無関心という病 | 地域コミュニティに明日はある

地域コミュニティに明日はある

地方の地域コミュニティには希望がある。地域コミュニティの発展に一役買いたい。

8月9日に行われた埼玉県知事選の投票率は26・63%だった。10人中2人しか投票していない。低い、低すぎる。

投票所立会人をしながら、なぜ投票しないのか、いろいろ考えてみた。

選挙の争点がない(あいまい)。
現職にスキャンダルやこれといった失政がない。
現職を倒すほどの対抗馬がいない。
  ↓
投票してもしなくても結果は大して変わらない。
  ↓
投票しない。

投票率が低いということは世の中が平和である裏返しなのではないか…。
誰がやっても同じレベルの政治が維持できると思われている、ってことは政治が成熟しているという証拠なのではないか…。

ふと、そんな思いも湧いてきたが、地区(市町村)ごとの投票率を目にして、考えを改めた。なんと、私が立会人をした地区が最低投票率(ある時点で)だったのだ。

同じ埼玉県民なのに、さいたま市北区の投票率は30%、戸田市は24%、川口市では20%だった。この違いは何なのか。
何のことはない、政治に対する無関心が全体的に広がっており、その進度が速いか遅いかの違いだけ、ってことだろう。

選挙というものは本来、争点があるから投票する、というものではない。争点があろうがなかろうが、一票を投じるというのが、成人男女、日本人としての責務である。

政治への無関心はひいては、社会、地域、人への無関心に至る。
マザー・テレサは「愛の反対は憎しみではなく無関心だ」と言った。
埼玉県は平和どころか“愛欠乏症”にかかっている、という危機的状況にあるのだ。

地域コミュニティがなかなか復興しない。足を引っ張っているのは、この“無関心という病”だ。間違いない。