仕事などでは

 

「ノルマ」

「売り上げ目標」

 

といったものが存在しており

 

資本主義社会では仕方ない一面です

 

 

 

ただ

 

「あなた」にはノルマも目標もない

 

ということを知っておいてください

 

 

 

 

 

人生は学びだ!

人間的な成長だ!

進歩向上こそ人である!

 

っていうのはもちろん「アリ」ですが

 

 

 

そういうことは

 

あとから振り返って

 

ああ、あのことで学んだなあ!

ああ、あの人で成長させてもらったわ!

 

と感じれば素晴らしいことなのです

 

 

 

 

 

繰り返しですが、本来

 

「あなた」にはノルマも目標もない

 

のですよ

 

 

 

自分で「ノルマ」や「目標」を設ける

 

のは、仕事や試験対策などに必要かもりんですが

 

 

 

他者さまから言われることではないし

他者さまへ押し付けることでもない

 

のです

 

 

 

 

 

人生に「ノルマ」や「目標」を設定するのは

 

現在「不足感」があるから

 

に他なりません

 

 

 

あいつと比べて「不足」している

 

っていう

 

 

 

あいついいなあ!の「比較」から

 

「ノルマ」や「目標」を設定していると

 

やがてむなしくなりますw

 

 

 

 

 

これ楽しいなあ!

 

を、いつだって行動の原点にしちゃうことです

 

 

 

 

【おまけ】

母ちゃんと14匹の子どもたち

 

 

何かを、誰かを

否定しない

 

スタンスが気持ちいいです

 

 

 

つまり

 

白黒つけず

グレーでいいじゃん

 

っていうスタンスです

 

 

 

 

 

何度か触れていますが

 

たとえば「ワクチン」で話をすれば

 

 

 

ワクチンは危ない

打ってはいけない!

 

と「否定」しますと

 

 

 

それは、自分の中で

 

「対立軸」

 

となって残り

 

 

 

ワクチンを打った人々を

 

無意識に「区別」「差別」し

 

 

 

実際に自分が打つ状況になったときには

 

無意識に「気持ち悪さ」を感じるはずです

 

 

 

 

 

最初から「グレー」でいれば

 

打とうが、打つまいが

 

どちらにも「対立軸」がないので

 

 

 

そもそも

 

「関心がない」

 

わけですw

 

 

 

 

 

ワクチンを例えに出しましたが

 

これは

 

「子育て」や「人間関係」など

 

すべてに通じることで

 

 

 

「思想」

「信条」

「信念」

「プライド」

 

とかっていうのはカッコインテグラなんですが

 

 

 

「偏っている」

 

スタンスなのです

 

 

 

 

 

あなたが「気持ちいい状態」

 

というのは

 

 

何かを、誰かを「否定」しているとき

 

ではありません

 

 

 

すでに存在する概念や人物を

 

どっちでもいいよ~

なんでもアリだね~

 

という

 

 

 

ただ在るんだねえ

 

と眺めているとき

 

あなたの心身はリラックスします

 

 

 

 

【おまけ】

ドラクエのダメージ音は「逆再生」を使って増やしていた

8bit時代ならではの工夫

 

 

「真理」という表現なら

 

だれもが「真理」を語っています

 

 

 

あなたがもし

 

100人のスピの先生のお話

 

を聞いたとしたら

 

 

 

100人とも「真理」を語っている

 

のです

 

 

 

 

 

そして、あなたが

 

その100人の内の1人の「真理」を受け入れたなら

 

あなたは101人目の真理を持った

 

ことになります

 

 

 

そして、「それでいい」のです

 

 

 

 

 

あなたは「表現者」として

 

この世に「表現」をしに来ています

 

 

 

どのような「表現」をしても自由であり

 

どのような「表現」をしても喜びです

 

 

 

あなたの「表現」は「真理」そのものであり

 

肉体を卒業する際は

 

あなたが「表現」した「真理」を持って帰ります

 

 

 

 

【おまけ】

贅沢な時間

 

 

「プラス思考でいこう!」

 

とは、よく言われることです

 

 

 

プラス思考は、たしかに素晴らしいことです

 

なぜなら

 

「縁」

「感謝」

 

というものを感じさせられるからです

 

 

 

ただ

 

プラス思考の「次」の段階もある

 

っていうことだけ知っておくのも

 

また楽しいものです

 

 

 

 

 

プラス思考の「次」

 

って何かといいますと

 

毎度おなじみw

 

 

 

「これはただ在るんだなあ」

「この人はただ在るんだなあ」

「この出来事はただ在るんだなあ」

 

という

 

 

 

「ただ在る」と眺める

 

スタンスです

 

 

 

 

 

プラス思考はとても素晴らしいのですが

 

一方で

 

「マイナス思考であってはならない」

 

という概念を潜在的につくっちゃっているんですね

 

 

 

ですので

 

落ち込むことは良くない状態だ

 

となり

 

 

 

人間ですから「落ち込むこと」などたくさんありますので

 

さらに「ショボーン」ってなっちゃうわけですw

(´・ω・`)

 

 

 

 

 

あなたの身の回りは

 

「ストーリー(物語)」

 

であふれていますw

 

 

 

そこに入れ込み過ぎますと

 

「それはプラスか、マイナスか」

 

に意識が行って

 

 

 

アタマでコーフンしますが

 

こころはざわざわしちゃうんです

 

 

 

 

 

「それは在る」

 

ということを認め

 

 

 

「ぼーんやり眺める」

 

が楽チンチンです

 

 

 

 

【おまけ】

すごいなこのにゃんこw

自ら海にダイブ!

 

 

すごく陥りやすい思考に

 

私は学ばなければならない

 

っていうのがあります

 

 

 

ほんと、マジメな方に多いです

 

こういう方々が社会を動かし

 

生活を便利にしてくれているので

 

アタマが下がります

_| ̄|○

(↑絵文字違いますがw)

 

 

 

 

 

しかし、スピリチュアルとなりますと

 

こういう思考法からは離れたほうがいいかもです

 

 

 

理由をごく簡単に言えば

 

リーダーに依存するから

 

です

 

 

 

「学ぶ」というスタンスは素晴らしいものですが

 

「スピリチュアル」においての「学ぶ」は

 

 

師弟関係

 

というカタチを取ります

 

 

 

これは仕方のないことで

 

教えていただいたことには素直に感謝なのですが

 

困ったちゃんなことに

 

 

 

師、リーダーがしょーもないお方

 

の場合だって往々にしてあるわけですw

 

 

 

 

 

クライアントさんを

 

確信犯的に「依存させる」お方

 

もいらっしゃいますし

 

 

知らずしらず「依存させる」お方

 

もいらっしゃいます

 

 

 

どちらにしましても

 

マジメな方ほど引っかかりやすいのです

 

 

 

 

 

マジメゆえに

 

私はまだまだ学びが足りない!

私はリーダーを抜くことはできない!

私はリーダーにはとてもおよばない!

私はリーダーから離れることはできない!

私はリーダーにどこまでもついて行かなければ!

 

っていう

 

 

頼る、すがる、願う「信仰」に変質していることにさえ

 

気づきにくくなっちゃうわけです

 

 

 

 

 

リーダーさんの立場では

 

 

お金も欲しいし

名誉も欲しいので

 

あなたを依存させ

常連さんになってほしい

 

わけなんで、これはもうしょうがないw

 

 

 

あなたは

 

自分自身で気づく

 

しかありません

 

 

 

あなたの内部から生じる

 

「違和感」

 

としか言いようのないものがありますので

 

 

 

それに気づいたら

 

そっと離れる

 

を、勇気を出して選択してみてください

 

 

 

マジでスゲー楽チンチン!

 

になりますよw

 

 

 

 

 

【おまけ】

ただただ素晴らしい

 

 

ったりまえですが

 

「いまここ」

 

を味わい、愛でてください

 

 

 

「いまここ」は

 

完璧に整い

誰にも平等で

誰もが平等な

 

そんな「瞬間」なのです

 

 

 

 

 

私にとっては

 

背中ポリポリ書きながら

 

「この記事を書いているw」

 

 

 

この瞬間が

 

楽しく

面白く

夢中で

 

ウッキウキなひと時ですw

(この記事書いたあと記事が消えてしまい、これ2回目なんですが、それもまた楽しいわ_| ̄|○)

 

 

 

 

たとえば「食事」をしながら

 

(過去)どうすればよかったんだろう

(現在)どうすりゃいいんだろう

(未来)どうしようどうしよう

 

と「心ここにあらず」ですと

 

 

 

「いまここ」の食事を

 

味わうことができませんね?

 

 

 

 

これは

 

「アタマ」と「こころ」は連動している

 

ためです

 

 

 

こころが苦しいときは

 

アタマが働き過ぎ

 

なのです

 

 

 

 

 

「目の前のこと」を味わい、愛でる

 

ようにしますと

 

 

 

「アタマ」の働きがおさまり

 

「いまここ」に還ってきますので

 

「こころ」が楽チンチンになります

 

 

 

 

「食事」でしたら

 

「目の前の食べ物」を味わい、愛でる

 

のですねw

 

 

 

 

 

コツは実際に

 

「きれいな色どりだねえ」

「この煮つけ美味しいねえ」

「これはどうやって作ったの?」

 

って

 

 

「いまここ」のことを

「声に出して確認する」

 

っていうのが有効ですよ

 

 

 

 

 

【おまけ】

「石松三十石舟」見比べコンクラーベ

こういうのが見られるっていうのがYouTubeの素晴らしいところですね

 

 

片岡千恵蔵と、動く本家w広沢虎造

 

 

 

エノケンと初代柳家金語楼

 

 

 

ひばりちゃん

 

「就職、退職」

「合格、不合格」

 

「結婚、離婚」

「つき合う、別れる」

 

「健康、病気」

「お金持ち、貧乏」

 

 

 

人生には「選択肢」が山ほどあります

 

冒頭のうち、一般的には

 

「左」の方が「良いイメージ」があります

 

 

 

では、「右」のいわゆる

 

ネガティブな体験はダメなのでしょうか?

 

 

 

退職、不合格、離婚、別れる、病気、貧乏

 

ってえのは「悪」なのでしょうか?

 

 

 

 

 

それを体験したからこそ優しくなった

 

っていう方を山ほど見てきました

 

 

 

いわゆるネガティブな体験は

 

あなたの「優しさ」を呼び起こすのです

 

 

 

 

 

するともう

 

どちらが良いか?

どちらが良かったか?

 

なはーんてことはどうでもよくなり

 

 

 

たとえ、いわゆるネガティブな体験をしても

(「これはネガティブだ」とジャッジしても)

 

 

 

私は今とても貴重な体験をしているんだろうなあ

 

ってとらえることができます

 

 

 

 

 

ものごとを

 

ポジティブ、ネガティブ

 

というとらえ方をせずに

 

 

 

 

「ただ在るんだなあ」

 

とニュートラルに眺めると

 

 

 

「いまここ」を認め

 

許し

 

受け入れることができます

 

 

 

 

【おまけ】

どんなに長い文章でも、AIが3行にしてくれますw

なかなか面白いw

 

 

神さまは戦いませんw

 

 

 

このブログの表現ですと

 

非物質の存在たちは戦いません

ガイドさんらーは戦いません

 

 

 

 

 

「戦う」というのは、どうやら

 

この物質の世界だけの発想

 

でして

 

 

 

少なくとも私がさんざん見てきた非物質の世界には

 

「戦う」という概念はありません

 

 

 

 

 

いや、神話の神々は戦っているじゃないか!

今だって光と影の最終戦争やってるんだぞ!

 

って反論もありそうですが

 

それはそれでいいんじゃないですか?w

 

 

 

 

 

あなたがやがて肉体を卒業しますと

 

真っ先に感じることがあります

 

 

 

それは

 

「普遍愛」

「無償の愛」

「無条件の愛」

 

としか言いようのないもので

 

 

 

陳腐な言葉なのですが

 

理屈抜きに真っ先に感じます

 

 

 

完全に何もかも許された状態

 

であったことを知るのですね

 

 

 

 

 

非物質の世界には「戦う」という概念がないのですが

 

物質世界の人生には「戦う」という概念があり

 

実際、あなたは「戦う」体験をしてきました

 

 

 

非物質の世界では

 

「物質世界で実際に戦った体験」

 

を楽しく振り返るかもしれません

 

 

 

もちろん、物質の世界で信じてきた

 

神話の神々の戦い
光と影の最終戦争

 

っていう概念のちゃんとした意味も

 

知ろうと思えば知ることができるかもしれません

(ただ、そのときにはもう関心がないと思いますがw)

 

 

 

 

 

 

神さまとは一体何か?

 

の答えの1つとして

 

 

 

「完全な自由」

 

という言い方ができます

 

 

 

あなたは「完全な自由」な存在で

 

あなた以外のあらゆる波動の存在さんも「完全な自由」です

 

 

 

つまり

 

対立点がない

 

のですw

 

 

 

対立点がないので

 

「戦う」という概念自体がそもそもない

 

のですね

 

 

 

 

【おまけ】

八双飛びにゃんこ!(音量注意)

 

 

原理主義からは距離を置こう!

 

って話です

 

 

 

神さまは

 

あなたの外側にはない

 

のです

 

 

 

真理は

 

あなたの外側にはない

 

のです

 

 

 

なぜなら

 

あなたが神さま

あなたが真理

 

だからです

 

 

 

 

 

これが分かりますと

 

ものすごくシンプルなことが分かります

 

それは

 

 

 

他者さまの言う「神さま」

他者さまの言う「シンリ」

他者さまの言う「生き方」になど

 

従う必要はない

 

ってことです

 

 

 

これはもうぶっちゃけますと

 

お釈迦さまやイエスさまの言葉にさえ従う必要はない

 

のですw

 

 

 

 

 

怒られそうなので、ちゃんといえばw

 

お釈迦さまの言葉を「厳しく」感じたり

 

イエスさまの言葉によって「行動を規定」されたり

 

するのであれば

 

 

 

そこからいったん離れる

 

ということです

 

 

 

 

 

先月の『歎異抄』シリーズでも言いましたが

 

筆者唯円は、『歎異抄』を

 

「同時代の人に向けて書いた」

 

だけでした

 

 

 

お釈迦さまやイエスさまも同じです

 

 

 

彼らの言葉は

 

彼らと同時代の人々に向けて発信されている

 

のであって

 

 

 

彼らの時代の人々は現代人よりも波動が低かったので

 

「そう言わざるを得ない」一面があった

 

ことは「当たり前」なのです

 

 

 

また、現代にも通じる普遍的なこともたくさん含まれていますが

 

お釈迦さまもイエスさまも

 

一言も書き残していない

 

ので

 

 

 

あなたが接している彼らの言葉は

 

その弟子たちによる言葉

(そしてそのまた後世の指導者たちによる言葉)

 

であることを確認してください

 

 

 

 

 

お釈迦さまやイエスさまの言葉が

 

「厳しく」「行動を規定」しているように感じても

 

 

 

もしかしたら、当時の彼らは

 

「明るく」

「ゆるく」

「朗らかに」

「笑いながら」

 

語っていたのかもしれません

(ってか、「分かっちゃう」っていうことはそういうことなのですが)

 

 

 

 

 

お釈迦さまやイエスさまが存命の時代はいいのですが

 

その後「国教」となったり「教えが整備」されるにつれ

 

 

 

「師弟関係」

「ヒエラルキー」

「民衆へのコントロール」

 

などを通じて

 

 

 

教えの改編、改ざんが普通にあった

 

ことに留意しましょう

 

 

 

 

ですので

 

原理主義からは距離を置き

 

「厳しさ」を感じたり

 

「行動の規定」を重く深刻に受け止めるようなら

 

 

 

お釈迦さまの言葉と伝えられていようが

イエスさまの言葉と伝えられていようが

 

 

 

そこからサッサと離れちゃう!

 

のが、残りの人生を楽チンチンに過ごすコツです

(「本当は言ってない」のかもしれませんよ?)

 

 

 

 

【おまけ】

ここが大好きなんだ!

 

 

『歎異抄』には、親鸞の

 

「よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」

 

という言葉が紹介されています

 

 

 

私は「念仏」を「ありがとう!」と乱暴に翻訳していまして

 

世間一般的な解釈とつなげますと

 

 

 

「この世のすべての言葉は中身のない空虚な空言、戯言であり、ただ1つ「ありがとう!」だけが本当なんだなあ」

 

となります

 

 

 

ただ、親鸞のキモチ的には「言葉」だけではなかったでしょう

 

そこで

 

「そらごと」を「空言」ではなく「空事」

「たわごと」を「戯言」ではなく「戯事」

 

と解釈しても、親鸞のキモチには沿っているはずです

 

 

 

すなわち

 

「この世のすべてのことは中身のない空虚な空事、戯事であり、ただ1つ「ありがとう!」だけが本当なんだなあ」

 

ですですw

 

 

 

ま、なんでもいーんだけどねw

 

 

 

 

 

たとえば、先年のアメリカ大統領選挙の際には

 

ネット上で壮絶な陰謀論が飛び交いました

(今もですが)

 

 

 

それ、「たわごと」なんです~

 

ってことですw

 

 

 

 

 

また、今年の東京オリンピックでは

 

ネット上で根強い開催反対論が飛び交いました

(今消えちゃったねw)

 

 

 

それ、「そらごと」なんだわ~

 

ってやつですw

 

 

 

 

何が言いたいのかといえば

 

「いまここ」にいないとき

人は「外側」に反応する

 

ってことです

 

 

 

ニュースやワイドショーはじめ

 

SNSなどのネットの世界でも

 

 

 

これまでも

これからも

 

これでもか!とばかり

あなたの「外側」の出来事に善悪や優劣、白黒をつけようぜ!

 

といった情報がやって来ます

(くそスピ情報も含めてね)

 

 

 

そんなとき

 

むうう…とらんぷ!

むうう…岸田ソーリ!

むうう…コ○ロケイ!

 

とか言ってる間は

 

 

 

あ、これが「いまここ」から離れている状態なんだな~

 

って、ちびっと思い出してください

 

 

 

 

 

どこまでも「あなた自身」です

どこまでも「あなたの内部」です

 

それ以外は「たわごと、そらごと」なのです

 

 

 

 

【おまけ】

ペリカン坊や「むうう…カピバラ♡」

カピバラ坊や「むうう…気持ちいい♡」