不思議な一人称 | 塩窯陶芸家のゆるゆる道楽日和:宮良太陽

塩窯陶芸家のゆるゆる道楽日和:宮良太陽

最近、人生の目的を「修行」から「人生を楽しみ尽くす」ことにシフトしました。
自作の陶芸薪窯《風神窯》で塩釉焼(えんゆうやき)の食器や神具、飾り物をつくる陶芸家の、趣味日記。
今日もしあわせをありがとう!

 

一人称で僕って言うじゃない。

「僕って何で“僕”の字なんだろうか」って結構長いこと不思議に思っていたんだよね。

先日“僕”の字を見つけた瞬間、突然その意味が分かった。

僕って「しもべ」とも読む。

問題は誰の僕なのかということ。

いま目の前にいる適当な「誰か」なのか。

場所が変われば目の前にいる人も変わるけど、その全ての僕なのか。

俺は誰の僕か。

——神さまの“僕”。

「俺」という存在は、人格性格や好き嫌いを持っている一個の命だから、そこには常に苦悩が付き纏う。

だけど、神さまが自分の僕に対して、不幸を望むだろうか。

最近、幸せでいるために絶対的に必要なものとして、“神の喜びを実現していく生き方”を信じるようになった。

で、その意味を考えながら過ごしていると、神が喜ぶことは人に喜ばれることと同じだなと気付く。

元気な声で挨拶するとか、場所や空間を綺麗に保つとか、人の頼み事を聞くとか。

ということで、最近意識し始めたことがある。

 

“ポジティブな感情や行動に集中して一日を過ごすこと”

 

ネガティブを消そうと思っても、意識がネガティブに注がれれば、却ってネガティブになる。

その状態は喜びからは程遠い。

まず自分を明るくして、ひとつひとつの状況に対して、言動で“これが私の最善だ”と答えを返していく。

簡単ではないけれど、新しい答えを返す度に、自分の殻が剝がれていくような気がして嬉しい。

蟹座の生まれだけに。

夏至が来て蟹座の季節が始まるまで、あと四か月。

それまで沢山脱皮できると良いな。

 

宮良太陽