おはぼく叔母Q!

 

 

 

 

 

いろえろな方とお話をさせていただき

 

けっこう「あるある」なご質問に

 

 

霊のサワリ!

悪霊のタタリ!

怨霊のイタズラ!

 

的な的なものがあります。

 

 

 

まあ、いつものブログもそうなんですが

 

以下は「ぼくが体験したこと」や、「ガイドさんから教えていただいたこと」をベースに

 

ブログ用に軽く書いてみます。

 

 

あくまでも「ぼくのフィルター」を通していますので

 

議論等はいたしませんことをお許し稗田のあれ。

 

 

 

 

 

さてさてサティ・・・

 

 

「見えない世界」を歩いていますと

 

「霊!」

 

というものは避けることが難しいかもしれません。

 

 

 

「霊はあるのか?ないのか?」

 

といえば「あります」よ。

 

 

ただ、「チャンネルが合えば知覚する」くらいなことで

 

恐れる必要も面白がることも、まったくありません。

 

 

 

 

これからは

 

「霊魂は『データ(=情報)』である!」

 

という認識を片隅にでもおいていただければ

 

この頁の役割はほぼ果たしています。

 

 

 


「松田聖子ちゃんの『赤いスイトピー』のCD!」

 

と同じなんですよ。

 

 

 

え?お顔が全然違うって?

 

いえいえ、どちらも

 

 

「データ」という点では同じ!

 

なのです。

 

 

 

CDは単なる「データ(=情報)」であり

 

「赤いスイトピー」は何千回「再生!」しても

 

「渚のバルコニー」に変化することなく

 

「赤いスイトピー」を律儀にリピートするだけですね?

 

 

 

 

霊魂もまた「CDと同じ!」と受け取ってみてください。

 

今回はあえて「ネガティブ系な霊魂(=データ)」で話を進めます。

 

 

霊のサワリ!

悪霊のタタリ!

怨霊のイタズラ!

 

ってやっつですね。

 

 

 

そうですそうです!

 

こいつらも「CD」と同じく

 

「データ!」(=情報)

 

に過ぎないんですよ。

 

 

 

 

ぼくらは毎瞬毎瞬「何かを思い」、「何かしら行動」しています。

 

そうした「思念」「行動」っていうのは「宇宙に発信!」されているんです。

 

これは見方を変えれば「カルマ」ってやつになりますが

 

今回それは脇に置いておきます。

 

 

 

「思念」や「行動」は「全宇宙に発信されている!」

 

っていう点だけをおさえておいてください。

 

 

 

 

この「宇宙に発信!」

 

「データ」で例えれば

 

 

「レコーディング!」

 

なわけです。

 

 

 

聖子ちゃんは「赤いスイトピー」を

 

「レコーディングした!」

 

わけです。

 

 

 

あなたもしていますよ?

 

 

「だれかの成功を祝福する!」

「ありがたいなあ…とお金を使い、食事をいただく!」

 

という「レコーディング!」もありますし

 

 

「誰かの悪口を言ったり、ウソで貶める!」

「あいつ許せねえ…謝罪と賠償をさせよう!」

 

という「レコーディング!」だってあります。

(善悪はありません)

 

 

 

 

なんてったって「レコーディング!」ですので

 

幻とはいえ「その時空間!」に

 

「毎瞬記録をのこしている!」

 

わけです。

 

 

 

・・・ふぅ。

 

長くなりましたので続きはまた明日w

 

 

 

【今日のまとめ】

①「霊魂は『データ(=情報)』である!」

②霊魂もまた「CDと同じ!」ようなものである!

③あなたの「思念」や「行動」は「レコーディング作業」である!

 

 

 

 

【おまけ】

こういうのがあるんだなあ

 

 

おはアベガーアガペー!

 

 

 

(本日の記事はスピリチュアルとは一切関係ありません

 

 

 

お久しぶりの

 

【ジーナ、社会を斬る!】

 

のコーナーです!

 

 

・・・

 

・・・

 

・・・

 

・・・待った?

(↑待ってねーよw)

 

 

 

まあね、いろえろありますよ。

(↑何がw)

 

 

 

家族うちそろってにこやかに柏餅を食べていたジーナ家に突如降って湧いて降り、阿鼻叫喚の端午の節句となった「つぶあんか、こしあんか問題!」

 

もそうですし、

 

 

家族うちそろってにこやかに餃子の王将へ行ったジーナ家に藪から棒にあらわれ、狂瀾怒濤の出禁の現場となった「天津飯の中身、白メシか、焼きメシか問題!」

 

などなど、

 

今日お伝えしたいニュースがまだまだあります。

 

(↑平和で何よりだなw)

 

 

 

 

・・・がっ!

 

そこをぐっと堪えつつ、本日は誰もが避けることのできない

 

「あべ晋三問題!」

 

を提起したいと思うわけであります。

 

パチパチパチ!

(↑いや、話が全然見えないがw)

 

 

 

いえいえ、不偏不党の当ブログ。けっして政治問題を扱うわけではありませんYO?

 

今回取り上げたい「問題」は

 

SOOO!

 

 

 

ずばりずぼり

 

「選挙!」

 

であります!

(↑あーそっちね、はいはいw)

 

 

 

では、なぜあえて

 

「あべ晋三問題!

 

と題したのでしょうか?

 

 

それは、現代の「選挙」の諸問題が

 

「あべ晋三」という表記に、端的に表れているから!

 

であります。

(↑ほんとかよw)

 

 

 

今回はあり得ないほどのコペルニクス的な的な意見を提示いたします。

 

 

 

コペルニクスの「地動説」を持ち出すまでもなく、「斬新な発想」というものは

 

はじめは拒絶され、受け入れがたく感じられる!

 

ものです。

(↑まあなw)

 

 

 

駄菓子菓子!

 

このダームーにゲーナーな(訳:ムダに長げえ)記事を読み終えるころには

 

あなたもきっと納得しちゃうこと請け合い!

 

なのであります!

(↑分かってるなら早く本題入ってくれw)

 

 

 

 

・・・コホン。

 

 

えーでは早速ですが、

 

現在の「選挙」の問題点!

 

を3つほど挙げさせていただきますね。

 

 

【現在の「選挙」の問題点】

①投票率が低い!

 

②選挙カーや演説などがうるちゃい!

 

③準備に時間もお金も人員もかかる!

 

いろえろあるところでしょうが、

 

この3つなら、まあだいたいご納得していただけるのではないでしょうか?

(↑んー・・・まあいいよw)

 

 

 

 

①投票率が低い!

 

ですが、もう40%台は当たり前で、ニュースでは「これまでで最も低い投票率となりました」っていうのが耳にタコ助なわけです。

逆に言えば、6割近い人々がせっかくの選挙権を行使せず、投票しないことでにゃんとなーく「罪悪感」を感じていることになり、精神衛生上よろしくないわけです。

 

 

 

②選挙カーや演説などがうるちゃい!

 

ですが、うちの子どもたちが乳幼児のころ、ミルクを飲んで寝かしつけたところに選挙カーがやって来るたびに「あー毛、沢東!」なはーんて嘆いたものです。

(↑嘆きかた独特かよw それから名前はイジるなよw)

赤ん坊だけでなく、夜勤明けの方にとっても、あの音量は睡眠の質を下げまくり膝下5センチでしょう。

 

 

 

③準備に時間もお金も人員もかかる!

 

ですが、選挙のたびに筆記用具や投票用紙をわざわざそろえなくてはならず、アスクル株式会社さんが「選挙関連銘柄」として儲かるわけです。

(↑それはえーがなw それとリンクいるか?w)

また、投票や開票作業にかかる「人員の確保」もバカにならないはずです。

 

 

 

 

 

にゃんと!

 

私がこれから提案させていただくことは、これらすべてが

 

「ずばりずぼり!まるごと解決!」

 

されちゃうのであります!バンバン!

(↑アスクルさんに敬意を表して、机は大事に扱おうなw)

 

 

 

 

さあ!

 

 

さあさあ!

 

 

さあさあ朝さあ!

 

 

・・・いきますよ?

(↑うん待ってるよ、さっきからw)

 

 

 

 

それはね・・・

 

 

 

 

「最も得票率の低い候補者が当選する!」

 

に制度改革する!

 

ってことです。

(↑ん?ちょっと待てw)

 

 

 

つまりんりん!

 

「得た票が一番少ない人が当選する!」

 

という仕組みです。

(↑うわあ・・・w)

 

 

 

いえいえこれですね、「いいことずくめ!」なんですよ。

 

先ほどの「問題点」とともに解説いたしますと・・・

 

 

①投票率が低い!

→低くて当たり前になるうえに、「投票しない!」ことが「権利の行使!」になるので、精神衛生上たいへんよろC 

 

 

②選挙カーや演説などがうるちゃい!

→立候補者は、少しでも票を「少なく!」得ようとするため、「なるべく目立たない行動!」をとるようになる。名前の連呼などもってのほか弁で、顔さえ覚えられては困るので、選挙期間中は家にこもるようになる。ポスターだって破る勢い

 

 

③準備に時間もお金も人員もかかる!

→「あいつだけは嫌だ!」という信念の鎌足のような人だけが投票行動をするようになり、そういう人は槍が降っても投票所へ行くだろうから、マジで必要最低限の準備で間に合う

 

 

 

 

・・・ふぅ。

 

いかがですか?

 

(↑ドヤ顔w)

 

 

とても受け入れられませんか?

 

そんなの無理だと思われますか?

 

 

 

 

駄菓子菓aaa子!

 

 

すでにみなさん、これに近い制度を体験済みですYO?

 

SOOOO!

 

(↑ですよ。大好きだろw)

 

 

 

 

「最高裁判所裁判官国民審査!」

 

で・す・YOっ!

 

 

 

これは罷免したい人物に「×」を入れ・・・

 

そのまま頑張ってほしい人物には

 

 

「なにもしない!」

 

わけです。

 

 

 

「何もしないことで選挙人の権利を行使する!」

 

っていうのは

 

 

じつはアリ!

 

なのかもしれません。

(↑投票するのめんどくさいだけだろw)

 

 

 

 

 

さてさてサティ…

 

 

すっかり長くなってしまいましたが

 

ここまで読まれれば今回のタイトルを

 

 

「あべ晋三問題!」

 

と題した意味がお分かりでしょう。

(↑ごめんw完全に忘れてたわw)

 

 

 

そうですそうです。

 

現在の選挙制度では

 

 

「目立ち!

覚えてもらい!

書きやすい!」

 

ようにしなければならないので

 

 

「あべ晋三」

 

という表記になるのです。

 

 

 

涙ぐましい努力と同時に

 

現在の「選挙」の問題点がここに集約!

 

されていることが、よくお分かりになると思います。

 

 

 

今回ご提案させていただいた

 

「仏ほっとけ当選システム!」

 

の場合・・・

(↑名前がついたw)

 

 

「目立たず

覚えられず

書きにくい!」

 

ことが当選のカギなので

 

 

「あべ晋三」たんも

 

「亞邊臻艢」!

 

という表記になるかもしれませんね。

(↑だから名前をイジるなてw)

 

 

こんなの、書きたくないもん!

 

 

 

しなくていい参照:

ジーナ、社会を斬る!「ラーメン屋問題」

ジーナ、社会を斬る!「卵かけごはん問題」

 

 

 

 

【おまけ】

今日はゲーナージーキー(訳:長げえ記事)だったので

おまけはアッサリと

 

「9月12日(水)午後3時ころ、伊丹市鈴原2丁目付近の路上で、不審者が目撃されました。


不審者はバイクに乗って、女子児童に手を振り、立ち去ったものです。
不審者は、中年、青色ジャンバー、青色ズボン、白色ヘルメット着用、バイクに乗った男です」 

2012年9月「ひょうご防犯ネット」の「不審者情報」より

 

↑これ、白バイさんだろw
 

おはポンタ!

 

 

 

 

 

 

昨日の付け足しです。

 

 

いつものように

 

「時間」

「空間」

「物質」

 

で分けてみますが

 

 

「分かりにくい!」

「んなわけがないだろう!」

 

って感じる方は

 

 

「慣れ!」

 

っていうところもあるので

 

何度かこういう表現に触れてみてくだちゃい。

(↑「慣れ」なんだw)

 

 

 

そうです、「慣れ」もあるんです!

 

 

 

 

どの分野にも「専門用語」がありますように

 

スピ系にもあるわけです。

 

 

 

さらに、(ちゃんとした)スピ系は

 

「人間の幸せ!」

 

に直結していますので

 

 

脳みそが「慣れ」てきますと

 

生きる姿勢の方も「成れ」てくるんですよ。

 

 

 

 

それでは、「付け足し」をどうぞ!

 

 

 

 

【時間】

過去はなかった!

過去は存在していなかった!

 

あなたはそのことを初めから知っていた。

 

 

アタマのゲームの中にいるうちに

 

「過去がある!」

 

といつの間にか思い込んでいたんだ。

 

 

だから自分の中に「時間軸」をつくって

 

「過去への罪悪感!」

「未来への恐怖感!」

 

にとらわれていたんだ。

 

 

 

【空間】

優劣はなかった!

神さま仏さまワンネスは、自分の内側にあった!

 

あなたはそのことをはじめから知っていた。

 

 

頭のゲームの中にいるうちに

 

「神さま仏さまワンネスが、自分の外側にある!」

 

といつの間にか思い込んでいたんだ。

 

 

だから自分の中に「優劣」をつくって

 

「罪悪感!」

「低い波動は絶対にダメだ!」

「あの人こそ真理をつかんだお方!」

 

ということにこだわっていたんだ。

 

 

 

【物質】

物質はなかった!

病気、災難、貧乏、不幸は存在していなかった!

 

あなたはそのことを初めから知っていた。

 

 

アタマのゲームの中にいるうちに

 

「物質がある!」

「お金こそすべて!」

 

といつの間にか思い込んでいたんだ。

 

 

だから自分の中に「善悪」をつくって

 

「この『オシエ』以外は絶対に間違っている!」

「病気、災難、貧乏、不幸は私の信心が足りないからだ!」

 

ということに執着していたんだ。

 

 

 

 

 

【おまけ】

大谷翔平さんナメてました

すんまそーん!

投手の方も待ってます♡

 

 

お初めに言葉があった!

 

 

 

 

こういう記事を毎日しこしこ書いていますと

 

「言葉で表現する無力さ!」

 

というものを感じますw

 

 

言葉ではないんですよね、しょせん。

 

 

 

スピって結局

 

「言葉を超えたもの!」

 

であって

 

「言葉」でいうなら、連日のブログのように表現するしかないわけです。

 

 

 

 

 

肉体は「不完全」ですが…

 

 

「いのち」は「完全!」

 

であり、はじめから

 

 

「いのち」は「ずっと完全であった!」

 

ことが分かる。

 

そう、分かるんです。

 

 

アタマではなく「体感」で分かるんです。

 

 

 

 

 

これまでの人生で

 

ぼくらはいつの間にか

 

 

「いのちは完全ではない!」

 

という思い込みをしちゃっていたのかもしれません。

 

 

 

 

具体的に「どのような思い込み」なのかといえば…

 

 

このブログらしく、いつものように

 

時間、空間、物質で分けるならば

 

 

 

【時間】

大事なことは「現在」にはなく

「未来にやってくる!」ものという思い込み

(例:「最後の審判」的な的な)

 

 

【空間】

神さまやワンネスは「どこか別のところ」にあり

「『ここ』にはない!」という思い込み

(例:頼らせ、すがらせ、願わせる「オシエ」や盲目的信仰)

 

 

【物質】

「私」は神さまやワンネスから「切り離され」

「私」という「分離した概念」を持つという思い込み

(例:憎い・歯がゆい・悔しい・惜しい・欲しい・妬ましい)

 

 

…てな感じです。

 

 

 

 

こういったことは、どうやらぼくの

 

「怒りポイント!」

 

でして…

 

 

こうしたことを「押し付けてくる情報」に対して

 

ぼくはものすごく怒ります!

(↑マジレスきたw)

 

 

 

 

ま、いいけどね。

 

 

コホン…

 

 

 

時間、空間、物質はウソなんです。

 

まやかしなんです。

 

錯覚なんです。

 

 

 

3次元用のアタマで

 

「あたかもリアルに存在している!」

 

と思い込んでいるのですね。

 

 

 

これをアタマではなく

 

「体感」として腑に落ちてしまえば

 

はい、終了~!

 

なだけなんです。

 

 

 

 

だから

 

「この世に遊びに来ている!」

 

ということが言えるんですね。

 

 

 

 

【おまけ】

リコーさんの新商品

 

 

おは小さな家!

 

 

 

はい、今日はお久しぶりにアタマのネジがドットコムなほうの記事です。

 

 

 

先日読者さまとお話をさせていただきまして

 

【まぐ愛】のお話になりました。

 

 

 

「まぐ愛は大事なことだと理解してるけれども

いま現在はまぐ愛に興味が行かないんですよね」

 

ということでした。

 

 

 

うん、【まぐ愛】に意識が行かないっていうことは

 

【まぐ愛】をしなくてもいい!

 

ってことです。

 

 

 

 

毎度毎度ですが

 

人間は自由であり

人生は喜びである!

 

っていうのが

 

 

【大草原www!】

 

じゃなくって

 

 

【大原則!】

 

です。

 

 

 

 

 

・・・ということは?

 

 

 

あなたがこの世で表現することは

 

勇気を出して「やりたいことをする!」

 

っていう、これだけです。

 

 

 

 

これを逆から言えば

 

「やりたくないことは、勇気を出してやらんでいい!」

 

っていうことです。

 

 

 

 

 

【まぐ愛】だって同じことです。

 

意識が向かないことは

 

無理をしてまでしないことです。

 

 

嫌なときは

 

「嫌だああああ!」

 

と意思表示をしちゃいましょう。

 

 

 

それはね?

 

 

「気持ち」と「行動」

 

 

「統一される!」

「同じ方向を向く!」

 

ので、すっごいラクチンなんですね。

 

 

 

 

このブログでは

 

「性エネルギーの大切さ!」

 

をちょいちょい書いていますが

 

 

 

【まぐ愛】は、その本質を味わう

 

「アプローチの1つ!」

 

として提示しているだけです。

 

 

 

 

【まぐ愛】は、「ちゃんとしたまぐ愛」であれば

 

「性エネルギー」

「性性」

 

といったものが

 

 

「非常に調整されやすい!」

 

っていうだけで

 

 

性エネルギーの調整!は

 

「他にもいろえろたくさんある!」

 

わけです。

 

 

 

【まぐ愛】こそ絶対である!

 

なはーんてことはないのです。

 

 

 

 

 

ですので

 

「まぐ愛に意識が向かない!」

 

のであれば、そのときは

 

 

「他のものに意識が向いている!」

 

っていうときですので

 

 

「そちらを存分に味わう!」

 

ってえのがしこたま楽しいのです。

 

 

 

 

なはーんてね♪

 

格好つけてるそんなアテクシは・・・

 

 

 

 

ちゅーことでパー

(↑愛ピカさん風)

(↑この回に使うなよw)

 

 

 

 

 

【おまけ】

シーモネーター

イバラの道だろーが

イテツク夜だろーが

 

 

おパンセ!

 

 

 

昨日の「子育て」の続きです。

 

 

親は「社会」にならない!

 

っていう話です。

 

 

 

今日取り上げるのは

 

「子どもに反省させる」ことから離れる!

 

っていうことです。





もうはっきり言っちゃいますと…



親の言葉は

子どもに1ミリも届かない!

ってことです。



言葉は届かないけれど

「感情」だけは届きます。



親子のコミュニケーションって

「感情」でやり取りしているからです。



これ、言い方を変えますと・・・


「人間は反省できない生き物!」

ということです。



あなた、反省したことがありますか?


・・・ないでしょう?



ないんですよ!




人間は本来「愛そのもの!」の存在でして

 

「反省の感情」って


人間は本来持ち合わせていない!

 

のです。



子どもも同じことです。


「反省文」を書かせることはできますが

それは「パフォーマンス」としてであって


人間は絶対に「反省する」ことはできない!

 

んです。



無いものは出ない!

のですから

 

 

「反省させる!」

 

ということは無意味なことなのです。

(「反省」はありませんが、「内省」の行きつく先は「愛」になります)

 

 

 

 

統合失調症の遠因の1つに

 

「ダブルバインド」と呼ばれるものがあります。

(例:大好きな母ちゃんが、大好きな父ちゃんの悪口を言う)

 

 

あれは

 

「自分の気持ち」と「相手の気持ち」が一致しない!

 

ので歪むわけです。

 

 

 

人間が本来持ち合わせていない

 

「反省」という「気持ち」になれ!

 

といっているわけですから

 

 

「自分の気持ち」と「自分の行動」が一致しない!

(反省文は書くが、その気持ちが分からない)

 

ことをさせるので

 

 

子どもはますます歪んでいく!

 

ことになります。

 

 

それは、そういうことをさせている

 

親であるあなたの歪みです。

 

 

 

 

子どもは「光!」です。

 

光は「屈折!」することはありますが

 

「反省」はないのです。

 

 

 

 

【おまけ】

マリオ愛!

 

 

おはライト!

 

 

 

 

「光!」なだけに

 

ちょっと抽象的な文章が続いてしまいました。

 

ごべーん!

 

 

地に足を付けるこのブログwとしては

 

イカンイカン遺憾の意!

 

 

 

 

・・・というわけで

 

今日と明日は「実践編!」ですw

 

 

 

「子育て」で述べてみますが

 

今日の記事はびっくりする方も少なくないかもしれません。

 

 

 

「ひとつの考え方」

 

として

 

 

「こういう姿勢もあるんだなあ」

 

とおおらかに受け取ってくださいませ。

 

 

いちいちアタマに来ないのー!

 

 

 

 

 

さてさてサティ・・・

 

 

あなたは「光!」でっす。

 

 

 

・・・ということは?

 

 

 

あなたの子供も「光!」だよん!

 

ということです。

 

 

 

なんてったって「光!」ですので

 

親の姿勢としては

 

 

「光に『色』を付けない!」

 

よう留意すればいいだけなのです。

 

 

 

 

「なんだよ『色』って?」

 

という声がありそうですが、はい簡単です。

 

 

 

「親の常識・価値観・正義感・倫理観!

そんなものを『光!』である子どもに植え付けるな!」

 

ってことです。

 

 

 

 

 

「親の常識・価値観・正義感・倫理観!」

 

 

 

「親であるお前だけのルール!」

 

なんですよ。

 

 

 

んなものは『光!』である子どもにとって

 

「こいつうっぜー!」

 

なだけなんです。

 

 

 

 

 

親であるあなたは、ただ

 

「住む家を提供し

飯を食わせればいいだけ!」

 

だということに気づいてください。

 

 

 

「食わせてやってるんだ!」

「住まわせてやってるんだ!」

「お前にはたくさん金をかけているんだ!」

 

的な的な

 

 

「恩!」

 

などを押し付けるようなことを言わないようにね♪

 

 

「恩」は自然に湧きあがるもので

 

押し付けたって子どもには絶対に理解できません。

 

おーん!

 

 

 

 

さあさあ、このへんから反発をくらいそうですが

 

気にせず書いていきますねw

 

 

 

これ、表現を変えますと

 

 

「親」が「社会」にならない!

 

ってことなんです。

 

 

 

難しくないですよ~!

 

 

たとえばEVA・・・

 

 

 

 

公園の遊具であなたの子ども(○○ちゃん)が遊んでいて

 

どこぞの悪ガキに遊具を奪われたとします。

 

 

 

つまらなそうにあなたのもとに帰って来た子どもに

 

親であるあなたはこう言います。

 

 

「よく泣かなかったね!偉いね。

○○ちゃんは順番を守ろうね」

 

 

 

 

これ、親であるあなたは違和感がないかもしれませんが

 

「親」としては

 

 

「もしかして違う言い方があるのかもしれない!」

 

ということです。

 

 

 

それが

 

「子どもに色を付けない!」

「『親』が『社会』にならない!」

 

ってことなんですよ。

 

 

 

 

「よく泣かなかったね!偉いね」

 

ではなく

 

 

「泣きたいなら泣いていいんだよ~」

 

っていう言い方もあるのかもしれません。

 

 

 

 

「○○ちゃんは順番を守ろうね」

 

ではなく

 

 

「みんなにどんどん順番を譲っちゃおうね~」

 

っていう言い方もあるのかもしれません。

 

 

 

 

 

あのねのね・・・

 

 

「泣くことを我慢する!」

ことや

「順番を守る!」

ことは

 

 

これから学校などでの集団行動や友人との関係で、いやおうなく

 

「さんざん教わる!」

 

んですよ。

 

 

 

それは

 

「社会が教える!」

 

ということなんです。

 

 

 

 

 

「親」は「社会」ではない!

 

ので、親はどこまでも

 

 

「まったり、のんびりできる安全基地!」

 

であればいいのかもしれません。

 

 

 

 

 

【おまけ】

皆さんの言いたいこと、わかりますw

アイデアは秀逸

3:35~

 

 

おはルーチェ!

 

 

 

あなたは「光!」です。

 

 

 

これは文字通りの「光」でして

 

いまは「光の周波数帯」から周波数を落として

 

 

「肉体!」

 

を絶賛体験中なわけなんです。

 

 

 

 

「光!」は明確な「分離」を持たず

 

「虹」のように「住み分けている!」

 

のですが

 

 

 

現在は「肉体」をやっているので

 

いかにもあからさまに「分離している感!」

 

を感じているだけです。

 

 

 

 

 

そしててっててー!

 

 

あなたは「光!」

 

・・・ということは?

 

 

 

「あいつも『光!』」

「アンチクショーも『光!』」

 

に決まっているわけです。

 

 

 

ここを押さえておけば

 

「他者さまのジャッジメント!」

 

から、すみやかに離れることになります。

 

 

 

 

これは別の表現で言いますと

 

 

どれほど見下そうとも・・・

どれほど軽蔑しようとも・・・

どれほど気に入らなくとも・・・

 

あなたはかつて

「その人」を経験をしたことがある!

 

ということなんです。

 

 

 

だってもともと「光!」なんだもの。

だってもともと「虹!」なんだもの。

 

 

 

 

王様には王様の経験があり

奴隷には奴隷の経験があります。

 

 

王様を経験することで

王様の苦しみが分かりました。

 

奴隷を経験することで

奴隷の痛みが分かりました。

 

 

 

だから「どのような人!」であっても

 

「そいつはあなた!」

 

なんです。

 

 

 

 

 

「他者さまに座席を譲る」など

 

「親切な行為」をしますと

 

理屈関係なく

 

 

「自分を尊く感じる!」

 

ことがあります。

 

 

 

「譲り合う!」

「シェアする!」

「分かち合う!」

 

ってえのが

 

 

「『光!』である人間の本質!」

 

だからです。

 

 

 

 

「ああ、そうか!

あいつは私なんだ!」

 

っていうことが腑に落ちますと

 

 

 

誰に対しても

 

「慈しみの気持ち♡」

 

が芽生えます。

 

 

 

どんな人でも

 

「愛おしいっ♡」

 

と感じます。

 

 

 

なぜならそれは

 

「他者さまをシェアした!」

 

ことだからです。

 

 

 

 

 

「光!」である「あなた」は

 

なぜ周囲を照らそうとしないのでしょうか?

 

 

1ピースでも無くなると

 

そのジグソーパズルは完成しないように

 

 

「あなた」という存在もまた

 

存在しているだけで完璧なのです。

 

 

 

 

 

【おまけ】

韓信の股くぐり

 

 

おはルミエール!

 

 

 

 

 

あなたは

 

「光!」

 

です。

 

 

 

これは比喩とかではなく、文字通り

 

「光!」

 

なんです。

 

 

 

あなたは「光!」

 

 

・・・ということは?

 

 

いつだって、どこでだって

 

「周囲を照らしている!」

 

に決まっているわけです。

 

 

 

だって、あなたは「光!」なんですもの。

 

 

 

そう!だから

 

「どんどん周囲を照らしちゃいましょう!」

 

 

 

 

・・・でね?

 

これは見方を変えれば

 

 

「あなたは『光!』からやってきた!」

 

ということでもあります。

 

 

 

もう少しくだけた言い方をすれば

 

「あなたは『光の子!』だ!」

 

という表現もできます。

 

 

 

 

親が子どもを無条件で愛するように

 

「光!」に愛されている!

 

それがあなたなんです。

 

 

 

「あなたは『光の子!』であり

 

親は子どもを無条件で愛する!

 

のです。

 

 

 

 

 

あなたは「光!」に愛されているんです。

 

あなたが失敗しようとも、あなたは光の子!

 

あなたが何に悩もうとも、あなたは光の子!

 

あなたが何をしようとも、あなたは光の子!

 

 

 

だからあなたの

 

すべての失敗

すべての悩み

すべての苦しみ、悲しみ

してきたすべてのこと

 

これらは素晴らしく崇高な体験なんです。

 

 

 

 

・・・ということは?

 

 

【過去】を悔いたり、否定する必要がない!

 

ということです。

 

 

同時に

 

【未来】を心配したり、思い悩む必要がない!

 

ということです。

 

 

 

 

あなたが生きているこのC1の物質世界は

 

「十分に生きるに値する世界!」

 

なんですよ。

 

 

 

さあ、涙を拭いて・・・

 

存分に楽しみ

存分にチャレンジし

存分に歩んでいきましょう!

 

 

 

 

あなたが「ここにいる!」

 

それだけで

 

 

「周囲を照らす!」

 

ことになるんです。

 

 

 

 

【おまけ】

原曲が物足りなくなりそう

1:40と4:00あたりにちょいちょい出てくる劇団員はなんだろう?w

 

 

おは萌え萌えモーエンさん!

 

 

 

これ、PCをいろえろいじっていたら見つけちゃったので載せておきます。

 

もしかしたら以前ご紹介したのかもしれませんが

 

そんな昔のことを覚えているような私ではありませんw

 

 

 

モーエンさんがおっしゃる「愛」とは

 

ここでは「親子愛」のレベルですが

 

最初はそれでもちろんかまいません。

 

 

「愛を感じる!」

 

ということをまずご体験いただきたいのです。

 

 

 

そして、ここから私の体験に基づく話ですが

 

「一度体験した【愛】の感覚…

それはとても気持ちよかったけれど

 

もう古いものだよ?」

 

っていうことです。

 

 

 

【愛】には無限のレベルが

 

「普遍愛!」

 

まで続いておりまして

 

 

「次のレベルの愛があるんだなあ!

マジなのかよ!」

 

マジなんだよ!

 

ってことだけでも知っておきますと

 

 

 

「今自分が感じている愛のレベルに

固執することがなくなる!」

 

わけなんです。

 

 

 

 

親が子どもを産んでも、いつか

 

「子離れ!」

「親離れ!」

 

をするように。

 

 

 

大恋愛で結婚した夫婦が

 

20年30年を経て

 

また違った「愛」に昇華していくように。

 

 

 

 

この宇宙は「変化」が大前提ですので

 

あなたが感じている「愛」の感覚も

 

 

「変化、変質して全然いいんだ!」

 

ってことです。

 

 

 

 

これが分かってきますと

 

「他者の愛の段階、レベル!」

 

っていうものを、おいそれと

 

 

「評価!」

「判断!」

「ジャッジメント!」

 

することができなくなるんです。

 

 

 

「ピラミッドの石」のごとく…

 

「愛の段階、レベル」には

 

 

「優劣!」

 

はありませんが

 

 

「高低!」

 

は歴然としてありまして

 

 

「ジャッジメントを続ける愛のレベル!」

 

は、お低めなのかもしれません。

 

 

 

 

なんにせよ

 

「あなたはガイドさんから

無条件に愛され続けているよ!」

 

ということです。

 

 

 

以下は、瞑想やヘミシンクのご参考になるかと。

 

それではどうぞん!

 

下線青文字、改行などは私ジーナによります)

 

 

モーエン:

「エクササイズの際、開こうとして、

とくに知覚、認識を開こうとして、なかなかできないと感じている人に気づいたら、

私はその人に愛のエネルギーを大量に注入することがあります。

 

愛のエネルギーを用いると、ほとんどの場合、結果として知覚が開くのです。

 

 

坂本:

そこで、私のもう一つの質問です。

普通の人々が、純粋で無条件の愛を体験するのに、もっともよいのは、どんな方法でしょう?

あなたのワークショップに参加する人でも、それ以外でも、彼らはどうやって、それを体験できるのでしょう?

ナンシーたち(ジーナ注:ナンシーはヘミシンク技術の開発者モンローさんの奥さま。これ以前の対談の中で、モーエンは「ナンシーから無条件の愛をもらった体験で知覚が開けた」と語っている)がいない状態で、それを体験するには、どのような方法が最善でしょうか?

 

 

モーエン:

初心者の場合を例にとってみましょう。

そのようなことを体験する能力が、あまり強くないかもしれない人たちです。

 

そのような人に、私がアドバイスするとしたら、

静かな場所で腰を掛けて、メディテーション(瞑想)状態に入りなさい

と言うでしょう。

フォーカス10か12かもしれません。

 

でも、静かな場所で、瞑想状態になって、リラックスし、目を閉じて、

人生の中で、愛されている、あるいは、愛していると感じた時間を思い出すのです。

 

 

私が主に用いるのは、

私の子供たちが生まれた瞬間

です。

 

「あなたの生まれたばかりの娘さんですよ」

看護師さんがこう言ったとき、私はそこにいました。娘を抱き上げたとき、どんな感じがしたのかも憶えています。

 

 

ですから、こう言いたいと思います。

 

「あなたの人生で、このような感覚を感じた瞬間を探して、それを思い出すのです。

そうして、その記憶を頼りに、その時に感じた愛の感覚を実際に再体験するのです」

と。

その出来事全体を再体験する必要はありません。

 

 

でも、

愛の感覚を思い出すことで、実際に、そのことに注意を集中し、感じることができるのです。

感じるのです。

 

 

そして、もし、その感覚が消え去ってしまったら、別の時間を思い出します。

記憶を頼りに、愛の感覚を再体験し、その感覚を、あなたの中で、あなたを取り巻く空気の中で、成長、拡大させるのです。

そうして、ただ、それを感じるのです。

 

(略)

 

もう一つ、段階を加えるとしたら、

自分自身の直接的な体験を通じて、無条件の愛の感覚を体験し、表現することを学ぶのだ

というアファメーション(宣誓/確約)に、自らの意思を置くことも、お勧めします。

 

 

(略)

 

 

坂本:

モンロー研のやり方では、レゾナント・チューニングや、アファメーションの際に、とくに愛については言及しません。

エネルギーは集めますが、愛のエネルギーだけに集中することはしません。

 

 

モーエン:

私がそうするのは、2つほど理由があります。

 

 

私の体験では、

愛されることによって、知覚が限界以上に開かれます。

 

 

愛されていると感じることで、信念の限界が打ち破られ、知覚へと通じるのです。

ただ愛を感じるだけで、知覚を自動的に開くことができるのです。

 

(略)

 

愛の感覚の体験を学ぶことで、知覚が開かれます。

よりクリアな知覚が得られるようになるのです。

 

 

そうすると、ワークショップで他のことを学ぶ必要は、一切、無くなります。

それらは全て、自分自身で発見できるからです。

『坂本政道 ブルース・モーエンに聞く(ハート出版)』

 

 

 

参照:

「愛の言葉をかけると魂が同調しちゃう」

「愛する人の写真を見て愛を感じたり

鏡を見て自分をほめちゃう」

「瞑想中、アンチクショーに愛を伝えちゃう」

 

 

 

 

【おまけ】

『白い巨塔』楽しみだ~!

5:45~