ダブルケア | 5歳娘 脳腫瘍でお空へ ずっとずっとあいしてる

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娘、4歳の夏、脳幹部のグリオーマDIPG になりました
頑張りぬいた娘の姿と家族の日常を綴ります
病気の周知と治療法の発展を願って!
ブログに助けられました
このブログがどなたかのお役に立てれば幸いです

先日ブログをお読みくださっている方とのコメントのやりとりの中で

「ダブルケア」の話になりました。

 

その時に、ダブルケアをしている方が両方面から情報を得ることは難しいのでは?という話になり

ならば、もしお役に立つ場面があれば私の経験を記してみようかなと思いました。

 

ダブルケアとは

「子育てと親や親族の介護が同時期に発生すること」

を言い、晩婚化と高齢出産が増えている現代では

ダブルケア状態の方も増えているそうです。

 

私の場合は80代の養父(私の父です)と同居していたのですが

比較的なんでも自分でできたので

「介護」というほどのものではなかったと思います。

 

ただ、介護認定は受けていましたし

日常生活に加えて、ケアマネさんとの打ち合わせや通所の準備

父の意見を聞いたり、問題も発生したり

通院、入院、救急搬送などもありましたので

子育て+αというところはありました。

 

思い出すものとしては

夕方のみんな帰宅後

決してごきげんとはいかない3~4歳心菜と1歳前後の息子のお世話に追われる中

養父はその慌ただしさを気にも留めず

「スマホが使えなくなったぞー」

「○○が○○だぞー」

とかけっこうありまして

まあまあカオスな時もありました(笑)

 

酷いつわりで寝ている時に

「鞄を失くしてしまったー」

と部屋に入ってきて

外出先でなくしたのか家なのかも分からなくて

探しまくった時もあったなあ。

 

冷蔵庫と冷凍庫に入れるものの区別がつかないので

(養父の部屋には冷蔵庫がありました)

冷凍食品ビチョビチョ

逆になんでこれカチカチに凍ってるーーー!!!

なんてものあり

定期的な冷蔵庫チェックもありました。

 

優しい人だけど

とーーーーーーっても頑固でもあったので

私がすることがイヤな時もあったとは思います。

が、やらなければまずいこともありましたので

そんなことに屈せず

時に喧嘩しながら

やっておりました。

 

と、こんな感じの日常から

心菜の闘病と旅立ちを挟んで

父を見送るまで

 

着替えの順番が分からなくなったり

介護が必要な時もでてきて

 

でも、その時の私は

心菜を亡くしてしまったことで

すっかりお年寄りへのやさしさを失くし

 

気持ちの葛藤

私を奮い立たせたもの

ダブルケアにおける後悔

なんといっても周りに恵まれていたこと

 

色々、確かにありましたので

またちょこちょこと書いていきたいと思います。

 

もっともっと大変な方はいると思いますので

参考にもならないかもしれませんが

もしお役に立てたら幸いです。

 

いつかの養父と心菜

「じいじと一緒に食べる!」

とじいじの部屋に行くこともありました(笑)

今は2人ともいない。

 

そして私は、今

この机があった場所でこのブログを書いてます。