先日、我が家で“歴史的”ともいえるお茶会を行った。ちょっと大袈裟だが、子供を交えてお茶会をする、というのは、我が家では画期的なことなのだ。
人見知りで、他人が家に来ることを極度に嫌う二人の娘たち。彼女たちが1時間半にわたって、来客と一緒に楽しく過ごした。ミラクルだ。
来てくれたのは、以前から夫婦で交流している知り合いのお母さん(仮称・マリさん)。カラオケに誘っても、ハイキングに誘っても参加したがらないので、一度会って話してみたいと、わざわざ訪ねてきてくれたのだ。
最初は抵抗していたが、ゲームや音楽、アニメなどの話で盛り上がり、娘たちも打ち解けた。後で感想を聞いてみると「楽しかった」「今度は私が会を企画してもいいよ」と意外な答えが返ってきた。
家庭の団らんというのはそれはそれでいいのだが、それだけでは、自分のカラを抜け出せないようなところがある。親子ゆえの甘え、遠慮、タブーがあって、本音を聞けなかったりする。
ところが、家庭同士の交流となると、そうはいかない。
マリさんはズバッ、ズバッと娘たちに質問する。親が聞くに聞けない、本質的な質問だ。
へえ~、そう思っていたのか~、と夫婦はびっくりするばかり。親には直接言えないことも、外の人なら言えるらしい。
たかが、家庭お茶会。されど、家庭お茶会。
個人的にも家庭的にも、ヒト皮、向けたような気がする。カラを打ち破るには家庭交流だな、と思った。
見栄、照れ、秘密、遠慮、恥…。地域コミュニティにも様々なカラがある。
これらも、地域で家庭交流を行っていけば、取り除けるかもしれない。