知恵を求める人のためのブログです。

今回は、民主国家でも三権分立は守られていないという話です。

民主国家は時の権力者に絶対的権限を与え暴君とならないために、
いわゆる三権分立というシステムを作り、現代ではどの国もこのシステムを用いています。
三権分立とは司法、行政、立法が各々独立し各々の権限を互いがけん制するというものです。
分かり易く言えば、
国会、内閣、裁判所の三つの独立した機関が相互に抑制し合い、バランスを保つことにより、権力の濫用を防ぎ、国民の権利と自由を保障するシステムのことです。
しかし、
現実には、例えば、自由と民主主義国家のはずのアメリカなどでは殆ど機能していません。

例えば、大統領が司法や議会に圧力を掛けたり介入しています。


安倍晋三の時には、行政(政府)が司法を歪め不正をしたことは明白です。
また、立法においてもその大半は行政(政府)の思惑で作られるものです。
これで本当に三権分立と言えるでしょうか。

ロシアではプーチンがあらゆる方面に圧力を加え独裁をし、
アメリカではトランプがプーチン同様独善的に振る舞い自分の考えをすべてに押し付けています。
トルコのエルドアンも半ば独裁的であり、ベラルーシのルカシェンコはプーチンの手下のように振る舞い、中国の習近平も殆ど独裁で、北朝鮮の金正恩は完全に独裁です。

こうした人物は民主主義や三権分立をないがしろにし悪名を轟かせています
他にもブラジル、メキシコ政府などでは民主国家としての姿勢が失われています。
イランは宗教国家ですが、外見上は三権が分立したうシステムを作っています。
イスラエルも基本的には宗教国家ですが民主国家に近い三権が分立したシステムです。
イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オーストリア、スイス、スペイン、ポルトガルなどのいわゆるEU各国は民主国家としての三権分立を保持しています。

独裁国家でも民主国家でも、時の政権が自分たちに都合の良い法律を作ることは当然であり、こうして自分たちの政権の安定と国民の支配を続けようとしているのです。

そのため、何処の国でも政府の政策に反対するデモが横行しているのです。

こうした状態は民主国家と言えるでしょうか。
答えはです。

どの国でも完璧な政府は有り得ません
したがって、そのような政府でも民主的な政治が行われるような仕組みを作る必要があるのです。

その一つが三権分立なのですが、十分に機能していないのです。
また、
国民は生活が苦しくなると、世界情勢や国内事情などを全く考えずに、勝手なことを言い出す始末です。

これも、政治を歪める原因の一つとなっています。

つまり、政府も国民も皆自分勝手だということです。
こうしたことに拍車をかけているのが、ネットによる情報の拡散です。
誰かのつぶやき(政治的発言や政府高官の不正など)が遠く離れた人にまで影響を与え、それが元でデモや暴動が起きたりしています。
勿論、メディアによる情報の拡散の方がより影響が大きいことには違いありません。

トランプがテレビ局の報道に苛立っている理由が分かると思います。

 

人間が考案した民主主義の根幹をなす三権分立でさえ正しく機能していないのであれば、一体どのようにして社会の秩序と平和と安定をもたらそうとするのでしょうか。

今の政府のすることは、目の前の問題に対処しているだけで根本の解決には手を付けていません。
与野党の議員も国民生活に注目した発言を繰り返し国民に、いわば、迎合している人たちです。

従って、今のどこの国の政府でも信頼出来ないことは明らかです。
なのに、国民も今の政治体制を変えようともしていません

 

国家の根本的な問題を解決しようとせずに、物価対策、時給単価、子育て支援、障害者支援、医療費、ガソリン税、生活支援などについて議論し、外交や防衛なども加えて多額の税金を使い国家の借金を毎年積み上げ1000兆円を超えています。

地方自治体の借金を加えると1200兆円を超えると言われています。

これは、GDP610兆円のおよそ2倍国家予算115兆円のおよそ10倍以上の額です。

 

こうした状況でも、国民は全く不安に思っていません。

国会議員もタブー視し殆ど口にしません。

仮に話題になったとしても言い訳をしているだけです。

 

今や先進国のどの国でも信頼できる国はありません。

政治は益々混乱を極め、同時に、三権分立も歪められていくのです。

時の権力者が法律を作り国民に従わせているのです。

例えば、安倍政権時代の自民党は、法律を作ることも改正することも思うがままでした。

つまり、行政も立法府である議会も同じ人間が行っていたことになるのです。

一度決めた法律には自らも従わさせられていることも事実ですが。

これでは三権分立とは言えません

 

石破政権では少数与党でしたから、野党との協議で話を進めなければなりませんでしたから、ある意味、三権分立が守られていました

その石破政権を自民党の身勝手で引きずり落したのです。

これ以上の民主主義の破壊行為があるでしょうか

国民もこれに黙っているのはなぜでしょうか。

いい加減、愚かな国民を止めるべきです。

これに対して、

宗教というと、単なる人生の歩み方だと考えている人には理解出来ないかも知れませんが、
キリスト教は基本的には「神による政治支配」のことなのです。
ユダヤ教、イスラム教などもそうです。
ですが、日本の仏教や神道は政治支配とは無関係です。

従って、社会を正しくきちんと治めることが出来るのは神の支配だけなのです。
神の支配には、絶対的な力と不謬が担保されているからです。

神の支配には、三権分立は存在しません

すべての権限を「ただ一人神が持っている」からです。

しかし、神の支配というと、

イスラム教(イスラム諸国)やユダヤ教(イスラエル)やヒンズー教(インド)などを想起し、悪いイメージしか持っていないかも知れません。

それでも、

聖書を正しく理解している人々には「真の神」が存在し、その神が間もなく全地を支配して下さることに期待(信仰)を抱いています。


あなたは人間の支配を望みますか、それとも真の神の支配を望みますか?
あなたはどう思いますか?

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今回は、政府を批判する政治家の主張が政治を歪めているという話です。

政府や官僚の当事者ではない議員が、いわば、岡目八目的な考えで政府や大臣や官僚などの当事者を批判することが多いものです。

 

これにより何が起こるかと言えば、正しい政治が行われているのに、重箱の隅を楊枝でほじくるような発言をし政府を貶めることです。
安倍晋三は自民党内では強い存在で他の議員たちは太刀打ち出来ないので、いわば、尻尾を撒いた状態でした。
ところが、菅元首相や石破首相がその立場に就くと、特に安倍派の議員はやたらと批判をしその座から引きずり落そうとする動きをしました。
こうした、ねじくれた歪で利己的な議員たち日本を最悪の状態にしていることを全く気にしていないのです。
今度の自民党の総裁選でも同じで、彼らの主張は実際にその立場に立って実行しようとしても、多くの批判を招き、公約だからと言って無理にでも実行しようとすると、前任者にもまして批判を受けることになり、無茶苦茶な政治となってしまうのです。

 

実に、政治家の愚かさが最も前面に出る予兆が今の状態なのです。
国民は誰が何を言って、実際にその立場に立った時、それを実現出来たのか、出来なければなぜ出来なかったのかを検証し、かつ、大いに批判をすべきです。
つまり、自民党の思惑で前任者たる石破首相をその座から引きずり落した責任と政治と国民生活を悪くした責任を問うべきです。
そして、これを礎として今後このようなことが無いように轍を踏ませることです。

あなたは今の政治をどう見ていますか?

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今の日本には国民共通の社会思想がないというものです。
日本を社会主義国にしようなどと考えている訳でありません。

ただ、共通した社会思想がないので、1億数千万人の考え、思いがバラバラなのです。
ある者は生活することに必死になり、ある者は欲に駆られ、ある者は自由を求め、・・・・とまるで日本国民は烏合の衆のようです。
勿論、少数派の知識人たちは確かに思想を持っていはいますが、それが社会思想にまでは発展しません。
てんでバラバラに発言しているだけです。
例えば、明治時代の板垣退助や福沢諭吉や大隈重信や新島襄のような「思想を掲げ」それを社会に訴えることを貫いたような人は現代では殆どいません。
ましてや、国民を一つに纏めるだけの思想を持ったリーダー的存在がいないのです。
これが、今の日本の社会の不安定要素となっていることは明らかです。
国民の置かれている状況も思想もバラバラなので、今のような不満や犯罪の多い社会になっているのです。

自民党の総裁選で立候補している人たちの発言内容は、すべてナンセンスです。
彼らの考えで日本が良くなることは絶対にないからです。
彼らは、表向きは国民の置かれている状況を盛んに発言していますが、ただ権力闘争をしているだけなのです。

こうしたことは日本だけではなく世界中の国がそうなのです。
ロシア帝国を倒しソビエト社会主義共和国連邦の土台を作ったレーニンには思想がありました。
ただ、その後を継いだスターリンは悪魔のような存在でした。
同じことが再び繰り返され、
エリツィンがソ連を解体したゴルバチョフをクーデターで押しのけた後、後継に選んだプーチンがスターリンと同じ悪魔のような存在となったのです。

アメリカには独立宣言と憲法が、イギリスにはマグナカルタが、フランスでは市民革命の時の思想が、ドイツのワイマール憲法の思想など土台となる思想は今も国民の間に存在しています。

このような思想がないのは先進国では日本だけです。
今から、同じような思想を国民に周知徹底することは不可能です。
思想は時代と共に作られ変化して行くからです。
現代では、これらの思想は受け入れられないことが殆どです。
それだけ世界は混沌とした状態なのです。
これを一つに纏め上げることの出来る人は一人もいません。

従って、今生きている人将来の希望を世界のリーダーに託すことは出来ないのです。
天地人を創造された神の考えを除けば、
人類には破滅が待っているだけです。
頭の良い人間の傲慢な態度がそのような結果にしているのです。

人類は、発展という観点から見れば頭も良く賢いように見えますが、結果から見れば実に愚かであることが分かります。

あなたはこの点をどのように考えますか?
どのように考え、どのように思っても結果は変わりません
絶望と言っても過言ではないのです。

どこかに、人類を救う手立てがあるのでしょうか
あると言えばありますがそれを認め受け入れる人はごく少数です。
あなたはその救いがどのようにもたらされれるかに関心はありませんか
もし、少しでもあるなら「聖書」を読むことです。
しかし、
いきなり聖書を読んでも理解出来ないことは明らかです。
聖書を詳しく理解するには何十年も掛かるからです。
従って、聖書に詳しい誰かに自分の疑問を投げかけるところから始めるべきです。
同時に聖書の読み方に関する私のブログに基づいて読み進めることです。
そうすれば、比較的短時間で聖書の「概要を知り、また、全体が分かることで少しづつ理解」することが出来ます。
その結果、あなたが神とキリストに信仰心が芽生えれば救いのための入り口に到達出来るかも知れません。
後は、自分の力でそれを、救いを確かなものにする以外方法はありません。

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今回は、バプテスマの意味についてです。
「バプテスマ」は、ギリシャ語のβαπτίζω(バプティゾー)という言葉からきています。「浸す」という意味の言葉です。
これにより、「洗礼」とい言葉や「染める」という意味から、「イエス・キリストとの一体化」という意味と捉えている人もいます。

しかし、聖書を長く読んでいて分かることは、
バプテスマとは
ある事柄に関して、「死んで生まれ変わる」という意味合いが強いことが分かります。
罪に関して、悔い改めることに関して、信仰に関して、キリストと一体となるということに関して、
以前の自分を捨て新しく生まれ変わるという意味で用いられていることは明白です。

また、キリストへのバプテスマ、あるいは、キリストへの死のバプテスマとは、
人間として死んで霊者として復活し神の養子としてキリストと共に神の王国の一人となるという意味でもあります。

では、エフェソス4:1-16の「一つ」にはどのような意味があるのでしょうか。
4章
それゆえ,主にあって囚人となっているわたしが,あなた方に懇願します。あなた方の召された召しにふさわしく歩み,
2 全くへりくだった思いと温和さとをもち,また辛抱強さをもって愛のうちに互いに忍び,
3 結合のきずなである平和のうちに霊の一致を守るため真剣に励みなさい。
4 体は一つ,霊は一つです。それは,あなた方が自分たちの召されたその一つの希望のうちに召されたのと同じです。

5 主は一つ,信仰は一つ,バプテスマは一つです。
6 すべての者の神また父は一つであり,すべての上に,すべてを通し,すべての中におられるのです。
7 さて,キリストが無償の賜物をどのように量り出してくださったかに応じて,わたしたち一人一人に過分のご親切が与えられました。
8 それゆえにこう言われます。「高い所に上った時,彼はとりこを連れ去った。彼は人々[の]賜物を与えた」。
9 さて,「彼は上った」という表現ですが,これは,彼が下方の領域,つまり地にも下ったこと以外の何を意味するでしょうか。
10 下ったその方が,すべての天のはるか上に上った方でもあるのです。それは,彼がすべてのものを満ち満ちたものとするためでした。
11 そして彼は,ある者を使徒,ある者を預言者,ある者を福音宣明者,ある者を牧者また教える者として与えました。

12 それは,奉仕の業のため,またキリストの体を築き上げるために聖なる者たちをさらに調整することを目的としてであり,
13 ついにわたしたちは皆,信仰と神の子についての正確な知識との一致に達し,十分に成長した大人,キリストの満ち満ちたさまに属する丈の高さに[達する]のです。
14 それは,わたしたちがもはやみどりごでなくなり,人間のたばかりや誤らせようとたくらむ巧妙さによって,波によるように振り回されたり,あらゆる教えの風にあちこちと運ばれたりすることのないためです。
15 そうです,わたしたちは真理を語りつつ,愛により,すべての事において,頭であるキリストを目ざして成長してゆきましょう。
16 この[キリスト]をもととして,体の各部すべては,調和よく組み合わされることにより,また必要なものを与えるすべての関節を通して協働することにより,それぞれの部分が定めの機能を果たすにつれて,愛のうちに自らを築き上げることを目ざした体の成長に資するのです。

 

パウロが述べている「一つ」とは[霊的な思考]の一致のことです。
体は一つでも肢体は多くありそれらが調和し協働することで各部分が定めの機能を果たすことで「築き上げることを目ざした体の成長に資する」と述べて、
この体はキリストの体つまりキリストの会衆であり、引いては神の王国すべてを表しています。
従って、ここで言うバプテスマとは「キリストへのバプテスマ」のことです。

パウロがこのように述べたのは、会衆の中に「[教えられた信仰の土台]を正しく理解せず、自分勝手なことを話す人達」がいたり、パウロが任命した僕たちに従わない人たちがいたためです。

こうしたことの絆として愛について述べています。
「全くへりくだった思いと温和さとをもち,また辛抱強さをもって愛のうちに互いに忍び結合のきずなである平和のうちに霊の一致を守るため真剣に励みなさい」
また、愛は結合の完全なきずなであるとも述べています。-コロサイ3:14

人間関係において「愛」と一言で表現してしまうと「すべてのことを包含」して考えてしまい、時に、愛の示し方において誤解を招く場合があります。

4 愛は辛抱強く,また親切です。愛はねたまず,自慢せず,思い上がらず,
5 みだりな振る舞いをせず,自分の利を求めず,刺激されてもいら立ちません。傷つけられてもそれを根に持たず,
6 不義を歓ばないで,真実なことと共に歓びます。
7 すべての事に耐え,すべての事を信じ,すべての事を希望し,すべての事を忍耐します。
-コリント(一)13:4-7
とパウロは愛について、いわば、定義付けをしています。

クリスチャンがこの愛を示す目的はなんでしょうか
それは、「平和のうちに霊の一致を守る」ためだとパウロは述べているのです。
従って、この愛を信仰の仲間に対して示すべきもので、無分別に信仰の無い人たちに対しても示すべきものではないのです。

世の人々は淫行の世代です。
こうした世の人々に「誤った愛」を示すと「誤解を招き淫行の被害に遭う危険性が極めて大きくなる」ということを理解しなければなりません。

クリスチャンはイエス・キリストに信仰を抱きバプテスマを受け「人格を改め、新しい人格を身に付ける」ための努力をすると思いますが、その際、「他の誰か」が愛について語り「愛を悪用」する人もいるということを知っておくべきです。

会衆内での性被害は立場を利用し「ねじれた愛情を抱いた長老たち」によって起こされています。
ですから、信仰の仲間に対しても「油断は禁物」なのです。
なんと嘆かわしい状況なのでしょうか。
これがクリスチャン会衆を言えるでしょうか。

パウロはクリスチャンたちに次のように警告していました。
8 気をつけなさい。もしかすると,人間の伝統にしたがい,また世の基礎的な事柄にしたがってキリストにしたがわない哲学やむなしい欺きにより,あなた方をえじきとして連れ去る者がいるかもしれません。
9 というのは,[キリスト]の中にこそ,神の特質の満ち満ちたさまが形を取って余すところなく宿っているからです。

10 そのためあなた方は,彼を通して満ち満ちたさまを有しているのです。彼はすべての政府と権威の頭です。
11 あなた方はまた,彼との関係のもとに,手によらないでなされた割礼を受けました。すなわち,肉の体を脱ぎ捨てることによって,またキリストに属する割礼によってです。
12 あなた方は彼と共にそのバプテスマのうちに葬られ,また彼との関係のもとに,彼を死人の中からよみがえらせた神の働きに対する信仰によって,共によみがえらされたのです。
-コロサイ2:8-12
正に、バプテスマの神髄とも言えるものです。

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今回は神の偉大なる知恵に関するものです。

1 限られた元素による無限の組み合わせとその性質について。

2 神による創造物の多様性について。

3 賢い人間の愚かさについて。

神の「天地人」における偉大なる知恵、それは多様性にあります。

神は人間に楽しみや喜びを与えていますが、それらの基となるすべてのものは、いわゆる元素、分子など共通したものの組み合わせで作られています。
その組み合わせは無限です。
無害のものもあれば有害のものもあります。
つまり、
物質の性質はその組み合わせによって決まるということです。
また、その量の多少も有害無害を決めることもあります。
例えば、酸素はすべての生き物にとって必要不可欠のものですが、100%だと燃えやすく少ないと生き物は生きてはいけません。
地球の大気は、窒素(N2)78.1%、酸素が20.9%、アルゴン(Ar)が0.93%、二酸化炭素が0.03%、水蒸気その他が約1%だとされています。
酸素を生み出す植物に必要な二酸化炭素量が僅か0.03%しかないということは驚きです。
しかも、この量が少し増えただけで地球の環境が大きく変化してしまうのです。
窒素は主に植物の栄養源だと考えられます。
二酸化炭素は空気中だけではなく、海中にも存在しており、大気中の二酸化炭素量を調節しています。
そのため、大気中の二酸化炭素量が増えると海中の二酸化炭素量も増え、海が酸性化し海中生物に大きな影響を与えます。

神の知恵の偉大さは、すべての物質は限られた元素でそれらの無限の組み合わせで様々な分子や物質を作るようにされたことです。
しかも、元素そのものにも特徴や性質があり、更にそれらが結合し分子を構成すると更に様々な特徴や性質を生じさせるのです。

これは、四つの塩基の配列で遺伝子が作られていて、その組み合わせも無限なのと同じです。

元素や分子の話しとなると一般的には化学の世界を思い浮かべるものですが、
すべての物質は突き詰めれば様々な原子の集合体であることは小学生でも理解出来ることです。
植物にしろ動物にしろ、人間にしろその生体は分子レベルで語られるような時代となりました。
様々な薬、サプリメントだけではなくビタミンや栄養素とその効能なども知られている所です。
ウィルスや細菌なども遺伝子や分子レベルで語られています。

しかし、薬にしろサプリにしろそうしたものは限定的なものであり、未確認の物質や性質は沢山あります。

おそらく、詳細な科学的な知識がない場合、普通は人が目に見える状態での利用、活用を工夫することに意識を向けるものです。
例えば、細菌は熱に弱く60度C以上では大抵死滅するということや適度な温度や湿度により発酵し糖を作りそこに酵母菌を加えるとアルコールを発生させお酒が出来ます。
味噌や醤油や乳酸菌、更にはチーズなども菌の働きであることを知っている人は多いです。
水は摂氏4度で最も重く、摂氏0度以下で氷、昇華温度はマイナスで、空気中に水蒸気として浮遊し、100度Cで沸騰し、更には、あらゆる物の洗浄に使えるということを知っています。
あるいは、岩石の種類とその性質、地球の構造や火山や地震や台風や雷などの自然現象についても知っています。
石油からガソリンや軽油やナフタリンなどを精製し燃料として用いています。
食物でも煮たり焼いたりしなければ食べられないものもあることを知っています。
更には、米を蒸かして餅を作り乾燥させ保存食にしたり、塩で漬け長期保存に耐えられるようにすることもあります。
などなど上げればきりがありません。

生活のためには、普通は、これで良いのですが、科学の進んだ今日は分子や遺伝子レベルで新しいものを作り、その効能を売りにしていることも事実です。

あなたは不思議に思ったことはないでしょうか。
例えば、小さな種が、トマトになったり、ナスになったり、トウガラシになったりといろんな野菜に育つことを。
様々な果実の樹があり、様々な雑草がありその中には野草と言われる薬になったり毒になったりするものもあります。

人間や動物の生命は自然由来の食べ物で支えられています。
品種改良したり遺伝子操作をすることはあっても、元の植物があって初めて出来ることです。

いわゆる、人工的に作られたものが無くても人や動物は生きて行けるのです。
身近に人工物は沢山ありますが、その最たるものは「薬」だと思います。
野草を乾燥させ煎じたり、細かく砕いたりし、様々な薬草の組み合わせで様々な病気を緩和させたり治したりするという漢方薬も発展しています。
今では、薬は化学構造によってその効能が判断されるところまで来ています。

人工のものが沢山作られるようになったのは、人間の知恵によるものです。
しかし、その知恵を欲望のためにも用いていることも事実です。
より大きく、より美味しいもの、より多く穫れるもの、暑さや冷害に強いものなどの改良さえしてきました。
牛や豚などの食料となる家畜まで改良してきました。
ある種の魚さえ人工孵化をさせたり人工飼育をしたりして「収穫量の確保」をしています。

こうしたことが行われる原因はいわゆる乱獲よりも地球環境の破壊、地球温暖化が主なものだと言えます。

その原因は、人間の身勝手な利己的な考えの結果なであることは明白です。
人間は地球の管理に失敗したことは明らかです。
その原因は、人間は「神により地球を正しく治めるようにと命令されている」ことを知らないからでもあります。

最初の人間アダムは、子孫にそのことを伝えなかったのです。
おそらく、神に対して罪を犯しエデンの園を追放された後は食料を得るのに苦難の連続だったと思います。
そのため、カインは自分の収穫物を神に捧げる時に「出し惜しみ」をし「神の不興を買った」のです。
その一方で弟のアベルの捧げ物は「神を喜ばせ」ました。
そして、それが弟のアベルに対して妬みを生じさせ、神ではなくアベルに怒りをぶっつけ殺害するという暴挙に出る原因となったのです。

環境などのことを考える余裕がなかったのです。
その後も人類は他の動物と同じように人生の殆どを食料を得るために困難を乗り越えて来たのです。

しかし、人間は食料の確保が出来、生活に余裕が出来るようになると、更なる欲や楽しみを求めるようになってしまいました。

やがて、人々は集団で生活をすることで互いに助け合うようになり、集落や部落や都市を作るようになって行き、ついには、現代のようにまで発展させたのです。
こうしたことは歴史を調べれば分かることです。

ところが、人類は生活の安全のために互いに争うようになり、自分たちの領土を主張しそれを確保し国というものを作って来ました。

現代は、地球人口の増加に伴って食物の確保が難しくなり環境破壊だけではなく、戦争をし誰かに暴力を振るい殺人をも続けているのです。
更には、こうした中でも多くの人々は自己満足や快楽を追求し続けてもいるのです。
人間だけが、互いに争っているのです。
動物は自分のテリトリー以外では争いをしませんが人間は互いの利害関係により争いを全世界に拡大させているのです。

人類は、地球の保全や人間の生き方をどのように考えているのでしょうか。
人類は、より多くの人が欲望だけを追求し地球の保全を後回しに、あるいは、全く考えてこなかったのです。
人類が地球規模で物事を考えるようになったのは、第二次世界大戦後のことです。
つまり、僅か80年しか経っていないということです。

ところが、18世紀の半ば、つまり、1700年代の半ばに始まった産業革命から数えても僅か325年足らずの間に、特に、戦後の80年間の産業の発展がもの凄い勢いでなされたため、この僅かな期間で地球の環境が破壊され人類の存続が危ぶまれているのです。

人間は賢いようで「実に愚かな生き物」であることの証拠です。
この原因は「天地人を創造された神」を蔑ろにしたからです。
現代でも、「神を蔑ろにする」ことは続いており人間は「傲慢な振る舞い続けて」います。
そして、人類滅亡までに残された「時間」は残り数分になったと毎年発表されるまでになってしまったのです。

しかし、こうしたことに気が付いても社会や世界を元に戻すことはもはや出来ません。

多様性に富んだ素晴らしい地球という環境を創造した神の気持ちや考えを全く考えていないのです。
神は目的を持って人を創造しました。
人間に地球の管理を委ねただけではなく、人が食べたり飲んだりする楽しみをも与えてくれたのです。
誰かを好きになったり、子孫を増やしたり、生きる喜びさえも与えてくれています。
それを人間が悪用したのです。

地球は神のものなのに、あたかも自分のものであるかのように、あるいは、時には他の土地を自分のものにしようと戦いを挑んでいます。

実に愚かなことです。

神は地球ではなく、地球を破壊する人間をすべて拭い去る「計画」を抱いていることをどれほどの人が知っているでしょうか。-啓示11:18
人間は神から良いものを与えてもらいながらそれを良いことのために用いなかったのです。

地球上の多様性は、人間が知恵を十分に活用させるためのものでした。
つまり、人間はその知恵を使って地球を初めの状態から更に良い状態へと変えることで神に誉れと賛美と栄光を帰すべきだったのです。
そうすべきだったのです。
これを阻んだのは、一人のみ使い、悪魔となったサタンです。
だからと言って、すべては悪魔のせいでもありません。
殆どは人間のせいで今の苦しみの多い地球になったからです。

人類の最も愚かな点は、「天地人の創造者である、唯一真の神から離反」したことです。
しかし、その神は人類に救いの手立てを差し向けて下さり、その方のお陰て何人かの、いや、数え切れない人々が救われる可能性や希望を持てるようにしてくださっているのです。

さて、あなたは現在の地球上の状態を俯瞰(ふかん)して見てどのように思いますか。
救いの手立てがあることを知っていましたか。
今からでも遅くはありません、残された時間はまだあります。
その情報は聖書の中にしかありません。
聖書は「救いのための神の約束」の宣言書なのです。
それゆえ、旧約聖書、新約聖書などのような表紙になっているのです。

神は救いの手を差し伸べています。
後は、一人ひとりがそれに応じるか否かで決定するのです。

神に従うか否かを決めるのは各々自分ですが、誰を救うかを決めるのは神です。

さて、あなたはどのような決定をするでしょうか。
今の生活に満足しているなら、神の救いを必要とはしないでしょう。
戦争や困難な状況にある人は、神の救いを必要としているでしょう。

しかし、神の救いはすべての人のためのものです。
なぜなら、富んだ人、貧しい人、恵まれた人、困難に遭遇して入る人などあらゆる人の命そのものが神の救いに掛かっているからです。

あなたはその神の救いを手に入れたいとは思いませんか。
誰でも望むなら可能なのです。
ただし、幾つかの条件があります。
それを受け入れさえすれば良いのです。

あなたは条件付きということで躊躇しますか。
神だからと言って、神は無条件で救うことはしないのです。
当然ではありませんか。
最も大事な命の約束をして下さるのです。

  

人は「命のためには、大抵は何でもする」ものです。

果たしてそうでしょうか。

今生きているという事実と、生きて楽しみを既に持っている人が「窮屈な信仰」を受け入れるでしょうか。

 

人々は「今、救いを求めています」

しかし、神はご自分が認める人に対しても「今ではなく、将来救って下さる」のです。

 

あなたは「今救われなければ意味がない」と考えますか。

「今を楽しめなければ意味がないと思いますか」

 

では、人は何のために存在し、生きているのでしょうか。 

答えは簡単です。

それは、神が人間を創造したからです。

では、なぜ神は人間を創造したのでしょうか。

それは、霊的天とは異なる状態での崇拝と神の偉大さ多様性を示すためであり、それを天のみ使いたちが見て神を賛美するのです。

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目は心の窓と言ったりします。
嬉しい、悲しい、問題を抱えている、思うように生きているなどは表情特に目に現れるものです。
ですから、これを研究している人にとっては、いわば、占い師の如く相手の心理を読み取ることが出来ると考えています。

俳優は、特に表情で演技をします。
その中でも特に「目」がポイントになります。
怒り、悲しみ、喜び、憂鬱などの表現は目によって表されるものです。
ですから、今日のテーマを最もよく理解しているのは俳優だということになります。

こうしたことは、人との関係特に付き合いでは重要です。
しかし、問題点は相手の考えや気持ちが分かった時、自分がそれに対してどのような態度をとるかという点です。
相手の気持ちを理解するというよりは、こちらの態度の方がより重大なことです。
これを間違うと相手を不機嫌にさせたり怒りや恨みを買うこともあるからです。

ストーカー被害に上、殺害されたという事件の大半はこれを上手く出来なかったからと考えられます。

ストーカー被害に遭わないために、最も大事なことは、日常から誰かの気を引くようなことをしないということも大事です。
と言っても、相手がどのように思うかは自分では決められませんが。

誰しもが、人に親切にしたり誰かに悪い印象を与えないようにしているものです。
そのため、誰かに一目惚れするということは良くあることです。
しかし、その自分の思いを相手に伝えるには少し勇気がいることです。
そのため、いわゆるプラトニック的な感情を抱いていることは人知れず日常茶飯事なのです。

こうした自分の気持ちをコントロール出来ない人は問題を抱えることになります。
このような自制心の欠如を表す人とは、距離を置くことは重要なことです。
少し前の記事の、聖書のコラム-103(不機嫌さを表に表す人は霊的には既に死んでいる)でも述べましたが、
自制心の無い人は既に「霊的には死んだ人」なので、何かを口実に近づいてきてもいろんな理由を言って避けるべきです。

個人情報を誰かれなく教える人は、現代では殆どいませんが、それでも、個人情報は様々な点から漏れているものです。
同じ社会で生活している以上、すべてを隠すことは不可能です。

目は口程に物を言うとも言います。
つまり、目で睨みを利かせるということさえ人はすることもあります。

イエスは次のように語っています。
20 さらにこう言われた。「人から出て来るものが人を汚すのです。
21 内側から,つまり人の心から,害になる推論が出て来るのです。すなわち,淫行・盗み・殺人・
22 姦淫・貪り・邪悪な行為・欺まん・みだらな行ない・ねたむ目・冒とく・ごう慢・理不尽さです。
23 これら邪悪な事柄はみな中から出て来て,人を汚します」。
-マルコ7:20-23

目は心の窓ということから、
心にあるこうした邪悪な事柄は、その人は「目」を通して「邪悪な事柄に焦点を当てて見ている」のであり、その人の「その視線は目に現れる」ということです。
勿論、この逆の善いことことにおいても同様です。

人は目を見て、その人の感情を理解することが出来ます。
怒り、悲しみ、喜び、満足感などは目を見れば分かります。
しかし、その人の心の考え(善い事柄や邪悪な事柄)までは見抜くことは難しいのです。

犬は人の目を見てその人の心の在り様を敏感に感じ取っています。
この点猫も同じですが、犬のような態度を示すことはありません。
猫は利己的であり、犬は利他的なのです。

終わりの時に、神もキリストもみ使いも人を一人ひとり分けますが、聖書には次のように記されています。
12 神の言葉は生きていて,力を及ぼし,どんなもろ刃の剣よりも鋭く,魂と霊,また関節と[その]骨髄を分けるまでに刺し通し,心の考えと意向とを見分けることができるのです。
13 そして,[神]のみ前に明らかでない創造物は一つもなく,すべてのものはその目に裸で,あらわにされており,この方に対してわたしたちは言い開きをしなければなりません。
ヘブライ4:12-13

目を見ればその人の感情が分かりますが、その人の話すことでその人の考えを知ることになります。
何を話し、何を話さないかはその人自身が決めていることです。
イエスが言ったように、それは「中から」出て来ます。
心にあるものの内、どれを出しどれを出さないかはその人の[意識]がコントロールしています。
つまり、自制心は[意識]が行っているのです。

パウロの次の言葉はこうした[意識]を変えるのに有益です。
5 ですから,淫行,汚れ,性的欲情,有害な欲望,また強欲つまり偶像礼拝に関して,地上にあるあなた方の肢体を死んだものとしなさい。
6 こうした事柄のゆえに神の憤りは臨もうとしているのです。
7 かつてそうしたことの中で生活していた時には,あなた方もまさにそのような事のうちを歩んだのです。
8 しかし今は,そうしたものを,憤り,怒り,悪,ののしりのことば,またあなた方の口から出る卑わいなことばを,ことごとく捨て去りなさい。
9 互いに偽りを語ってはなりません。古い人格をその習わしと共に脱ぎ捨て,
10 新しい[人格]を身に着けなさい。それは,正確な知識により,またそれを創造した方の像にしたがって新たにされてゆくのです。
11 そこにはギリシャ人もユダヤ人もなく,割礼も無割礼もなく,異国人も,スキタイ人も,奴隷も,自由人もありません。ただキリストがすべてであり,すべてのうちにおられるのです。
12 したがって,神の選ばれた者,また聖にして愛される者として,優しい同情心,親切,へりくだった思い,温和,そして辛抱強さを身に着けなさい。
(参考:この言葉により、パウロのこうした助言は、ある特定の人に対するものです。
 私たちに対するものではありません。
 しかし、それでもその助言に従うことは自分にとって有益となります)

13 だれかに対して不満の理由がある場合でも,引き続き互いに忍び,互いに惜しみなく許し合いなさい。エホバが惜しみなく許してくださったように,あなた方もそのようにしなさい。
14 しかし,これらすべてに加えて,愛を[身に着けなさい]。それは結合の完全なきずななのです。
15 また,キリストの平和があなた方の心の中を制御するようにしなさい。実際あなた方は,一つの体としてそれに召されたのです。そして,感謝を抱いていることを示しなさい。
16 キリストの言葉を,すべての知恵においてあなた方のうちに豊かに宿らせなさい。詩と,神への賛美と,慈しみのこもった霊の歌とをもって互いに教え,また訓戒し,心のうちでエホバに向かって歌いなさい。
17 そして,あなた方が言葉や業において行なうことが何であっても,すべての事を主イエスの名によって行ない,彼を通して父なる神に感謝しなさい。
18 妻たちよ,夫に服しなさい。それは主にあってふさわしいことだからです。
19 夫たちよ,妻を愛しつづけなさい。[妻]に対して苦々しく怒ってはなりません。
20 子供たちよ,すべての事において親に従順でありなさい。これは主にあって大いに喜ばれることなのです。
21 父たちよ,あなた方の子供をいらいらさせて気落ちさせることのないようにしなさい。
22 奴隷である人たちよ,肉的な意味で[あなた方の]主人である人たちに対し,すべての事において従順でありなさい。人を喜ばせようとする者のように,目先だけの奉仕をするのではなく,誠実な心で,エホバを恐れつつ[仕えなさい]。
23 何をしていても,人にではなくエホバに対するように魂をこめてそれに携わりなさい。
24 あなた方は,しかるべき報いである相続財産をエホバから受けることを知っているのです。主人であるキリストに奴隷として仕えなさい。
25 悪を行なっている人は,自分が行なった悪の報いを必ず受けるのです。不公平はありません。

4章
主人である人たちよ,自分にも天に主人がいることを知り,奴隷に対して,義にかなったこと,また公正なことを行なってゆきなさい。
2 たゆまず祈り,感謝をささげつつ[祈り]のうちに目ざめていなさい。
3 同時にわたしたちのためにも祈ってください。神が発言の扉をわたしたちに開き,キリストに関する神聖な奥義を語らせてくださるようにと。事実そのことのために,わたしは獄につながれているのです。
4 また,わたしが当然語るべき仕方で[語って]それを明らかにすることができるようにと[祈ってください]。
5 外部の人々に対しつねに知恵をもって歩み,自分のために,よい時を買い取りなさい。
6 あなた方の発することばを常に慈しみのあるもの,塩で味つけされたものとし,一人一人にどのように答えるべきかが分かるようになりなさい。
(参考:外部の人々とは、クリスチャンたち以外の人々のことです。
 6節の助言はクリスチャンすべてが外部の人々と接する時の有益な助言です)
-コロサイ3:5-4:6

こうしたパウロの助言はすなわち「この事物の体制に合わせて形作られるのを止める」ことの実践であるということです。-ローマ12:2

以下のパウロのコリント会衆への手紙は、今の私たちに対するものではありません。
しかし、その内容は現代のクリスチャンの考え、振る舞いに関して役立つ助言となっています。
パウロのこうした助言などにより、信仰における確信がつけば、「あなたの目は曇りのない自信に溢れたもの」となるでしょう。

コリント人への第一の手紙
1章
神のご意志によりイエス・キリストの使徒となるために召されたパウロと,わたしたちの兄弟ソステネから,
2 コリントにある神の会衆,キリスト・イエスと結ばれて神聖なものとされ,聖なる者となるために召されたあなた方,ならびに,いたるところでわたしたちの主イエス・キリスト,すなわちその主でありわたしたちの[主]である方の名を呼び求めているすべての人たちへ:
3 わたしたちの父なる神と主イエス・キリストからの過分のご親切と平和があなた方にありますように。
4 キリスト・イエスにあってあなた方に与えられた神の過分のご親切を見るにつけ,わたしはあなた方について常に神に感謝しています。
5 すべての事,つまり話すための十分な能力という点でも,十分な知識という点でも,あなた方が[キリスト]にあって豊かにされたからです。
6 それは,キリストについての証しがあなた方の間で確固たるものとなっている[ことに見られる]とおりです。
7 その結果あなた方はどんな賜物にも欠けることなく,わたしたちの主イエス・キリストの表わし示されることを切に待っています。
8 [キリスト]はまた,あなた方を終わりまで確固たる者とし,わたしたちの主イエス・キリストの日にあなた方が何ら訴えられることがないようにしてくださるでしょう。
9 神は忠実な方であり,その[神]によって,あなた方は,わたしたちの主であるみ子イエス・キリストと分かち合う[関係]に呼び入れられました。
10 さて,兄弟たち,わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなた方に勧めます。あなた方すべての語るところは一致しているべきです。あなた方の間に分裂があってはなりません。かえって,同じ思い,また同じ考え方でしっかりと結ばれていなさい。
11 というのは,わたしの兄弟たち,あなた方について,クロエの[家の]者たちからわたしに打ち明けられたのですが,あなた方の間には争論があるとのことです。
12 あなた方がそれぞれ,「わたしはパウロに属する」,「いや,わたしはアポロに」,「わたしはケファに」,「わたしはキリストに」と言い合っていること,そのことをわたしは言うのです。
13 キリストが分裂してしまっています。パウロがあなた方のために杭につけられたとでもいうのですか。それとも,あなた方はパウロの名においてバプテスマを受けたのですか。
14 わたしは,自分が,クリスポとガイオのほかには,あなた方のだれにもバプテスマを施さなかったことを感謝しています。
15 あなた方はわたしの名においてバプテスマを受けたと,だれも言うことのないためです。
16 確かに,わたしはステファナの家の者たちにもバプテスマを施しました。ほかの人たちについては,自分がさらにだれかにバプテスマを施したかどうかは知りません。
17 キリストがわたしを派遣されたのは,バプテスマを施すためではなく,良いたよりを,ことばの知恵によらないで宣明するためであったからです。それは,キリストの苦しみの杭が無駄にならないようにするためです。
18 苦しみの杭についての話は,滅びゆく人々にとっては愚かなことですが,救われつつあるわたしたちにとっては神の力なのです。
19 「わたしは賢人たちの知恵を滅ぼし,知能のたけた者たちのそう明さを押しのける」と書いてあります。
20 賢い人はどこにいるのですか。書士はどこにいますか。この事物の体制の弁論家はどこですか。神は世の知恵を愚かなものとされたのではありませんか。
21 神の知恵によることでしたが,世はその知恵を通して神を知るに至らなかったので,神は宣べ伝えられる事柄の愚かさを通して,信じる者を救うことをよしとされたのです。
22 ユダヤ人はしるしを求め,ギリシャ人は知恵を求めます。
23 しかしわたしたちは杭につけられたキリストを宣べ伝えるのです。これは,ユダヤ人にとってはつまずきのもとであり,諸国民にとっては愚かなことです。
24 しかし,召された者にとっては,ユダヤ人にもギリシャ人にも,神の力また神の知恵なるキリストなのです。
25 神の愚かな事柄は人間より賢く,神の弱い事柄は人間より強いからです。
26 兄弟たち,あなた方が自分たちに対する[神の]召しについて見ていることですが,肉的に賢い者は多くなく,強力な者も多くなく,高貴な生まれの者が多く召されたのでもありません。
27 むしろ,神は世の愚かなものを選んで,賢い人々が恥を被るようにされました。また,神は世の弱いものを選んで,強いものが恥を被るようにされました。
28 また神は,世の卑しいものや見下げられたもの,無いものを選んで,有るものが無になるようにされました。
29 それは,肉なる者がだれも神のみ前で誇ることのないためです。
30 一方,あなた方がキリスト・イエス,すなわち,わたしたちにとって,神からの知恵,また義と聖化,そして贖いによる釈放となられた方と結ばれているのは,[神]によることなのです。
31 「誇る者はエホバにあって誇れ」と書かれているとおりになるためです。

2章
兄弟たち,それでわたしは,あなた方のところに行った時,もったいぶった話し方や知恵を携えて行って神の神聖な奥義を告げ知らせるようなことはしませんでした。
2 わたしは,あなた方の間では,イエス・キリスト,しかも杭につけられた[キリスト]以外には何をも知るまいと決めたのです。
3 そしてわたしは,弱さと恐れのうちに,いたくおののきながらあなた方のところに行きました。
4 そしてわたしの話し方,またわたしが宣べ伝えた事柄は,説得のための知恵の言葉ではなく,霊と力の論証を伴うものでした。
5 それは,あなた方の信仰が,人間の知恵によらず,神の力によるものとなるためでした。
6 さて,わたしたちは円熟した人たちの間では知恵を語ります。といっても,この事物の体制の知恵でも,この事物の体制の支配者たちの[知恵]でもありません。彼らは無に帰するのです。
7 わたしたちが語るのは,神聖な奥義の中の神の知恵,隠された知恵です。それは,わたしたちの栄光のため,事物の諸体制の前に神があらかじめ定めたものです。
8 この[知恵]を,この事物の体制の支配者はだれひとり知るに至りませんでした。[それを]知っていたなら,栄光ある主を杭につけたりはしなかったでしょう。
9 しかし,「神がご自分を愛する者たちのために備えられた事柄は,目も見ず,耳も聞かず,人の心に上ったこともない」と書かれているとおりです。
10 神はそれを,ご自分の霊によって,このわたしたちに啓示されたのであり,霊がすべての事,神の奥深い事柄までも究めるのです。
11 というのは,人の事柄は,その人のうちにある人間の霊を別にすれば,人々のうちいったいだれが知っているでしょうか。それと同じように,神の事柄も,神の霊を別にすれば,だれも知らないのです。
12 そこで,わたしたちが受けたのは,世の霊ではなく,神からの霊です。それは,そのご親切によって神から与えられている物事をわたしたちがよく知るようになるためです。
13 わたしたちはそれらの事も,人間の知恵に教えられた言葉ではなく,霊に教えられた[言葉]で話します。わたしたちは霊的な[こと]に霊的な[言葉]を結び合わせるのです。
14 しかし,物質の人は神の霊の事柄を受け入れません。それはその人には愚かなことだからです。また彼は[それを]知ることができません。それは霊的に調べるべき事柄だからです。
15 一方,霊的な人は実にすべての事柄を調べますが,その人自身はいかなる人によっても調べられません。
16 「だれがエホバの思いを知って,彼を教え諭すようになったであろうか」とあるのです。それでもわたしたちは,キリストの思いを持っているのです。

3章
兄弟たち,それでわたしは,あなた方に対して,霊的な人に対するように話すことはできませんでした。むしろ,肉的な人に対するように,キリストにあるみどりごに対するように[話しました]。
2 わたしはあなた方に,食べる物ではなく,乳を与えました。あなた方はまだ十分に強くなかったからです。事実,あなた方は今でも十分に強くなっていません。
3 あなた方はまだ肉的だからです。というのは,あなた方の間にねたみや闘争があることからすれば,あなた方は肉的であって,人々と同じ歩み方をしているのではありませんか。
4 ある人が「わたしはパウロに属する」と言い,ほかの人が「わたしはアポロに」と言うのでは,あなた方はただの人ではありませんか。
5 では,アポロは何者ですか。そうです,パウロは何者ですか。奉仕者であり,あなた方はその人々を通して信者となりましたが,それは主が各々に授けられたところによりました。
6 わたしは植え,アポロは水を注ぎました。しかし,神が[それを]ずっと成長させてくださったのです。
7 ですから,大切なのは,植える者でも水を注ぐ者でもなく,成長させてくださる神なのです。
8 さて,植える者と水を注ぐ者とは一つですが,各々はその労苦に応じて報いを受けます。
9 わたしたちは神と共に働く者だからです。あなた方は耕されている神の畑,神の建物です。
10 わたしは,自分に与えられた神の過分のご親切のもとに,賢い作業監督として土台を据えましたが,ほかの人がその上に建てています。しかし各人は,自分がその上にどのように建てているかをいつも見守っているべきです。
11 据えられているもの,それはイエス・キリストですが,それ以外の土台を据えることはだれもできないからです。

12 さて,この土台の上に,金,銀,宝石,木材,干し草,刈りわらで建てるなら,
13 各人の業は明らかになります。その日がそれを示すのです。それは火によって表わし示されるからです。まさにその火が,各人の業がどんなものかを証明するのです。
14 その上に建てただれかの業が残るなら,その人は報いを受けます。
15 だれかの業が燃え尽きるなら,その人は損失を被ることになりますが,その人自身は救われます。しかし,そうであるとしても,火をくぐるようにしてでしょう。
(参考:パウロは信仰の土台を信者に据えました。
 その土台の上にどのようなものを建てるかは[その人自身]だと述べているのです。
 各人の業は火によって(つまり、試練によって)明らかになり、例え、建てたものが燃え尽きても救
 われると述べています。
 救いの条件は、パウロによって土台が据えられた場合です。
 ものみの塔によって据えられた土台がパウロの土台と一致しているという証はありません)

16 あなた方は,自分たちが神の神殿であり,神の霊が自分たちの中に宿っていることを知らないのですか。
17 もしだれかが神の神殿を滅ぼすなら,神はその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなた方はその[神殿]なのです。
18 だれも自分をたぶらかしてはなりません。あなた方の中で,自分はこの事物の体制において賢い者であると考える人がいるなら,その人は愚かな者となりなさい。こうして,賢い者となるためです。
19 この世の知恵は神にとっては愚かなものだからです。「彼は賢い者たちを彼ら自身のこうかつさによって捕まえる」と書かれています。
20 また,「エホバは,賢い人たちの論議が無駄なことを知っておられる」とあります。
21 それゆえ,だれも人間を誇りとしてはなりません。すべてのものがあなた方に属しているからです。
22 パウロであれ,アポロであれ,ケファであれ,世であれ,命であれ,死であれ,今あるものであれ,来たるべきものであれ,すべてのものはあなた方に属しています。
23 一方,あなた方はキリストに属し,キリストは神に属しています。

4章
それで人は,わたしたちを,キリストに従属する者,また神の神聖な奥義の家令と評価すべきです。
2 さらに,この場合,家令に求められるのは,忠実であることです。
3 さて,わたしにとって,あなた方に,あるいは人間の審判の場で調べられることは,ごくささいな事柄です。わたしでさえ自分を調べることはしません。
4 わたし自身,責められるようなことは何も意識しないからです。しかしそれによって,わたしは義にかなっていると証明されているわけではありません。わたしを調べる方はエホバなのです。
5 それゆえ,定めの時以前に,つまり主が来られるまでは,何事も裁いてはなりません。[主]は,闇の隠れた事柄を明るみに出し,また心の計り事を明らかにされます。その時,人は各自神からの称賛を受けるのです。
6 さて,兄弟たち,わたしは,あなた方のために,これらのことを移し変えてわたし自身とアポロとに当てはめました。それは,わたしたちを例にして,「書かれている事柄を越えてはならない」という[定め]を学んでもらい,あなた方がそれぞれ一方に付いて他方を退け,思い上がるようなことのないためです。
7 というのは,だれが人を他と異ならせるのですか。実際,自分にあるもので,もらったのではないものがあるのですか。では,確かにもらったのであれば,どうしてもらったのではないかのように誇るのですか。
8 あなた方はすでに存分に持っているのですか。あなた方はすでに富んでいるのですか。あなた方はわたしたちを抜きにして王として支配しはじめたのですか。いや,あなた方が王として支配しはじめていてくれたらと願うのです。わたしたちもあなた方と一緒に王として支配するためです。
9 というのは,神はわたしたち使徒を,死に定められた者として,出し物の最後に置かれたように思えるのです。なぜなら,わたしたちは,世に対し,み使いたちに対し,また人々に対して,劇場の見せ物のようになっているからです。
10 わたしたちはキリストのゆえに愚かな者ですが,あなた方はキリストにあって思慮深い者となっています。わたしたちは弱いのに,あなた方は強いのです。あなた方は評判が良いのに,わたしたちは不名誉のうちにあります。
11 今この時に至るまで,わたしたちはずっと飢え,また渇き,着る物に乏しく,こづき回され,家もなく,
12 手ずから働いて労しています。ののしられれば祝福し,迫害されれば忍び,
13 名誉を損なわれても懇願するのです。わたしたちは,今に至るまで,世のくず,すべてのもののかすのようになってきました。
14 わたしがこれらのことを書いているのは,あなた方に恥をかかせるためではなく,わたしの愛する子供として訓戒するためです。
15 あなた方にはキリストにあって一万人の養育係がいるとしても,決して多くの父親はいないのです。キリスト・イエスにあって,わたしが,良いたよりを通してあなた方の父親となったからです。
16 それで,わたしはあなた方に懇願します。わたしに見倣う者となってください。
17 そのために,わたしはテモテをあなた方のところに遣わします。彼は主にあってわたしの愛する忠実な子供なのです。彼はキリスト・イエスに関連したわたしのやり方を,わたしがいたるところ,すべての会衆で教えているそのとおりに,あなた方に思い出させるでしょう。
18 ある人たちは,わたしが実際にはあなた方のところに行かないかのように思い上がっています。
19 しかし,エホバが望まれるなら,わたしは間もなくあなた方のところに行きます。そして,思い上がっている人たちのことばではなく,その力を知るようになるでしょう。
20 神の王国はことばにではなく,力にあるからです。
21 あなた方は何を望みますか。わたしは棒むちをもってあなた方のところに行きましょうか。それとも,愛と霊の温和さとをもってでしょうか。

5章
現に,あなた方の間では淫行のことが伝えられています。しかも,諸国民の間にさえないほどの淫行で,ある人が[自分の]父の妻を有しているとのことです。
2 それなのにあなた方は思い上がっているのですか。むしろ嘆き悲しんで,この行ないをした人があなた方の中から取り除かれるようにしなかったのですか。
3 わたしとしては,体ではそこにいなくても,霊においてはそこにおり,あたかもそこにいるかのように,このようなことをした人をすでにきっぱりと裁きました。
4 わたしたちの主イエスの名において,あなた方が共に集まるとき,わたしの霊もわたしたちの主イエスの力と共に[そこにあり],
5 あなた方がそのような人を肉の滅びのためにサタンに引き渡し,こうして主の日に霊が救われるようにするためです。
6 あなた方が誇りにしている事柄は良くありません。あなた方は,少しのパン種が固まり全体を発酵させることを知らないのですか。
7 古いパン種を除き去りなさい。あなた方は酵母を持たない者なのですから,それにふさわしく新しい固まりとなるためです。実際,わたしたちの過ぎ越しであるキリストは犠牲にされたのです。
8 ですから,古いパン種や悪と邪悪のパン種を用いず,誠実さと真実さの無酵母パンを用いて祭りを行なおうではありませんか。
9 わたしは自分の手紙の中で,淫行の者との交友をやめるようにとあなた方に書き送りましたが,
10 それは,この世の淫行の者,あるいは貪欲な者やゆすり取る者,また偶像を礼拝する者たちと全く[交わらないようにという意味]ではありません。もしそうだとすると,あなた方は実際には世から出なければならないことになります。
11 しかし今わたしは,兄弟と呼ばれる人で,淫行の者,貪欲な者,偶像を礼拝する者,ののしる者,大酒飲み,あるいはゆすり取る者がいれば,交友をやめ,そのような人とは共に食事をすることさえしないように,と書いているのです。

12 というのは,わたしは外部の人々を裁くことと何のかかわりがあるでしょうか。あなた方は内部の人々を裁き,
13 外部の人々は神が裁かれるのではありませんか。「その邪悪な人をあなた方の中から除きなさい」とあります。

6章
あなた方の中には,他の人に対して訴え事がある場合,あえて法廷に,不義の人々の前に行き,聖なる者たちの前に[行か]ない人がいるのですか。
2 あるいは,あなた方は,聖なる者たちが世を裁くことを知らないのでしょうか。それで,世はあなた方によって裁かれることになっているのに,あなた方はごくささいな事柄を審理することもできないのですか。
3 あなた方は,わたしたちがみ使いを裁くようになることを知らないのですか。では,どうして今の生活上の事柄を[裁か]ないことがあるでしょうか。
4 それなのに,今の生活上の事柄で審理すべきことが現にある場合,あなた方は,会衆の中で見下げられている人々を裁きの座に着かせるのですか。
5 わたしは,あなた方を恥じさせるために話しています。あなた方の中に自分の兄弟たちの間を裁くことのできる賢い人が一人もおらず,
6 兄弟が兄弟と共に法廷へ,しかも不信者たちの前に行くというのはほんとうですか。
7 であれば,あなた方が互いに訴訟を起こしていることは,実際のところ,あなた方にとって全くの敗北を意味しています。なぜむしろ害を受けるままにしておかないのですか。なぜむしろだまし取られるままにしておかないのですか。
8 その逆に,あなた方は害を加え,だまし取る,それも自分の兄弟たちに対してです。
9 あなた方は,不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者,
10 盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者はいずれも神の王国を受け継がないのです。
11 とはいえ,あなた方の中にはそのような人たちもいました。しかし,あなた方は洗われて清くなったのです。神聖な者とされたのです。わたしたちの主イエス・キリストの名において,またわたしたちの神の霊をもって,義と宣せられたのです。
12 わたしにとって,すべての事は許されています。しかし,すべての事が益になるのではありません。わたしにとって,すべての事は許されています。しかしわたしは,いかなるものにもその権威のもとに置かれたりはしません。
13 食物は腹のため,腹は食物のためです。しかし神はそれらを共に無に至らせられます。そこで,体は淫行のためではなく,主のためにあるのです。そして主は体のためにあります。
14 しかし,神はご自分の力によって主を[死]からよみがえらせましたし,わたしたちをもよみがえらせてくださるのです。
15 あなた方は,自分の体がキリストの肢体であることを知らないのですか。では,わたしはキリストの肢体を取り去って,それを娼婦の肢体とするのですか。断じてそのようなことはないように! 
16 あなた方は,娼婦と一緒になる者が一体となることを知らないとでもいうのですか。「二人は一体となる」と言っておられるのです。
17 しかし,主と一緒になる人は一つの霊となるのです。
18 淫行から逃げ去りなさい。人が犯すほかの罪はすべてその体の外にありますが,淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです。
19 あなた方の体が,あなた方の内にある聖霊の神殿であることを知らないとでもいうのですか。その[聖霊]はあなた方が神から受けているものです。また,あなた方は自分自身のものではありません。
20 あなた方は代価をもって買われたからです。どうあっても,あなた方の体によって神の栄光を表わしなさい。

7章
さて,あなた方が書いてきた事柄についてですが,男は女に触れないのがよいことです。
2 しかし,淫行がはびこっていますから,男はおのおの自分の妻を持ち,女はおのおの自分の夫を持ちなさい。
3 夫は妻に対してその当然受けるべきものを与えなさい。また妻も夫に対して同じようにしなさい。
4 妻は自分の体に関して権限を行使するのではなく,夫がそうするのです。同じように,夫も自分の体に関して権限を行使するのではなく,妻がそうするのです。
5 互いに[それを]奪うことがないようにしなさい。ただし,定められた時のあいだ相互に同意し,祈りに時をささげて,そののち再び共になる場合は別です。これは,あなた方の自己抑制が欠けていることのゆえに,サタンがあなた方を誘惑しつづけることのないためです。
6 しかしながら,わたしがこう言うのは譲歩としてであって,命令としてではありません。
7 それにしても,わたしは,すべての人がわたしのようであればと願います。しかしやはり,人はそれぞれ,ある人はこのように,他の人はかのようにと,神から自分の賜物を受けています。
8 さて,結婚していない人たちとやもめたちに言いますが,わたしと同じように,そのままでいるのはよいことです。
9 しかし,自制できないなら,その人たちは結婚しなさい。[情欲に]燃えるよりは結婚するほうが良いからです。
10 結婚している人たちにわたしは指示を与えます。といっても,わたしではなく,主が[与えるの]ですが,妻は夫から離れるべきではありません。
11 しかし,もしも離れるようなことがあるなら,結婚しないでいるか,さもなければ夫と和解しなさい。夫も妻を去るべきではありません。
12 しかし,他の人たちにわたしは言います。そうです,主ではなく,わたしが[言い]ます。ある兄弟に信者でない妻がいて,彼女が[夫]と共に住むことを快く思っているなら,その人は[妻]を去ってはなりません。
13 また,信者でない夫のいる女は,彼が[妻]と共に住むことを快く思っているなら,彼女は夫を去ってはなりません。14 信者でない夫は妻との関係で神聖なものとされ,信者でない妻は兄弟との関係で神聖なものとされているからです。そうでなければ,あなた方の子供は実際には清くないことになります。でも今,彼らは聖なる者なのです。
15 しかし,信者でない人が離れて行くなら,その離れるにまかせなさい。兄弟にせよ姉妹にせよ,そうした事情のもとでは隷属の身ではありません。神はあなた方を平和へと召されたのです。
16 というのは,妻よ,あなたは夫を救えないとどうして分かるのですか。また,夫よ,あなたは妻を救えないとどうして分かるのですか。
17 ただ各人は,エホバがそれぞれに与えてくださったところに応じ,神に召されたとおりに歩みなさい。そして,わたしはすべての会衆でこのように定めているのです。
18 割礼を受けてから召された人がいますか。その人は無割礼になってはなりません。無割礼のままで召された人がいますか。その人は割礼を受けてはなりません。
19 割礼には何ら意味がなく,無割礼にも何の意味もありません。ただ神のおきてを守り行なうこと[に意味があるのです]。
20 どんな状態で召されたにしても,各自それにとどまっていなさい。
21 あなたは奴隷の時に召されましたか。そのことで思い悩むことはありません。ですが,自由になることもできるなら,むしろその機会をとらえなさい。
22 主にある人で奴隷の時に召された人は主の自由民だからです。同じように,自由な人の時に召された人はキリストの奴隷です。
23 あなた方は代価をもって買われたのです。もう人間の奴隷となってはなりません。
24 兄弟たち,どんな状態で召されたにしても,各自神と結ばれて,それにとどまっていなさい。
25 さて,童貞の人について,わたしは主から何の命令も受けていませんが,忠実であるよう主から憐れみを示された者として,わたしの意見を述べます。
26 それで,現状による必要性を考慮して,わたしは次のことがよいと考えます。人は今あるままでいるのがよいということです。
27 あなたは妻につながれていますか。放たれることを求めてはなりません。あなたは妻から解かれていますか。妻を求めてはなりません。
28 しかし,たとえ結婚したとしても,それは罪を犯すことではありません。そして,童貞の人が結婚したとしても,その人は罪を犯すことにはなりません。しかしながら,そうする人たちは自分の肉身に患難を招くでしょう。しかしわたしは,あなた方が[それに]遭わないですむようにしているのです。
29 さらに,兄弟たち,わたしは,残された時は少なくなっている,という点を言います。今後,妻を持っている者は持っていないかのようになりなさい。
30 また,泣く者は泣かない者のように,歓ぶ者は歓ばない者のように,買う者は所有していない者のように,
31 世を利用している者はそれを十分に用いていない者のようになりなさい。この世のありさまは変わりつつあるからです。
32 実際わたしは,あなた方に思い煩いがないようにと願っているのです。結婚していない男子は,どうしたら主の是認を得られるかと,主の事柄に気を遣います。
33 一方,結婚している男子は,どうしたら妻の是認を得られるかと,世の事柄に気を遣い,
34 彼は分かたれるのです。さらに,結婚していない女,および処女は,主の事柄に気を遣い,自分の体と霊の両面で聖なる者であろうとします。しかしながら,結婚している女は,どうしたら夫の是認を得られるかと,世の事柄に気を遣います。
(つまり、パウロは結婚している夫婦は「世間体を気にする」と述べているのです。
 こうしたことは、いわゆる事物の体制に合わせて形作られるということです)

35 しかし,わたしがこれを言うのは,あなた方自身の益のためであって,あなた方に輪なわを掛けるためではありません。あなた方を,ふさわしい事柄へ,また気を散らすことなく絶えず主に仕えられるような事柄へと動かすためなのです。
36 しかし,人が自分の童貞性にふさわしくない振る舞いをしていると考え,若さの盛りを過ぎており,しかもそれが当然の道であれば,その人は自分の望むことを行ないなさい。その人は罪をおかすわけではありません。その人たちは結婚しなさい。
37 しかし,心の中でしっかりと定めており,必要もなく,自分の意志を制することができ,童貞性を守ろうと自らの心の中で決めているのであれば,その人はりっぱに行動していることになります。
38 したがって,結婚して自分の童貞性を離れる人もりっぱに行動していますが,結婚しないで,それを離れない人は,さらにりっぱに行動していることになります。
39 妻は夫が生きている間はずっとつながれています。しかし,もし夫が[死の]眠りにつくことがあれば,彼女は自分の望む者と自由に結婚できます。ただし主にある[者と]だけです。
40 しかし,わたしの意見では,彼女はそのままでいたほうが幸福です。わたしは自分も神の霊を持っていると確かに考えています。

8章
さて,偶像にささげられた食物についてですが,わたしたちは,自分たちがみな知識を持っていることを知っています。知識は[人を]思い上がらせるのに対し,愛は[人を]築き上げます。
2 自分はあることについて知識を習得したと考える人がいるなら,その人はまだ,知るべきほどにも[それを]知っていません。
3 しかし,人が神を愛しているなら,その人は[神]に知られているのです。
4 さて,偶像にささげられた食物を食べることについてですが,わたしたちは,偶像が世にあって無きに等しいものであること,また,神はただひとりのほかにはいないことを知っています。
5 多くの「神」や多くの「主」がいるとおり,天にであれ地にであれ「神」と呼ばれる者たちがいるとしても,
6 わたしたちには父なるただひとりの神がおられ,この方からすべてのものが出ており,わたしたちはこの方のためにあるのです。また,ひとりの主,イエス・キリストがおられ,この方を通してすべてのものがあり,わたしたちもこの方を通してあるのです。
7 しかしながら,すべての人にこの知識があるわけではありません。ある人々はこれまで偶像に慣れてきたので,偶像に対する犠牲の捧げ物として食物を食べ,こうして彼らの良心は弱いために汚されます。
8 しかし,食物がわたしたちを神に推賞するのではありません。食べなくても後れをとるわけではなく,食べたからといって誉れになるわけでもありません。
9 しかし,あなた方のこの権限が,弱い人たちを何かのことでつまずかせるものとならないよういつも見守っていなさい。
10 知識を持つあなたが偶像の神殿で食事の席に着いて横になって食事をしているのをもしもだれかが見れば,その弱い人の良心は築き上げられ,偶像にささげられた食物を食べるまでになってしまわないでしょうか。
11 実際には,あなたの知識によって,その弱い人が,すなわちキリストがそのために死んでくださった[あなたの]兄弟が破滅に陥っているのです。
12 しかし,こうして自分の兄弟に対して罪をおかし,彼らの弱い良心を傷つけるなら,あなた方はキリストに対して罪をおかしていることになります。
13 それで,食物がわたしの兄弟をつまずかせるなら,わたしはもはや二度と肉を食べません。わたしの兄弟をつまずかせないためです。

9章
わたしは自由ではないのですか。わたしは使徒ではないのですか。わたしは,わたしたちの主イエスを見たのではないのですか。あなた方は,主にあるわたしの業ではないのですか。
2 わたしはほかの人たちに対しては使徒ではないとしても,あなた方に対しては確かにそうです。あなた方は,主との関連においてわたしの使徒職を確認する証印なのです。
3 わたしを調べる人たちに対するわたしの弁明は次のとおりです。
4 わたしたちには飲食する権限があるのではありませんか。
5 わたしたちには,ほかの使徒や主の兄弟たち,またケファと同じように,姉妹を妻として連れて歩く権限があるのではありませんか。
6 また,[世俗の]仕事をやめる権限がないのは,バルナバとわたしだけなのですか。
7 自費で兵士として仕えたりするのはいったいだれでしょうか。だれがぶどう園を設けてその実を食べないでしょうか。また,だれが[羊の]群れを牧してその群れの乳にあずからないでしょうか。
8 わたしはこれらのことを人間的な標準で話しているのでしょうか。律法もそう言っているのではありませんか。
9 モーセの律法の中に,「脱穀している牛にくつこを掛けてはならない」と書かれているのです。神が気にかけておられるのは牛のことですか。それとも,専らわたしたちのためにそう言われるのですか。
10 まさにわたしたちのためにそれは書かれたのです。すき返す者は希望をもってすき返し,脱穀する者はそれにあずかる希望をもってそうすべきだからです。
11 わたしたちが霊的なものをあなた方にまいたのであれば,肉体のためのものをあなた方から刈り取ったとしても,それが何か大それたことになるのでしょうか。
12 他の人たちがあなた方に対するこの権限にあずかっているのであれば,ましてわたしたちはそうしてよいのではありませんか。しかしそうではあっても,わたしたちはこの権限を利用しませんでした。かえって,わたしたちはすべての事を忍び,キリストについての良いたよりに何の妨げも来たさないようにしています。
13 あなた方は,神聖な務めを行なう人たちが神殿のものを食べ,絶えず祭壇のことに仕える者たちが祭壇と分け合う分を持つことを知らないのですか。
14 これと同じように,主はまた,良いたよりをふれ告げる者が良いたよりによって生活することを定められたのです。
15 しかしわたしは,こうした[備え]を何一つ利用したことがありません。事実,わたしはこれらのことを,自分の場合にそうなるようにと思って書いたのではありません。[そうする]くらいなら,むしろ死んだほうがわたしにとっては良いからです―わたしの誇る理由をだれもむなしくすることはできません! 
16 わたしが良いたよりを宣明しているとしても,それがわたしの誇る理由ではないのです。わたしにはその必要が課せられているからです。実際,もし良いたよりを宣明しなかったとすれば,わたしにとっては災いとなるのです! 17 もしこれを進んで行なえば,わたしには報いがあります。しかしそれを自分の意志に逆らってするとしても,わたしにはやはり家令の仕事が託されています。
18 では,わたしの報いとは何ですか。それは,良いたよりを宣明するに際し,良いたよりを価なしに提供し,良いたよりにおける自分の権限を乱用しないことです。
19 というのは,わたしはすべての人に対して自由ですが,できるだけ多くの人をかち得るために,自分をすべての人の奴隷としたからです。
20 こうしてわたしは,ユダヤ人に対してはユダヤ人のようになりました。ユダヤ人をかち得るためです。律法のもとにある人たちに対しては律法のもとにある者のようになりました。わたし自身は律法のもとにいませんが,こうして律法のもとにある人たちをかち得るためです。
21 律法のない人たちに対しては律法のない者のようになりました。自分は神に対して律法のない者ではなく,キリストに対して律法のもとにある者ですが,こうして律法のない人たちをかち得るためです。
22 弱い人たちに対しては弱い者となりました。弱い人たちをかち得るためです。わたしはあらゆる人に対してあらゆるものとなってきました。何とかして幾人かでも救うためです。
23 わたしは良いたよりのためにすべての事をするのです。それを[他の人々]と分かち合う者となるためです。
24 競走の走者はみな走りはしますが,ただ一人だけが賞を受けることを,あなた方は知らないのですか。あなた方も,それを獲得するような仕方で走りなさい。
25 また,競技に参加する人は皆,すべてのことに自制を働かせます。もちろん彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが,わたしたちの場合は不朽の[冠のため]です。
26 ですから,わたしの走り方は[目標の]不確かなものではありません。わたしの打撃の仕方は空を打つようなものではありません。
27 むしろ,自分の体を打ちたたき,奴隷として引いて行くのです。それは,他の人たちに宣べ伝えておきながら,自分自身が何かのことで非とされるようなことにならないためです。

10章
さて,兄弟たち,あなた方に知らずにいて欲しくないことですが,わたしたちの父祖はみな雲の下にあり,みな海の中を通り,
2 みな雲と海とによってモーセへのバプテスマを受けました。
3 そして,みな同じ霊的な食物を食べ,
4 みな同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らはいつも,自分たちに付いて来た霊的な岩塊から飲んだのです。その岩塊はキリストを表わしていました。
5 それにもかかわらず,彼らの大多数に対して,神はご自分の是認を表明されませんでした。彼らは荒野で倒されたのです。
6 さて,これらの事はわたしたちに対する例となりました。それは,わたしたちが,彼らが欲したように害になる事柄を欲する者とならないためです。
7 また,彼らのうちのある者たちのように,偶像を礼拝する者となってはなりません。「民は腰を下ろして食べたり飲んだりし,また立ち上がって打ち興じた」と書かれています。
8 また,彼らのうちのある者たちが淫行を犯したように,淫行を行なうことがないようにしましょう。彼らは一日に二万三千人が倒れる結果になりました。
9 またわたしたちは,彼らのうちのある者たちが試みたように,エホバを試みたりはしないようにしましょう。彼らは蛇によって滅びる結果になりました。
10 また,彼らのうちのある者たちがつぶやいたように,つぶやく者となってはなりません。彼らは滅ぼす者によって滅びる結果になりました。
11 さて,これらの事は例として彼らに降り懸かったのであり,それが書かれたのは,事物の諸体制の終わりに臨んでいるわたしたちに対する警告のためです。
12 それで,立っていると思う人は,倒れることがないように気をつけなさい。
13 人に共通でない誘惑があなた方に臨んだことはありません。しかし,神は忠実であられ,あなた方が耐えられる以上に誘惑されるままにはせず,むしろ,あなた方がそれを忍耐できるよう,誘惑に伴って逃れ道を設けてくださるのです。
14 ですから,わたしの愛する人たち,偶像礼拝から逃げ去りなさい。
15 わたしは,識別力のある人たちに対するように話します。わたしの言うこと[の意味]を自分で判断してください。
16 わたしたちが祝福する祝福の杯,それはキリストの血を分け持つことではありませんか。わたしたちが割くパン,それはキリストの体を分け持つことではありませんか。
17 パンは一つですから,わたしたちも,たとえ大勢いるにしても,一つの体なのです。わたしたちは皆,その一つのパンに共にあずかっているからです。
18 肉的な面でのイスラエルを見てください。犠牲のものを食べる人は,祭壇と分け合う者となるのではありませんか。
19 では,わたしは何と言うべきなのですか。偶像に犠牲としてささげられるものには何か意味がある,また,偶像には何か意味がある,と[言うべき]でしょうか。
20 いいえ,そうではありません。諸国民が犠牲としてささげるものは,悪霊に犠牲としてささげるのであって,神に[ささげるの]ではない,と言うのです。それでわたしは,あなた方が悪霊と分け合う者となることを望まないのです。

21 あなた方はエホバの杯と悪霊の杯を共に飲むことはできません。「エホバの食卓」と悪霊の食卓に同時にあずかることはできないのです。
22 それとも,「わたしたちはエホバにねたみを起こさせるのですか」。わたしたちのほうが強いわけではないでしょう。
23 すべての事は許されています。しかし,すべての事が益になるわけではありません。すべての事は許されています。しかし,すべての事が築き上げるわけではありません。
24 おのおの自分の[益]ではなく,他の人の[益]を求めてゆきなさい。
25 何でも肉市場で売っているものは,あなた方の良心のために,何も尋ねないで今後も食べなさい。
26 「地とそれに満ちるものとはエホバのもの」だからです。
27 不信者のだれかがあなた方を招き,あなた方が行きたいと思う場合,自分の良心のために,何も尋ねることなく,何でも自分の前に出される物を食べなさい。
28 しかし,もしもだれかが,「これは犠牲としてささげられたものです」とあなた方に言うなら,そのことを明かした人のために,また良心のために,それを食べてはなりません。
29 「良心」とわたしが言うのは,あなた自身のではなく,相手の人の[良心]のことです。というのは,わたしの自由がほかの人の良心によって裁かれるということが,どうしてあってよいでしょうか。
30 わたしが感謝を抱いてあずかっているのであれば,わたしが感謝をささげているものについて,なぜあしざまに言われるべきでしょうか。
31 ですから,あなた方は,食べるにしても,飲むにしても,あるいはほかのどんなことをするにしても,すべての事を神の栄光のためにしなさい。
32 ユダヤ人にも,またギリシャ人にも,そして神の会衆に対しても,つまずきのもととならないようにしなさい。
33 わたしがすべての事においてすべての人を喜ばせ,自分の益ではなく多くの人の[益]を求め,こうして彼らが救われるようにしているのと同様です。

11章
わたしがキリストに[見倣う者]であるように,わたしに見倣う者となりなさい。
2 さて,あなた方がすべてにおいてわたしのことを思いに留め,また,わたしが伝えたそのとおりに伝統をしっかり守っているので,わたしはあなた方をほめます。
3 しかし,あなた方に次のことを知って欲しいと思います。すべての男の頭はキリストであり,女の頭は男であり,キリストの頭は神です。
4 だれでも,自分の頭に何かを着けて祈ったり預言したりする男は,自分の頭を辱めることになります。
5 しかし,だれでも,自分の頭を覆わないで祈ったり預言したりする女は,自分の頭を辱めることになります。それは,頭をそった[女]であるのと同じことだからです。
6 女が自分に覆いを着けないのなら,その髪を切るべきなのです。しかし,女が髪を切ったりそったりするのが恥ずべきことであるなら,自分に覆いを着けなさい。
7 男は自分の頭を覆うべきではありません。彼は神の像また栄光だからです。しかし,女は男の栄光なのです。
8 男は女から出ているのではなく,女が男から出ているからです。
9 そのうえ,男は女のために創造されたのではなく,女が男のために[創造された]のです。
10 それゆえに,女はみ使いたちのために自分の頭に権威のしるしを着けるべきです。
11 加えて,主にあっては,女も男なしにあるのではなく,男も女なしにあるのではありません。
12 女が男から出ているのと同じように,男も女を通してあるからです。しかし,すべてのものは神から出ているのです。
13 あなた方自身で判断してください。女が覆いをしないで神に祈るのはふさわしいことでしょうか。
14 自然そのものもあなた方に教えてはいないでしょうか。男が長い髪をしていれば,それは彼にとって不名誉なことですが,
15 女が長い髪をしていれば,それは彼女にとって栄光であるということを。[女]の髪は頭飾りの代わりに与えられているからです。
16 しかし,何かほかの習慣を支持する人がいるようであっても,わたしたちにはこれ以外の[習慣]はありませんし,神の諸会衆にもありません。
17 しかし,こうした指示を与えながら,わたしはあなた方をほめません。あなた方の集い合うことが,いっそう良い結果ではなく,いっそう悪い結果になっているからです。
18 それはまず,会衆に集まるとき,あなた方の間に分裂があるためだと聞いています。そして,わたしはある程度それを信じます。
19 あなた方の間には派もあるに違いないからですが,それは,是認される人たちがあなた方の間で明らかになるためでもあります。
20 こうして,あなた方は一つの場所に集まっても,主の晩さんを食べることができません。
21 あなた方が[それを]食べるとき,各自自分の晩さんを前もって取るので,ある者は空腹で,ある者は酔っているという状態だからです。
22 あなた方には食べたり飲んだりするための家があるはずではありませんか。それとも,あなた方は神の会衆を軽んじ,何も携えていない人たちに恥ずかしい思いをさせるのですか。わたしはあなた方に何と言いましょうか。あなた方をほめるべきでしょうか。このことについては,わたしはあなた方をほめません。
23 わたしは,自分が主から受けたこと,それをあなた方に伝えたのです。すなわち,主イエスは,渡されようとしていた夜,ひとつのパンを取り,
24 感謝をささげてからそれを割き,こう言われました。「これはあなた方のためのわたしの体を表わしています。わたしの記念としてこれを行なってゆきなさい」。
25 晩さんをすませた後,杯についても同じようにして,こう言われました。「この杯はわたしの血による新しい契約を表わしています。それを飲むたびに,わたしの記念としてこれを行なってゆきなさい」。
26 このパンを食べ,この杯を飲むたびに,あなた方は主の死をふれ告げてゆくのであり,それは彼が到来する時にまで及ぶのです。
27 そのようなわけで,だれでも,ふさわしくない仕方でパンを食べたり主の杯を飲んだりする人は,主の体と血に関して罪を負うことになります。
28 人はまず自分をよく吟味して確かめ,こうして後にパンから取って食べ,また杯から飲みなさい。
29 食べまた飲む人は,もしその体をわきまえないなら,自分に対する裁きを食べまた飲むことになるのです。
30 そのために,あなた方の中には弱くて病みがちな人が多くおり,相当数の者は[死の]眠りについています。
31 しかし,自分自身がどのような者であるかをわきまえるなら,わたしたちは裁きを受けることはないでしょう。
32 しかし,裁きを受けるとき,わたしたちはエホバから懲らしめを受けているのであり,それは,わたしたちが世と共に罪に定められることのないためです。
33 そのようなわけで,わたしの兄弟たち,[それを]食べるために集まる際には,互いに待ち合わせなさい。
34 空腹な人がいるなら,その人は家で食事をし,あなた方が裁きのために集まるというようなことがないようにしなさい。しかし,その他の事柄は,わたしがそちらに着いたときに整理します。

12章
さて,兄弟たち,霊の賜物について,あなた方に知らずにいて欲しくありません。
2 あなた方も知るとおり,諸国民の者であった時,あなた方はただ導かれるままに,声のない偶像のもとへと導かれていました。
3 それで,あなた方に知らせておきたいと思うのは,神の霊によって話しているなら,だれも,「イエスはのろわれている!」とは言わず,聖霊によるのでなければ,だれも,「イエスは主である!」とは言えない,という点です。
4 さて,賜物はさまざまですが,霊は同じです。
5 奉仕の務めはさまざまでも,主は同じです。
6 働きはさまざまでも,すべての人の中であらゆる働きをされる神は同じです。
7 しかし,霊の顕現は,有益な事柄を目的として各々に与えられます。
8 たとえば,ある人には霊によって知恵のことば,ある人には同じ霊にしたがって知識のことば,
9 ある人には同じ霊によって信仰,ある人にはその一つの霊によっていやしの賜物,
10 さらにある人には強力な業の働き,ある人には預言すること,ある人には霊感のことばを識別する力,ある人には種々の異言,そしてある人には異言を解釈する力が与えられています。
11 しかし,これらのすべての働きを同一の霊が行なうのであり,その欲するとおりに各々に分配するのです。
12 体は一つであっても多くの肢体に分かれており,また体の肢体は多くあっても,その全部が一つの体を成しますが,キリストもそれと同じなのです。
13 まさしくわたしたちは,ユダヤ人であろうとギリシャ人であろうと,奴隷であろうと自由であろうと,みな一つの霊によって一つの体へのバプテスマを受け,みな一つの霊を飲むようにされたからです。
14 実際,体は一つの肢体ではなく,多くの[肢体]です。
15 たとえ足が,「わたしは手ではないから,体の一部ではない」と言ったとしても,そのためにそれが体の一部でないというわけではありません。
16 また,たとえ耳が,「わたしは目ではないから,体の一部ではない」と言ったとしても,そのためにそれが体の一部でないというわけではありません。
17 もし全身が目であったなら,聴覚はどこなのですか。それが聴くことばかりであったなら,においをかぐことはどこなのですか。
18 しかし今,神は体に肢体を,その各々を,ご自分の望むままに置かれたのです。
19 もしそのすべてが一つの肢体であったなら,体はどこにあるのでしょうか。
20 しかし今,それは多くの肢体であり,それでもなお一つの体です。
21 目は手に向かって,「わたしにあなたは必要でない」とは言えず,頭も足に向かって,「わたしにあなた方は必要でない」とは[言えません]。
22 それどころか,実際には,体の中で[ほか]より弱く見える肢体がかえって必要なのであり,
23 また,体の中で[ほか]より誉れが少ないと思える部分,これをわたしたちはより豊かな誉れをもって包みます。こうしてわたしたちの見栄えのしない部分に[他]より豊かな麗しさが添えられ,
24 一方,麗しい部分は何も必要としません。しかしそうではあっても,神が体を組み立てたのであり,欠けたところのある部分に誉れをより豊かに与えて,
25 体に分裂がないように,その肢体が互いに対して同じ気づかいを示すようにされました。
26 それで,一つの肢体が苦しめば,ほかのすべての肢体が共に苦しみ,ひとつの肢体が栄光を受ければ,ほかのすべての肢体が共に歓ぶのです。
27 さて,あなた方はキリストの体であって,それぞれが肢体です。
28 そして神は会衆内にそれぞれの人を置かれました。第一に使徒,第二に預言者,第三に教える者,次いで強力な業,次いでいやしの賜物,助けになる奉仕,指揮する能力,種々の異言です。
29 すべてが使徒ではないでしょう。すべてが預言者ではないでしょう。すべてが教える者ではないでしょう。すべてが強力な業をするわけではないでしょう。
30 すべてがいやしの賜物を持つわけではないでしょう。すべてが異言を話すわけではないでしょう。すべてが翻訳者ではないでしょう。
31 それでも,より大きな賜物を熱心に求めてゆきなさい。ですが,わたしはさらに勝った道をあなた方に示します。

13章
たとえわたしが人間やみ使いの[いろいろな]ことばを話しても,愛がなければ,音を立てる[一片の]しんちゅうか,ただ鳴り響くシンバルとなっています。
2 そして,たとえ預言[の賜物]を持ち,すべての神聖な奥義とすべての知識に通じていても,また,たとえ山を移すほどの全き信仰を持っていても,愛がなければ,何の価値もありません。
3 そして,ほかの人たちに食物を与えるために自分のすべての持ち物を施しても,また,自分の体を渡して自分を誇れるようにしたとしても,愛がなければ,わたしには何の益にもなりません。
4 愛は辛抱強く,また親切です。愛はねたまず,自慢せず,思い上がらず,
5 みだりな振る舞いをせず,自分の利を求めず,刺激されてもいら立ちません。傷つけられてもそれを根に持たず,
6 不義を歓ばないで,真実なことと共に歓びます。
7 すべての事に耐え,すべての事を信じ,すべての事を希望し,すべての事を忍耐します。
8 愛は決して絶えません。それに対し,預言[の賜物]があっても,それは廃され,異言があっても,それはやみ,知識があっても,それは廃されます。
9 わたしたちの知識は部分的なものであり,預言も部分的なものだからです。
10 全きものが到来すると,部分的なものは廃されるのです。
11 わたしがみどりごであった時には,みどりごのように話し,みどりごのように考え,みどりごのように論じていました。しかし,大人となった今,みどりごの[時の]ことをやめたのです。
12 現在わたしたちは金属の鏡でぼんやりした輪郭を見ていますが,その時には顔と顔を向かい合わせて[見るの]です。現在わたしが知っているのは部分的なことですが,その時には,自分が正確に知られているのと同じように,正確に知ることになります。
13 しかし今,信仰,希望,愛,これら三つは残ります。しかし,このうち最大のものは愛です。

14章 略
15章
さて,兄弟たち,わたしはあなた方に良いたよりを知らせます。それはわたしがあなた方に宣明したもの,またあなた方が受け入れたものであり,あなた方はまたその中に立ち,
2 それにより,わたしがあなた方に良いたよりを宣明したそのことばをもって救われつつあります。もしあなた方がそれをしっかりと守っているなら,実際,いたずらに信者となったのでなければですが。
3 というのは,わたしは,最初の事柄の中で,[次の]ことをあなた方に伝えたからです。それは自分もまた受けたことなのですが,キリストが聖書にしたがってわたしたちの罪のために死んでくださった,ということです。
4 そして,葬られたこと,そうです,聖書にしたがって三日目によみがえらされたこと,
5 さらに,ケファに現われ,次いで十二人に[現われた]ことです。
6 そののち彼は一度に五百人以上の兄弟に現われました。その多くは現在なおとどまっていますが,[死の]眠りについた人たちもいます。
7 そののち彼はヤコブに,次いですべての使徒たちに現われました。
8 しかし,すべての者の最後として,あたかも月足らずで生まれた者に対するかのように,わたしにも現われてくださいました。
9 わたしは使徒のうち最も小さな者で,使徒と呼ばれるに値しないのです。わたしは神の会衆を迫害したからです。10 しかし,わたしが今あるのは,神の過分のご親切によります。そして,わたしに対するその過分のご親切は無駄になりませんでした。かえって,わたしは彼らすべてより多く労しました。といっても,それはわたしではなく,わたしと共にある神の過分のご親切です。
11 しかし,わたしにせよ彼らにせよ,このように宣べ伝えているのであり,あなた方はこのように信じたのです。
12 ところが,キリストは死人の中からよみがえらされたと宣べ伝えられているのに,あなた方のうちのある人たちが,死人の復活などはないと言っているのはどうしてですか。
13 実際,もし死人の復活ということがないのであれば,キリストもよみがえらされなかったことになります。
14 そして,もしキリストがよみがえらされなかったとすれば,わたしたちの宣べ伝える業はほんとうに無駄であり,わたしたちの信仰も無駄になります。
15 その上,わたしたちは神の偽りの証人ともなります。[神]はキリストをよみがえらせたと,神に逆らって証しをしてきたことになるからであり,死人が実際にはよみがえらされないのであれば,彼をよみがえらせることもされなかったからです。
16 死人がよみがえらされないのであれば,キリストもよみがえらされなかったのです。
17 さらに,キリストがよみがえらされなかったのであれば,あなた方の信仰は無駄になります。あなた方はまだ自分の罪のうちにあることになります。
18 また,キリストと結ばれて[死の]眠りについた者たちは,実際には滅びてしまったことになります。
19 今の命でキリストに望みをかけてきたことがすべてであれば,わたしたちはあらゆる人の中で最も哀れむべき者となります。
20 しかしながら,今やキリストは死人の中からよみがえらされ,[死の]眠りについている者たちの初穂となられたのです。
21 死がひとりの人を通して来たので,死人の復活もまたひとりの人を通して来るのです。
22 アダムにあってすべての人が死んでゆくのと同じように,キリストにあってすべての人が生かされるのです。
23 しかし,各々自分の順位にしたがっています。初穂なるキリスト,その後,その臨在の間に,キリストに属する者たちです。
24 次いで終わりとなります。その時,彼は王国を自分の神また父に渡します。その時,彼はあらゆる政府,またあらゆる権威と力を無に帰せしめています。
25 [神]がすべての敵を彼の足の下に置くまで,彼は王として支配しなければならないのです。
26 最後の敵として,死が無に帰せしめられます。
27 [神]は「すべてのものを彼の足の下に服させた」からです。しかし,『すべてのものが服させられた』と言うとき,すべてのものを彼に服させた方が含まれていないのは明白です。
28 しかし,すべてのものが彼に服させられたその時には,み子自身も,すべてのものを自分に服させた方に自ら服し,こうして,神がだれに対してもすべてのものとなるようにするのです。
29 そうでなければ,死んだ者[となる]ためにバプテスマを受けている者たちは,何をしていることになりますか。死人のよみがえらされることが決してないのであれば,なぜ彼らはそのような者[となる]ためにバプテスマを受けたりするのですか。
30 なぜわたしたちはまた刻々危難に遭っているのですか。
31 わたしは日ごとに死に面しているのです。兄弟たち,わたしたちの主キリスト・イエスにあってわたしが抱く,あなた方についての歓喜にかけて,このことを確言します。
32 わたしがエフェソスで,人間がするようにして野獣と戦ったのであれば,それはわたしにとって何の益になるでしょうか。もし死人がよみがえらされないのであれば,「ただ食べたり飲んだりしよう。明日は死ぬのだから」[ということになります]。
33 惑わされてはなりません。悪い交わりは有益な習慣を損なうのです。
34 義にしたがって酔いから覚めなさい。罪を習わしにしてはなりません。神についての知識を持たない人たちがいるからです。わたしはあなた方を恥じさせるために話しています。
35 しかしながら,「死人はどのようによみがえらされるのか。いったいどんな体でやって来るのか」と言う人がいることでしょう。
36 道理をわきまえない人よ! あなたのまくものは,まず死ななければ,生きたものになりません。
37 そして,あなたがまくものについて言えば,後にできる体ではなく,ただの種粒をまくのです。それは小麦,あるいはほかの何かでしょう。
38 しかし神は,ご自分の喜びとなるとおりにそれに体を与え,種の一つ一つにそれ自身の体を[与え]られます。
39 すべての肉が同じ肉ではなく,人間の[肉]があり,また畜類の肉があり,また鳥の肉があり,また魚の[肉]があります。
40 そして,天的な体と地的な体があります。しかし,天的な体の栄光は一つの種類であり,地的な体の[栄光]は別の種類です。
41 太陽の栄光は一つの種類であり,月の栄光はまた別であり,星の栄光はまた別です。事実,星は他の星と栄光の点で異なります。
42 死人の復活についてもこれと同じです。朽ちる様でまかれ,朽ちない様でよみがえらされます。
43 不名誉のうちにまかれ,栄光のうちによみがえらされます。弱さのうちにまかれ,力のうちによみがえらされます。
44 物質の体でまかれ,霊的な体でよみがえらされます。物質の体があるなら,霊的な[体]もあります。
45 まさにそう書かれています。「最初の人アダムは生きた魂になった」。最後のアダムは命を与える霊になったのです。
46 とはいえ,最初のものは霊的なものではなく,物質のものであり,後に霊的なものとなります。
47 最初の人は地から出て塵で造られており,第二の人は天から出ています。
48 塵で造られた者たちは塵で造られた者のようであり,天的な者たちは天的な者のようです。
49 そして,わたしたちは,塵で造られた者の像を帯びてきたように,また天的な者の像を帯びるのです。
50 また,兄弟たち,わたしはこのことを言います。肉と血は神の王国を受け継ぐことができず,朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはありません。
51 ご覧なさい,わたしはあなた方に神聖な奥義を告げます。わたしたちはみな[死の]眠りにつくのではありませんが,わたしたちはみな変えられるのです。
52 一瞬に,またたくまに,最後のラッパの間にです。ラッパが鳴ると,死人は朽ちないものによみがえらされ,わたしたちは変えられるからです。
53 朽ちるものは不朽を着け,死すべきものは不滅性を着けねばならないのです。
54 しかし,[朽ちるものが不朽を着け,また]死すべきものが不滅性を着けたその時,「死は永久に呑み込まれる」と書かれていることばがそのとおりになります。
55 「死よ,お前の勝利はどこにあるのか。死よ,お前のとげはどこにあるのか」。
56 死を生み出しているとげは罪であり,罪のための力は律法です。
57 しかし,神に感謝すべきです。わたしたちの主イエス・キリストを通して勝利を与えてくださるからです!
58 こうして,わたしの愛する兄弟たち,あなた方の労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから,堅く立って,動かされることなく,主の業においてなすべき事を常にいっぱいに持ちなさい。

16章略

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監視カメラの設置に関して。

少し前までは監視カメラの設置に違和感がありましたが、今となっては必要不可欠のものとなりました。
それだけ、世の中油断も隙もあったものではなくなったからです。

公共施設や学校などに監視カメラを設置し、そこで行われていることを監視することは、現代では良いことです。
どこで何が行われているか不信感が多発しているからです。
信頼が行き届いている社会では必要ありませんが、犯罪が多発している現代ではあらゆる点で信頼が失われています。

 

監視カメラの問題点として挙げられている点はプライバシーに関することです。
監視されている場所でどのような振る舞いをするかは当人の問題です。
監視されている場合、そこにプライバシーは存在しないと認識する必要があるのです。
プライバシーが必要な場所には、普通は監視カメラを取り付けたりはしないものです。

例えば、家の中に秘密裏にカメラを仕掛けるなどの場合は、意図的なものです。
また、職場や学校などの更衣室などにもカメラを仕掛けることはありません。

一部問題とされている監視カメラに、プールの監視が挙げられています。
事故などを防ぐためには必要ですが、ある人たちはカメラに映った映像が流出することを恐れています。
学校の教師が生徒を盗撮する時代ですから、映像の流出も有り得ることです。
これは、管理体制を厳重にすることで大抵は防ぐことは出来ます。
必ず複数でカメラの操作や映像の保管、施錠などの管理を徹底することです。
また、もし誰かが映像を持ち出したとしても直ぐに分かるようなセキュリティ対策もしておくことです。

勿論、こうしたことを徹底するにはお金が掛かることです。
政府や自治体はこのための支援をすべきです。

社会の安全のために税金を使うことは当然のことです。

社会が急激に変化している現代は、いわば、文明の過渡期です。
いずれ社会の発展も殆どなくなり、落ち着く時が来ると思いますが、それまでは、すべてのものは「手探り状態」で闇雲に突き進んでいる状態です。
いつかは光明が差す時が来ると思います。
それは、社会の発展がピークに達し後、発展が停滞し、あの時がピークだったと自覚した時です。

現代は、安全やセキュリティーの面では、まだまだ進歩の余地が沢山あります。
もうこれで安全が確保されたと思うまでは試行錯誤は続くということです。

こうした背景にあるもの、それは、人は善いことも考えますが悪いことも考えるからです。

善いことを考える場合は優しさ、同情心が芽生えた時です。
聖書の中で霊の実として挙げられています。
22 一方,霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,
23 温和,自制です。このようなものを非とする律法はありません。-ガラテヤ5:22、23

善いことをする人は、常に心の中でこのようなことを考え、意識しているものです。

悪いことを考える場合は、欲、憎しみ、恨み、不公平、差別、怒り、悲しみなどの感情が芽生えた時です。
聖書の中で肉の業として挙げられています。
19 さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,
20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,
21 そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません。-ガラテヤ5:19-21

悪いことをする人は、
こうした事柄を自分の心の中から捨て去らないでいつまでも持ち続け、考え続けるので、その結果、人は意識してこれらの悪事を行うのです。

悪いことをする人は、大抵は自分の経験の中で嫌な体験があった場合が多いものです。
人は、自分に悪いことが起きない限り決して悪いことはしないものだからです。
悪事を働く人は、
いわば、社会や個人に対する「復讐」のような思いを抱いているということです。

そこで、こうした考えを改めるのに参考となる事柄を少し話します。

物事を前向きに考える場合は、積極的な気持ちが働いている時です。
 元気がある、問題を楽観的に考えている場合です。
 しかし、このような時には、逆にペースを落としゆっくりと、かつ、慎重にやる必要があります。
 失敗をする時には大抵このような時だからです。

物事を後ろ向きに考える場合は、消極的な気持ちが働いている時です。
 疲れている、問題が複雑で困難な場合です。
 このような場合は、その問題から一時的に離れて疲れを取ることです。
 元気が出れば、新しいアイデアも出て来て、再びやる気が出て来る場合もあります。
 このような時には大抵は失敗は余りしないものですが、必ずしも物事が上手く運ぶとは限りませ

 ん。
 そのため、時には忍耐や努力が必要な場合があります。

特に、対人関係で問題を解決することは難しいことです。
理屈で感情を抑えることが出来ないからです。

自分の感情を抑えることは難しいことですが、考えを改めそれを意識的に実行することで改善は出来ます。
例えば、怒らないと決めたら意識的に怒らないことです。
怒りたくなる原因とそれに対処する方法は、いわば、理屈です。
これでは感情を抑えることは難しいのです。
怒る原因となった事柄を考えるのではなく、怒る原因となった「人」のことを考えることです。
そのような人は、大抵、肉的な人であり、感情を露わにする愚かで愚鈍な者です。
賢い人は、このような人には近づかないし、分かったら離れ相手にはしないものです。
つまり、
一つの方法として、怒りたくなった原因を行った人を「愚鈍な者として切り捨て」深く考えないことです。
そして、何よりもそのような人には近づかないことです。

このように対処することで自分の中の嫌な気持ちを小さくすることが出来、引いては自分が悪事を働く場合の抑止となるのです。

人の性格を変えることは出来ませんが、訓練によってこのように改善することは出来るのです。

人の精神修養は「ある程度までは可能」です。
しかし、普通性格を全く変えることは不可能です。

自分の思いや考えを変えることは、大抵、経験しながら自ずと変化して行くものですが、中には全く変わらない人もいます。
そのような人は犯罪を犯す可能性の高い人です。

映画「マイノリティーレポート」の中なら、即逮捕拘禁となります。

悪いことをする人は、幼い時、小学生や中学生頃には既に兆候が表れているものです。
大抵は、鬱屈した感情を抱いている人です。
しかしながら、こうした感情を見分けることは出来ても「責める」ことは出来ません。
そのため、幼い時からこうした人を変えることは出来ないのです。
とどのつまり、人の悪事を防ぐ手段はないということになってしまいます。

そのため、冒頭で述べたように至る所に監視カメラを設置し監視する必要があるのです。

人の善意を期待することは出来ませんが、人の悪事に対して警戒をすることは出来ます
残念ながら、現代はこのような時代となってしまったのです。
その原因の一つは様々な便利グッズの登場です。
それらを悪用して悪事を働くのです。
つまり、現代は悪事をし易い環境にあるということです。
人間が科学や技術などでいろんな物を作り、また、いろんなことを知り過ぎたことも原因の一つなのです。
人は知らなければ悪いことをすることは殆どないのです。

  

あなたはどう思いますか?  

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今回はキリスト教の背教の拡大の原因と現在の政教分離及び弾圧や迫害の定義の話です。

イエスが地上にいた時には、背教や誤った考えはイエスによって正されました。
イエスが昇天した後は、使徒たちがそれを引継ぎました。
背教や分派などは当時からありましたが使徒たちがそれを正してきました
しかし、最後の使徒ヨハネが亡くなった後は、そのような人は一人もいなくなりました。

真のキリスト教が現代のようにおかしくなったのは、使徒たちが亡くなった後、様々な背教や分派が、あたかも雑草のように目を出し、様々な雑草がおのおの成長し大きくなったためであることは事実です。
初めはローマによる弾圧、迫害のため、目立った活動が制限されていたため背教や分派も抑えられていました。
しかし、その後ローマがキリスト教を容認し国教として取り入れてからは様相が変わって来ました。
そうです、キリスト教が世界中に広まった原因の一つは、ローマがキリスト教を取り入れたことに始まります
そのため、キリスト教と政治支配者との、いわば癒着が生まれ、時に支配者の任命に宗教が関わり、時に政治が宗教を利用し国民を抑え込もうとするということが歴史上続いて来ました。
ヨーロッパでキリスト教が主流になり、キリスト教の原点であるエルサレムがイスラム教に占拠されると、
ヨーロッパからいわゆる十字軍を派遣しイスラム教との戦いが起きました。
しかし、十字軍は勝利を収めることが出来なかったため、エルサレムにイスラム教のドームが建設され今日「異様な光景」を見せています。

エルサレムでは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が同居し互いに主張し合い妥協点を見いだそうとしています。
キリスト教にとってはこうした行いは背教そのものなのですが、行われているのです。

ローマがキリスト教を取り入れてからキリスト教の政治色が強くなって来ました
最も、顕著なのはイギリスの国王や女王の任命式にキリスト教が関わりその儀式を取り仕切っていることです。
アメリカ大統領の宣誓式では聖書に手を置いて宣誓をしています。
キリスト教の国々の多くはこのようではありませんが、キリスト教を国教としている国ではほとんどの人々はキリスト教徒です。
野蛮なアメリカやロシアでもそうです。
彼らはキリスト教の信者と言っても、形の上でのことで実際には聖書の教えやイエスの教えには全く従っていないのです。
カトリックの総本山のローマカトリックの教皇は最高権威者ですが、政治的影響力はあっても政治的力は殆どありません。
イギリス国教会は反カトリック、プロテスタントに属し、
ロシア正教会は正教会に含まれるが各国の正教会は各々独立した組織です。
アメリカ国民の25%がカトリックで、55%がプロテスタントだと言われていますが、アメリカ自体は政教分離を憲法で示している国です。
なのに、大統領の就任式での宣誓の時に聖書に手を置いて宣誓を行っているのです。
ロシアでは政府とロシア正教会は密接な関係にあります。
フランスは政教分離ですが、国民の多くはカトリックです。
日本も政教分離です。

日本では、宗教的帰属で見ると、神道の信者数が8790万人(48.5%)、仏教が8390万人(46.3%)、キリスト教が190万人(1%)、その他の宗教団体の信者730万人(4%)であり、「その他」の宗教および未登録の宗教団体には、イスラム教、バハーイー教、ヒンズー教、およびユダヤ教が含まれています。

数字の矛盾については、以下のように言われています。
統計は宗教団体の自発的協力によるもので、「信者」をどう定義するかも各団体まかせの自己申告制であり、かつては信者数の合計が2億人を上回ったこともあったと言われています。
もう一つは、日本人の宗教とのかかわり方にあります。
日本では、土着の原始宗教をベースとした神道と6世紀頃に大陸からもたらされた仏教信仰が交わり、明治政府が神仏分離令を出すまでの1000年以上に渡って「神仏習合」の時代が続いて来ました。
神道にも仏教にも明確な入信の儀式はないため、信者としての自覚がないまま、生活様式や季節の行事として人々の生活の中に宗教行事が根付いていることも要因の一つです。
このため、多くの日本人は、クリスマスイベントを楽しんだ一週間後の大晦日にはお寺で除夜の鐘をつき、年が明けると神社に初詣に行くことに違和感も罪悪感も感じていない人が殆どだと言えます。

結婚式は教会で挙げても、葬儀は仏式が殆どです。
自宅に仏壇と神棚の両方を備え、「寺の檀家」あり「神社の氏子」であることも珍しくはありません。
私の実家にも、仏壇と神棚が向かい合ってありました。
こうして、二重にカウントされている人が少なくないことが、人口よりも信者数が多くなる原因なのです。

ちなみに、全国の神社数は8万1158社、寺院は7万7256寺であり、日本の大手コンビニ3社(セブン-イレブン、ファミリーマート、ローソン)の全国の店舗数の合計は5万1366店舗であるとされていますので、神社や寺はコンビニよりも約2.5倍もあることになります。
日本のどこに行っても、神社や寺を見かけるのはこのためです。

報道によると、統一教会の信者数は約60万人となっていいます。(人口の約0.5%)
キリスト教の中のものみの塔の信者数は約21.4万人と言われています。(人口の約0.18%)
大きな大会や伝道活動などから、もっと多いかのように見えますが実際には非常に少ないことが分かります。

日本における政教分離の原則は、事柄の実質として、
①国家自身が宗教的活動を行うことの禁止と、
②国家が社会における宗教性を帯びた主体に対して援助を行うことの禁止
を指しています。

政教分離規定の主な目的及び根拠として、信教の自由の保障、宗教的マイノリティの地位の保護、宗教的課税からの自由の保障、宗教(宗教団体)の堕落の防止、政治的分断の防止、宗教の非政治争点化、統治の合理性の確保等が挙げられるとされています。
少なくとも、信教の自由を保障するための制度であるという点については合意が成立しているとの見解がなされています。

政教分離規定の法的性格をいわゆる制度的保障であるとしています。
制度的保障とは、個人の基本権を直接保障するのではなく、一定の既存の制度そのものについて、その本質内容を客観的に保障するものを言います。

いずれにしても、政教分離規定違反は直ちに憲法上の権利である信教の自由を侵害するものではなく、主観訴訟にはなじまず客観訴訟においてその是正を模索することになるとも言われています。
政教分離規定違反を裁判で争う場合、
地方公共団体の行為を争うときには、住民訴訟の制度を利用できますが、
国の行為に関しては同様の制度が存在しません。
このため、国の行為を争うときには、宗教的人格権という主観的権利の侵害があったという論理構成によって主観訴訟を提起するという方法がとられ、この場合、国家賠償請求訴訟を提起することになります。

どの国でも政教分離にしているのは、人間の政治に宗教(神など)を関与させないためであることが分かります。
政治的な物事に神を関与させると、人間はこれに太刀打ちが出来なくなる、つまり、国民を人間が支配したりコントロールすることが出来なくなるからです。
イスラム教の国々を見れば分かります。
宗教の考え、おきてなどが人間の考えを超越し国民にそれを強いているのです。
こうなると、いわゆる信教の自由などは存在しません
実際、イスラム教の国では信教の自由はありません。

しかし、現実に多くの人は宗教に入信していたり宗教の教えを念頭において活動しているものです。
こうしたことは政治家にも言えます。

また、天皇家の神事は宮内庁が取り仕切りますが、それは法律に定められており、税金で行われています。
つまり、一家の行事あたかも国家行事の一環のように行われているのです。
政治は、その神事に関わることはありませんが、政治が後ろ盾になっていることは事実です。

このように、何処の国でもこうしたことを行っています。

政治は人間社会のすべてに関わるものですから、時には宗教に深く関係することは当然あり得ることです。
ただ、政治が国民のそれ(特定の宗教)を禁止したり強いることがないというだけのことなのです。
また、政治が特定の宗教を保護したり支援したりすることもないということです。
それでも、いわゆる宗教法人には税金が課されることはありません。
ただし、政治は法律により特定の宗教を制限するなどのことは当然のこととして行われています。
旧統一教会の解散命令が良い例ですし、戦前にも日本ではキリスト教の信者が弾圧されてきました。

特定の宗教が社会に害を及ぼしたり、政治における不都合があれば当然政治はその宗教を取り締まることになります。
こうして、宗教に対する規制や弾圧が行われることになります。

政治におけるこうした行為は、いわば、他人の迷惑を考えずに好き勝手に振る舞う「者」を取り締まり規制することに似ています。

つまり、その宗教の行いが政策などに支障を来す場合に、政治がそれを抑制するために行うということです。

これを宗教団体から見れば弾圧だの迫害と非難しているのです。
ですから、政治のこうした行為が必ずしも弾圧とか迫害とは言えないということです。
国民の治安と平安を守る政府や政治としては当然のことをしているだけなのですが、宗教団体はそのように批判し自分たちの思うがままを行おうとすることが多いのです。

しかし、信者が増えるということ以外社会的弊害がないにも関わらず政治がその宗教を規制したり取り締まることは弾圧であり信者にとっては迫害となります。

戦国時代、織田信長はこうした一揆に脅威を覚え弾圧しました。
信者が増えその信者の主張が支配者や権力者と対立する場合、為政者にとっては彼らの行動が脅威となるのです。
当然と言えば当然の成り行きです。

つまり、宗教理念と権力者の理念が対立するのでこうしたことが起きるのです。

現代においては、政治力が宗教の力よりも大きいのでさほどの問題は何処の国でも起きてはいません。
時々、いわゆるカルト教団の非社会的行為が問題となるぐらいです。

知識や情報が氾濫している今日、益々、人々の心から宗教という「訳の分からない」「堅苦しい」ことが消えつつあるのも事実です。
そして、人々の心から道徳や宗教心を追い出し、その心を満たしているのが「欲望」「快楽」「自己満足」なのです。

こうした状態は、
人が神のようになって善悪を知るようになる」といって騙した悪魔の主張の結果なのです。
この悪魔の主張の間違いは、人は死なないというものでしたがアダム以来死なない人は一人もいません。
むしろ、生きているすべての人は必ず死ぬことを知っているのです。

神が人間を創造する以前、霊的な天では真の崇拝が完璧に行われていました。
にも拘わらず地球と人と地上と海の生き物を創造されたのは、霊的な天ではなく、地的物質的な世界でもこれを拡張させるためでもあったと思われます。
つまり、人間も天のみ使いたちのように神に完全に従うことで真の崇拝が行われるようにすることだったのです。
そして、地球上の様々な奇跡的な出来事を見て天のみ使いたちが神を賛美する光景が目に見えるようです。
人が自分の子供を作り家族が増えること、他の動植物についても同様で、こうしたことは霊的天ではないことです
また、み使いが食べたり飲んだり、また、休息を取り眠るということもありません。
更に、霊的天では、み使いがみ使いを支配するということは有り得ないことなのです。

もし、一人のみ使いの神に対する反逆行為がなければ、理想的な地球で人々は平和な暮らしを楽しんでいたのです。

今、地球上では多くの人々は様々な苦しみの中にいます
そのすべては、その発端が悪魔であったとしても、人間がしでかしていることです。
人は善悪を知る点で神のようにはなれなかったのです。
悪魔の主張は間違いだったのです。

人間にとっての救いは、神がこうした人が苦しむ地球を段階的に一掃し新しくし、真の崇拝を回復して下さることです。

イエスが地上に遣わされた目的は、真の崇拝における統治者としての人々を集め(神の王国の144000人)、地上に真の崇拝者だけを住まわせるためだったのです。

初めは、神自らが地を支配するものでしたが、人間が神に離反してからは、それをイエスと地から買い取られた神の王国に、一時的に委ねることで、その時に地に住んでいる人々の思いを今の時代の考え方から少しずつ変化させ、最終的にはその神の王国はいわゆる神の神殿となってみ使いのように永久に神の仕えるように変えられたのです

そうした変化はは一人のみ使いによる神に対する反逆によるものだったのです。
悪魔により、一度壊されたものを神は完璧な状態へと造り直すことにしたのです。

  

今はその途上にあるのです。
あなたは人間による将来に希望を託しますか、それとも、神による将来に希望を抱きますか?

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つぶやき-38(若者や夫婦の在り方に対する助言)の続きです。

夫婦互いの欲望を満たす相手でも互いに張り合う関係でもありません
互いに協力し合う関係なのです。
お互いが役割を分担し物事を上手く運ぶための協力し合う関係です。
どちらか一方に家族の負担を押し付けてはならないのです。

兎角、日本の社会では未だに封建的な考えが根強く、家長である夫が絶対君主のような振る舞いをする場合が見られることも良くあることです。

確かに、家長である夫には物事を決定する点で最も大きい責任を課せられていることは間違いありません
しかし、だからと言って、絶対君主のように振る舞って良いということにはなりません。

は、妻や子供たちの意見を聞き彼らの考えや思いを考慮する責任があります。
もし、妻や子供たちの考えや思いが間違ったものである場合は、それを正す責任も夫にはあるのです。
子供に対しては妻も同様の責任があります。

間違った考えや思いを正すと言っても、命令したり説得したりするのではなく正しい考えが出来るように納得させる責任があるということです。

こうしたことは普通、時間が掛かるものです。
急いで結論を出すことも時には必要かも知れませんが、根気よく時間を掛けて行うべき重大な事柄です。

現実を見ると、こうしたことを認識している夫婦は殆どおらず、ただ「その場しのぎ」でやっていることが多いものです。

そのため、家族に何らかの問題が発生した時に、中々問題が解決しないということがあるのです。

現実の生活では、各々自分の仕事をし家族での役割も果たしていますので、時にはいろんな問題が沢山出て来る時もあります。

特に、子供の進学や就職そして結婚などの節目の時には、目的は理解していますが現実にどうして良いか分からないということがあります。
夫婦としても人生で初めての経験が次々と出てくるのです。
一般的なのは、経験豊かな、信頼できる誰かに相談することですが、中々そのような人が身近にはいないものです。

今ではネットで相談できる場合もありますが、やはり、面と向かって相談するのとは勝手が違うのでしっくりこない場合が多いです。

また、夫もしくは妻の思い込みが強い場合もあり、この場合は殆ど解決の見込みはありません
そのため、このような場合はどちらかが譲歩したり寛容さを示すことが重要です。
意見が異なるからと言って、互いが気分を害したままで生活することは精神的な害となってしまいますので、
絶対こうした雰囲気は避けなければなりません。

しかしながら、こうした事態は良くある事柄です。
そのため、こうならないために、双方、もしくはどちらかが思慮分別を働かせる必要があるのです。

では、夫婦は一体どこでこうしたことを学ぶ、あるいは、学べるのでしょうか
古代イスラエルのように、神から律法を与えられていればその律法に従えば良いのですが、現代ではそのようなものは何処の国でも存在しません。
ただ、イスラム教やヒンズー教ではあるかも知れません。
キリスト教でも仏教でも一般的な「大義名分」的な助言はあります。

聖書の中に多くの助言が記されてはいますが、聖書を良く読んで理解し自分と自分の家族に当てはめている人は殆どいません。

仏教では法事などの時に、時折こうした話をすることはあっても普段は皆無です。
実際、家族に問題があった時、お寺の住職や神社の神主などに相談する人を聞いたことがありません。
日本社会での慣習は仏教様式ですが、その仏教の教えを殆ど知らないのです。

この点、例えば、キリスト教の牧師やものみの塔では聖書に従うようにと述べています。
これは、正しいことです。
しかし、
それを教える人が「正しい理解と現代におけるその適用方法」を知らないのです。
ですから、世界中で、キリスト教の信者でも、ものみの塔の信者の間でも問題の多い夫婦や家族が多いのです。

こうした点で思慮分別のある人はだれでしょうか。
人生経験が豊かで思いやりを示し適切な助言を与えらえる人は誰でしょうか。
そうした人は存在するのでしょうか。
そうした人を見つけることは困難です。
そうした人を見つけられたあなたは「運の良い人」です。
そして、その人の助言に従えば「穏やかな日々を過ごすことが出来る」からです。

あたかもそうした人を見つけることは、「本当に価値のある宝」を見つけたようなものです。
イエスは例えの中で次のように述べています。
44 「天の王国は畑に隠された宝のようです。人はそれを見つけてから隠しました。そして,喜びのあまり,出かけて行って自分の持つものすべてを売り,それからその畑を買うのです。
45 「また,天の王国はりっぱな真珠を探し求める旅商人のようです。
46 価の高い真珠一つを見つけると,去って行って自分の持つすべてのものを即座に売り,それからそれを買いました。
47 「また,天の王国は,海に下ろされてあらゆる種類の[魚]を寄せ集める引き網のようです。
48 それがいっぱいになったとき,人々は浜辺にたぐり上げ,腰を下ろして,良いものを器に集め,ふさわしくないものは投げ捨てました。
49 事物の体制の終結のときにもそのようになるでしょう。み使いたちは出かけて行って,義人の中から邪悪な者をより分け,
50 彼らを火の燃える炉にほうり込むのです。そこで[彼らは]泣き悲しんだり歯ぎしりしたりするでしょう。
51 「あなた方はこれらすべてのことの意味を悟りましたか」。彼らは,「はい」と言った。
52 そこで[イエス]は彼らにこう言われた。「そういうわけで,公に教え諭す者はみな,天の王国について教えられると,自分の宝の蔵から新しい物や古い物を取り出す人,[つまりそのような]家あるじのようになります」。

さて、あなたはこのイエスの言葉を聞いてどのように思いますか?
-マタイ13:44-52

勿論、
このイエスの言葉はすべての人に適用されるものではありませんが、
優れた助言を、いわば宝のように見なすという例えとしては的を射た」助言です。
つまり、聖書の助言に従うことは「すべての人にとっての益」となるのです。
しかし、52節にあるような人物に出会うことも、そのような人の聖書の正しい助言を受けることも現代ではとても難しいことです。
1世紀、使徒たちが生存している時でさえ、背教や自分勝手な考えを持つ人がいたからです。

従って、聖書を正しく理解し正しく適用することは難しいことであり、更に、原則は変えずとも時代と共に適用の仕方を変化させることは更に困難です。

実際、聖書を正しく理解し正しく適用することが出来る人はです。
そのように主張する人は大勢います
例えば、ものみの塔の統治体やものみの塔の会衆の長老たちです。
しかし、現実には彼らも正しい理解をしている訳ではなく、正しく適用出来ている訳でもありません

聖書の知識や理解だけではなく長年の経験と信仰の歩みと時代や社会を見極め適切な助言を与えることが出来る人は殆どいないということです。

であれば、聖書の価値はあってもそれを役に立てられないのであれば意味がないではないかと言われるかも知れません。
現実の今の社会ではそのように思えます。

そうなんです
聖書に記されている、あるいは、パウロの数々の助言は「キリストの弟子としての振る舞い」「信仰のある者の振る舞い」に関するもので、その目的は「神の王国の一人として、神の目から見て義人」となるための助言なのです。

単に、平和な家庭を築くための助言ではないのです。
実際、イエスは信仰において家族の分裂があると述べています。
34 わたしが地上に平和を投ずるために来たと考えてはなりません。平和ではなく,剣を投ずるために来たのです。

35 わたしは分裂を生じさせるため,男をその父に,娘をその母に,若妻をそのしゅうとめに敵対[させるために]来たからです。
36 実際,人の敵は自分の家の者たちでしょう。
37 わたしに対するより父や母に対して愛情を抱く者はわたしにふさわしくありません。また,わたしに対するより息子や娘に対して愛情を抱く者はわたしにふさわしくありません。
38 そして,だれでも自分の苦しみの杭を受け入れてわたしのあとに従わない者は,わたしにふさわしくありません

39 自分の魂を見いだす者はそれを失い,わたしのために自分の魂を失う者はそれを見いだすのです。
40 「あなた方を迎える者はわたしをも迎えるのであり,わたしを迎える者は,わたしを遣わした方をも迎えるのです。

41 預言者であるということで預言者を迎える者は預言者の報いを得,義人であるということで義人を迎える者は義人の報いを得るでしょう。
42 そして,弟子であるということでこれら小さな者の一人にほんの一杯の冷たい飲み水を与える者がだれであっても,あなた方に真実に言いますが,その者は自分の報いを決して失わないでしょう」。
-マタイ10:42

イエスの言葉に示されているように、聖書の助言に従うことで「より価値のある人間」神の目から見て義」と見なされる人に近づけるのです。

ですから、律法やイエスやパウロが述べている「家族に関する助言」に従うことにも「価値があります
そこには、文字通りの平和な関係でなくても信仰の点での平安」を保つことが出来るのです。

マタイ10章のイエスの言葉は、家族の分裂に関して述べていますが、それは信仰に対する態度のことで、家族間でいがみ合ったり戦ったりするというものではないのです。
この点
誤解のないようにしなければなりません。
家族間で本当に分裂し争うことをイエスが命令している訳ではないのです。

信仰における態度に関しては、イエスの言葉には厳しいものがありますが、パウロの助言は信仰において確固とした態度を取るよう求めていますが、相手の痛みを考慮した
より柔らかいものとなっています。
コリント(一)8章
さて,偶像にささげられた食物についてですが,わたしたちは,自分たちがみな知識を持っていることを知っています。知識は[人を]思い上がらせるのに対し,は[人を]築き上げます。
2 自分はあることについて知識を習得したと考える人がいるなら,その人はまだ,知るべきほどにも[それを]知っていません。
3 しかし,人が神を愛しているなら,その人は[神]に知られているのです。
4 さて,偶像にささげられた食物を食べることについてですが,わたしたちは,偶像が世にあって無きに等しいものであること,また,神はただひとりのほかにはいないことを知っています。
5 多くの「神」や多くの「主」がいるとおり,天にであれ地にであれ「神」と呼ばれる者たちがいるとしても,
6 わたしたちには父なるただひとりの神がおられ,この方からすべてのものが出ており,わたしたちはこの方のためにあるのです。また,ひとりの主,イエス・キリストがおられ,この方を通してすべてのものがあり,わたしたちもこの方を通してあるのです。
7 しかしながら,すべての人にこの知識があるわけではありません。ある人々はこれまで偶像に慣れてきたので,偶像に対する犠牲の捧げ物として食物を食べ,こうして彼らの良心は弱いために汚されます。
8 しかし,食物がわたしたちを神に推賞するのではありません。食べなくても後れをとるわけではなく,食べたからといって誉れになるわけでもありません。
9 しかし,あなた方のこの権限が,弱い人たちを何かのことでつまずかせるものとならないよういつも見守っていなさい。
10 知識を持つあなたが偶像の神殿で食事の席に着いて横になって食事をしているのをもしもだれかが見れば,その弱い人の良心は築き上げられ,偶像にささげられた食物を食べるまでになってしまわないでしょうか。
11 実際には,あなたの知識によって,その弱い人が,すなわちキリストがそのために死んでくださった[あなたの]兄弟が破滅に陥っているのです。
12 しかし,こうして自分の兄弟に対して罪をおかし,彼らの弱い良心を傷つけるなら,あなた方はキリストに対して罪をおかしていることになります
13 それで,食物がわたしの兄弟をつまずかせるなら,わたしはもはや二度と肉を食べません。わたしの兄弟をつまずかせないためです。
-コリント(一)8:1-13、

23 すべての事は許されています。しかし,すべての事が益になるわけではありません。すべての事は許されています。しかし,すべての事が築き上げるわけではありません
24 おのおの自分の[益]ではなく,他の人の[益]を求めてゆきなさい
25 何でも肉市場で売っているものは,あなた方の良心のために,何も尋ねないで今後も食べなさい。
26 「地とそれに満ちるものとはエホバのもの」だからです。
27 不信者のだれかがあなた方を招き,あなた方が行きたいと思う場合,自分の良心のために,何も尋ねることなく,何でも自分の前に出される物を食べなさい。
28 しかし,もしもだれかが,「これは犠牲としてささげられたものです」とあなた方に言うなら,そのことを明かした人のために,また良心のために,それを食べてはなりません。
29 「良心」とわたしが言うのは,あなた自身のではなく,相手の人の[良心]のことです。というのは,わたしの自由がほかの人の良心によって裁かれるということが,どうしてあってよいでしょうか。
30 わたしが感謝を抱いてあずかっているのであれば,わたしが感謝をささげているものについて,なぜあしざまに言われるべきでしょうか。
-コリント(一)10:23-30

こうしたパウロの助言でも分かるように、

夫婦間における頭の権、子供の躾、親の世話、やもめの世話などに関するパウロの助言は「キリストの弟子」としての振る舞いにおいて「ふさわしい」ものであるようにという「更に踏み込んだ」ものです。

しかし、「家族」に関することより更に重要なことは「他にある」のです。
その点については、イエスの言葉であり、ペテロ、ヤコブ、ユダ、ヨハネなどの言葉の中に示されています。

あなたは、イエスの言葉も、ペテロやパウロなどの言葉を「同一」のものと考えていませんでしたか?
立場が異なれば、「言い方もその重みも異なる」という点も理解しなければならないのです。

知恵を求める人のためのブログです。

個人的には核戦争は起きないと考えています。
ですから、「核兵器と戦争」ではなく、「核兵器と平和」としました。

世界の多くの人々は、平和運動の一環として核廃絶を訴えています。
これって現実的?
私の考えではです。

確かに、理屈での核兵器がすべてなくなれば核爆弾による残虐な被害が無くなります
それでも、原子力発電は残りますから、チェルノブイリ原発事故や福島の原発事故や東海村JCO核燃料加工施設臨界事故やスリーマイル島の原発事故による放射能汚染が再び起きないとも限りません。
その他、1950年代以降12の国で大小合わせて47回の被爆事故が起きています。

特に、核兵器に関しては、一度手にした強力な武器を手放す人がいるでしょうか?
有り得ないことです。
従って、今の核兵器廃絶の訴えや核拡散防止条約は無意味なことだと言えます。

逆に、皆が核兵器を持てば、むしろ、この方が核抑止になるのではありませんか。
誰かが持っていて誰かが持っていないので、持っている人が「横暴な態度」を取るのです。
プーチンが良い例です。
従って、プーチンのような人を抑えるには、逆に皆が核兵器を持つことでプーチンも迂闊に核兵器を使えなくなるのです。
それゆえ、イランの核開発を止めるべきではありません

日本も核兵器を持つべきです。
日本のロケット技術と核技術があれば核ミサイルを作り、世界中どこの国にでも核攻撃をすることが出来ます。
アメリカに頼るのではなく
日本自らが核兵器で身を固めるのです。

もし、日本が核兵器を持つことを反対し、かつ、経済制裁をすると言うのであれば逆に、今核兵器を持っている国に対して日本が経済制裁をすると公言すれば良いのです。


今の世界力と力の戦いです。
力が強い方が勝つのです。
これは現実的な話しです。

一方で信仰を持つ者信仰に頼るべきで、力に頼るべきではありません

矛盾していると思いますか。
すべての人が何らかの信仰を持っている訳ではありません
その双方にベストな選択を勧めているのです。

いずれにしろ、「更に大きな力」が働いて今の世界の強国を含めすべての国は滅ぼされることになっていますので、
反政府運動も反核運動も平和運動も「意味のないもの」です。

つまり、
世界は滅ぼされることも知らず覇権争いや平和運動をしているのです。
すべては無駄に終わるのです。

蚊帳の外で世界を眺めている人からすれば、世界中で馬鹿なことをやっていると考えていると思います。

さて、あなたは[精神的]に世界の中の人ですか、それとも、外の人ですか?
それによって、世界に対する見方が全く異なってきます

  

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参考:アメリカとロシアのはざまにある国々にとっての平和
アメリカとロシアのはざまにある国々にとっての平和、それは、
政治的な中立を保つことです。

ベラルーシとウクライナは中立国になるべきです。
そうなれば、プーチンはウクライナ侵攻の理由を失うことになります。
プーチンがウクライナの政治に手を出す前にそうすべきでした
今からでも遅くはありません。
ウクライナもロシアに対抗するためにアメリカやEUに頼りつつも中立国を目指すべきです。

  

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さて、あなたはこうした考えをどう思いますか?

力にたよりますか?、それとも信仰に頼りますか

 

いずれにしろ、今の時代は終わりを迎え、核兵器など戦う武器はすべて無くなる時が来るのです。