「仏教の変化」よん

 

 

 

 

 

さて

 

仏教とは「『悟り』の境地に達すればいい」とされる宗教

 

と定義されてしまい

 

仏教者にとっては長い「混乱」が生じました

 

 

 

それを具体的に2つに絞ると

 

①「悟り」とは一体何か?

②「悟り」に達するにはどうすればいいか?

 

ですですw

 

 

 

当ブログでは、ヘミシンクの概念に沿って

 

「悟り」とは、非物質の世界(フォーカス27(以上))の感知

 

と定義し、理解しやすくなりました

 

参照

 

 

 

 

ただし、①②ともにヘミシンク誕生以前は

 

誰も定義化していなかったので混乱が生じたのです

 

 

 

 

 

①については「解決済み」ですが

 

「仏教の変化」というタイトルなので

 

それに沿って簡単に振り返ります

 

②はその後でw

 

 

 

 

上座部仏教では「悟り」は秘密にされました

 

で、「悟った奴」が「新たに悟りを得たと主張する奴」と「問答」して

 

そいつがマジで「悟った」か否かを「判定するシステム」を採用しました

(これは現在まで続いています)

 

 

 

一方、大乗仏教では

 

「悟り」を「空」

 

と表現しました

 

 

 

 

 

【おまけ】

バズってたものでw

あっという間に100回再生

 

「仏教の変化」だすー

(議論等はいたしませんことお許しくださいm(__)m)

 

 

 

 

 

上座部、大乗問わず

 

仏教とは「『悟り』の境地に達すればいい」とされる宗教

 

となってしまいましたが

(釈迦本人の思いとは別)

 

 

 

「潜在的に定義化」されたことによって、歴史的に(現在まで)

 

仏教者を悩ませる

 

タネになってしまいましたw

 

 

 

 

それは

 

簡単に「悟り」が得られないw

 

という大問題ですw

 

 

 

「悟り」を得てないのに

 

人々に説法をする

分かったふうな口を利く

 

ということが歴史的に横行wせざるを得なくなったわけです

(↑これは本当にしゃーない。善悪なし)

 

 

 

 

するとですよ?

 

学問を修めまくる奴

戒律を守りまくる奴

修行をやりまくる奴

 

っていうのが「尊敬を集める」ようになりましたw

 

 

 

そして、当然ながら、そういう奴らが

 

地位や名誉を得る

 

ことに(現在まで)なりました

 

 

 

 

 

しつこいですが

 

仏教とは「『悟り』の境地に達すればいい」とされる宗教

 

なのですよ

(これもしつこいですが、釈迦本人の思いとは別)

 

 

 

ところが、「悟りを得る人」が極端に少ないため

 

学問や戒律、修行を頑張りまくる人が偉い

 

とされる風潮に「変化」してしまったわけですw

 

 

 

 

すごーく言いにくいのですが

(↑言うけどw)

 

 

 

釈迦本人は

学問や戒律、修行で

悟ったわけではない

 

のですw

(これらを「重要なこと」にしてしまったのは弟子たち)

 

 

 

深い変性意識状態のときに

フォーカス27(以上)を体験した

 

に過ぎないのです

 

 

 

 

お坊さまのご説法を聞く際や

 

ご著書などを読まれる際は

 

ここのところに留意されてください

 

 

 

 

 

【おまけ】

2番の馬に何が起こったか分からんが、地力がすごいんだろうなあ

 

 

「仏教の変化」っすー

 

釈迦の死後100年、仏教は大きく2つに分裂しました~w

 

 

 

 

 

上座部

【仏教者としての目標】…個人での悟りを目指す

【釈迦の扱い】…真実の師

【言葉の扱い】…体験を重視し、マントラをあつかう

 

大乗

【仏教者としての目標】…個人の悟りを目指すと共に、多くの人々をも救おうとする
【釈迦の扱い】…悟り解脱した存在として、天上の存在が地上にあらわれた「仮のすがた」
【言葉の扱い】…言葉を重視し、経典をあつかう


みたいなw

 

 

 

 

 

ここでいったん「仏教の定義」に戻りましょう~

 

 

 

辞書的な定義はシリーズの④で示した通り

 

釈迦の説いた、仏となるための教え。
人生は苦であるということから出発し、八正道の実践により解脱して涅槃に至ることを説く。

 

でした

 

 

これは「釈迦は言っていない」のですが、その話はまだ置いといてw

 

 

 

 

上のそれぞれの「特徴」に「共通する点」があります

 

それは【仏教者としての目標】の

 

上座部…個人での悟りを目指す

大乗…個人の悟りを目指すと共に、多くの人々をも救おうとする

 

のところで

 

どちらも「個人での悟り」を目指しています

 

 

 

ちゅーことで

 

仏教とは「『悟り』の境地に達すればいい」とされる宗教

 

とあらためて「定義」できそうです

 

 

 

 

ここで分かる大事なことは

 

上座部と大乗

どちらのスタンスにも優劣は「ない」

 

ということです

 

 

 

なぜなら仏教とは、つまるところ

 

釈迦が感知した「悟り」の境地に至れば

仏教者としての目的は果たされるとされているから

 

ですです

 

 

 

しかし、仏教が「潜在的に定義化」されたことによって

 

歴史的に「仏教者は苦しみ続ける」ことになりましたw

 

 

 

 

 

 

【おまけ】

寝起きw

 

 

釈迦の死後100年後、根本分裂が起こりました

 

早い話「ケンカ別れ」ですw

 

 

 

「私のために争わないで~♪」って釈迦の声が

 

フォーカス27から聞こえてきそうですw

 

 

 

 

 

実際は「メチャクチャ数多く枝分かれしたw」のですが

 

大きな系統でいえば上座部と大乗の2つに分けられます

(当ブログでは部派仏教系を上座部仏教と表記します)

 

 

 

それぞれの特徴を3つ挙げてみますと

 

 

上座部

【仏教者としての目標】…個人での悟りを目指す

【釈迦の扱い】…真実の師

【言葉の扱い】…体験を重視し、マントラをあつかう

 

大乗

【仏教者としての目標】…個人の悟りを目指すと共に、多くの人々をも救おうとする
【釈迦の扱い】…悟り解脱した存在として、天上の存在が地上にあらわれた「仮のすがた」
【言葉の扱い】…言葉を重視し、経典をあつかう

 

 

てな感じです~

 

 

 

 

 

お手元でちゃんと表示されるか分かりませんが

 

いちおう「スタンスの違い」で系統図を示しますとこんな感じです

 


釈迦ー根本分裂ー上座部ーーーーー空海ー栄西・道元
       
       ー 大乗ー玄奘三蔵ー最澄ー法然・親鸞・一遍



 

 

 

仏教好きな人が「マントラ!」「ヨガ!」「座禅!」って言ってたら

 

その方は「上座部」の系統にいることになります

 

 

 

また、「阿含経!」「法華経!」「般若心経!」って言ってたら

 

その方は「大乗」の系統にいることになります

(あくまでも私個人による「スタンスの違い」による分け方です。すんませんが議論はいたしませんm(__)m)

 

 

 

 

 

で、当然ですが、みーんな

 

自分が正しい!

 

と主張していますw

(「仏教は自由」なので、もちろんそれでいいです)

 

 

「仏教の変化」でやんすw

 

 

 

目次w

 

○「仏教の常識」
「信仰」について
「仏教の変化」について

○「釈迦の教えのゆがみ」
「根本分裂」について←いまここw
「釈迦の実像」について

○「無智亦無得」
「お経」について

「玄奘三蔵の実像」について
「無智亦無得」について

 

 

 

 

釈迦の死後100年も経つと

 

仏教者たちの間で「ケンカ」がはじまりましたw

 

 

 

俺が死んだら俺の教えの解釈でケンカしろ!

 

とは、釈迦は言わなかったのですが

(↑当たり前だろw)

 

 

 

お坊さまだって人間よw

 

 

 

 

ケンカの内容ですが、主に2種類でしたw

 

 

 

①釈迦の悟った通りの修行をして、釈迦の感知した「悟り」とやらを、俺たちも「個人で」目指そうぜ!

 

②釈迦と同じ「悟り」を目指すのは当たり前だ。しかし、それだと仏教者しか悟れないじゃないか。「仏教を知らない人たちに仏教を広く知らしめる」ことも、釈迦の思いだったに違いないだろーが!

 

ってな感じです

 

 

 

①を上座部仏教

②を大乗仏教

 

と呼びます

 

 

 

そして、これを「根本分裂」と呼びます

 

 

 

 

 

ここで一応「結論」に戻っておきますとw

 

 

 

現在の仏教者さんは

 

早い話「釈迦が説いたこと」ではなく

 

 

 

「ケンカ別れした仏教者たちが説いた教えや修行」

 

にこだわり、とらわれているのです

(で、もちろん「それでいい」です)

 

 

 

 

釈迦本人とはほとんど無関係なことを

 

説いたり、修行したりしているので

 

けっこうムチャクチャでもあるのですw

(↑ちゃんといいますと、これが「仏教は自由である」ということで、善悪優劣はもちろんありません)

 

 

 

 

 

上座部と大乗は「同じ仏教」というくくりではあるのですが

 

「全然違う宗教w」

 

といっても言い過ぎではありませんw

 

 

 

東南アジアのお坊さんに「女性が触ってはいけない」

 

みたいなことを聞いたことがあると思いますが

 

あれは上座部仏教だからです

 

 

 

先月も書きましたが

 

日本の僧侶は結婚していいw

(つまり女性に触っても、触られても良い♡)

 

ので、少なくとも日本の仏教者に上のような戒律は通用しませんw

(↑「仏教は自由」なので、悪い意味で言っているわけではありません。しつこいですが念のため)

 

 

 

 

参照:

 

 

 

 

 

 

【おまけ】

あ!

 

ご質問です~

 

 

 

 

 

 

Aさん、ありがとうございます~

m(__)m

 

 

 

むかし、こういうの作ってまして↓

 

 

 

この頁に【ヘミシンカーの心得】っていうのがあるのですが

 

参考にされてみてください

 

 

 

 

 

まず、2つ目のご質問の

 

「これは私のたんなる妄想なんじゃまいか?」

 

というのは「ヘミシンクあるある」ですねw

 

 

 

これについては、いちおうこの記事で触れています↓

 

 

 

 

「リモートビューイング」

「フィードバック」

 

 

この繰り返しが間違いありませんが

 

これを公開でやる方はあまりいませんw

 

 

 

私の場合はブログを書きだしてから「そういう流れ」になり

 

「外れまくったらどうしよう」と怖かったのですが

 

「この世界にダイブしたい!」というパッションが勝りましたw

 

 

 

 

また、最初のご質問ですが

 

これも以前書いていますので再掲します

 

 

 

 

長いのですが、興味あればご一読されてみてくださいませ

m(__)m

 

 

 

 

 

【コチラ】に私のLINEのバーコードを貼っておりますので

 

よろしければ、そちらより「お友だち登録」していただければと

 

「仏教の変化」だすーw

 

 

 

 

 

「教え」は歪みやすい

 

ってな話っす~w

 

 

 

 

『歎異抄』は親鸞の死後20年経って書かれた

 

と言われます

 

 

ここから分かるシンプルなことは

 

「20年で親鸞の教えが歪んだ」

 

ということです

(正確には、親鸞存命中から「親鸞の教えは歪められていた」w)

 

 

 

 

 

釈迦の死の翌年、弟子たちが集まって

 

釈迦のことばをまとめようぜ!

 

って作業がなされましたが

 

文章にせず「記憶と暗証」によるものでした

 

 

 

この時点で、すでに「ヤバいw」のですが

 

次に仏教者が集まったのは、なんと

 

 

 

釈迦の死後100年後

 

でしたw

 

 

 

もうダメだらー

 

ってのは静岡県民でなくとも思うところですw

 

 

 

 

著作がとても多い親鸞でさえ20年で歪みましたw

 

釈迦の死後、誰かが頑張って「阿含経」を編纂しましたが

 

「100年」経ったら「もうダメ」よw

 

 

 

 

 

ちなみに、今から100年前って誰か知ってます?

 

 

 

清浦奎吾が内閣総理大臣ですよ?w

シャモニー冬季オリンピックですよ?w

谷崎潤一郎が『痴人の愛』連載開始だってよ?w

日本でメートル法が採用だってよ?w

孫文が神戸市で講演ですってよ?w

(引用元)

 

 

 

 

 

ね~?w

 

現代人でさえ「100年前」を振り返っても

 

キ、キヨウラケーゴ?

ダ、ダレソレ?

 

ってなるんですw

 

 

 

 

これは100年前になると、誰もが

 

「幼いころの社会の空気感」を持っていないためです

 

 

 

まして

 

ネットも動画も写真もなく

文章にもせず

記憶や暗唱、伝聞に頼った

 

2400年前の仏教者たちは

 

 

 

釈迦って人がいて

神のような人だった!

 

くらいの神格化された認識なんです

(↑神じゃなくて仏なw)

 

 

 

 

 

そうですそうです~

 

なので、当然ですが

 

釈迦の死の100年後にはすでに

 

 

 

「仏教者たちが対立」

 

しちゃってましたw

 

 

 

飽きそうなので、次回いったんQK~

 

 

 

 

 

【おまけ】

予想通り

 

「仏教の変化」っす~w

 

 

 

 

 

「お前らみんな仏になれ!」

とは「釈迦は言っていない」

 

八正道も解脱も涅槃も説いたけれども
「八正道こそが解脱や涅槃の道だ!」

「お前ら今生のうちに解脱や涅槃を目指せ!」

とは「釈迦は言っていない」

 

ってことなんですが

 

 

 

じゃあ誰が言ったのか?

 

といえば

 

 

 

釈迦の死後の

釈迦の弟子たち

 

そして

 

後世の仏教者たち

 

ですですw

 

 

 

 

じつは「釈迦の教え」とされているものは

 

かなりあいまい

 

ってことを知っておいてくださいw

 

 

 

なぜなら、釈迦は

 

ひと言も、ひと文字も残していない

 

からですw

 

 

 

 

現在「釈迦の教え」として伝わっているものは

 

すべて伝聞である

 

ということですw

 

 

 

「伝言ゲーム」の怖さw

 

は、もう言うまでもありませんね?w

(3人目から、しっかり歪みますw)

 

 

 

 

 

釈迦が亡くなったとき、弟子の誰かが

 

「やーれやれ、これでうるさいことをいう奴がいなくなった!」

 

と言ったそうですw

 

 

 

それを聞いた摩訶迦葉(まかかしょう)さんって人が

 

なぁーにぃ!

こりゃイカン!

早いとこ釈迦の言葉を集めなければ

釈迦の教えが歪められてしまう!

 

ってことで弟子たちが集まりました

 

 

 

これは釈迦の死の翌年に集まりましたが

 

文章にはせず「記憶と暗唱」にもとづく作業でした

 

 

 

ね?

もう「伝言ゲーム」なんですw

 

 

 

 

集まった方々は「ちゃんと記憶、暗唱できた」でしょうが

 

「それを聞いた彼らの弟子たち」に

 

正確な記憶や暗唱は期待できないのです

 

 

 

 

 

【おまけ】

かわいい組み合わせシリーズ

 

 

「仏教の変化」を書いてますー

 

 

 

 

「仏教」の辞書による「定義」はこうでした

 

釈迦の説いた、仏となるための教え。

キリスト教・イスラム教とともに世界三大宗教の一。

人生は苦であるということから出発し、八正道の実践により解脱して涅槃に至ることを説く。

前5世紀、インドのガンジス川中流に起こって広まり、のち、部派仏教(小乗仏教)・大乗仏教として発展、アジアに普及した。

日本には6世紀に伝来。多くの学派・宗派がある。(デジタル大辞泉)

 

 

 

 

これが一般的なイメージですが

 

じつは「間違っているよ」って話ですw

 

 

 

「辞書の定義」には、すでにたくさんの問題点が含まれているのですが

 

ぜんぶ言えるかなあ…w

 

 

 

 

 

すごいめんどくさいw

 

(↑頼むよw)

 

 

 

ま、私が書くの飽きたらそこでおしまいってことでw

(↑もう飽きだしてるだろ?w)

 

 

 

 

 

とりあえず「結論」めいたことを書いておきますと

 

 

 

釈迦は「そんなこと」言っていない

 

ですですw

 

 

 

「そんなこと」の内容は

 

釈迦の説いた、仏となるための教え。

人生は苦であるということから出発し、八正道の実践により解脱して涅槃に至ることを説く。

 

にある

 

 

 

「仏になるための教え」

「八正道によって解脱し涅槃に至ることを説く」

 

ですですw

 

 

 

 

 

これは仏教界からすれば「ものすごい異端」であることは重々承知していますw

 

仏教にお詳しい方ほど「怒る」ことも分かっていますw

 

 

 

でもそうなのー!

(↑わがままかw)

 

 

 

いえいえw

 

 

 

 

 

ちゃんといえば

 

「仏になるための教え」ではなく

 

「仏の世界はちゃんと存在するよ~ってことを説いたら、みんな軽くなった」

 

でして

 

 

 

「お前らみんな今生で仏になれ!」

 

とは「釈迦は言っていない」のです

 

 

 

 

 

「八正道によって解脱し涅槃に至ることを説く」ではなく

 

釈迦はいちおう八正道も解脱も涅槃も説いたけれども



「八正道こそが解脱や涅槃の道だ!」

「お前ら今生で解脱や涅槃を目指せ!」

 

とは「釈迦は言っていない」のです

 

 

 


 

なぜそんなことが分かるんだよ?

 

っていうことを説明する面倒くささを思うと

 

ほんと気持ちが萎えそうなのですがw

 

 

 

そうなのー!

(↑うるせえw)

 

 

 

 

 

【おまけ】

(ヾノ・∀・`)ムリムリ

 

 

「仏教の変化」だってよ~

 

 

 

「仏教」の辞書による「定義」はこうです

 

釈迦の説いた、仏となるための教え。

キリスト教・イスラム教とともに世界三大宗教の一。

人生は苦であるということから出発し、八正道の実践により解脱して涅槃に至ることを説く。

前5世紀、インドのガンジス川中流に起こって広まり、のち、部派仏教(小乗仏教)・大乗仏教として発展、アジアに普及した。

日本には6世紀に伝来。多くの学派・宗派がある。(デジタル大辞泉)

 

 

 

「仏教は自由」ですので、これに異を唱えても自由ですw

 

 

 

それはダメだぞ!

 

っていうカタブツさんにお聞きしたいことがあります~

 

 

 

辞書には

 

釈迦の説いた、仏となるための教え。

 

と仏教が定義されていますが

 

じゃあ現代までに「仏」って何人出たの?w

 

 

 

八正道の実践により解脱して涅槃に至ることを説く。

 

ってあるけど

 

現代までに「解脱」して「涅槃に至」った奴って何人いたのよ?w

 

 

 

 

 

こうやって書くと

 

ジーナさん!私の尊敬する○○先生は解脱されてますよ!

 

ってコメントいただくんですが

 

 

 

うっせーわ!w

それちげーからw

てか、そもそもそれ

人間信仰じゃんw

 

って、あらかじめ書いとくので、そういうコメントは要らないですー

m(__)m

(ちゃんと理由があるので怒らないでくださいw)

 

 

 

 

話を戻しますとw

 

現代までに「仏」は何人出たのか?

現代までに「解脱」して「涅槃に至」った人は何人出たのか?

 

って話になりますと

 

 

 

ほとんど出ていない

 

っていうのが、なんとなーくの結論でしょう?

 

 

 

 

そこでお聞きしたいのは

 

「仏」も「解脱者」も「涅槃者」も

現代までに「ほとんど出ていない」

 

のであるならば

 

 

 

仏教は「欠陥宗教」である

 

ということなんですw

(↑はい、お前火あぶり決定~w)

 

 

 

 

 

いやいやw

 

でもそうじゃん?

 

 

 

「わり算のやり方」が書かれてある本の通りにやっても

「わり算ができない」人が続出したら

 

その本は欠陥書である

 

ということでしょう?

 

 

 

 

同じように

 

釈迦の教え(とされている)通りに「仏」を目指しても

歴史的に「仏になることができない人」ばかりなら

 

その教えは欠陥だらけ

 

ということなのですよ

 

 

 

 

まあ、面白おかしく書いてますが

 

ここにはいろえろな問題点が含まれていますw

 

 

 

 

 

火あぶりはイヤなので

 

仏教は欠陥宗教ではない

 

を出発点としますと

(↑そうしとけw)

 

 

 

仏教の定義が間違っている

 

ということなのです

 

 

 

 

【おまけ】

毒蛇ヤマカガシ

(ヾノ・∀・`)ムリムリ