお茶をお接待してくれた。更に、周辺の宿の電話番号が記載されている地図もくれた。ハワイの彼が手で合図をして笑顔で迎えてくれたが、今夜はロープウェイ麓の、『道の宿そわか』に宿泊すると言う。まだ午後の1時半だけど、雨が強くなってきた。今夜の宿もまだ決まっていなかったので、今日はここまでとあきらめ、『道の宿そわか』に電話をかけたら良い返事をもらい安心した。チェックインが3時からなので、ロープウェイで麓の駅まで下り、濡れた身体で時間まで休んでいた。年配の女性が、自宅の庭で採れた柿とミカンと紅茶のお接待をしていた。冷えた身体には、温かい紅茶が嬉しかった。70才でご自身が車でお遍路をしていた時に、受けたお接待の飴玉に感激したのが忘れられなくて、自分もお接待をする側になったのだと話してくれた。歩き遍路が珍しく見えたのか、男女3人連れに話しかけられた。「どちらからですか?」と定番の質問に、北海道からと返事をすると、驚いて「私たちも北海道です。北見です。」と言った。「えっ、北見!私も道東ですよ。」と返答したら、もっと驚いていた。お遍路に興味があり、どんなものかと4泊の予定で、観光がてら車で回っているという。3時になったので、隣接する宿に入った。ハワイの彼はAさんと名乗った。ごく普通の日本人の名字だった。お風呂に入って汗を流してから洗濯をしたが、屋根が破れるのではないかと思われるほどの豪雨になり、雨音が屋根にバタバタと気持ち悪く響いた。年配の小柄な外国人夫婦が、ニコニコして浴衣の前をはだけて歩いていた。帯を後ろから前に一重で縛って、ダランと膝下まで下げていたのが可笑しかった。夕食後、部屋で休んでいたら突然サイレンが鳴った。びっくりしたなんてもんじゃない。けたたましく、何回も鳴った。フロントに行って訊ねたら、ダムの放水の合図だから心配ないと言われた。テレビを付けると、明日、太龍寺に戻って歩き出す予定の周辺に、レベル4の警戒警報が流れていた。「今年もダメじゃん。」と、悲観しつつ寝た。

 

水井橋

 

登山道への道標

 

看板

 

白いカニが横切りました

 

遍路道

 

石段が続きます

 

21番太龍寺/本堂

 

大師堂

 

ロープウェイ乗り場のお遍路さん

 

ロープウェイ乗り場に隣接する 道の宿そわか

 

令和元年

10月18日くもりのち大雨 7時の朝食を飲み込むように食べ、白衣を着て、リュックを背負い菅笠、金剛杖を持ってバス停に急いだ。通学バスなのか中学、高校生が多く乗り込んできた。生名に近づくにつれ、車窓から歩き遍路している青年の姿が見えた。自分も2年前19番立江寺から歩いた道だ。「がんばれ!」と、心の中でエールを送った。道路が渋滞して、20分も遅れて生名のバス停に着いた。鶴林寺に向かう途中、外国人のグループが自転車を押して坂を登っていた。山門には、仁王像でなく鶴の像が入っていた。一昨年雨で気づかなかったのか、入っていなかったようにも思うし、はっきりと分からない。工事中の本堂と大師堂をお参りし、納経所で御朱印帳を出した。納経帳には、2年前に墨書きをしてもらっているので、今回は普段持ち歩いている御朱印帳にお願いした。2年前に台風で歩けず、「歩きたかったら、また来なさい。」と言っていただいた事を告げると、「あの時の台風はひどかったねぇ。」と笑って飴玉をお接待してくれた。早速、せまい太龍寺遍路道を少しずつ下りていくと、滑って何度も尻もちをつき、腕も数カ所すり傷を負った。道というよりは、急勾配のゴツゴツした石や岩の多いけもの道なので難所といわれる。途中鎮座していたお地蔵さんに、お接待された飴玉を1個お供えした。段差が不得手な私は、ゆっくり一段一段左足を出しては杖で踏ん張って下りていった。後ろから「大丈夫?」と、声をかけられた。鶴林寺の大師堂前のベンチで、ニコニコして休んでいた同世代の男性だった。言葉づかいが少しぎこちないので、なにか変な人だなぁと思った。しかし、その心配はすぐに解決した。ハワイから、観光を兼ねてお遍路をしている背の高い日系人だった。退職して昨年北海道を旅行し、気に入ったので、今年はバスや電車も使い時々歩いてお遍路しながら、再び北海道を観光すると言った。祖父がハワイ移住したらしいので、3世なのだろう。脚が長くて段差も軽々と下りるのでついて行けず、「お先にどうぞ。」と先に進んでもらった。ようやく車道に出ると、彼は水井橋手前の休憩所で休んでいた。私も少し休んだが、すぐに先を急いだ。通りすがりのおばあさんが、「晴れていていいね。」と声をかけてくれた。

                                後半に続く

 

20番鶴林寺/山門

 

山門に鶴が!

 

 

鶴林寺/本堂

 

道標

 

太龍寺遍路道

 

道標

 

標石

 

道標

 

道案内の看板

 

 

令和元年 20番〜23番 63番〜結願  九度山・高野山

 

令和元年

10月17日晴れ 朝早く、女満別空港までカミさんに送ってもらった。「気をつけて行っておいでよ。」と、送り出されて羽田行きの一便に乗ったが、今年も秋になってしまった。乗り継いで徳島空港に降り立ったのは、2年振りだった。2年前はずっと続いていた長雨で肌寒かったが、今年は晴れていて気持ちが良かった。徳島駅近くの『ホテルフォーシーズン徳島』にチェックインし、バス停の確認に駅前に戻った。一昨年は台風に遭い、通行止めで歩けなかった20番鶴林寺から23番薬王寺まで歩くためだ。88番まで歩き終えてからでも良かったのだが、88番に着いた時の達成感が薄れるのが気になって、最初に歩いておきたかった。20番鶴林寺に近いバス停は、勝浦町生名(いくな)で始発が7時25分だった。徳島駅の地下食堂街で夕食を済ませ、ホテルに戻り明日の準備をして早々に床に着いた。

 

 

徳島駅

 

平成30年

11月13日くもりのち雨 今日が、お遍路の日程が最後の日だ。最後に一番きつい山登りが待っていた。緊張して迎えたが、玄関はお遍路さんでいっぱいだ。香園寺から10キロある山登りなので、4時間くらいはかかるのかも知れない。宿から1キロ程歩き、Uさんと香園寺の右手から遍路道に入った。途中にある神社を参拝したが、名前は見落とした。ゆったりとした山道を2.5キロ歩くと、奥の院に着いた。平屋のひっそりとした建物だった。人の気配がなかったが、毎日数時間は納経が出来ると張り紙がしてあったので、僧侶がその時間帯に来るのだろう。参拝できたUさんは、「良かった、良かった。」と喜んでいた。Uさんのリュックには、おへんろ交流サロンで歩き遍路だけが貰えるバッヂが付けられていた。徐々に登りがきつくなってきた。遍路道も崩れて細くなっているし、倒木で塞がっている所も多くあった。焼山寺と同じで、岩の上に濡れた落ち葉がのって滑ったり、粘土質の泥道に足を取られたり、まさに登山だった。横峰寺までの距離の道標が唯一の希望で、徐々に近くなると嬉しかった。あと3.6キロの道標は、宿でもらった地図で登る分岐点で、帰りはここを下りる事にした。Uさんは登る距離が短いという事は、急斜面が多いという事なので、長くても遠回りで登ったほうが、足には楽だと教えてくれた。なるほど経験豊富なアドバイスだ。Uさんの足取りはゆっくりだったが、大阪人なので面白い話をずっとしてくれた。『一里二丁』などと刻まれた、古い丁石を所々に見かけた。古い時代の石柱だから、江戸時代も多くのお遍路さんが通った遍路道なのだろう。現代でも、昔のお遍路さんと同じ道を歩いているという実感が嬉しかった。稲荷大明神の朱色の鳥居を過ぎると、まもなく標高745メートルにある横峰寺に到着した。まさに天空の霊場だ。空気がひんやりとして、涼しいのを通り越し寒かった。ひっそりとした本堂で静かにお経をあげていたら、バスの団体の参拝者がドヤドヤと石段を上がってきた。疲労困憊で登って充実感があったのに、気分が一気に吹っ飛んでしまった。大師堂でローソクを灯していたら、いきなり「ブオーッ!」と大きな音が聞こえてきた。小高い道路の上で、郵便配達さんが法螺貝を吹いている。法螺貝を吹いているテレビニュースを観たことがあったので、「あれだっ!」と直感ですぐ分かった。即座にデジカメを取り出し、動画に収めたがしばらく聞き入っていた。参拝を終えて、本堂右下にある石段を下り納経所へ行くと、「お疲れさま。」と若いお坊さんが穏やかに迎えてくれた。二言三言の会話で気持ちがスーッとして、登ってきたきつさが失せた。休憩所でUさんと昼食を摂り、元の道を下ったが、外国人のグループが登ってきたので驚いた。3.6キロの道標から、急な坂道を下りて行った。太い倒木が道を塞いでいたので、下を潜ったり、崖崩れの道を飛び越えたりして、悪路を下りて行った。Uさんは滑って転倒しても、「よう転びまんねん。」と大阪人らしいギャグを飛ばして笑いに変えた。私も尻もちをついたが、痛いのが先で笑えなかった。できれば64番前神寺まで納経したいと思った私は、さかんに時計を気にしていた。それを察知したのかUさんは、今夜も『ビジネス旅館小松』に宿泊するので、かまわず先を急ぐように、何回も勧めてくれた。採石場を過ぎて平坦な道になったので、「先に行きます。」と御礼も言わずに走った。往復20キロの登山をして、まだ走れる自分に驚いた。宿に預けていた手荷物を受け取り、時計を見たが、どうも前神寺の納経時間までは少し厳しいかなと思った。雨も降っているし、無理せず次回にするかと、残念だけれど諦めてしまった。大阪のUさんのおかげで、無事に横峰寺を参拝できたのに、御礼も言えず心苦しかった。自販機でスポーツドリンクとお茶を買い、感謝と書いた納札を添えて、『ビジネス旅館小松』の男性にUさんへ渡してもらうように託した。今日で今回予定したお遍路を区切り終えた。松山市まで戻るので電車の時間を確認し、近くの伊予小松駅に向かった。コンビニでテッシュを買おうと、子供連れの若いお母さんに近くのコンビニの場所を訊ねたら、「ありますよ。これでよかったらどうぞ。」とポケットテッシュを渡してくれた。「お接待ですね、ありがとうございます。」と御礼を言って、時間ぎりぎりで電車に乗った。雨で身体が濡れて冷えていたが、安心と疲労感が交錯して、電車の中で眠ってしまった。松山市では、再度『ホテルクラウンヒルズ松山』に宿泊した。夕食に出かけた繁華街の大街道では、偶然に入った鯛めしの有名店『かどや』で食べた。正味20日間で37番から63番まで約600キロ、85万歩を無事に歩き通した。当初予定は64番前神寺までだったが、横峰寺への遍路道が思っていたより時間がかかり、少し足りなかった。しかし、たくさんの方に助けてもらい、いろいろな経験もした今回のお遍路も楽しかった。苦痛は感じなかったし、途中で帰りたいとも思わなかった。留守中ずっと、私の道中を見守ってくれたカミさんに感謝をして、また次回の続きが出来ることを念じている。まだ25ヶ所の霊場と、昨年台風の影響で通行止めになった37キロが残っている。秋のお遍路は涼しくて歩きやすいけれど、陽が落ちるのが早くとても短い。次回いつになるか予定はないが、もう少し長く歩ける春に行ってみたいなと思う。一度お遍路を経験すると、また行きたくなるお遍路さんが多いという。どうやら私も、お四国病に罹りつつあるらしい。「お遍路は家に戻ると、また歩きたくなるんだな。きっとな。」と笑った高齢のお遍路さんの言葉が、分かるような気がした。

 

道標

 

道標/香園寺奥の院

 

石柱

 

61番香園寺 奥の院

 

古い標石

 

横峰寺へ

 

登山道で見つけた短冊

 

帰り道はここから奥の院に下がらず手前に下ります

 

落ち葉でいっぱいの遍路道

 

標石

 

稲荷大明神

 

左の建物が納経所/本堂は右の石垣の上にあります

 

60番横峰寺/本堂前で

 

横峰寺/大師堂

 

倒木のある下山道

 

倒木をまたぐ大阪のUさん

 

崖崩れで道が塞がれていました

 

伊予小松駅