人間的魅力は関係ない | 地域コミュニティに明日はある

地域コミュニティに明日はある

地方の地域コミュニティには希望がある。地域コミュニティの発展に一役買いたい。

ここ数日、いろいろあって落ち込んでいたが、先日、親友(Aさん)が訪ねてきてくれ、励ましてくれた。個人的な課題、町会の課題…、考えれば考えるほど、先行きが真っ暗に思えて、すべてにおいて自信を喪失。そんな私を心配し、仕事の合間に「ランチしよう」と突然やってきてくれたのだ。

何かと親身になって話を聞いてくれるので、それまで内に秘めていた個人的な悩みを打ち明けた。堰(せき)を切ったように口から出てくる言葉。それは自己卑下、愚痴、後悔のオンパレードだった。

「また会いましょう」というAさんに対して、「私はAさんに与えるものが何もない。Aさんが私に会うメリットがあるのか…。私にそれだけの人間的魅力があるとは思えないのですが…」と私。
なぜか私は、もう誰とも関りたくない、そんな感情に陥って、自分の殻(から)に閉じこもってしまった。

Aさんは「私のほうだって会いたいですよ」と言った上で、言葉を添えた。
「コミュニティはそれ(人と人が会うこと)を願っているのではないですか」

ハッとした。

私は自分のことばかり考えて、ウジウジ悩み、人を避ける方向に向かっているが、そんなことで円満なコミュニティを形成できるのか。
自分を卑下するのは勝手だが、笑顔のたえない、明るい地域コミュニティという夢までも放棄していいのか。

自問してみると、杞憂(きゆう)が重なって、いつしか夢にまでフタをしてしまっていたことに気付かされた。
たとえ自分に人間的魅力がなくても、人と会い、交流すべきなのだ、と。

地域のみんなが笑顔で交流し、家族のように仲良くなる―。
これが叶うなら、少々苦労したっていいじゃないか。