「目次」w

 

○「仏教の常識」
「信仰」について
「仏教の変化」について←いまここw

○「釈迦の教えのゆがみ」
「根本分裂」について
「釈迦の実像」について

○「無智亦無得」

「お経」について
「玄奘三蔵の実像」について
「無智亦無得」について

 

 

 

キリスト教は「信仰」する宗教です

(イエス本人の思いとは別)

 

仏教も「同じ道」をたどりましたw

 

 

そこで「仏教の変化」をつらつらとw

(議論は一切しないことお許しくださいm(__)m)

 

 

 

 

 

「仏教」の辞書による「定義」は

 

釈迦の説いた、仏となるための教え。

キリスト教・イスラム教とともに世界三大宗教の一。

人生は苦であるということから出発し、八正道の実践により解脱して涅槃に至ることを説く。

前5世紀、インドのガンジス川中流に起こって広まり、のち、部派仏教(小乗仏教)・大乗仏教として発展、アジアに普及した。

日本には6世紀に伝来。多くの学派・宗派がある。(デジタル大辞泉)

 

 

 

こんな感じです~

 

太文字下線部について、ほとんどの仏教者に異論、反論、オブジェクションは「ない」でしょう

 

 

 

私ジーナを除いてw

 

 

 

 

 

本題に入る前に「確認」しておきたいことは

 

仏教は自由である

 

ということです

 

 

 

 

キリスト教を思い出してください

 

キリスト教とは何か?

キリスト教徒であるとは何か?

 

「聖書で定義されている」ので「動かしよう」がありませんでしたw

 

 

 

ついでに「救われる方法」まで「定義」されていますので

 

キリスト教徒はマジで幸せ者なのですw

 

 

 


 

それに比べて嗚呼仏教よ…w

 

お前はなんと自由なのだ!w

 

 

 

「仏教の自由さ」が分かるのは、冒頭の辞書の

 

前5世紀、インドのガンジス川中流に起こって広まり、のち、部派仏教(小乗仏教)・大乗仏教として発展、アジアに普及した。
日本には6世紀に伝来。多くの学派・宗派がある。

 

のところでも分かります~

 

 

 

のち、部派仏教(小乗仏教)・大乗仏教として発展

多くの学派・宗派がある

 

って「なぜなのか?」といえば

 

 

 

解釈が自由!

 

だからですw

 

 

 

 

キリスト教では「聖書に書かれていることは絶対」なので

 

異を唱えた瞬間「異端者」とされてしまいますw

(正確に言えば「聖書を解釈するその当時の権威者たちが『絶対』」w)

 

 

 

しかし、仏教には聖書のような「絶対の聖典」はありません

 

だから、「いろえろな解釈」が許されており

 

このブログの私のような「異端者」も

 

安心して自由に火あぶりされずに発信できるわけですw

 

 

 

 

 

するとですよ?

 

上の辞書による「仏教の定義」の

 

釈迦の説いた、仏となるための教え。

人生は苦であるということから出発し、八正道の実践により解脱して涅槃に至ることを説く。

 

に「異を唱える」こともできるのですw

(↑おいおいおいw)

 

 

 

いえいえw

 

だからこそ「多くの学派・宗派がある」わけですからw

 

 

 

 

そもそも、上の辞書のような「仏教の定義」って誰がしたの?w

 

釈迦がしたの?

 

 

 

違うよね?w

 

 

 

釈迦の死後、残された弟子たちによる言動

(「生前の釈迦の思い」とは離れてしまったけれど)

 

が「言い伝え」られて

 

 

 

それを現代の辞書が拾って

とりあえず定義した

 

わけです

 

 

 

キリスト教とは、「かなり事情が異なる」のですね

 

 

 

 

 

【おまけ】

本能