平成30年

11月12日晴れのち雨 今治駅から、伊予桜井駅に戻る。駅で列車の発着時になると、『瀬戸の花嫁』の曲が流れていた。学生時代の流行歌だから、40年以上は経っているのに、未だにこの曲かと思ったが妙に懐かしかった。いよいよ明日13日で、今回のお遍路を打ち止めするので、少し残念に思いながら伊予桜井駅から61番香園寺を目指し歩き始めた。『道の駅今治湯ノ浦温泉』前を通り、西条市小松へ向かって歩いた。60番横峰寺へ行くのが順路なのだが、『いやしの宿八丁坂』で宿泊した際、スーパーSさんが香園寺から横峰寺を行くのを勧めてくれた。水害で道が悪く、雨が降ると水に浸かって川を渡らなければならない。それで香園寺から、横峰寺に逆打ちして往復するのが良いらしい。そのために多くのお遍路さんは、香園寺近くの『ビジネス旅館小松』に前泊する。『ビジネス旅館小松』では、独自の横峰寺への登山道を教えてくれるとも言った。今回の一番の難所で、遍路道もよく分からず不安なので、スーパーSさんのアドバイスに従った。ドライブインでミカンを買って食べながら歩いたが、雨が降ってきた。ポンチョを出して被る、今回初めての雨だ。今まで降らなかったのだから仕方がないが、少し身体が冷えてきた。香園寺まで5キロ手前のファミリーマートで、バナナ、牛乳、餡まんを買い、店内で食べさせてもらった。レジの若い女性が、気さくに話しかけてきた。両親が乗用車でお遍路に行き、連絡がないので、今どこを走っているのか分からないと笑った。降ったりやんだり、気まぐれな天気の中、小さな遍路道に入ったり、すでに無くなっている道路に突き当たって戻ったりしながら、ようやく香園寺近くまで来た。近くの東予信用金庫で、現金を引き出したが、信金カードなので手数料がかからなかった。コンビニは24時間引き出せるが、僅かだけど手数料がかかる。香園寺は、聖徳太子が開創した古刹だという。「これがお寺か!」と思うほど、お寺には到底似つかない、大きなコンサートホールのような外観だった。聖徳太子も、ビックリするだろうと思った。右側の階段から本堂に入れるので、靴を脱いで入った。近代的な本堂には護摩檀の奥に、とても大きな金色の大日如来が鎮座していた。納経所に行くと、お姿を2種類いただいた。通常の御本尊と、『子安弘法大師』とある。お大師さんの安産にまつわる伝説が残っているので、香園寺の看板には子安大師と書かれていた。突然、「62番の事を聞いていますか?」と訊ねられた。「ええ。」と答えると「駐車場に62番の礼拝所があるので、そちらをお参り下さい。何の問題もないのでお寺に行かず、そのまま63番に行って下さい。」と告げられた。62番宝寿寺は四国88ヶ所霊場会に属していない。駐車場に寄り、僧侶が常駐している62番礼拝所で参拝し、納経をお願いしたがすっきりしなかった。立て看板のへんろ案内にも、『61番香園寺、62番礼拝所、63番吉祥寺、64番前神寺』とあり、更に『宝寿寺とは一切関係ありません』と書かれてあった。雨が降る悪路の中を63番目指して歩くと、62番札所宝寿寺と書かれた道路標識が見えた。本堂と大師堂は参拝せず、門前で一礼だけして立ち去った。(翌年の令和元年12月宝寿寺は、四国88ヶ所霊場会に再加入したと聞いた。)雨が強くなってきたが、吉祥寺までと歩を進めた。吉祥寺は、落ち着いた雰囲気のお寺だった。『四国唯一体毘沙門天王鎮座』の石柱が建っていたので、御本尊は毘沙門天だ。初めて唱える毘沙門天の御真言がとても新鮮だった。お大師さんの像の横に、『くぐり吉祥天女』の像があった。吉祥天は毘沙門天の奥さんだから、建立してあるのかなと思った。納経所で納経帳をビニール袋から取り出していたら、住職さんにそのまま出してと言われた。袋から取り出し納経して、「ビニール袋は水が入ったら濡れるので、新聞が良いんだよ。濡れたら替えれば良いので。」と新聞紙に包んでくれた。その新聞紙が、英字新聞だったので思わず驚いた。64番前神寺までまだ3キロ以上あるし、雨が降り続いているので今日はここまでと、来た道を戻り『ビジネス旅館小松』へ行った。古い旅館だったが移転したと張り紙がしてあり、行って見ると近年新築されたのか気持ち良いくらい立派だった。完全にお遍路さん御用達の宿で、部屋もお風呂も洗濯機等も、充分な配慮がなされていた。夕食に食堂へ行くと、あの『宇和パーク』や岩屋寺でも出会ったお遍路さんにまた会った。横峰寺を登って参拝し、下りて来たので連泊だと話した。前日宿泊して朝早くに出発し、横峰寺を往復してまた泊まるお遍路さんが多いという。それほど横峰寺への遍路道は険しいらしい。私は道を間違えて、15キロ余分に歩いたと言うとニヤッと笑った。私が遠回りしている間に、追い抜かれていたのだ。テーブルの向かいに座った大阪のUさんは、お遍路4回目で、今回は逆打ちの一国参りだと言った。「香園寺の奥の院に寄るけれど、一緒に登りますか?」と誘ってくれたので、「初めてなので連れて行って下さい。」とお願いした。伊予桜井駅で出会ったお遍路さんもいたが、遍路仲間と近道を行くと笑った。みんなが翌日の昼食用おにぎりを注文していたので、私もパンだけでは心許ないかなと注文した。宿のご主人から、地元の人しか分からない横峰寺へ近道できる地図をもらった。途中で香園寺からの遍路道と合流するけれど、宿泊するお遍路さんのほとんどは、その近道を往復するらしい。Uさんは往路を本来の遍路道を歩き、復路はもらった地図通り戻りたいと言う。いろいろな道を歩きたいのだ。

 

 

伊予桜井駅

 

道の駅 今治湯ノ浦温泉

 

道路標識

 

天井川大橋

 

遍路小屋

 

香園寺

 

香園寺入口

 

61番香園寺/本堂

 

鐘楼

 

納札入れ

 

62番礼拝所入口

 

62番礼拝所

 

看板

 

62番宝寿寺

 

道路標識

 

石柱

 

63番吉祥寺/山門

 

吉祥寺/本堂

 

吉祥寺/大師堂

 

お大師さん&くぐり吉祥天女

 

 

 

11月11日 前半から続く

58番仙遊寺へは距離は短いが、山を登って行くので今日一番きついと思った。途中の看板の距離より短いので、山門についた時はホッとしたが甘かった。山門からの急な石段が何百段あるのか分からないが、一段一段肩で息をしながら登って行った。石段の脇に、『弘法大師御加持水』の湧き水を祀っていた。蓋を開けると透明な水が湧いていたので、柄杓ですくって何度も右眼に擦った。上から下りてくる観光客が、「え〜、ここを登ってきたの?」と驚いて目を丸くした。後で知ったが、車で本堂の裏まで行き、一部の参拝者だけが石段を下りるのだと言う。山門から登る人は、あまりいないらしい。さすがに仙人が遊ぶ寺と書く仙遊寺だと思った。今夜、仙遊寺の宿坊に泊まるDさんは、多分この石段を登って来るのだろう。下から見上げた急な石段に、驚くだろうなと思った。御本尊の千手観音菩薩像は、海から上がってきた竜女が彫って安置したとされる。仙遊寺の伝説は、常人の考えには及びもつかない。いつ、誰が言い出したのだろうか。御本尊の制作者は本当に不明なのだろうか等と、境内で休みながら、答えが出ないのに、いろいろ考えたりもした。本堂内にある納経所の女性に「すごい急な石段ですね。」と話したら、笑いながら「登ってきたのですか?帰りは景色が良いので、車道を下りて行くと良いですよ。」と教えてくれた。「御加持水は飲めますか?」と訊ねたら、「葉っぱが浮いているので、一度沸かしてからなら飲めますよ。」と言った。そのままでも飲めるのなら、また石段を下りて飲んでみようと思ったが、残念ながらやめた。本堂裏手にある自販機でお茶を買い、駐車場から車道に出て、今治市内を眺めながら下りた。今日は59番国分寺まで歩く予定なので、急ぎ足で向かった。空腹で我慢ができなくなり、途中のローソンでバナナを買って食べ、3時過ぎに国分寺に着いた。大きな台座の上に石灯籠が建ったものが、石段の両側に2基構えていた。伊予国分寺なので、聖武天皇勅願所の石柱もあった。参拝を終えて境内を見て回ったら、頭とか足とか身体部分が刻まれている、『薬師のつぼ』という大きな石の彫刻が設置してあった。御本尊が薬師如来なので、身体の痛いところを撫でると治癒するのかな。目を擦るのを忘れてしまったが、ついでに頭も撫でておけば良かった。『薬師のつぼ』と並んで、お大師さんと握手ができる『握手修行大師』が立っていた。『お大師様と握手して願い事を一つだけ あれもこれもはいけません お大師様も忙しいですから 59番国分寺』と、説明の看板があった。境内に誰もいなかったので、畏れ多いとは思ったが、「よろしくお願いします。」と少しドキドキしながら握手をさせてもらった。何がよろしくなのか、自分でもよく分からない。握手する手の部分だけ色が変わっていたので、きっと多くの参拝者も握手させて貰っているのだろう。国分寺を去り、2キロ先の伊予桜井駅へ向かった。駅のホームには、見覚えのある男性のお遍路さんがベンチに座っていた。確か、十夜ヶ橋の永徳寺で出会ったお遍路さんだった。車を宿に置いて自由に歩いたり、その日の気分で野宿もしていると言う。車を取りに、次の伊予富田駅で降りていった。いろいろなお遍路さんがいるものだ。国分寺周辺の宿が取れなかった私は、JRで今治駅に戻り、駅前の『ホテルクラウンヒルズ今治』に宿泊した。今治市はタオルで有名なので、たくさんの種類のギフトを見かけたが買わなかった。

 

 

道標

 

遍路道

 

道標

 

58番仙遊寺

 

仙遊寺/山門

 

御加持水/急な石段の途中にあります

 

仙遊寺本堂と境内

 

大師堂

 

道標

 

59番国分寺

 

本堂/正面

 

大師堂

 

智慧福徳の錫杖

 

薬師のつぼ

 

お大師さんと握手ができます

 

 

 

 

 

平成30年

11月11日晴れ 早い朝食後、7時にDさんが出発した。今日は58番仙遊寺の宿坊に泊まると言う。私も、15分遅れて54番延命寺を目指した。清々しい朝の空気の中を、4〜5キロ歩いて延命寺に着いた。大きいお寺ではないけれど、山門は明治時代に今治城から移築している。御本尊は、宝冠を被った不動明王らしい。行基作で60年に一度ご開帳の秘仏だという。参拝を済ませ納経所に行くと、Dさんが納経所の売店をながめていた。私に気づきニヤッと笑ったが、私と同じ年齢で、フランスから歩き遍路で来日したと聞き、さらに驚いた。55番南光坊は、駅に近い今治市内にあった。88ヶ所ある霊場の中で、唯一『寺』といわず『坊』という。山門をどっしりと構え、境内も広い大きなお寺だ。山門の左右内側と外側の4カ所に、大きな多聞天、持国天、増長天、広目天の四天王が睨んでいた。御本尊は、『大通智勝如来』という、聞いたことのない珍しい名前の仏様だ。境内をゆっくり歩いていたら、真っ白の装束を身にまとい、ひと目で先達さんと分かる年配の男性が近づいてきた。私が次の霊場への道標を探して、キョロキョロしていると思ったらしく、近づいて道や道標の見方を丁寧に教えてくれた。道を挟んで『別宮大山祇神社』(べっくおおやまづみじんじゃ)があるので、お参りをした。ここの神社は『伊予一宮大山祇神社』の別宮なので、是非とも参拝したかった。本宮は大三島という島にあると聞いた。四国四県の一宮を阿波、土佐、伊予と参拝し、あと讃岐の田村神社が待っている。来年かな。南光坊から今治駅を挟んで、西側3キロのところに56番泰山寺はあった。本堂の前で、小学生の子供連れの家族がお参りしていたが、子供が経本も見ずに般若心経を大きな声であげていたのでビックリした。南光坊で声を掛けられた先達さんもいたが、本堂の前で「これを読んで確認しながら歩いている。」と、先達さんの研修会で配布される教本を見せてくれた。他のお寺にない『地蔵車』があったので、回してみた。57番栄福寺へは細い脇道に入り、畑の中を歩いた先にあった。境内の石柱には、『ようおまいり』と刻んであった。本堂、大師堂の参拝を済ませて納経所に行くと、『ボクは坊さん』の著書がたくさん並べてあった。「ここの、住職だったか。」と、思い出した。夫人と思われる女性が、「取材や撮影も、ここで行われたのですよ。」と、教えてくれた。映画にもなってDVDが出ているようだ。栄福寺から大きい道を歩こうかなと歩き出したら、遍路用品を売っているお姉さんが、「遍路道はあっちですよ。」と言った。声かけをしてもらったので、店に入ってアイスクリンを注文し、食べながら雑談を交わした。本当は大きい道を歩きたかったけれど、遍路道に入った。

                                 後半に続く

 

 

道標

 

標石

 

54番延命寺/山門

 

延命寺/本堂

 

延命寺/大師堂

 

古い標石

 

55番南光坊

 

南光坊/山門

 

多聞天

 

持国天

 

広目天

 

増長天

 

南光坊/本堂

 

南光坊/大師堂

 

筆塚

 

別宮大山祇神社

 

境内

 

拝殿

 

道標

 

56番泰山寺

 

泰山寺/本堂

 

地蔵車

 

標石/読めませんでした

 

栄福寺への道

 

57番栄福寺

 

石柱

 

句碑

 

栄福寺/本堂

 

カエルが一匹!

 

お大師さん

 

お地蔵様

 

 

 

 

 

平成30年

11月10日晴れ 朝早く、松山駅から10数分で堀江駅に戻り、今治市に向かって歩き出した。四国は町の合併が多いのか、歩いて端から端まで通り抜けるのに、かなり時間がかかる。今治市へ向かうと言っても、旧大西町だ。JR予讃線に沿って、海岸線を歩いた。松山市に合併された旧北条市を通り、交差点近くのファミリーマートに入った。お昼時でお腹が減ったので、バナナと牛乳を買い、テーブルで食べさせてもらった。コンビニのイートインは、お遍路さんにはありがたい。県道196号線を行こうかと地図を見ていたら、レジの女性が「ここから『鎌大師』が近いですよ。」と、教えてくれた。お大師さんゆかりの番外札所なので、「そうか鎌大師か。」と思い出し、納経しようかなと県道をはずれて歩き出した。着いてみると、ひっそりとした境内に、霊木や不動明王像、修行大師像があった。人の気配がなかったので、納経帳を出すまでもなく残念ながら先を急いだ。北条育成園の前に、54番延命寺と53番円明寺への距離が記載され、下部に『茶菓のご接待はできませんがトイレはご自由にお使い下さい。』と、書かれた看板が掲げてあった。こんな人通りの少ない山道でも、お遍路さんへの応援があるのに驚いた。坂を登ったところに古い石柱の道標があり、周辺地区のいわれが書かれてあった。気を付けて下って行ったら、浅海(あさなみ)地区に、『六地蔵』と祠が建っていた。お遍路さんの無事を願って、建立されたお地蔵様らしい。お参りしたが、何故か地域住民が化粧を施している。眉がくっきり書かれていて、可愛いお地蔵様だった。今治方面の標識を確認していたら、突然自転車の老人に呼び止められた。自分も歩き遍路を経験しているので、お遍路さんを見かけると必ず声掛けをすると笑った。「北海道からわざわざ、ご苦労様です。頑張って下さい。どうぞお気をつけて。」と、何度も丁寧に頭を下げ、ずっと見送ってくれた。やさしい老人だなと嬉しかった。県道196号線を歩き、旧菊間町を通る。道路沿いにある番外札所『遍照院』は、『厄除け大師』で有名なのだそうだが、山門の阿吽の像に驚いた。どこのお寺でも仁王像が安置してあるのが普通だが、ここの阿吽像は大きな鬼瓦だった。納経しようかなと境内に入ったら、静かで人影がなかったので、頭だけ下げて出てきた。旧菊間町は、有名な瓦の街だった。瓦の製造所が軒を並べ、大きな鴟尾や鬼瓦が並べてあった。旧大西町に近づくにつれ、遠くに今まで見た事のないような巨大な工場が見えた。『太陽石油菊間給油所』だ。とてつもなく大きいので、本当に驚いた。工場前バス停のベンチで、中年の外国人女性が靴を脱いで座っていた。脚が痛いのかなと、「アーユーオーライ?」と声を掛けたら、ウンと言うように笑顔で頷いた。ようやく旧大西町にある『ビジネスホテルつよし』に着くと、穏やかなおかあさんが迎えてくれた。『つよし』とは、『津吉』という名字だとか。トイレ付きの、ツインの部屋に案内してくれた。「途中で外人の女性に会いませんでしたか?」と聞かれたので、大きな工場の前にいた事を伝えると安心していた。やがて、Dさんというフランス人女性がやって来た。夕食時にがっかりした宿の話題が出ると、「食事を出すお客さん商売で、猫だけじゃなくて動物はいくら好きでもダメだねぇ。」と嘆息した。

 

堀江湾

 

道路標識

 

標石

 

鎌大師へ右折

 

鎌大師/番外札所

 

扁額

 

不動明王

 

修行大師

 

気持ちが和んだ看板です

 

峠から見える浅海の集落方面

 

古い標石

 

案内板

 

標石/五里って?

 

お化粧した六地蔵

 

六地蔵/看板

 

菊間町の大きな瓦にびっくり!

 

菊間町にはお接待所がたくさんありました

 

シャチホコ?

 

遍照院/番外札所

 

遍照院の鬼瓦

 

菊間町は有名な瓦の町です

 

石碑

 

 

 

 

平成30年

11月9日晴れ 朝早く、石手寺に向かった。愛媛県で、一番大きいお寺だという。昨日は暗くて分からなかった石手寺は、国宝の山門までの参道に、たくさんの石碑や店が並んでいた。本堂、大師堂を参拝して納経してもらい、広い境内を散策した。松の下で何かを拾っている婦人がいたので、何をしているか訊ねた。三鈷の松を拾っていると言う。3本に分かれている松葉は、お大師さんゆかりで御守りになるが、石手寺ではお金が貯まると説明があった。「これで貯まるかね。」と笑いながら拾っていたので、私も数本拾って大事にしまった。突然「あんた、本堂で福のお参りをしてきた?」と聞かれたが、何の事か分からなかった。本堂でしてもらえるから、是非行けと言う。家族分も受けたという手首用数珠を見せながら、「これもお大師さんの縁やから、連れて行ってあげるわ。本堂での御礼は200円だよ。あと10分で終わるから早く、早く。」とせかされた。何が何だか分からずに本堂の横に連れて行かれ、靴を脱いで階段を上がり入っていった。数人の僧侶が読経するなか、住職が『福徳授与灌頂』という儀式を行っていた。本堂を参拝していた時に、スピーカーから流れていたのは、この案内だったらしい。スピーカーの音がよく聞き取れなかったので聞き流していたが、この婦人のおかげで思いもかけず受けることができた。御本尊の前でこの灌頂を受けていたのは、何と昨日の金髪の女性だった。住職が女性に長々と灌頂の意味等を、しかも英語で説明していた。ようやく終わって出てくると、私が待っているのに気づき、ニコッと微笑んだ。儀式用の冠を被って御本尊の前に座り、『福徳授与灌頂』を授けてくれた。手首にする数珠もいただいた。昨日3時間も遠回りして、石手寺での納経に間に合わなかったのは、私にこの『福徳授与灌頂』を授けてくれるためだったのかと、不思議な縁を感じた。衛門三郎の生まれ変わり伝説のお寺なので、『衛門三郎再生行場』という88ヶ所の『お砂撫で』や、『智恵の輪くぐり』、たくさんのお地蔵様や仏教用語が掛けられた洞窟のトンネルもあった。トンネルを出ると奥の院に続く道に出たので、行くと大きな閻魔様の像が睨んでいてギョッとした。お遍路で奥の院をお参りしたのは、5番の五百羅漢寺以来だったが、ここは不思議な空間だった。境内に戻り雰囲気を楽しんでいたら、同年代の男性に話しかけられた。来年お遍路をしたいので様子伺いに来たと、お遍路用品のパンフレットを握っていた。私に何を揃えたら良いのか、毎日どのくらい歩くのか、費用はどうなのかと次々に聞いてきた。お遍路の解説本を読めば分かるのにと思ったが、参考になればと教えてあげた。最後には「すみませんが、一緒に写真を撮らせて下さい。」と言われ、突然の申し出に驚き、思わずサングラスを掛けた。参拝に訪れていた女性に、三重の塔の前でシャッターを切ってもらったが、たぶん遍路姿を参考にしたいのだろう。ゆっくりと時間をかけてお参りしたかったお寺なので、それが叶い良い気分だった。参道にネットで見た『石手寺名物やきもち』が売られていたので、買って食べてみたが、普通の小さな団子だった。有名な道後温泉本館も近くにあるが、観光じゃないので温泉は次回にと、寄らずに52番太山寺へ向かった。地図を頼りに街中を歩き、2時間半歩いて着いた。太山寺の本堂への道は、土砂崩れで工事中だった。手前に、仮設の礼拝所が用意してあった。和室に二つの祭壇を並べて、それぞれ納札箱が用意されていた。国宝の本堂に行けず、少し残念だったが仕方がない。『念ずれば花ひらく』という石碑が目に付いて、はっとした。坂村真民の、同名の著書を読んでいたのですぐに分かった。仏教詩人とも言われる、求道の生活をした高名な随筆家だ。松山市の南にある砥部町に記念館があるらしく、周辺のお寺でこの石碑をよく見かけるようになった。53番円明寺へは2キロ程で、さほど時間がかからないので向かった。石段のない霊場で、静かな雰囲気のお寺だった。境内の隅に『キリシタン灯ろう』と立て看板があり、十字架形の灯籠にマリア観音とおぼしき像が刻まれていた。この近辺で宿泊しようと、昨夜宿を探したが予約できなかった。まだ明るくて時間に余裕があったので、少しでも距離を稼ごうと、近くの伊予和気駅よりひとつ先の堀江駅まで歩き、電車で松山駅まで戻り、昨夜と同じ『ホテルクラウンヒルズ松山』に泊まった。今夜は無料のカレーがあったので、部屋に持ち帰り食べた。

 

 

お大師さん

 

入口にありました/石手寺

 

衛門三郎/参道

 

51番石手寺/国宝山門

 

石手寺/本堂

 

石手寺/大師堂

 

三鈷の松

 

三鈷の松

 

灌頂で授かった数珠

 

智恵の輪

 

隣の山頂に立つ巨大なお大師像が境内の三重の塔の屋根の上に見えました

 

奥の院に通じるトンネル入口

 

奥の院の閻魔大王

 

名物やきもち

 

やきもち

 

古い標石

 

52番太山寺

 

本堂へは行けませんでした

 

手入れされた納経所の庭

 

仮本堂

 

石碑

 

念ずれば花ひらく

 

標石

 

53番円明寺/山門

 

円明寺/中門

 

円明寺/本堂

 

キリシタン灯籠

 

見つけた格言

 

見つけた格言

 

堀江駅