不安だったあの日 | 5歳娘 脳腫瘍でお空へ ずっとずっとあいしてる

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娘、4歳の夏、脳幹部のグリオーマDIPG になりました
頑張りぬいた娘の姿と家族の日常を綴ります
病気の周知と治療法の発展を願って!
ブログに助けられました
このブログがどなたかのお役に立てれば幸いです

末娘、本日で3歳になります!

 

 
この3年
早いのかどうかよくわからないけれど
ただただ成長に感謝しています。
 
上記の過去のブログで誕生の時のことを書いていますが
その中で少し触れている小児病棟に移動になったこと。
心菜の確定診断を待っていた病室で同じ場所で

「苦しくて泣いたりもした」

とありますが

それには“あの時の部屋だった”

ということ以外の理由がありました。

 

実はあの部屋あの場所で

末娘の検査結果を待っていたのです。

 

まだ入院中のこと

末娘の2回目か3回目の便が

真っ白な時がありました。

 

驚いてすぐに看護師さんに確認すると

「あれ?」

と言った表情。

 

医師に伝えておくということと

しばらく様子を見て、写真を撮ってほしいと言われました。

 

便の色で異常が見つけられることがあることは知っていましたが

詳しくは知らなかったのですぐに検索。

 

するとひとつの病気にたどり着き

その説明の中で「予後不良」という言葉を見つけました。

 

心菜の病気DIPGとは違い

治療がうまくいかなかった場合や

発見が遅れた時につながる言葉ではありましたが

この言葉を見た時

一気に不安と恐怖が襲ってきました。

 

おむつを替えるたびに怖くて

医師、看護師の動きにも過敏になり

「また先生から話があると思います」

という看護師さんの言葉には

胸がつぶれそうになりました。

 

そのタイミングでの部屋移動。

そして前述の通り確定診断を待っていた場所です。

 

不安なんてもんじゃなかった。

 

あの夏と同じ場所で

同じように検索魔になり

夜はほとんど眠れませんでした。

 

夫にも連絡してあったのですが

同じような気持ちだったようです。

 

「大丈夫!」

と自分の気持ちを鼓舞するよう明るく過ごし

退院までの日を過ごしました。

 

途中

「医師の話はいつですか?」

という質問も怖くてできぬまま迎えた退院日。

 

特に話もなかったので

最初の予定通りに退院の準備をして待ちました。

本来なら午前中には退院なので

夫にも予定通りに迎えに来てもらってました。

 

でも、待っていても一向に呼ばれない。

気がつけばお昼も過ぎていました。

 

誰も何にも言ってくれない中で

夫と2人

「退院と言われたし大丈夫だよね。」

と不安いっぱいの待ち時間。

泣きそうでした。

 

そんな時やっと看護師さんから

「先生の話がありますのでどうぞ。」

声がかかりました。

 

部屋に入ると先生が説明を始めます。

最初に

「大丈夫です。なにもありませんでした。」

のようなことを言ってもらった気がします。

安堵して涙がこぼれました。

 

時間がかかったのは

やはりいくつか検査をしていたからということ。

通常よりも詳しく検査をして

細かな数値まで出していてくれました。

 

その結果でなんでもない、大丈夫とのこと。

 

途中で話がなかったのは

産科だけではなく小児科も介入して

何回か検査をしていたからみたいです。

そして結果がハッキリしたのが今で

退院までが長引いたようでした。

 

医師にはどうしてこんなに不安だったのか

泣きながら話をしてしまいました。

そして、それをしっかり受け止めてくれました。

 

「お待たせしました。

赤ちゃんと一緒に退院です。」

 

この言葉がどんなに嬉しかったか。

 

3年たったからやっと話せました。

 

心菜のことがあり

末娘の誕生の時はこんなこともあって

 

だからこそ

元気に成長してくれ

今日を迎えられた日に感謝しかありません。

 

言葉も達者で

考えることも達者で

活発で

騒がしいときもあり

時にうるさくて(笑)

 

でも

すごくすごく

かわいくて、愛おしい。

 

今日は彼女リクエストのケーキでお祝いです!