知恵を求める人のためのブログです。

トランプについて最近気が付いたこと。

初めに、日本の政治に関して。
私はずっと日本の政治の誤りを指摘して来ました。(別のサイトでも)
それは、政治は様々な問題に関して、抜本的な政策ではなく対処療法的な政策をしている点です。
現在国会で論戦が繰り広げられていますが、どれも対処療法的なものです。
例えば、
103万円の壁に関して、国民民主党は詳しく調査したのではなく表面的にこうすれば良いと言う身勝手な考えを国民に訴え、何も知らない国民は玉木元代表に踊らされたのです。

そのための、法的手続きの煩雑さ地方自治に対する配慮財務省や国税局などに対する試算などの多くの課題を突き付け、公務員に[余計な]仕事を増やしているのです。

年度末を控え、来年度の国家予算で多忙な公務員に更に仕事を増やし、もし、これで、過労死が出たらどうするのでしょうか

もっと、別の案があったのではないでしょうか?


高校授業料無償化、給食費無償化その他、野党はいわば「政治におけるお金の無心」をしているのです。

 

こうして、少数与党を、ここぞとばかりに【いじめ】ているように写ります


こうした政策は、歪んだ政策であり、将来禍根を残すものとなります。
経済もいつまでも成長を続ける訳ではないし、もし、世界恐慌のようなことが起きれば、国の経済は破綻を招くのです。
いわば、贅沢の付け(減税、無償化など)が回ってくるのです。
今経済は上り調子なので強気ですが、いつかは、例えば大規模な災害などでの影響で必ず急落の時が来ます。
歴史はこうしたことを繰り返して来たのに全く学んでいないのです。

例えば、

大恐慌でも生き残った企業はどんな企業なのか、なぜ生き残ったのかなどを研究しているのでしょうか?

大恐慌でも政府は潰れませんが、国民は苦しむのです。

物価の高騰、失業者の増加などに犯罪が増加し、人々は安心して暮らせなくなるのです。

 

こうした中でも、石破首相は忍耐強く良くやっていると思います。

野党は分別のある「要求」をし、また、「適度なところで妥協」しなければなりません。

そうすることが、「国民のため」なのです。

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さて、本題です。


最近、トランプのやり方は、日本の藩の城主のようであり、明治の日本の政治家や大臣と似ていることに気が付きました
少し、トランプに対する考えを変えました

江戸時代、将軍や城主抜本的な対策を命じていましたが、いわゆる老中や城代家老たちは、
目の前の出来事に対しての対処療法的なことしかして来ませんでした。

勿論、中には独断的で有名な大老や老中もいて庶民の反発を招いたこともありました。

暗殺された人もいました。

こうしたことは歴史で習っていて、誰でも知っています。

日本の政治家の殆どはこの老中と同じなのです。

しかし、
トランプは将軍や城主のような考えの持ち主だということです。
しかも、そのやり方は日本の封建的なやり方と全く同じなのです。

こうした点で、ある意味トランプは抜本的な解決策を「個人の感覚」で示していると言えるかも知れません。
例えば、ガザからパレスチナ人を他へ移住させることで二度とガザで戦争が起きないようにするという考えが見えてきます。
もっとも。多くの国の人々がこうした点を理解せず猛反発していますが。

 

トランプとしても、
アメリカ市民の健康も守りたいし、犯罪も減らしたいし、雇用も確保したいと思っているのは明白です
そのためのアメリカファーストなのです。
中絶を認めないことも、薬物で大勢の人が亡くなっていることでも、不法移民のせいでアメリカ人の雇用が失われているという思いも、すべて「国としてのアメリカ」のことを思ってのことです。

 

トランプが何かを発言すると、周囲が誤解するのは、
トランプが論理的な人間ではないからです。
周囲に対する説明が足りないのです。
しかし、トランプはそうした点で、周囲の誰かと相談することは、自身を曝け出してしまうことなので、自分を曝け出すようなことは絶対にしないのです。
それでも、いろいろ考えているので、自分の思いを発信したくなるので、突然の発表となることが多いのです。

 

根は、気の短く、直感的な人間です。
ある意味、傲慢な日本人に似ています
封建時代の将軍や藩の城主や家の主(家長)のような人間なのです。
しかし、プーチンのような悪人とまでは言えないかもしれません。

傲慢な人間が、「悪人」とは限らないからです。

誤解していた時には、
トランプを悪人呼ばわりしました
しかし、2期目の今は、少し考えが変わりました

それでも、
民主主義のアメリカでは珍しい存在です。
あたかも、マフィアのボスのような存在であることには変わりはありません

例えば、トランプと他者(外国やアメリカ人など)との関係は、
娘の気持ちを理解しない父親と父親の気持ちを理解出来ないの関係に似ています。
父親は娘のことを思って、あれこれ言いますが、娘はそれを理解せず、ただ傲慢で鬱陶しい存在としか見ていないのです。

アメリカ国内では、
トランプ支持者たちは、いわば、ボスに気を遣っているマフィアの手下のような存在です。
ですから、平気で議会を襲撃したりするのです。
トランプに反対する人たちは、傲慢な父親を嫌っている娘のような存在です。

この先、
トランプが善人になるか悪人のまま終わるか、発言に端を発したことをどれだけ「上手く」処理出来るかにかかっています。

いわゆる脅し外交に対して、ずる賢いヨーロッパの諸国がどのように対応するかです。
西洋人やアラブ人プライドのためには戦争(命)も辞さない覚悟があります。
もし、ヨーロッパがアメリカに対してそのような態度を取ったらトランプはどうするのでしょうか。
おそらく戦争を嫌うトランプは屈辱的でも手を引くでしょう。

中国には関税を上乗せしましたが、カナダとメキシコには撤回し1か月の猶予を与えました。
その間に、高い関税を課した場合の試算をしているはずです。
その対応策も検討し、高い関税を課してもアメリカがインフレなどに上手く対応する方法を見つけるでしょう。

ある意味、トランプは分かり易い人間だとも言えます。
物事をはっきりと言うからです。
好き嫌いの態度もはっきりと出ます。

スターリンやプーチンなどとの違いは、人を殺さないことです。
人を殺すことを嫌っている、嫌がってもいるのです。

オバマはオサマ・ビンラデンの殺害を命じました。
しかし、トランプならしなかったでしょう

ここが、
政治を理屈や理論で行う人間直感と自分の思いで行っている人間違いです。
ブッシュ(息子)も狂っていました
狂っていなければイラクにアメリカ兵を向けフセインを捕まえたりはしなかったはずです。
しかも、明確な根拠もなしに行ったのです。

私も当時イラクに進攻すべきではないとブログ(他の)で訴えました。

ブッシュはそうした世界中の声に耳をかさなかったのです。

後に誤りを認めましたが、1国の元首を言いがかりをつけて捉えたのです。

加えて、

その後のイラクの混乱を招いたのです。
世界中の人が反対していたのに。
イギリスがこれに加担したことは大きな罪でした。

 

以上のように、トランプに対する考えが少し変わりましたが、依然として脅威の存在であることには違いありません。

 

何と言っても、世界で最も殺りくをして来たアメリカの大統領なのです。

 

知恵を求める人のためのブログです。

あなたは駅前や街頭で雑誌やパンフレットを掲げたり展示(カートで)しているエホバの証人を見かけたことがありますか?
実に無益なことです。
彼らが駅前で立っているのは、ものみの塔による提案(指示)によるもので、

このようにして世の人々に、良いたよりの音信と事物の体制の滅びの警告をすると言う二つの名目で、いわゆる奉仕活動(伝道活動)に参加するように促されてのことです。

こうした活動は世界中で行われています。

こうした指示はものみの塔の世界本部から各国の支部に伝達され、各国の支部がそれぞれの国の実情に合わせて行っている活動です。

 

イエスによる指示ではありません

イエスによる指示は既にみ使いに出しているからです。

エホバの証人(ものみの塔の信者)であるあなたは知っていましたか?

もしかすると、知らないでただものみの塔の指示に従っていたのではありませんか

 

駅前で活動することは、大抵道路を占拠するので「警察」の許可が必要です。

殆どの場合、許可されます。

警察としても不許可にする理由もないからです。

私も何度か警察に赴き許可を貰ったものです。

 

ただし、立ち止まらずに歩きながらなど絶えず場所を移動しながらである場合は警察の許可は必要ありません。

   

しかし、こうした活動に参加するエホバの証人(ものみの塔の信者)の多くは、
ものみの塔による「奉仕時間」の要求を満たすために行っている場合が大半です。

 

本当に「世の人々を救いたい」という思いで活動していたとしても、現実にはそうではないのです。

 

これに反論できるエホバの証人はいるでしょうか?

おそらく、いないと思います。


無言で立つことものみの塔の指示です。
これは、今から45年前も同じでした。

こうした(宣伝)活動の始まりは、

初代会長ラッセルの時代に始まります。

当時、ビラを配ったり、講演を録音したレコード盤を持参しそれを人々に聞かせたり、映画フィルムを持参しそれを上映したりし、「キリストの再臨」や「将来の希望」や「事物の体制の滅び」を宣伝していました。

冊子や書籍では、カトリックやプロテスタントなどの教会の過ちを「暴露」し、三位一体を否定しました。

当時は、伝道活動ではなく宣伝活動だったのです。

1924年当時は欧米ではラジオ放送で、聖書の番組と講話を行っていたものです。

同時に数々の書籍も出版しました。

宣伝が宣教活動・教育活動に変化したのは三代目の会長ノアの時です。

 

初代会長ラッセルの時は組織の黎明期、その始まりであり、

二代目会長ラザフォードの時は組織の法的確立を行い、
三代目会長ノアの時に、宣教者のための学校などを作り、宣教者の訓練を確立しました。

こうして増え続ける信者と新たに信者を獲得するための組織を作り上げて来たのです。
この間、1914年に自分たちが天に行かなかったことで、聖書の見解を修正することを余儀なくされました。
これは、1975年にも同じことが生じたのです。

この間に、迫害や背教なども起きて組織としては混乱状態にありました。

迫害は、1世紀当時と同じように、同類からのものでした。

1世紀にはユダヤ人から、現代は主に別のキリスト教の僧職者たちからです。

会衆内、組織内での背教もありました。

現在の「ものみの塔」と題する冊子は、ラッセル1879年7月に「シオンのものみの塔およびキリストの臨在の告知者」と題して創刊したものです。
それが、今日まで続いているのです。

 

同時に、ラッセルはカトリックやプロテスタントなどの他のキリスト教を、
地上の諸帝国(政府)と結託した[娼婦]と言って非難したため、ラザフォードの時には告訴され投獄されました。

 

日本では戦前は規模もかなり小さいものでしたが、戦後、戦前に活動した明石順三他30人程の人が排斥されています。

その他にも同類の者が出ています。

戦後、進駐軍と共にやって来たアメリカの多くの宣教者(カトリック、プロテスタント、モルモン教、セブンスデー・アドベンチスト教会など)に混じってエホバの証人の訓練された宣教者たちもやって来ました。

その彼らが少しづつ家庭に入り込み教えを広げエホバの証人を増やしていったのです。

 

戦後日本では、ものみの塔によるラジオ放送も映画による宣伝も行われたという記録はありません

宣教者たちは、ただひたすら一軒一軒訪問して回ったのです。

このスタイルは現在も変わっていません

(これは、聖書に示されている「家か家へ」という言葉をものみの塔が都合よく利用したものです。

 聖書の記述を読むと分かりますが、

 これは、一軒一軒しらみつぶしに訪問し回ることではなく信者や関心のある人の家を次々と訪問

 することを示しているのです。-ルカ1:7、使徒20:20

 イエスが犠牲の死を遂げた後、弟子たちがユダヤ人の家を一軒一軒訪問したとは考えられないこと

 です。

 なぜなら、ユダヤ人による大々的な迫害が生じていたからです。

 ですから、

 家を一軒ずつ、いわば、しらみつぶしに訪問することは、ものみの塔が都合よく利用したことなの

 です。

 それが、現在でも続いているのです。)

 

戦前から「ものみの塔」という冊子はに日本語に翻訳されて発行されていましたが、

(アメリカで印刷し日本に持ち込んでいました。)

戦後、日本の組織が拡大するにつれて、寄付が増えたので神奈川県海老名市に日本支部の大きなビルを建設し、次いで印刷工場も建設し日本で印刷し発行し配布するようになったのです。

当初は有料でしたが、途中から無償になり、そして、現在は再び有料(寄付)になりました。

これは、

組織に対する寄付が減少したためです。

が、実際には、組織と活動が大きくなり過ぎてたことと物価の上昇でお金が不足して来たためなのです。

信者の獲得と共に寄付もかなり増えましたが、それに伴って組織も拡大したからです。

 

戦後日本での宣教活動により信者が増加してきましたが、

宣教のための教育を受けた人が少ないため、冊子を配布することに力を入れたのです。

口頭による伝道よりも「冊子に言わせる」という手段を用いたのです。

勿論、こうした間に日本でも「王国宣教学校」という開拓者を育成する2週間ほどのプログラムが組まれました。

私も妻もこの学校の卒業生でした。

これに招待される人は、ある程度開拓奉仕を続けて来た人だけでした。

一軒一軒訪問する家でも冊子の購読を勧め、それを足掛かりにして訪問を繰り返し信者を獲得していったのです。

 

駅前は人が沢山通る場所ですから「人目に付く」ので、その場所に立っています。

通りすがりの人々に声を掛けないのは

一つにはこれから仕事に行く人を煩わせないためでもあり、苦情を避けるためでもあります。

 

日本では街頭演説のように、いわゆる宣伝カーで全国を回るということはしていません。

もししていたら、社会から相当な反発が生じたでしょう。

 

オーム真理教や他のカルト集団が、ちょっと活動しただけで人々は「警戒」し反対しているからです。

   

しかしながら、
今から45年前でも同じですが、
冊子を掲げることで「聖書に関心」のある人を見出そうとしますが、それは「表向き」のことで、本心は「ただ、時間のために立っていた」のです。

実際、こうした活動で信者になったという人は聞いたことがありませんし、大会などの実演でも実例でも聞いたことがありません。(少なくとも私は) 

 

実際、殆どの人は関心を示しませんでしたし、仮に声を掛けたら、周囲の人に「奇異の目」で見られたことでしょう。

 

繰り返しますが、
駅前で冊子を掲げることは、人々の救いのためではないのです。

世の人々に、良いたよりの音信と事物の体制の滅びの警告をすると言う二つの名目で、いわゆる奉仕活動(伝道活動)に参加するように促されてのことです。

こうした名目は、今でも変わっていません。

当時、ものみの塔は、(貧しい外国のある国であったことですが)捨てられて落ちていた冊子かパンフレットの切れ端を呼んで聖書に関心を持った人の例を冊子に掲載されたことがあります。
そこで、
ものみの塔はこれを例に取り上げて人はいつどこで聖書に関心を示すか分からないので、
あらゆる機会を活用して「伝道」すべきだと主張していたのです。

おそらく、これも今でも変わっていません。

しかし、
上に書いたように黙って冊子を掲げて立っていることは無益なことです。
なぜなら、
人々の過ちを正し、聖書から論じて初めて「救いの道」が開けるからです。

冊子やパンフレットに「救いに関して」書かれているので「黙っている訳ではない」と言うかも知れません。
そうでしょうか?

人は関心を持ってそうしたものを読むことが必要です。
では、
黙って立っているだけで人々は関心を示すでしょうか?
殆どいません。

 

書店ですら手に取って読んで見て初めて「関心」が高められるのです。

それでも、彼らは立っているだけで「証言」になるとも考えています。
黙っていて一体何の証言なのでしょうか

証言とは文字通り誰かに証しすることです。

証しをするには話す必要があります。


繰り返しますが、
彼らの多くはものみの塔に「奉仕時間」を要求されているから立っているだけなのです。
実際、その証拠に、
彼らはそうしているでは、「ヒソヒソ話をしている」ことが多いのです。
伝道活動をしている最中(さなか)でも、家から家の間でそうしているのです。

更には、人々の反応が悪いと、その地域を「ヤギ村」などと言って誹謗中傷していたのです。

伝道活動に集中していないばかりか、抱えている「音信」を不敬に扱っている態度です。
伝道活動をしている時の「無駄話し」は、余分のことです。

 

こうした行いを、イエスはどう見るだろうかなどとは「微塵も考えていない」のです。

彼らは、こうして伝道活動の「息苦しさのために「呼吸を整えている」(いわゆるガス抜き)のです。

パウロが、こうした姿勢を見たら、きっと助言をしたはずです。


余分なことを考えている「暇」は無いのです。

しかし、伝道中のエホバの証人(ものみの塔の信者)は「」なのです。

なぜこうしたことが起きるのかと言えば、
それは、突然訪問するという伝道活動に対する精神的苦痛とそうした活動で得られる成果=聖書に関心のある人を見出すことが少ないからです。
確かに、
希に関心を示す人がいることは確かです。
そして、いわゆる聖書を学ぶようになる人も出て来ます。

しかし、
エホバの証人になる多くの人たちは、いわゆる縁故が多いのです。
自分の配偶者や子供たちなのです。
また、
友人や親族などである場合です。
ですから、集会はいわば身内の集まりのようなものになっています。

今の時代、家から家へと一軒ずつ訪問することは「挑戦」的なことで「勇気」もいります。
輸血や児童虐待で社会問題化したので、家にいる人は「警戒」してもいます。
昔よりはエホバの証人に関して「知れ渡っている」のです。

当然、信者の数も昔ほどは増えることはありませんし、最近ではむしろ減っている会衆もあると聞いています。
実際、年次報告では増加が鈍っているか減っているところがあるからです。

こうしたことは、
今の時代がそうさせているのではなく
ものみの塔のエホバの証人に対する「教え、指導」が間違っているから起きていることなのです。

真にイエスとみ使いたちの「指示」を受けているなら現状のようなことは起きません

に関する活動に「無駄」は無いからです。


エホバの証人たちはものみの塔に「騙されているのです。
加えて、
近年は、会衆内での性的暴行や淫行」が増加していると聞いています。
世の影響を受けているからです。

今や誰でも、ネットで「いかがわしいもの、特に裸や性的画像や動画」を見ることが出来ますし、
エホバの証人の中にもそのような者が[大勢]いることは当然の成り行きです。

タブレットでは誰にも知られずいつでも可能です。
こうした傾向は、世の中だけではないのです。

今の時代、人々に「真理」を伝えることは難しい「仕事」です。
聖書を理解し、それを巧みに扱うことが出来れば「世の人々」を納得させることが出来るかも知れません。
しかし、
人を変えようとすることは「正しくありません」し、そのように話す人の話は相手に受け入れられることはないのです。

人は「聞いた事柄」に関して自らの意志で変化、変革を遂げなければならないのです。
ただ従うだけで虚偽の推論をするエホバの証人の態度は「大きな罪=滅びに至る罪」を犯しているのです。-ヤコブ1:22
ヤコブがここで言っている意味を十分に悟ることです。

これは信者に対しての発言です。

 

確かに、すべては「聞くことから」始まります。

 

駅前で冊子を掲げたり展示したりして黙って立っていてどうして「聞かせる」ことが出来るというのでしょうか?

 

実に無益なことです。

エホバの証人であるあなたはどう思いますか?
自分に当てはまる点があるのではありませんか?
そのような人は「悔い改める」必要があります。
そうでなければ「永遠の切断」「永遠の滅び」に至ることになります。-マタイ25:41-46、テサロニケ(二)1:8-9
  

知恵を求める人のためのブログです。

あなたは預言されている事物の体制の滅びの目撃者となれますか?

どうすれば、目撃者になれるのでしょうか?
犯罪に巻き込まれたり病気なったり自殺したり事故に遭遇して「死んで」いなければ、おそらく、なれるでしょう。
しかし、事物の体制を生き残れるか否かはあなた自身に掛かっています。

が、問題はありません。
なぜなら、
滅ぼされる、つまり、殺されるにしても殆ど自覚しないで死ぬからです。

残酷ではありません。
苦痛を与えることはしないのです。

確かに、事物の体制の滅びの時、「嘆く」人々はいますが、それは苦痛ではありません

ですから、信仰に生きるにしてもそうでないにしても「普通」に生きていれば良いのです。
普通に生活していれば良いのです。

終わりは突然やって来ます。
しかし、誰もその時を知らないので、気にしてもしょうがないのです。
関心ある人は「ただ、注意」して世の動きを見守っているだけで良いのです。-マタイ24:36-42

自分から何か行動する必要はないのです。

ただし、生き残りたいと思う人は行動する必要があります。
すべて、白い馬に乗っている者とみ使いたちがするからです。

あたかも地球規模の大災害が突然起きるようなものです。

その日にジタバタしても始まらないのです。


その後のことはどうなるのか具体的なことは全く分かっていません。

実際に、生き残る人々が存在することも分かっています。-啓示7章9-17
聖書には、

悪魔が底知れぬ深みに閉じ込められること、その後キリストの千年統治があること、

その統治の終わりに悪魔が解き放たれ人類が再び試練を受け、その結果、悪魔と悪魔に従うすべての人々が永遠の滅びに投げ込まれることしか書かれていないからです。-啓示20章

詳細は分かりません

 

キリストの千年統治の時、イザヤの預言がどのように、また、どの程度反映されるかもはっきりとはしていません。

-イザヤ65:17-25、ペテロ(二)3:13

しかし、
あっという間に1000年が過ぎることははっきりしていますので、問題を抱えず平凡に暮らしている人にとってはそうなるでしょう。

新しい律法が与えれるかも知れません。
法が無ければ秩序は保てないからです。

   

その後、悪の根源と悪人をすべて無くしてから、が新しい天と新しい地を創造します。

これは、

いわば、再構築するというものです。

つまり、地球の在り方当初と変えるということです。

-啓示21:1-5

地球そのものが新しく作り変えられる訳ではありません。

地に住む人と支配の仕方が変わるだけです。

 

イエスが天と地を完全に支配するために、聖なる都市エルサレムを建設されるというものです。-啓示21章-22:5

これは、天から、神のもとから下って来るという表現がされていることと、その中に神殿を見なかったということから、

地上から天が見え、そこから支配が直接行われると思われます。

ステファノは死の直前に「開けた天を見ています」-使徒7:56

文字通り、が地上に降りてくる訳ではありません

 

この都市は、神殿そのものであるため、もはや神殿とは呼ばれません。-啓示21:22

そして、この都市は、おそらく、(霊的)天と地をまたぐ形で存在するのではないかと想像されます。

なぜなら、

その都市にはイエスがおられるのに、地上の人々が出入り出来るかのように記されているからです。

 

事物の体制は地球規模の大災害のような出来事として必ず来ます

その時、生きている人はその光景を目の当たりにすることでしょう。

ただ、その日が何時のことかは誰にも分かりません。

 

その[大患難大災害]を生き残れるかどうはイエスに依存しています。

その日まで黙って何もしない人は生き残ることはないでしょう

 

イエスは言われました。  

わたしは道であり,真理であり,命です。わたしを通してでなければ,だれひとり父のもとに来ることはありません。   

-ヨハネ14:6

  

「わたしは天と地におけるすべての権威を与えられています。

19 それゆえ,行って,すべての国の人々を弟子とし,父と子と聖霊との名において彼らにバプテスマを施し,

20 わたしがあなた方に命令した事柄すべてを守り行なうように教えなさい。」-マタイ28:18-20

  

イエスのこの言葉に従うには「行動」が求められているのです。   

 

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イエス山上の垂訓でなぜ律法を超えることを話したのでしょうか?

これを聞いて「えっ」と言って驚く人がいるかも知れません。

そのような人は、マタイによる書をよく読んで見て下さい。

 

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イエス律法を超えることを話すことで律法の終わりを示唆し、加えて、ご自分の弟子たちには更に新しい精神を教えるためであったのです。
これは、イエスと共に天の王国で神に対して祭司として、また、地に対して王として支配するためのより高い資質を身に付けさせるためです。

 

律法を超えることを話したからと言って、

イエスが神を超越した訳ではありませんこの点を誤解しないようにして下さい。

 

律法ユダヤ人たち約束のメシアが到来した時に受け入れるための備え(養育係)として与えられたのに対し、-ガラテア3:24-25

イエスの教えは神の王国に入り、に対し祭司として地に対して王となるための資質(条件)なのです。-啓示5:10

 

この点は、AD96年になっても変わってはいません。

つまり、ユダヤ人たちに対してだけのことではないということです。

啓示20章
それからわたしは,ひとりのみ使いが底知れぬ深みのかぎと大きな鎖を手にして天から下って来るのを見た。

2 そして彼は,悪魔またサタンである龍,すなわち初めからの蛇を捕らえて,千年のあいだ縛った。

3 そして彼を底知れぬ深みに投げ込み,[それを]閉じて彼の上から封印し,千年が終わるまでもはや諸国民を惑わすことができないようにした。これらのことの後,彼はしばらくのあいだ解き放されるはずである。
4 またわたしは,[数々の]座を見た。それに座している者たちがおり,裁きをする力が彼らに与えられた。実に,イエスについて行なった証しのため,また神について語ったために斧で処刑された者たち,また,野獣もその像をも崇拝せず,額と手に印を受けなかった者たちの魂を見たのである。そして彼らは生き返り,キリストと共に千年のあいだ王として支配した

5 (残りの死人は千年が終わるまで生き返らなかった。)これは第一の復活である。

6 第一の復活にあずかる者は幸いな者,聖なる者である。これらの者に対して第二の死は何の権威も持たず,彼らはおよびキリストの祭司となり,千年のあいだ彼と共に王として支配する

      
律法従うことに意義がありましたが、
イエスの教え従う以上のことが求められています
これは、いわば、王となるための「試験」のようなものと考えることが出来ます。
イエスの教えに完全に従うことで、その「試験」に合格し、王となる資格を手にすることが出来るということです。

参考女の人は、天に行きません

 したがって、イエスの弟子たちの内、女性は神の王国で祭司にも王にもなることは出来ません

 イエスが[伝道]で派遣した十二人、七十人はすべて男性でした。

 -マタイ10:1-10、ルカ10:1-7
 更に、

 聖霊すなわち神の賜物受けたからと言って天に行く訳ではありません

 なぜなら、

 ペンテコステの時に聖霊を注がれ異言を話した人の中には女性もいたからです。

 これは、

 「イエスについての良いたより」を人々に伝えるのに男、女という区別がないことも示していま

 す。

 また、

 イエスの死の記念式=新しい契約で、女性がパンとぶどう酒にあずかることはないのです。

 実際、イエスがこれを記念として行いなさいと言った時、そこに女性は含まれていませんでし 

 た。-ルカ22:19-20、コリント(一)11:23-26

 この時、過ぎ越しの用意をしたのは十二使徒たちでした。-マタイ26:17-19)


山上の垂訓を読むと分かりますが、
イエス律法に記されている以上のことを人々に要求しています。
あるいは、
律法の精神を教えていたのかも知れません。

-マタイ22;34-40、ガラテア5:14、ローマ13:8
なぜなら、
書士やパリサイ人は、律法に記されている通りに物事を理解し行おうとしていたからであり、律法を守っていると言いながらその精神に反した行いをしていた彼らの過ちを正すためだったのです。

-マタイ12:1-8、マタイ15:1-11

実際、イエスは多くの点で書士やパリサイ人の行いを批判しています。
それゆえ、彼らはイエスを殺そうとし、実際処刑させたのです。

処刑から逃れることは出来ましたが犠牲の死を遂げることが天から遣わされた目的だったので、敢えて逃れようとはしなかったのです。
加えて、これはの預言の成就でもあり、死んでから三日目に復活させられ天において更に高められることがのご意思であり、にに栄光を帰すための出来事だったのです。-マタイ26:48-56

マタイ5-7章
5章
その群衆をご覧になった時,[イエス]は山に上られた。そして腰を下ろされると,弟子たちがそのもとに来た。
2 それから[イエス]は口を開いて彼らを教えはじめ,こう言われた。
3 「自分の霊的な必要を自覚している人たちは幸いです。天の王国はその人たちのものだからです。
4 「嘆き悲しむ人たちは幸いです。その人たちは慰められるからです。
5 「温和な気質の人たちは幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。
6 「義に飢え渇いている人たちは幸いです。その人たちは満たされるからです。
7 「憐れみ深い人たちは幸いです。その人たちは憐れみを受けるからです。
8 「心の純粋な人たちは幸いです。その人たちは神を見るからです。
9 「平和を求める人たちは幸いです。その人たちは『神の子』と呼ばれるからです。
10 「義のために迫害されてきた人たちは幸いです。天の王国はその人たちのものだからです。

(ここで、イエスが言われた天の王国とは、天の王国の[臣民]となるということです。

 天に行くという意味ではありません

 イエスが「天の王国」または「神の王国」という時には、識別力が必要です。

 天に行く人のことを言っているのか、その民になる人のことを言っているかを区別して読む[考え

 る]ことが必要です。)


11 「人々がわたしのためにあなた方を非難し,迫害し,あらゆる邪悪なことを偽ってあなた方に言うとき,あなた方は幸いです。
12 歓び,かつ喜び躍りなさい。天においてあなた方の報いは大きいからです。人々はあなた方より前の預言者たちをそのようにして迫害したのです。
13 「あなた方は地の塩です。しかし,塩がその効き目を失うなら,どうしてその塩けを取り戻せるでしょうか。外に投げ出されて人に踏みつけられる以外に,もはや何にも使えません。

イエスは弟子たちに世の人々の生き方を変える存在であるべきだと述べているということです。)
 

14 「あなた方は世の光です。都市が山の上にあれば,それは隠されることがありません。
15 人はともしびをともすと,それを量りかごの下ではなく,燭台の上に据え,それは家の中にいるすべての人の上に輝くのです。
16 同じように,あなた方の光を人々の前に輝かせ,人々があなた方のりっぱな業を見て,天におられるあなた方の父に栄光を帰するようにしなさい。

イエスは弟子たちに真理で世を明るく照らす存在[将来の希望を示せる存在]であるべきだと述べ

 ているということです。)
 

17 「わたしが律法や預言者たちを破棄するために来たと考えてはなりません。破棄するためではなく,成就するために来たのです。
18 あなた方に真実に言いますが,律法から最も小さな文字一つまたは文字の一画が消え去って,[記された]すべてのことが起きないよりは,むしろ天地の消え去るほうが先なのです。
19 それゆえ,だれであれ,これら一番小さなおきての一つを破り,また人にそのように教える者は,天の王国関連して『一番小さい者』と呼ばれるでしょう。だれでもそれを行ない,またそれを教える者,その者は天の王国に関連して『大いなる者』と呼ばれるでしょう。
関連してと述べていますので、天の王国に入る人[臣民]でおきてを破ったりそのように教える人

 は天の王国に入れないということを示唆しています。

 興味深いのは、

 イエスはここで、律法と天の王国と関連して述べているという点です。)
 

20 あなた方に言っておきますが,あなた方の義書士やパリサイ人の[義]より豊かにならなければ,あなた方は決して天の王国に入らないのです。
21 「古代の人々に対して,『あなたは殺人をしてはならない。しかし,だれでも殺人を犯す者は法廷で言い開きをすることになるであろう』と言われたことをあなた方は聞きました。
22 しかし,わたしはあなた方に言います。自分の兄弟に対して憤りを抱き続ける者はみな法廷で言い開きをすることになり,だれでも言うまじき侮べつの言葉で自分の兄弟に呼びかける者は最高法廷で言い開きをすることになります。また,だれでも,『卑しむべき愚か者よ!』と言う者は,火の燃えるゲヘナに処せられることになるでしょう。
23 「それで,供え物を祭壇に持って来て,兄弟が自分に対して何か反感を抱いていることをそこで思い出したなら,
24 あなたの供え物をそこ,祭壇の前に残しておいて,出かけて行きなさい。まず自分の兄弟と和睦し,それから,戻って来たときに,あなたの供え物をささげなさい。
25 「あなたを告訴する者とは,共にその道にある間に,すばやく事の解決に当たり,告訴者があなたを裁き人に引き渡し,裁き人が廷吏に[引き渡して],あなたが獄に投げ込まれるようなことがないようにしなさい。
26 本当のこととしてあなたに言いますが,価のごくわずかな最後の硬貨を払ってしまうまで,あなたがそこから出て来ることは決してないでしょう。
27 「『あなたは姦淫を犯してはならない』と言われたのをあなた方は聞きました。
28 しかし,わたしはあなた方に言いますが,女を見つづけてこれに情欲を抱く者はみな,すでに心の中でその[女]と姦淫を犯したのです。
29 そこで,もしあなたの右の目があなたをつまずかせているなら,それをえぐり出して捨て去りなさい。全身をゲヘナに投げ込まれるよりは,肢体の一つを失うほうがあなたにとって益になるのです。
30 また,もしあなたの右の手があなたをつまずかせているなら,それを切り離して捨て去りなさい。全身がゲヘナに落ちるよりは,肢体の一つを失うほうがあなたにとって益になるのです。
31 「さらに,『だれでも妻を離婚する者は,離婚証書をこれに与えなさい』と言われました。
32 しかし,わたしはあなた方に言いますが,妻を離婚する者はみな,それが淫行のゆえでないならば,彼女を姦淫にさらすのであり,だれでも,離婚された女と結婚する者は姦淫を犯すことになるのです。
33 「さらにまた,古代の人々に対し,『誓いをして履行しないようなことがあってはならず,あなたはエホバに対する自分の誓約を果たさねばならない』と言われたことをあなた方は聞きました。
34 しかし,わたしはあなた方に言いますが,いっさい誓ってはなりません。天にかけても,なぜならそれはのみ座だからです。
35 地にかけても,なぜならそれは[]の足台だからです。エルサレムにかけても,なぜならそれは大いなる王の都市だからです。
36 また,あなたの頭にかけて誓ってもなりません。なぜなら,あなたは髪の毛一本さえ白くも黒くもできないからです。
37 ただ,あなた方の“はい”という言葉は,はいを,“いいえ”は,いいえを意味するようにしなさい。これを越えた事柄は邪悪な者から出るのです。
38 「『目には目,歯には歯』と言われたのをあなた方は聞きました。
39 しかし,わたしはあなた方に言いますが,邪悪な者に手向かってはなりません。だれでもあなたの右のほほを平手打ちする者には,他[のほほ]をも向けなさい。
40 そして,もし人があなたと一緒に法廷に行ってあなたの内衣を手に入れようとするならば,その者には外衣をも取らせなさい。
41 また,だれか権威のもとにある者があなたを一マイルの奉仕に徴用するならば,その者と一緒に二マイル行きなさい。
42 求める者に与え,あなたから[利息なしで]借りようとする者に背を向けてはなりません。
43 「『あなたは隣人を愛し,敵を憎まなければならない』と言われたのをあなた方は聞きました。
44 しかし,わたしはあなた方に言いますが,あなた方の敵を愛しつづけ,あなた方を迫害している者たちのために祈りつづけなさい。
45 それは,あなた方が天におられるあなた方のの子であることを示すためです。[]は邪悪な者の上にも善良な者の上にもご自分の太陽を昇らせ,義なる者の上にも不義なる者の上にも雨を降らせてくださるのです。
46 というのは,自分を愛してくれる者を愛したからといって,あなた方に何の報いがあるでしょうか。収税人たちも同じことをしているではありませんか。
47 また,自分の兄弟たちにだけあいさつしたからといって,どんな格別なことをしているでしょうか。諸国の人々も同じことをしているではありませんか。
48 ですから,あなた方は,あなた方の天のが完全であられるように完全でなければなりません。
 
6章
人に注目されようとして自分の義を人の前で行なうことがないようによく注意しなさい。そうでないと,天におられるあなた方ののもとであなた方に報いはありません。
2 ゆえに,憐れみの施しをするときには,偽善者たちが人から栄光を受けようとして会堂や街路でするように,自分の前にラッパを吹いてはなりません。あなた方に真実に言いますが,彼らは自分の報いを全部受けているのです。
3 しかしあなたは,憐れみの施しをする際,あなたの右の手がしていることを左の手に知らせてはなりません。
4 あなたの憐れみの施しがひそかに[なされる]ためです。そうすれば,ひそかに見ておられるあなたの報いてくださるでしょう。
5 「また,祈るとき,あなた方は偽善者たちのようであってはなりません。彼らは,人に見えるように会堂の中や大通りの角に立って祈ることを好むのです。あなた方に真実に言いますが,彼らは自分の報いを全部受けているのです。

6 しかし,あなたが祈るときには,自分の私室に入り,戸を閉じてから,ひそかなところにおられるあなたのに祈りなさい。そうすれば,ひそかに見ておられるがあなたに報いてくださるでしょう。
7 しかし,祈る際には,諸国の人々がするように同じことを何度も繰り返し言ってはなりません。彼らは言葉を多くすれば聞かれると思っているのです。
8 それで,彼らのようになってはなりません。あなた方のであられるは,まだ求めないうちから,あなた方がどんなものを必要としているかを知っておられるのです。
9 「そこで,あなた方はこのように祈らなければなりません
「『天におられるわたしたちのよ,あなたのお名前が神聖なものとされますように。
10 あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じように,地上においてもなされますように。

11 今日この日のためのパンをわたしたちにお与えください。
12 また,わたしたちに負い目のある人々をわたしたちが許しましたように,わたしたちの負い目をもお許しください。
13 そして,わたしたちを誘惑に陥らせないで,邪悪な者から救い出してください』。

(天の王国、神のご意志、必要な物、罪の許し、誘惑[欲望]について述べています。

 クリスチャンとして必要な資質です。)


14 「あなた方が人の罪過を許すなら,あなた方の天のもあなた方を許してくださるのです。
15 けれども,あなた方が人の罪過を許さないなら,あなた方のもあなた方の罪過を許されないでしょう。
16 「断食をしているときには,偽善者たちのように悲しげな顔をするのをやめなさい。彼らは,断食をしていることが人々に見えるように,自分の顔を醜くするのです。あなた方に真実に言いますが,彼らは自分の報いを全部受けています。
17 しかし,あなたが断食をしているときには,頭に油を塗り,顔を洗いなさい。
18 断食をしていることが,人にではなく,ひそかなところにおられるあなたのに見えるためです。そうすれば,ひそかに見ておられるがあなたに報いてくださるでしょう。
19 「あなた方は自分のために地上に宝を蓄えるのをやめなさい。そこでは蛾やさびが食い尽くし,また盗人が押し入って盗みます。
20 むしろ,自分のために天に宝を蓄えなさい。そこでは蛾もさびも食わず,盗人が押し入って盗むこともありません。

21 あなたの宝のある所,そこにあなたの心もあるのです。
22 「体のともしびは目です。それで,もし目が純一であれば,あなたの体全体は明るいでしょう。
23 しかし,目がよこしまであれば,あなたの体全体は暗いでしょう。あなたのうちにある光が実際のところ闇であれば,その闇はどんなにかひどいことでしょう。
24 「だれも二人の主人に奴隷として仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛するか,一方に堅く付いて他方を侮るかのどちらかだからです。あなた方はと富とに奴隷として仕えることはできません。
25 「このゆえにあなた方に言いますが,何を食べまた何を飲むのだろうかと自分の魂のことで,また何を着るのだろうかと自分の体のことで思い煩うのをやめなさい。魂は食物より,体は衣服より大切ではありませんか。
26 天の鳥をよく観察しなさい。種をまいたり,刈り取ったり,倉に集め入れたりはしません。それでも,あなた方の天のはこれを養っておられます。あなた方はそれらより価値のあるものではありませんか。
27 あなた方のうちだれが,思い煩ったからといって自分の寿命に一キュビトを加えることができるでしょうか。
28 また,衣服のことで,なぜ思い煩っているのですか。野のゆりから,それがどのように育っているか,教訓を得なさい。労したり,紡いだりはしません。
29 しかしあなた方に言いますが,栄光を極めたソロモンでさえ,これらの一つほどにも装ってはいませんでした。
30 では,が,今日ここにあって明日かまどに投げ込まれる野の草木にこのように衣を与えておられるなら,ましてあなた方に衣を与えてくださらないことがあるでしょうか。信仰の少ない人たちよ。
31 それで,思い煩って,『わたしたちは何を食べるのか』,『何を飲むのか』,『何を身に着けるのか』などと言ってはなりません。
32 これらはみな,諸国民がしきりに追い求めているものなのです。あなた方の天のは,あなた方がこれらのものをすべて必要としていることを知っておられるのです。
33 「ですから,王国と[]の義をいつも第一に求めなさい。そうすれば,これら[ほかの]ものはみなあなた方に加えられるのです。
34 それで,次の日のことを決して思い煩ってはなりません。次の日には[次の日]の思い煩いがあるのです。一日の悪いことはその日だけで十分です。
 
7章
自分が裁かれないために,[人を]裁くのをやめなさい
2 あなた方が裁いているその裁きであなた方も裁かれることになるからです。そして,あなた方が量り出しているその量りで人はあなた方に量り出すでしょう。
3 では,なぜ兄弟の目の中にあるわらを見ながら,自分の目の中にある垂木のことを考えないのですか。
4 また,どうして兄弟に,『あなたの目からわらを抜き取らせてください』と言えるのですか。しかも,ご覧なさい,自分の目の中には垂木があるのです。
5 偽善者よ! まず自分の目から垂木を抜き取りなさい。そうすれば,兄弟の目からわらを抜き取る方法がはっきり分かるでしょう。
6 「神聖なものを犬に与えてはなりません。あなた方の真珠を豚の前に投げてもなりません。彼らがそれを足で踏みつけ,向き直ってあなた方をかき裂くことのないためです。
イエスについての良いたより、音信を

 無分別な者、愚鈍な者、どうしようもない者、偶像礼拝者、霊媒師、出来事の職業的予告者などに

 話しても、彼らの前で信仰を示してもならないと言っているようにも思えます
 こうした者たちは、イエスの敵対者であり、あしざまに言う者たちだからです。

 実際、イエス自身、敵対者やあしざまに言う人たちに対して、「良いたより」を宣明することはあ

 りませんでした。

 サンヘドリンでもピラトの前でも彼らに対する「警告」以外「殆ど口を開きません」でした。

 -マタイ26:59-68、27:11-14
 彼らには、初めから救いは無いのです。)

 

7 「求めつづけなさい。そうすれば与えられます。探しつづけなさい。そうすれば見いだせます。たたきつづけなさい。そうすれば開かれます。
8 だれでも求めている者は受け,探している者は見いだし,まただれでもたたいている者には開かれるのです。
9 実際,あなた方のうち自分の子からパンを求められるのはだれでしょうか―その人は石を渡したりはしないではありませんか。
10 あるいは,[子]は魚を求めるかもしれません―その人は蛇を渡したりはしないではありませんか。
11 それで,あなた方が,邪悪な者でありながら,自分の子供たちに良い贈り物を与えることを知っているのであれば,まして天におられるあなた方のは,ご自分に求めている者に良いものを与えてくださるのです。
12 「それゆえ,自分にして欲しいと思うことはみな,同じように人にもしなければなりません。事実,これが律法と預言者たちの意味するところです。
13 「狭い門を通って入りなさい。滅びに至る道は広くて大きく,それを通って入って行く人は多いからです。
14 一方,命に至る門は狭く,その道は狭められており,それを見いだす人は少ないのです。
15 「羊の覆いを付けてあなた方のもとに来る偽預言者たちに警戒していなさい。内側では,彼らはむさぼり食うおおかみです。
16 あなた方は,その実によって彼らを見分けるでしょう。いばらからぶどうを,あざみからいちじくを集めることなどないではありませんか。
17 同じように,良い木はみなりっぱな実を生み出し,腐った木はみな無価値な実を生み出すのです。
18 良い木は無価値な実を結ぶことができず,腐った木がりっぱな実を生み出すこともできません。
19 りっぱな実を生み出していない木はみな切り倒されて火の中に投げ込まれます。
20 それでほんとうに,あなた方はその実によってそれら[の人々]を見分けるのです。
21 「わたしに向かって,『よ,よ』と言う者がみな天の王国に入るのではなく,天におられるわたしののご意志を行なう者が[入る]のです。
22 その日には,多くの者がわたしに向かって,『よ,よ,わたしたちはあなたの名において預言し,あなたの名において悪霊たちを追い出し,あなたの名において強力な業を数多く成し遂げなかったでしょうか』と言うでしょう。

23 しかしその時,わたしは彼らにはっきり言います。わたしは決してあなた方を知らない,不法を働く者たちよ,わたしから離れ去れ,と。
その日とはイエスが神の王国の王となり、神の王国の入り口を開いた日のことだと思われます。
 その時、イエスに向かって上のようなことを言う人々、例えばカトリックやプロテスタントの牧師

 たちや、ものみの塔の統治体の人々も含まれるかも知れませんが、
 彼らは神の王国には入れて貰えないということです。
 自分ではそれにふさわしいことをして来たと思っていることも分かります。
 しかし、イエス彼らのしたことが「不法」であると言っています。
 それは、彼らが行ったことは、「勝手にしたこと」であり、イエスの命令や指示によるもので

 は無かったことを示しています。
 これは、ものみの塔にも言えることです。)

 

24 「それゆえ,わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな,思慮深い人に例えられるでしょう。それは岩塊の上に家を建てた人です
25 そして,雨がどしゃぶりに降って洪水が来,風が吹いて打ちつけても,その家は崩れ落ちませんでした。岩塊の上に土台が据えられていたからです。
26 そしてまた,わたしのこれらのことばを聞いてもそれを行なわない者はみな,愚かな人に例えられるでしょう。それは砂の上に家を建てた人です。
27 そして,雨がどしゃぶりに降って洪水が来,風が吹いて打ち当たると,その家は崩れ落ち,その崩壊はひどいものでした」。
28 さて,イエスがこれらのことばを[語り]終えられると,群衆はその教え方に驚き入っていた。
29 権威のある人のように教えておられ,彼らの書士たちのようではなかったからである。
断定した命令口調で述べているからであり、その理由もはっきりとさせています。
 こうして、聞いている人々を納得させているからです。
 ただ、命じている訳ではないということです。)

これらは弟子たちに対する教えではありましたが、群衆もそれを聞いていたことを示しています。
つまり、
イエスは、群衆も聴くことを意識して話していたということなのです。

書士やパリサイ人を非難するため
律法がその役目を間もなく終わらせることを教えるためだったのです。

こうした教えとは別に
イエスは、犠牲の死を遂げる直前に、使徒たちに新しいおきてを与えています。
加えて、
ご自分の死を記念として行い続けるようにとも命じています。
つまり、永久に記憶に残すようにと言われたということです。
それ程重要な意味と意義があったということです。
また、
新しい契約をしています。
これは、天の王国の一員となるための契約です。
これは、使徒たちから拡大し、最終的には14万4000人という数に上ることはヨハネへの啓示で示されています。
ヨハネへの啓示では、その彼らが何を行うかも記されています。
また、
天のシオンに立っていることから、そこから地に対して王として支配することを示しています。
ちなみに、
新しい都市エルサレムはいわば神殿のような場所で、イエスがそこに住まわれることになっています。
実際、イエスがそこに存在するので、神殿は無いと記されています。
その都市は、城壁で囲まれ十二の門があります。

実際のエルサレムの都市の中に神殿とシオンの山があったことは地理的に分かっています。
その側(そば)にダビデの都市もありました。
これは、城壁の外に面した場所(南側)です。
つまり、
新しいエルサレムは、いわば、エデンの園のような場所と考えることが出来ると思われます。
実際、のみ座の下から命の川が、その都市の中央を流れており、その川の両側には毎月実を付ける命の木が立っておりその木の葉は癒すものとなると記されているからです。

   

啓示14章
またわたしが見ると,見よ,子羊シオンの山に立っており,彼と共に,十四万四千人の者が,の名と彼のの名をその額に書かれて[立っていた]。

2 またわたしは,多くの水の音のような,そして大きな雷鳴のような音が天から出るのを聞いた。わたしが聞いた音は,自分で弾くたて琴に合わせて歌う歌い手たちの[声]のようであった。

3 そして彼らは,み座の前および四つの生き物と長老たちの前で,新しい歌であるかのような[歌]を歌っている。地から買い取られた十四万四千人の者でなければ,だれもその歌を学び取ることができなかった。

4 これらは女によって自分を汚さなかった者である。事実,彼らは童貞である。これらは,子羊の行くところにはどこへでも従って行く者たちである。これらは,子羊に対する初穂として人類の中から買い取られたのであり,

5 その口に偽りは見いだされなかった。彼らはきずのない者たちである。

   

啓示21章
それからわたしは,新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去っており,海はもはやない。

2 また,聖なる都市,新しいエルサレムが,天から,のもとから下って来るのを,そして自分の夫のために飾った花嫁のように支度を整えたのを見た。

3 それと共に,わたしはみ座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ! の天幕が人と共にあり,[]は彼らと共に住み,彼らはその民となるであろう。そしてみずから彼らと共におられるであろう。

4 また[]は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」。
5 そして,み座に座っておられる方がこう言われた。「見よ! わたしはすべてのものを新しくする」。また,こう言われる。「書きなさい。これらの言葉は信頼できる真実なものだからである」。

6 そして,その方はわたしに言われた,「事は成った! わたしはアルファでありオメガであり,初めであり終わりである。だれでも渇いている者に,わたしは命の水の泉から価なしに与える。

7 だれでも征服する者はこれらのものを受け継ぎ,わたしはそのとなり,彼はわたしの子となるであろう。

8 しかし,憶病な者,信仰のない者,不潔で嫌悪すべき者,殺人をする者,淫行の者,心霊術を行なう者,偶像を礼拝する者,またすべての偽り者については,その分は火と硫黄で燃える湖の中にあるであろう。これは第二の死を表わしている」。
9 そして,最後の七つの災厄を満たした七つの鉢を持つ七人のみ使いの一人が来て,わたしと話してこう言った。「こちらに来なさい。子羊の妻である花嫁をあなたに見せよう」。

10 そうしては,霊[の力]のうちにわたしを大きくて高大な山に運んで行き,聖なる都市エルサレムが,天から,神のもとから下って来るのを,

11 そしての栄光を帯びているのを見せてくれた。その輝きは極めて貴い宝石に似ており,碧玉が水晶のように澄みきって輝いているかのようであった。

12 それには大きくて高大な城壁があり,また十二の門があった。そして,門のところには十二人のみ使いがおり,イスラエルの子らの十二の部族の名が書き込まれていた

13 東に三つの門,北に三つの門,南に三つの門,西に三つの門があった。

14 その都市の城壁にはまた十二の土台石があり,それには子羊十二使徒の十二の名があった。
・・

・・
22 そして,わたしはその中に神殿を見なかった全能者なるエホバがその神殿であり,子羊もそうだからである。

23 そしてその都市は,太陽や月が照らす必要はない。の栄光がそれを明るく照らし,そのともしびは子羊だったからである。

24 そして,諸国民はその光によって歩み,地の王たちは自分の栄光をそこに携え入れるのである。

25 また,その門は一日じゅう決して閉ざされることはない。そこに夜はないからである。

26 そして,彼らは諸国民の栄光と誉れをそこに携え入れるのである。

27 しかし,すべて神聖でないもの,また嫌悪すべきことや偽りを行ないつづける者は,だれも決してその中に入れない。子羊の命の巻き物に書かれた者だけが[入るのである]。

(命の巻物に、諸国民や地の王たちが書かれていることが示されていることから、

 地上にいる人々は、いわゆる諸国民であり、その中に王のような存在もいることを示しています。

 その中に、モーセやダビデのような人々もいると推測されます。)
   
22章
また彼は,水晶のように澄みきった,命の水の川をわたしに見せてくれた。それは子羊とのみ座から出て,

2 その大通りの中央を流れていた。そして,川のこちら側と向こう側には,月ごとに実を生じ,実を十二回生み出す,命の木が[あった]。そして,その木の葉諸国民をいやすためのもの[であった]。
3 そして,もはや何ののろいもない。子羊とのみ座が[その都市]の中にあり,その奴隷たちは[神]に神聖な奉仕をささげるのである。

4 彼らは[]の顔を見,そのみ名が彼らの額にあるであろう。

5 また,夜はもうない。それで彼らはともしびの光を必要とせず,太陽の光も[持た]ない。エホバが彼らに光を与えるからである。そして彼らは限りなく永久に王として支配するであろう。
6 また彼はわたしに言った,「これらの言葉は信頼できる真実なものである。すなわち,預言者たちの霊感の表現のであるエホバが,ほどなくして必ず起きる事柄をご自分の奴隷たちに示すため,そのみ使いを遣わされたのである。

7 そして,見よ,わたしは速やかに来る。この巻き物の預言の言葉を守り行なう者は幸いである」。

 

これから分かるように、

十二使徒は特別な存在であり、イエス奴隷たち=以前神の王国として、地に対して王として支配する14万4000人は、継続して王として支配することになると思われます。

あるいは、

地には王たちは存在しますが、神がアダムの神であった時のような状態になると思われます。

 

これらは「新しい天」を構成する人々であり、

そして、地上には「新しい地」を構成する人々である諸国民がおり、その中に地の王たちもいるということです。ー啓示7:13-17

 

更に、

聖なる都市エルサレム子羊が住む都市は、モーセの時代の幕屋の「至聖所」のような存在となると思われます。

かつては、モーセと大祭司のみが至聖所に入ることが許されましたが、もはや、汚れた者が存在しないので、その都市に自由に出入りすることが許されると考えられます。-啓示22:12-15

そして、その至聖所には至聖所の手前の聖所を明るく灯していた燭台はありませんでした。

   

至聖所の前の垂れ幕はイエスの贖いの犠牲を表しており、

大祭司が垂れ幕を通して至聖所[天]に入ったように、

新しい地を構成する人々が、[天]すなわち神のみ座の前に立つにはイエスの贖いの犠牲に信仰を働かせる=イエスの血によって自分の長い衣を洗って白くする必要があるのです。

-ヘブライ10:19-20、啓示7:14-15 

  

知恵を求める人のためのブログです。

以下に述べることは、提案(助言)ではありますが、
一つの「方法論」です。

元エホバの証人の多くは、
会衆を離れても、輸血や偶像礼拝や淫行を避けるだけではなく、この世の行事や風習も避けるか忌避する傾向にあるものです。
誕生日を祝うことクリスマスなどの行事に参加しない。
選挙で投票に行かない。
世の友との交わりを避ける。
国歌を歌わない。
いかがわしいテレビ番組や映画を見ない。
ラップなどの過激な音楽や演歌などの音楽を聴かない。
大勢集まる集会などを避ける。
町内会などの役員を避ける。
場合によっては町内会費を払わない。
などなど、
エホバの証人であった時の振る舞いをそのまましていることが多いものです。

私はこの状態を、「まだ信仰を持っている状態である」とは言いません
こうしたことは、ものみの塔の教えの影響であり、
自分の考えでこうしたことを忌避することが「正しいこと」であると「確信」して行っている訳ではないからです。

 

こうしたことは、

「死や滅び」と言った事柄に直結した「恐れ」によるものです。

 

++++++++++++++++++++++++++++

子供の頃に「ムチ」をされた場合、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に陥っている場合が多いものです。

 

同じように、

過去に「してはだめだ」と言われたことや「人に親切にしなさい」などと言われたことが記憶として残っている場合、その理由は兎も角として、そうした事柄を誰でも忌避したり守ったりしてしまう傾向にあるものです。

  

元エホバの証人たちというより、人間はこうした傾向にあるのです。

学校で授業以外の、いわゆる禁止行為を示した「校則」や「精神訓話」など推奨行為としての「校風(教訓など)」などに対しても同じ傾向を示すものです。

  

あなたも経験があるのではありませんか。

 

取り分け、エホバの証人は「救い、永遠の命」と対峙した「悪魔、滅び」と言った言葉には「敏感」です。

「命」が関わっていると思い込まされて来たからです。

会衆を離れエホバの証人ではなくなってもそうした思いは「続いてしまう」ものです。

 

このようなことは、

聖書やものみの塔の教えを「信じている」こととは無関係に生じる、「人間の傾向」なのです。

 

動物でも、同じ傾向を示します。

訓練された犬やネコでも、「ダメ」と言われたことや「お座りとかお手」などは「いつまでも守る」ものです。

  

人であっても、誰かに言われた「一言」や教訓生涯記憶として残るのと同じことなのです。

 

こうしたことを払拭出来ればPTSDも無くすことが出来ますが、現実には不可能です。

人間も動物も「そのように造られている」からです。

 

従って、

人は「自分で善悪を判断出来るようになる」までに、

何を教えられ、また、何を行い、何をしてはならないなどということは「極めて重要」な事柄なのです。

それは、人生そのものを決定付けるものとなってしまう「可能性」があるからです。

いわば、がこれに相当します。


キリスト教やイスラム教やユダヤ教やヒンズー教などの宗教の家で育てられた子供たちは、それぞれの教えを幼い時から徹底されるので同様の傾向を示しています。

  

つまり、

人の成長と能力について良く言われる「遺伝」と「環境」の影響です。

 

元エホバの証人心にもこうした影響が確実に起きているのです。

これは、病気ではありません

誰しもが逃れられないことがらなのです。

 

一度、美味しい、あるいは、まずいと感じてしまったものは生涯記憶として残るのと同じことなのです。

  

ただ、特に戦後以降の世代は「躾」と言っても、世の常識や道徳に基づくものではなく

親の感情でしていることが「殆ど」なので、

親が気に入らないというだけの理由で「暴力や虐待」をしている場合が多いのです。

 

エホバの証人の、いわゆる「ムチ」でも親子が同じ傾向を示します。

 

+++++++++++++++++++++++++++++

しかし、

成長して「善悪の判断」を自分で出来るようになると

経験や知識などから、以前の教えが「確信」に変化していく場合もあります。

 

この段階で、過去の教えがものみの塔とは離れて自分の考え」になるのです。

   

こうしたことが、エホバの証人である時に生じるなら

単なる知識が、本当の「信仰」に変わったということです。

 

逆に、間違いだったと「確信」する人もいます。

この場合、過去を払拭出来たと言えます。

 

ただし、

PTSDのような「経験」は決して払拭することは出来ません。

 

+++++++++++++++++++++++++++++
そもそも元エホバの証人が会衆を離れた原因の殆どは教理ではなく「人に対して躓いた」場合であることが多いものです。

このような人には次のように提案したいと思います。
提案の通りにするかどうかは自分で判断して下さい。
過去」から逃れられるかも知れません。
1 エホバの証人であった時のことは一端すべて忘れて

  犯罪以外で自分がしたいと思うことを何でもすることです。
  会衆を離れた時点で、以前の教えに縛られる理由はありません。
  信仰心が残っていたとしても、
  一端は忘れて、自分のしたいことをすることです。

2 そうすることで、本当の自分がどういう者かが分かります。
  心の思うがまま行う人もいれば、会衆を離れても自制する人もいるでしょう。
  それは、その人それぞれであり、その人自身そのものなのです。
  また、
  ものみの塔やエホバの証人たちの実情を暴露し批判する人もいるかも知れません。
  それはそれで「良い」のです。
  ものみの塔やエホバの証人は「そうした批判に耳を傾けるべき」だからです。

  ものみの塔は、聖書の見地と人間の見地が入り乱れているからです。
  もっとも、その批判が彼らに届くかどうかは分かりませんが。
  こうした点で、
  会衆を離れたり、あるいは、排斥されたとしても「負い目」を感じる必要はありません
  人は誰でも「罪」を犯しているからです。
  実際、罪を犯さない人は一人もいません。
  もしかすると、
  ものみの塔も社会問題化すれば以前の行いを改める」かも知れません。
  彼らを批判する「価値」「意義」はあるのです。

3 その結果、犯罪以外何が善いことで何が悪いことかが自分の中でより明確になります。
  それは、その人の良心」がはっきりさせてくれるのです。

4 その上で、自分がどうありたいかを改めて決めることです。
  自分がまだものみの塔の言う「希望(救い、永遠の命、平和な暮らしなど)」を持ち続けたいと

  思うなら、
  会衆に戻ることが「自分にとっては良いこと」かも知れません。
  しかし、
  仮にそうではあったとしても会衆に戻ることは勧めません
  信仰は「組織で行うことではなく個人で決めて行うものだからです。
  同じ考えの人がいれば「安心」出来る「気持ち」は良く分かります。
  ある意味、それは信仰の「弱さ」の一面でもあります。
  知識や振る舞いに関して、同調出来る人との会話や誰かの助言を聴きたいと思うこともあるかも

  知れません。
  そうしたこと自分で聖書を読んで調べることです。
  もし、
  こうした点でものみの塔の書籍や雑誌などや会衆の長老たちから「助言」を得るなら「以前と何

  ら変わっていない」ことになります。
  例え、会衆に戻っても彼らの教えに耳を傾けてはなりません
  彼らの教えや言うことや振る舞いを注意深く「調べる」ことです。
  彼らの言うことや振る舞いが「ものみの塔の教えのみならず聖書に反していることは既に理解

  しているはずです。
  実際、完璧に守れる人は存在しないからです。
  また、
  彼らの主張する聖書の裏付けを実際に聖書を部分的にであれ文脈であれ[読んで、自分で考え判

  断する]ことです。

  ものみの塔などの「以前の教え」に捕らわれることなく「自分で判断する」ことが重要です。
  こうすることで、信仰が「確信」に繋がって行きます。

  こうしたことは、
  会衆に戻らなくても出来ます
  実際、ものみの塔は自分たちの教え、考えなどをネットで公開しているからです。

  そうではなく、
  やはり、自分は世の中で生きて行きたいと思えばそうすべきです。
  世の中の人と同じように生きたいと思えばそうすべきです。
  また、
  世の中で、信仰を保った生き方をしたいと思えばそうすべきです。
  誰かの許可は必要ではありません
  自分で決めることです。

5 どの生き方を選らぶにしても、以前の出来事は記憶に残るものです。
  一度体に染みついたことは余程のことがない限り頭から離れないものです。
  そこで重要になることは「真理に対する確信」です。
  つまり、
  自分自身で「何が善で何が悪」かを判断する能力を高めることです。
  そうするなら、
  いつでも、自分の行いに自信を持つことが出来ます。 
  それでも、
  正しいことが分かっていても、それが出来ないという場合もあります。
  それはその人の弱さの一面ですが、深く考える必要はありません
  人は誰でも罪を犯すからです。
  悪いと思ってやってしまっても、後悔し次にはしないように「努力」すれば済むことです。
  同じ過ちを繰り返しても深く考える必要はありません
  信仰を持つ多くの人も「同じことをしている」からです。

  誰かに自分の悪を公表や「告白」する必要もありません
  神とイエスは、あなたが言わなくても分かっているからです。
  大事なことは、
  自分の心が何処にあるかということです。

  イエスが言われたように、「罪の許し」を祈り求めることが出来ます。

6 もし、会衆に戻った場合の振る舞いについて。

  大抵は、「良く戻って来た」と歓迎されるものです。

  そして、いろんなことを「聞き出そう」とするものです。

  彼らは、世に戻ることがどういうことかに関心があるからです。

  そこから教訓」を学ぶためです。

  そして、聴いた事柄に応じて、その人が世の中でしたことを「心の中で」「批判し裁く」ので

  す。

  しかし、

  もし、排斥された人ならば、話しかけてくる人は殆どいないと思います。

  加えて、長老たちにいろいろ聞かれると思います。

   

  どちらの場合でも、

  会衆を離れている間の「に関しては「問われる」ことはないはずです。
  もし、問われても後悔したので戻って来たと言えば良いだけのことです。
  世に戻っていた間のことを「こと細かく言う」必要もありません
  また、
  神に誓って「嘘」は言っていませんねという脅し」を言う長老がいるかも知れません。
  この時はイエスに従うことです。-マタイ5:33-37

  33 「さらにまた,古代の人々に対し,『誓いをして履行しないようなことがあってはならず,あなた

  はエホバに対する自分の誓約を果たさねばならない』と言われたことをあなた方は聞きました。

  34 しかし,わたしはあなた方に言いますが,いっさい誓ってはなりません。天にかけても,なぜなら

  それはのみ座だからです。

  35 地にかけても,なぜならそれは[]の足台だからです。エルサレムにかけても,なぜならそれは

  大いなる王の都市だからです。

  36 また,あなたの頭にかけて誓ってもなりません。なぜなら,あなたは髪の毛一本さえ白くも黒く

  もできないからです。

  37 ただ,あなた方の“はい”という言葉は,はいを,“いいえ”は,いいえを意味するようにしなさい。こ

  れを越えた事柄は邪悪な者から出るのです。

 

  言わないことや隠すことは「嘘をつく」とは別のことです。
  自分からは黙っていて聞かれたことだけに返答することです。
  もし、悪行や罪に関して聞かれても具体的に答える必要はありません
  「すでに神に話し許しを求めています」とだけ答えるべきです。

 

  長老たちは、裁き人でも裁判官でもないのです。
  審理委員に任命したのは、イエスではなくものみの塔だからであり、彼らの言いなりになる必要

  はないのです。
  
  排斥された人が会衆に戻ると長老に意思表示をした場合は、必ず、審理委員会に呼ばれます
  そして、根掘り葉掘り聞かれると思いますが、具体的に述べる必要はありませんし、
  「すでに神に話し許しを求めています」とだけ答えるべきです。
  
  こうした態度を「頑なな態度とみなして復帰を認めないのであれば、

  復帰を認めない彼らの考えを受け入れ、再び会衆を去るべきです。

  その責任が彼らにあると告げて去ることです。
  長老たちは自分に権限がないことに手を出しているからです。
  彼らにそうする権限はないのです。
  その責任は彼ら自身が負うことになります
  ですから、
  そのような時には、安心して、再び会衆を去って下さい
    
真理は一つです。
 イエスの教えに従うことが「道であり、命であり、真理」なのです。-ヨハネ14:6
 聖書の他の部分ではなくイエスが「こうしなさい」「こうしてはなりません」と言ったことだけ

 を「守れば」それで良いのです。
  

 こうしたことを聖書(四福音書)から抜粋することは、それ程時間は掛かりません。
 ここが信仰の「核心」です。

 

 ある意味、他のことは余り気にしなくても良いのです。

 イエスの話したことが、信仰のすべてを「網羅」していると言っても過言ではありません。
  

パウロやペテロやヤコブが書いた手紙の内容は、「イエスについての良いたより」の補足と見なすことが出来るのです。
彼らは、イエス精神を含め神の考え「より具体的に、分かり易く」信者たちに述べたのです。
実際、イエスが述べていない事柄に関しても述べています。-参考コリント(二)8:10

こうしたことは、
あなた自身が自分で調べて「確信」すべき事柄です。

人は各々自分の荷を負うのです。-ガラテア6:4-5

     

知恵を求める人のためのブログです。

初めに、

この記事はアメリカ大統領ドナルド・トランプに対する酷評です。

ですが、

読者にトランプという人間の実像を知って欲しいと思い書いています。

  

++++++++++++++++++++++++++++++++++ 

トランプは、

就任直後に、アメリカ議会乱入事件で有罪となり刑に服している人たちに恩赦を与えました。

これは、自分がこれに関与したことの証明となり、この事件でトランプが有罪であることを自ら証明したようなものです。

さらに、

世界中の紛争を止めさせ、あたかも自分が平和の使者であるかのような発言をしていますが、

トランプはトラブルメーカーで、自身は争いは好みませんが平和主義者ではありません

 

これほど好き勝手なことをする政治家はトランプ以外いません。

クレージーです。

これは、政治ではありません

独裁者のすることです。

 

アメリカ国民は独裁者を選んだのです。

 

ちなみに、

ヒトラーもドイツ国民に選挙で選ばれた人間でした。

 

トランプがヒトラーの二の舞になる可能性があります。

ヒトラーはユダヤ人の虐殺ホロコーストを行いました。

これは民族差別です。

ドイツ軍だけでなく多くのドイツ人がこれに加担しました。

 

トランプはアメリカへの不法入国者に対して、ヒトラーと同じこと(虐殺ではなく、差別という点で)をしています。

 

スターリンはドイツの後にポーランドに進攻し大量虐殺をしました。

 

プーチンはウクライナに進攻し多くの人を死に追いやっています。

 

アメリカにとっても世界にとっても、ヒトラーと同じくらい不幸な出来事です。

 

いずれトランプは政治の世界からいなくなりますが、それまでの4年間は世界は地獄を見ることになる可能性が高いでしょう。

 

スターリンは既に死に、次は年齢からトランプで、次いでプーチンが遅くても10年以内には皆死ぬでしょう。

 

世界は闇の中に突入したのです。

 

犯罪者の釈放は、地獄の始まりです。

就任後に追記しました

 

世界中の人々には覚悟が必要です。

平和は来ません。

 

++++++++++++++++++++++++++++++++++

トランプの主張は、  
正義や理想ではなく、秩序でもなく、法でもなく、理念でもなく、
ただ、多くの人の気を引くこと、多くの人が望むであろうことのみに終始していることです。

こうした点が、トランプを厄介にしていると言えます。

何かに強いこだわりがあれば、もっと違った対応の仕方があると思います。

良い悪いでもないのです。
トランプの目的は、ただ、人々の注目を集め自己満足すれば良いのです。
そのようにして人々の支持を受け人気を高め、自分の思うように活動することです。

 

大統領になる以前は、企業でそのようにしてきましたが、

企業では飽き足らず、政治に手を出して、いわば国を自分の思うようにしたくなったのです。

 

実に愚かな発想です。

トランプによって、世界中の人々が「迷惑」をしています。

まるで、

悪党が好き勝手にやっている構図です。

トランプに投票したアメリカ人も「利己的で愚かな群衆」であることは明白です。

 

このような人物は過去にもいました。

旧ソ連のスターリンです。

 

こうしたことは、

ある意味、無法地帯における個人の振る舞いであり、より力の強い存在が現れない限り、誰にも止めることが出来ないとさえ言えるかも知れません。

 

世界の政治の世界無法地帯というのが現状なのです。

 

だから、

プーチンのウクライナ侵攻を誰も止められないのです。

 

止められるのは、同じ「ヤクザ」な人間だけです。

 

もし、トランプがウクライナへのロシアの侵攻を止められたとしたら、

それは、同じ穴のムジナだという証拠になります。

 

つまり、

トランプもプーチンも「ヤクザ」な人間だと言う証明になるのです。

ヤクザ」な人間は、
時には相手を脅したり、攻撃したり、批判したりすることで相手を威嚇し自分の思い通りにしようとするものです。


つまり、相手の弱い所を突くという戦術を取る訳です。
国民、大衆には「」をちらつかせ、あたかも正しいことをしているかのように見せながら、

敵対する相手には「」を使い「脅す」ということを使い分けているということです。

はっきり言えばトランプは世界がどうなっても構わないと考えているのです。
自分さえ良ければそれで良いのです。

弱点は、おそらく女性だと思います。
トランプにとって唯一理解不能なのは女性なのです。
加えて、女に手を出したりいじめたりすると、自分の人気や支持が落ちることも分かっているのです。
野心的なアメリカ人の典型でもあります。

ヒラリーとの戦いではやりにくそうでした。
ハリスに対しては女性というより副大統領という立場を攻撃しました。

トランプは再び大統領の地位を手に入れました。
トランプに近づく取り巻きもトランプの「口車」に乗せられた人たちかトランプを利用する人です。

こうして考えてみると、ペンス元副大統領は分からない人でした。
トランプを支持する人物には初めから見えなかったからです。
初めに見た時にはとても政治家には見えませんでした。

しかし、トランプ自身にも変化は見られます。
一度大統領を経験しているのでその職務の在り方や政策の実現の難しさを理解していると思います。
二度目の今回はなぜか強くと言うより慎重な感じがします。
今回の大統領選での発言も、以前より「弱気」な発言が多かったように思います。
経験の成せることかも知れません。
議会は上院も下院も共和党が多数となり殆どの政策が思い通りになるでしょう。
加えて、自身の裁判についても司法関係者を自分の意向に沿う者を登用することで、すべてがトランプに味方し順風のように見えます。
戦争支援、国内外経済、国境問題、不法移民問題、治安問題、中絶問題等多くの問題が山積しています。
果たして、トランプの思いが国内外に通用するでしょうか?
個人的な予感では大きな変動を起こすでしょうが、その影響は限定的かも知れません。

トランプは、初めの時の大統領としての経験で、本当の意味での政治を理解したのだと思います。
それでも、人々を煽動したり支持を得ることに躍起になっている点では全く変わっていません。
トランプは商売人ですから経済を商売のように考えていることは間違いありません。
政治による経済は商売のように「駆け引き」では上手く行きません
大衆を納得させなければならないのです。

 

例えば、輸入品に高い関税をかけることで国内の産業を保護すると言っています。

もし、高い関税をかけると「国内の物価が上がりインフレ」になって行くことは必定です。

インフレになれば、人々の生活がより困難になって行きます。

つまり、自国の労働者を守ると言いながら結果的に苦しめることになるのです。


いくら良いことを言っても、それが実現出来なければ人々はトランプから離れて行くのです。

最初は、

大統領の独断で出来ることに着手し、国民に、有言実行を示すパフォーマンスに出ます。

これは持論の実行でもあります。

しかし、

それによって、苦難に陥る人々も多く、そうした人たちの声が、世に出て反響し、トランプ評が下がるには時間が掛かりますし、トランプ支持者による圧力もあります。


大統領の独断で出来ることなら「思い通り」に出来ますが、
議会の承認を必要とする時などは必ずしも思い通りにはなりません。

特に予算の承認は難航しますし、登用人物の審査などではそれらの人々の資質が問われることになるからです。


しかし、その他のことでは、今回は上下院どちらも共和党が多数を得ていますから、思い通りになるかも知れません。

それでも、人間は順調に行く時ほど「慎重」になるものです。
おそらく、トランプもそのようのなると思います。

実際、思い通りの政策をした結果「良い結果」ばかりではないはずです。
その時、言い訳をすることは目に見えていますが、国民はこれをどう見るかということです。

必ず、誰かのせいにします。

こうして、トランプ支持者たちは、やはり、トランプは政治の素人だったと認識することになるのです。

実際、誰が大統領や首相などをやっても、議会と上手くやって思い通りの法案を通しても、
結果が上手く行くとは限りません。

しかし、プライドの高いトランプは結果が上手く行かないと「傷付く」のです。
それはトランプが傲慢だからでもあります。

は「支え」や「対抗するもの」があるから発揮できるのであって、それらが弱くなったり無くなったら、

つまり、対抗するものが無くなると、拍子抜けし力を発揮出来ないものです。

ある意味、集中力を失い、気が緩んでしまうのです。

下手すると「大失敗」をすることもありますし、大災害が発生した時国民の期待に応えられないかも知れません。
そうなると、今まで自分が批判して来たことが今度は自分に跳ね返り恥をかくことになるのです。

これは、

本人にとっては「屈辱」そのものです。

そうなれば、

トランプは終わりです。奈落の底に落ちるのです。

+++++++++++++++++++++++++++++++++
日本では石破政権が誕生し、政治は健全な方向へと進んでいます。
どこかの党が「頑な」にならなければ、今後は安定した政治が見込まれるでしょう。

また、G20サミットに見られるように、トランプに対する「アレルギー」から、他の各国が歩み寄って、アメリカに対応しようとしている様子が見て取れました。

つまり、
世界は比較的安定した方向へと向かっているように思えます。
今後は、アメリカの独断とウクライナやガザでの戦闘がどのように収束していくかが課題となりますが、
こうした流れにプーチンとハマスやイランがどう対応するかにも掛かっています。

いずれにしろ、予断の許さない状況であることには違いはありません

今後10年掛けて、世界は「真の神」=平和の神に敵対する点で一致する方向へと進み、同時に、宗教に対する弾圧があるものと思われています。

 

少し前までは、

政治は宗教に「気を遣って」きました。

それは、宗教が政治や投票に影響する「恐れ」があるからで、その影響を懸念していたからです。

 

政治は、宗教とは相入れないのです。

政治は人間がするもので、宗教は神など「人間を超越した存在」によるものだからです。

 

自民党と旧統一教会との関係が明らかになり、政治はここに至って宗教を見切って侮り始めたことは確実です。

そのため、

政治は宗教の弾圧を始めることでしょう

 

今のところ、

旧統一教会への強制などが行われていませんが、なぜ手間取っているか理解出来ません。

政治家に確固たる理念や信念がないことが原因の一つでしょう。

 

しかし、将来のいつか必ず弾圧が実行される時が来ます

聖書で預言されているからです。


人間の手による平和は一瞬でしかないのです。
現実には、政治も経済も混沌としており自然災害も甚大なものとなり、これらに加えて凶悪犯罪も増加しています。

こうした点で、人々は「覚悟」と「心の備え」をする必要があります。

パウロの次の言葉は興味深いものがあります。
あなたはどのように考えますか?
テサロニケ(一)5章
さて,兄弟たち,時と時期については,あなた方は何も書き送ってもらう必要がありません。
2 エホバの日がまさに夜の盗人のように来ることを,あなた方自身がよく知っているからです。
3 人々が,「平和だ,安全だ」と言っているその時,突然の滅びが,ちょうど妊娠している女に苦しみの劇痛が臨むように,彼らに突如として臨みます。彼らは決して逃れられません
4 しかし,兄弟たち,あなた方は闇にいるのではありませんから,盗人たちに対するように,その日が不意にあなた方を襲うことはありません。
5 あなた方はみな光の子であり,昼の子なのです。わたしたちは夜にも闇にも属していません。
6 ですからわたしたちは,ほかの人々のように眠ったままでいないようにしましょう。むしろ目ざめていて,冷静さを保ちましょう
7 眠る者は夜眠るのが常であり,酔う者は夜酔うのが普通だからです。
8 しかし昼に属するわたしたちは,冷静さを保ち,信仰と愛の胸当てを,また,かぶととして救いの希望を身に着けていましょう
-テサロニケ(一)5:1-8

 

更に、がイエスに与えた「今日に対する預言」には次のように記されています。

啓示17章

17章
また,七つの鉢を持つ七人のみ使いの一人が来て,わたしと話してこう言った。「さあ,多くの水の上に座る大娼婦に対する裁きをあなたに見せよう。

2 地の王たちは彼女と淫行を犯し,地に住む者たちは彼女の淫行のぶどう酒に酔わされた」。
3 そして彼は,霊[の力]のうちにわたしを荒野に運んで行った。そこでわたしは,冒とく的な名で満ちた,七つの頭と十本の角を持つ緋色の野獣の上に,ひとりの女が座っているのを目にした。

4 また,その女は紫と緋で装い,金と宝石と真珠で身を飾り,手には,嫌悪すべきものと彼女の淫行の汚れたものとで満ちた黄金の杯を持っていた。5 そして,額にはひとつの名が書いてあった。それは秘義であって,「大いなるバビロン,娼婦たちと地の嫌悪すべきものとの母」というものであった。

6 またわたしは,その女が聖なる者たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た。
さて,彼女を目にした時,わたしは非常に不思議に思った。

7 すると,み使いがわたしに言った,「なぜ不思議に思ったのか。わたしは,女と,その[女]を運んでいる,七つの頭と十本の角を持つ野獣の秘義をあなたに告げよう。

8 あなたの見た野獣はかつていたが,今はいない。しかし底知れぬ深みからまさに上ろうとしており,そして去って滅びに至ることになっている。こうして,その野獣がかつてはいたが,今はおらず,後に現われるようになるのを見る時,地に住む者たちは驚いて感心するであろう。しかし彼らの名は世の基が置かれて以来命の巻き物に書かれていない。
9 「ここが知恵の伴うそう明さの関係してくるところである。七つの頭は七つの山を表わしており,その上にこの女が座っている

10 そして七人の王がいる。五人はすでに倒れ,一人は今おり,他の一人はまだ到来していない。しかし到来したなら,少しの間とどまらなければならない。

11 そして,かつていたが今はいない野獣,それ自身は八人目[の王]でもあるが,その七つから出,去って滅びに至る
12 「また,あなたが見た十本の角は十人の王を表わしている。彼らはまだ王国を受けていないが,一時のあいだ野獣と共に王としての権威を受けるのである。

13 これらの者は一つの考えを抱き,それゆえに自分たちの力と権威を野獣に与える。

14 これらの者は子羊と戦うであろう。しかし子羊は,主の,王のであるので,彼らを征服する。また,召され,選ばれた忠実な者たちも彼と共に[征服する]」。
15 また彼はわたしに言う,「あなたの見た水,娼婦が座っているところは,[もろもろの]民と群衆と国民と国語を表わしている

16 そして,あなたの見た十本の角,また野獣,これらは娼婦を憎み,荒れ廃れさせて裸にし,その肉を食いつくし,彼女を火で焼き尽くすであろう。

17 は,ご自分の考えを遂行することを彼らの心の中に入れたからである。すなわち,彼らの王国を野獣に与えて[彼らの]一つの考えを遂行し,の言葉の成し遂げられるに至ることである。

18 そして,あなたの見た女は,地の王たちの上に王国を持つ大いなる都市を表わしている」。

この女は、地の王たちの上に立っている「組織された宗教とそのグループ」のことです。

 この女を滅ぼすのは、野獣[八人目の王]と十人の王であり地の王たちではありません。

 そのような考えをこれらの心に入れるのはです。

 そして、この野獣も十人の王も滅びに至ることになっています。

 ここが知恵を働かせるところです。)

18章
これらのことの後,わたしは,別のみ使いが天から下って来るのを見た。彼は大いなる権威を持っており,地は彼の栄光によって明るく照らされた。

2 そして,彼は強い声で叫んで言った,「彼女は倒れた! 大いなるバビロンは倒れた。そして,悪霊たちの住みか,あらゆる汚れた呼気のこもる場所,またあらゆる汚れた憎まれる鳥の潜む場所となった!

3 彼女の淫行の怒りのぶどう酒のためにあらゆる国民が[いけにえ]にされ,地の王たちは彼女と淫行を犯し,地の旅商人たちは彼女の恥知らずのおごりの力で富を得たからである」。
4 また,わたしは天から出る別の声がこう言うのを聞いた。「わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄を共に受けることを望まないなら,彼女から出なさい。

5 彼女の罪は重なり加わって天に達し,神は彼女の[数々の]不正な行為を思い出されたのである。

6 彼女自身が返したとおりに彼女に返し,二倍を,つまり,彼女が行なったことの二倍を彼女に行ないなさい。彼女が混ぜ物を入れた杯に,二倍の混ぜ物を彼女のために入れなさい。

7 彼女が自分に栄光を帰し,恥知らずのおごりのうちに暮らしたその分だけ,彼女に責め苦と嘆きを与えなさい。彼女は心の中で,『わたしは女王として座す。やもめなどではない。嘆きを見ることは決してない』と言いつづけているからである。

8 そのために,彼女の災厄は一日のうちに来る。それは死と嘆きと飢きんであって,彼女は火で焼き尽くされるであろう。彼女を裁いたエホバ神は強い方だからである。
9 「そして,彼女の焼かれる煙を見る時,彼女と淫行を犯し,恥知らずのおごりのうちに暮らした地の王たちは,彼女のことで泣き,悲嘆して身を打ちたたくであろう。

10 また,彼女の受ける責め苦を恐れるあまり,遠く離れたところに立って,こう言うであろう。『気の毒だ,気の毒なことだ,大いなる都市よ,強力な都市ともあろうバビロンよ,あなたの裁きが一時のうちに到来したとは!』

        

+++++++++++++++++++++++++++++++++

最後に、これは直感です。

トランプは、トラブルメーカーで暴言を吐く悪党ですが、暴力には手を出さない主義のように思えます。

暴力では法から免れないからです。

更に、ケンカも嫌いではないかと思います。

本当は、

我儘で傲慢で、誰かれなく悪態をつきますが、本音は優しい気持ちも持っていると思います。

ただ、自分の悪態に対して周りがあれこれ責め立てるので反発してしまうのです。

しかし、気が短いことも確かです。

おそらく、

正義感も強いと思います。

さらには、

思い込みも甚だしい点もあります。

頭は普通程度だと思います、学校の成績がそれ程良いとは思いません。

というのがトランプ評です。

 

ウクライナやガザで戦争が起きていると「落ち着かない」のです。

そのため、どんなことをしても戦争をやめさせたいのです。

戦争が終わらないと、商売を思うように出来ないからです。

つまり、

国内経済や外国との貿易でアメリカ有利にする点で好き勝手なことが出来ないのです。

 

更に、

トランプは傲慢で何でも思い通りにしようとし、また、直接面と向かって激論することが殆どないので、好き勝手なことを言い、また、好き勝手にやってきました。

 

もし、これを打ち破る相手が出て来ると、トランプは混乱することは間違いありません。

例えば、最初の大統領選でヒラリーとテレビ討論をした時、トランプは負けていました

二回目の大統領選ではハリスとテレビ討論をした時、でたらめなことを言って議論をごまかしました

 

トランプは自分の考えややり方を否定されると、プライドが傷付き、それを払拭しようとでたらめなことを言って反論するような、不正直な人間なのです。

 

こうしたことを若い時に軍隊式の学校と父親から学んだのです。

 

人間として最低の人物がアメリカ大統領になったのです。

 

世界が良い方向へ、つまり、世界中の人々が臨んでいるような世界からは程遠い世界にする「悪魔」のような存在なのです。

 

**********************

これは過激な案ですが(ただし、アメリカ人的、CIA的発想です。日本人なら決してしません。)

トランプを狂わせ信頼を失墜させる方法として、アメリカを小競り合いに誘い込むことです。

経済ではなく、武力でです。

 

トランプのような人は、

弱い相手には強く出て、強い相手には「弱腰」になるものです。

 

外国に駐留しているアメリカ軍を「間違ったと言って攻撃」することです。

   

当然報復に出るでしょうが、そのようにしてアメリカを戦争に引きずり込むのです。

 

そうなると、トランプの思い通りに経済を動かせなくなります。 

 

これはあくまでも案であって、これを実際に行う国はないでしょう。
いや、出来る国はないと思います。
が、出て来て欲しいものです。

  

トランプ政権の人材は、おそらく皆「気が短い」人たちです。
ですから、
彼らを「怒らせる」ことです。
彼らが「憤る」ことを頻繁に起こすことです。
そうすることで、彼らの馬脚を露わにし、政権が順調に行かないようにすることです。

こうしてアメリカの弱点を突くことで、他の国の安泰を計ることです。

あなたはどう思いますか?
いい方法だと思いませんか?

他人の迷惑を考えない悪人に対しては悪で報いることです。
繰り返しますが、
これはCIA的発想です。

    

知恵を求める人のためのブログです。

社会は常に新しいもの、便利なもの、速いこと、優れたものなどを求め発展させて来ました。
そこに政治や人々の欲望が重なり、社会では常に進歩し続けなければならない状態を作り出してしまったことが経済を不安定にさせている要因であることに人々だけでなく学者も認識していません。
これが経済の最大の問題点なのです。

しかし、「なぜ経済を成長させる必要があるのか」という問いに答える必要があります。
なぜ成長ではなく安定を求めないのでしょうか?

成長しなければ、経済が滞るもしくは低下するなどと考えているのでしょうか?
成長することでものが増え続け、また、他との競争に勝つために適正な価格を維持出来ないなど多くの問題が発生していることは誰にでも分かっていることです。

常に、新製品を開発出来なければ、競争に負け成長が止まってしまい、中には、倒産する企業も出てきます。

 

こうした状態は、健全な経済活動とは言えません。

これに加えて、
トランプやイーロンマスクのような、常識から逸脱した人が台頭することで、人々をあらぬ方向へと導き、経済や政治のみならず社会秩序を混乱させ人々を不安にさせています。
更には、
プーチンのような「身勝手な独裁者」が現れ、政治のみならず経済にも不安定にさせています。

こうした状態でなくても、
冒頭に述べたように、常に経済の成長を目指し続けるなら、必ずいつか破綻し転落し、そこから回復し再び成長するということが繰り返されることになるのです。

 

例えば、

昭和の初めの世界恐慌があり、その後の戦争を経て、戦後の急成長があり、バブルが弾け、再び急成長を遂げ、再び経済が弾けることが繰り返されています。

 

このサイクルが短くなっていることも事実です。

 

つまり、

経済は乱高下が突然やって来る時代になってしまったのです。

 

つい最近も株価が1日の内に急激に下がったかと思えば次に日には元に戻るということがありました。

どう考えても異常です。

こうした経済状態が平和で安定した社会を作り出すことを不可能にしているのです。

政治ではどうにもならないところまで来ているのです。

(実際は、政治で解決出来ます)

ジョン・メイナード・ケインズは「危険なのは、(経済に対する)思想」だと1936に出版した本の中で述べています。
実際、ケインズの経済理論も現実の解決策にはなりませんし予想も外れました。

危険な思想がある一方で、安全な思想もあることを知らねばなりません。

こうしたことに危機感を抱く人たちは、いわゆる自給自足の生活を追求するようになっています。

日本政府は毎年2%の安定した上昇を目指すことで経済が安定し社会が裕福になると考えています。
経済学者もそのような考え方を示していることが多いです。

しかし、これは現実にはあり得ないことなのです。
繰り返しますが、、
こうしたことを続ければ、いつか必ず破綻が生じ、最悪な状態にまで経済が低下し、そこからまた同じように向上を目指すということを繰り返すことになる。

コロナというパンデミックが経済の成長を一時的に停止させましたが、今再び成長をしようと喘いでいる時期に来ています。

イスラエルとハマス及びヒズボラやイランなどとの戦争はそう長くは続きません。
近い内に終わりを迎えることになります。
更に、
もし、プーチンが戦争を止めれば、世界経済は更に急激に成長を遂げることは目に見えています。
トランプがプーチンにどのような態度を取るかは予想も付きませんが、ウクライナにとっては屈辱な終わり方になるかもしれません。
しかし、
そうではあっても、戦争が終わればウクライナも経済の発展を望めますし、再軍備を強化し再びロシアに攻撃させないように備えることが可能となります。
こうして、
ロシアとウクライナの間に安定した緊張が維持されれば、しばらくの間平和が続き、ウクライナの穀物も輸出出来るようになり、世界経済も落ち着きを見せることになるでしょう。

ロシアがウクライナの領土を奪い取ることになると思いますが、その代償はウクライナよりも大きなものとなるでしょう。

もはや、何処の国もロシアを相手にしなくなるからです。

加えて、アメリカの立場も弱くなり、ロシアと同様アメリカを相手にしなくなる傾向に移行することも間違いないでしょう。

そうするとアメリカは自国の利益のために、飛行機や医療や科学技術の面で画策すると思います。
場合によっては、ロシアのように紛争地帯に手を出し、世界に混乱をもたらすかもしれません。

このように、政治と経済は密接に関わっていることは誰でも理解していることです。
20世紀に入って、経済は2度大きく沈みそこから這い上がって来ました。

人類は、今のままではこうしたことを繰り返し、世界に平和と安定を決してもたらすことが出来ない「考えに陥って」いるのです。
今の経済理論は有り得ないことを目標にしているのです。
景気、賃金、労働、消費、生産、供給などずべてが毎年向上することは不可能なのです。

更に言えば、
世の中の富や財産が増えるということは、社会全体の資金が増加するということであり、それは各国で国債などを大量に発行し社会に大量にお金を投入し続け無ければならないことを示しています。

前日銀総裁の黒田さんはゼロ金利政策とこれを長い間やって来ました。
そのため、
日本にはお金が沢山存在していながら、貧富の差が多くなり、一部の裕福な人の資産が数百億円規模になり、いわゆる億万長者は数万人も達している反面、中流層も減少し、貧困層が以前より拡大するという構造を作ってしまいました。
人々は銀行にお金を預けても利息が付かないのでタンス預金をしたり使い道のないお金を沢山持つようになったのです。
企業も内部留保を沢山抱えたものの、何に投資したらよいか判断が付かない状態なのです。
そこに、賃上げ圧力が政治と社会から突き付けられどの企業も今まで考えられなかった賃上げ要求に応じて来たのです。
企業が自社の安定営業を確保しない状態でのこうした賃上げは「大変危険」なことです。
将来に確実な営業の見込みや計画のない企業は、近い将来、この賃上げの「ツケ」が確実に回って来ます。

 

現実に、去年倒産した企業は過去最高となっているのです。

こうした状況が、野党議員がやたらと減税や無償化を国民に訴え支持を増やすということに繋がったのです。
つまり、
はっきり言えば、アベノミクスの失敗が今の日本の現状を作り出したのです。

そのため、
今の日銀の総裁は金利を上げることでこれを正常な状態に戻そうと、社会と経済の動きを注視しているのです。
社会と経済の状態が良くなったと判断すれば金利を上げることは間違いありません。

そうなると日本経済も正常な状態となって行くのです。
そうすることは常に価格が上昇をするということであり、加えて、賃金がそれに伴って増えなければ人々の生活が困難になります。
つまり、
これからは徐々にインフレになり、経済も上向きになることは必定のように思えます。

ということは経済見通しは「良、もしくは、優」となるかも知れません。

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ですが
初めに述べましたように、今のままの経済のやり方では、必ず上下を繰り返すことになり、その都度大変な思いをすることになるのです。

経済で最も大事なのは、
ケインズが言った「[成長のための]危険な思想」ではなく「[安定を求める]安全な思想」なのです。

経済は向上ではなく安定こそが理想なのです。
安定とは、毎年同じ循環がなされることを意味し、人々の消費も企業などによる生産と供給も、労働者数も、賃金もすべてが一定、安定していることです。
つまり、社会全体が安定していて、皆がある程度先のことを確実に考えられ安心して暮らせるということが理想なのです。
このようになれば、貧富の格差が減少し、また、多くの人がマイホームを持ち、休日に家族でレクレーションに出かけるという「高度成長期」のような状態にすることが可能なのです。
あの時、人々は生活の不安もなく夢に向かって突き進んでいたのではないですか?
人々には自由在り、やりたいことが出来ていたのです。
江戸時代を除いて、日本人が最も幸せだった時代だったのです。

自動車運転に例えるなら、
理想は、速度60Km/hで安定して走ることなのです。
常に少しずつ速度を上げ続けることは危険運転なのです。
また、速度を常に上げ続けることは不可能です。
理性があれば、どこかでスピードを緩め一定速度にするものですが、
経済ではそれは不可能です。
なぜなら、危険なスピードの値も、その値を抑えるべき時も分からない上に、
人々の「欲」には限りがないからです。

速度が上がることで、経済は活発になりますが、同時にそれは燃料などのエネルギーを多く消費し、地球環境を更に悪くし、異常気象を招き、大災害に弱い環境を作り出すことになるのです。

一方、同じ速度で常に安定して走るなら、事故は起こらずエネルギーの消費を抑えられ、速度を上げるよりは安全に長く走行出来るのです。

冷静に考えれば、誰しもが安定した経済を望むはずです。

わたしならこのような経済政策を取ります。

 

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昨年来、企業のベースアップや最低賃金や減税が経済の焦点の一つになっています。

 

しかし、

企業がベースアップをしたり賃金を上げるごとに、正社員の人と非正規雇用者との賃金格差は大きくなることを理解しているでしょうか?

政府が賃金を上げ物価上昇や生活に困っている人を支援しようとしてたり国民民主党の要求に応じて減税をしたり維新の会の要求に応じて授業料の無償化に応じようとしていますが、
こうしたことが
貧富の格差を拡大させていることを理解していないことが現状です。

ただ、目先の事柄を追い求めているからです。
 

ですから、
政治家が頭で考えてやっていることは、思惑通りにはなっていないということです。
国民民主党の主張している、103万円の壁という主張は、絵に描いた餅なのです。
実際に、減税に踏み切った場合、格差は大きくなっていることに気が付くのです。

 

その理由の一つが、

物価の高騰です。

政府は経済成長率2%を掲げ、そのためのテコ入れをしていて、これにより、消費税による国の収入を増やしているのです。

物価が上がれば、底辺で暮らしている人たちは益々生活が苦しくなっていきます。

こうして、格差が広がっていくのです。

国民は減税という謳い文句に騙されているのです。
このままいけば間違いなく賃金格差が生じ、貧富の格差が大きくなり、生活困窮者が増加します。

こうしたことは、いわゆる社会の底辺で生きている人は日々実感していることで、国民民主党のような主張はある程度まともな生活が出来ている人たちの論議で本当に貧しい人のための政治にはなっていないのです。

こうしたことを社会に訴えても、底辺の人の生活の改善にはなりません
彼らには社会や政治に訴えることすらできないのです。
それが今の社会の現状なのです。

あなたはこうした社会の実情を理解していますか?
理解していないから、国民民主党などの主張を「良いことだ」と考え投票するのではありませんか?
国民民主党や維新の会が悪いと言っているのではなく、彼らも国民の本当の実状を理解していないということなのです。
国民民主党の玉木元代表は、不倫などをしていたということは、ある意味「国民を舐めている」のです。
つまり、
浮ついた気持ちで政治を行っていたということの証拠なのです。
真剣に国民のことを考えていたら不倫などをしている「暇」はないのです。

そのような心境にもならないのです。
国民を馬鹿にするのも良いかげんにしろと言いたい。

兎に角、今の政治家は頭が悪すぎます
自分のことしか考えていないからです。

   

昔の政治家には「大義」がありましたが、今の政治家にはそれが見られません。

ただ、目先の事柄だけを考えている無能な政治家と言わざるを得ません。

 

あなたはどう思いますか? 

     

知恵を求める人のためのブログです。

盗賊の間では、かつての日本でもそうだったかもしれませんが、
裕福な人、金持ちから「盗む」「奪い取る」ことは「悪いことではない」と考える人がいるのは事実です。
特に、発展途上国では、こうした盗賊は多いものです。
そうした発展途上国の人が先進国へ来て、自国と同じように盗賊となる人も少なくありません。
中南米、東南アジアの一部の国々などではこうした傾向にあります。

 

最近の社会事情を見ると、

辛抱して働く人が減少しているように思います。

誰でも、何処で働いていても、会社の経営者でもこうした傾向にあるように思えます。

国会議員や、県や市や町などの首長は「自分の考え」を政治に反映させるという目標や仕事がありますので、ある意味やりがいがあるものです。

しかし、

雇われている人はそうではありません。

経営者の指示に従い、また、結果を出さなければならないので、必ずしもやりがいを感じている訳ではありません。

むしろ、上手く出来なくて辛い思いをしている場合が多いものです。

 

どこでも雇われる人たちには辛抱が必要なのです。

 

ある意味、こうしたことは学校におけるクラスに例えることが出来るかも知れません。

生徒を雇っている訳ではありませんが、担任は自分の思うようなクラスにすることが可能です。

生徒に「指示や命令」をすることが出来るからです。

一方、生徒はそうした担任の「指示や命令」に従うことは「ストレス」になるものです。

担任の「話しの持って行きよう」で生徒の反応は全く変わってしまうこともあります。

時に、生徒は授業だけではなく、試験を課され、学校行事に参加させられ「嫌な思い」をすることもあるのです。

更には、受験部活もこれらに加わって来ます。

特に、学年やクラスメイトなどの「人間関係」は単純なようで「複雑な内面」も少なくないのです。

生徒であっても人に気を遣い人間関係を悪くしないように意識するものですが、誰かが誰かに特に意識する場合もあり、それが表面下で問題になっていることは多いものです。

生徒同士は知っていても担任が気付いていない場合もすくなくないのです。

 

学校は、人生の縮図のような場所です。

学校の良い点は、

生徒同士の差別が基本的には「無い」ことです。

貧富の差も基本的には「無い」のです。

勿論、持ち物や服装などでは「差」がありますが、生徒としての扱いは平等、公平が基本です。

そして、皆同じことをし、同じことを学ぶのです。

 

中には「不登校」となる生徒が年々増加しているとニュースで発表されています。

いろんな原因がありますが、

単純に考えれば「辛抱が足りない」のです。

現代っ子は「精神的に弱く、ストレスに耐えられない」のです。

こうした子供の多くは、家庭で「甘やかされて育れられた」場合が殆どだと考えられます。

 

また、貧しい家の子供は裕福な家の子供に比べて「成績」が低いと言われています。

これは、学校以外の塾などで教えられることが殆どないからとも言えます。

能力の差ではなく、お金と時間の差の問題です。

しかし、

精神的には裕福な家の子供よりは「忍耐強く、また、善い子」である場合が多いものです。

 

現代は貧しくても裕福な家の子供と同じことをさせたり望む場合が多く、貧しいからと言って必ずしも昔のような「忍耐強く、善い子」とは限りません。

 

勿論、貧しい家の子に「不良」が多いのも事実ですから、必ずしも貧しい家の子が善い子とは限りません。

それでも、貧しくても両親がしっかりしていれば、大抵は不良になったりしないものです。

 

結論は、

現代はストレスに弱い人間に育つ土壌が出来てしまったということです。

 

生まれて来る子供は何時の時代も変わりません。

環境が違うだけなのです。

 

今の社会は政治や人間が作り出したものです。

が、「意図して」作り出されたものではありません。

成り行きでなったのです。

 

それでも、何処の国でも同じような傾向にあるのは、

スマホなどネットなどの影響によるものであることは誰の目にも明らかです。

 

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私はこうした社会、世界であっても人々が比較的安心して生きられる国にすることが出来ると考えています。


そもそもにおいて、貧富の差があるからこうしたことが起こるのです。
貧富の差は、その人の「能力の差」でもありませす。

知識においても技術においても有能な人は収入が多いものです。

人間に能力の差がある以上止むを得ないことです。

貧しいから、お金に困っているからと言って他人の所有物を盗んだり強盗したりして良いという理由にはなりません。

江戸時代の武士は「武士は食わねど高楊枝」という言葉があるように、武士は空腹でも見栄を張っていたことを窺わせます
それは、武士の面目であり、他人の評判を気にしてのことです。

今の人が考えれば、ナンセンスだと言うかも知れません。
武士の殆どは、武士の姿、在り方に強い思い込みがあったからだと考えられます。
つまり、武士はこうでなければならないなどと理想を抱いていたのです。

中には武士を捨てて商人になった人もいます。

これは、当時では勇気のいることです。

社会階級の一番上の立場から一番下の立場に変わるからです。

いわゆる士農工商です。

江戸時代の武士は藩のお抱え武士、いわば、サラリーマンとして生計を立てていることが普通でした。
それでも、中には農作業の二足の草鞋を履く者もいたと思われます。

現代ではこうしたことはありませんが、
学校を卒業したら会社に就職をして生活費を得る必要があると考えることが当たり前になっています。

親が農業や漁業や林業や何かの商売をしたり他の事業などをしている場合は、大抵は子供が後を継ぐので、そうした人は必ずしも他の会社に就職するとは限りません。

土地を持たない人にとって「生きる」ことは、持っている人よりは困難です。
これは、住む家を持っているかどうかでも同じです。
借家住まいは家賃が支出の大部分を占めることが多いものです。
もし、自分の家があり家賃を払わなくて良いのであれば、生活はかなり楽なものとなります。

殆ど人は土地も家も持っていないので生活が苦しくなってしまうのです。

そのため、苦し紛れに盗んだり強盗をしたりする要因となってしまうのです。

中には、社会での辛抱について行けなくて、楽してお金を得る方法を、犯罪によって手に入れることを考える人が増加していることは事実です。

これは政治の問題です。

 

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私の解決策は以下のとおりです。
すべての家族に、土地と住む家と生活資金(ベーシックインカム)を与えることです。こうすれば、人々は生活をし易くなります。

こうしたことは政治で実行できるのです。

 

人々に能力に応じて仕事を「割り当て」、法や道徳を完全に守らせる必要があります。

公の仕事は主に男性が行い、女性は家庭で家事や子育てをすることになります。

ただし、産婦人科や病院や社会福祉関連など女性が必要な場所では女性にも働いて貰います。

教育も医療もすべて無償とします。

健康や福祉も徹底し、極端に太った人や痩せた人が出ないように、食事制限や労働を課します。

可能な限り、自然のものを簡単な調理だけで食べることを推奨します。

勿論、個人の力量で美味しいものを作ることは全く問題はありません。

そうしたものを売る店そのものを無くします。

今のようなファーストフード店やファミレスや様々な外食店・飲食店を無くすのです。

美味しいものを食べたければ、自分で作るのです。

油や調味料や道具などは安価で手に入れることが出来るようにします。

勿論、衣類に関しても安価で手に入れることが出来るようにしますが、基本的には自分で作るようにします。

スポーツも勝ち負けは関係なく、ただ、楽しむだけのもととします。

つまり、勝って喜び負けてがっかりするという風潮を無くすのです。

病気の原因となる化学薬品を可能な限り使わせません。

車も必要最小限とし、個人の所有を無くします。

必要なら、いわゆる役所から無償で借りるのです。

ガソリンなどの精製も最小限にします。

車ではなく、馬やロバなどを用いるようにします。

当然、引っ越しなどもありません。

ただ、

今のように「貧しい」から「お金が必要」だからという理由で犯罪を犯す人はいなくなるのです。

自分の持ち物がありますから、当然争いも殆どないことになります。

勿論、地域や国として「楽しみの行事」なども制定します。

人々は生活にゆとりができるのです。

 

国として、お金は必要な分だけあればよく、それをただ使い回すだけなので、当然貧富の格差は生じません。

電気も1軒に割り当てる電気量を定め、それ以上は使えなくします。

電化製品も必要最小限とします。

それゆえ、電気代、ガス料金、水道料金を基本無料とし使用制限を設けます。

土地の売買も認めません。

人々は自分に割り当てられた土地を活用するだけなのです。

公共の施設はすべて無料です。

電車など移動手段も無料です。

こうしたことはすべて国営とするのです。

更には、警察、軍隊、司法(裁判所)なども存在しますが、一部の特別な集団にします。

勿論、国会にあたる議会も存在しますが、議員などは国民の選挙による選出ではありません。

これらの人々は、有能な男子の中から選びだされるのです。

学校の教師もそうです。

特別な報酬はありません。

国民はすべてベーシックインカムだけが収入なのです。

特別何かにお金が必要な時には国に申請をするようにしますが、大抵はそれらも国の事業として行います。

お金は本当に必要なものを買うだけにしか使いませんから余り必要ではないのです。

お金は毎年リセットします。

残ったお金は国庫に返納して貰いますが、残ったお金に相当する食料や衣類、あるいは、電気ガス水道の使用料を増やしたりします。

更に言えば、

5年か10年に一度、完全にリセットしますので、貧富の格差が生じません。

 

共産主義社会か社会主義社会のように思う人もいるかも知れませんが、

人々の活動は制限されますが「自由でゆとりのある生活」が出来るのです。

 

競争があるから人生にやりがい、生き甲斐があると考える人もいるかも知れませんが、

そういう生き方が今の争いや犯罪の多い社会を生み出していることに気が付くべきです。

 

人々は競争ではなく、健全な生き方を追求するのです。

人々は、もはや家や持ち物に「鍵を掛ける」ということがなくなるのです。

 

こうしたことを望まない人もいると思います。

そのような人は「反政府活動や運動」をするのではなく、国を出ることを勧めます。

もし、「反政府活動や運動」をする人が現れれば、平和を乱すそれらの人々は「排除」しなければなりません

 

こうしたことは独裁と思われがちですが、

すべては国民の平和と安寧のためです。

一人の欲望のためにする訳ではありません。

 

個人的にはこのような国を作りたいと思っています。

私に権限があればのことですが。

勿論、直ちには出来ません。

これを成し遂げるためには様々な障壁を取り除く必要があるからです。


あなたはどう思いますか?

 

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参考

犯罪に関しては以下のようにします

社会問題
1 引きこもり
  今の社会がいわば能力やパフォーマンス優先の時代のため、そうした点で自分の能力を見出せな

  い人や
  人間関係に於いて強い人間が幅を利かせることは昔からあったことですが、現代はその強い人間

  が弱い人間を保護したり助けるのではなく、むしろ「いじめる」いわば弱い者いじめを楽しむ時

  代となってしまいました。
  その原因は人より優れていることに価値を求めることの反動なのです。
  そのために、弱い人間は居場所を必然的に失い引きこもりになってしまったのです。
  引きこもりも昔からあったことですが、昔はそういう人に対して思いやりを示したものですが、 

  今日では思いやりどころかいじめる対象になってしまったのです。
  こうしたことは、社会の異常な状態、人間関係の破壊、道徳の退廃つまり人間社会が悪い方向へ

  向かっている兆候なのです。
  おそらく、すべての人は何となく気が付いていると思いますが、弱い人間に対して寛容さを示す

  よりもいわゆる福祉による援助で救済しようとしています。
  これは、単なる手続き的な、いわば責任の回避の手段に過ぎません。
  つまり、周囲の人々や社会がそういう弱い人間に手を差し伸べていますよというパフォーマンス

  に過ぎず、
  真の援助にはなっていないということです。
  現代は、何かあると何でも法律を持ち出したり、行政の支援を求めたり、形で行うことが殆どで

  す。
  こうしたやり方そのものも社会の退廃の兆候なのです。

  社会が良くなればこうした人々は減ります。
  
2 SNSによる誹謗中傷
  昔は、人に対して失礼なことがないように注意したり、注意されたりしたものです。
  そのようのして他人に気を遣ったものです。
  それがいわば社会常識でした。
  ところが、
  SNSという隠れ蓑があると、人は自分の本性を顕し「自分の思ったこと」を言うようになりまし

  た。
  昔は、噂や面と向かってでなければ言う機会がなかったので、言うことは控えられていました。
  喜びだけではなく怒りや不快な思いと誰彼憚ることなく「吐露」するようになり、それが誹謗中

  傷となって現れて来たのです。
 

  誹謗中傷はしませんが、斯く言う私もその一人です。
  今ブログで書いていることを素性を晒して公に言うかと言えば、正直そこまでの元気と勇気はあ

  りません。
  しかし、何とか自分の思いや考えを社会に伝えたいと思いブログで発信しているのです。
  しかも、最近はコメントを拒否し、批判も受け付けません。
  いちいち対応している時間も体力もないからです。
  ですから、わたしの発信は一方通行です。
  誰かが何かを感じてくれればそれで十分です。
  それ以上のことはするつもりもないからです。

  したがって、SNSで誹謗中傷や詐欺やフェイクなどを無くすのであれば、
  SNSの登録をすべて実名と住所や電話番号など個人情報を、公にしなくても、プロバイダーは確

  認し掌握して置くべきです。
  何が事件性の出来事が生じた時には、警察など関係機関にそれを開示する責任を負わせるべきな

  のです。
  それでプロバイダーに不手際があったとしたらそのサイトは強制的に閉じさせるのです。
  これを法制化して規制をすれば、今のような誹謗中傷や詐欺や○○活などでの被害は減少するの

  です。
  勿論、厳罰化し、誹謗中傷でも懲役10年以上と罰金1億円を課します。
  そうすれば、恐れをなして誹謗中傷や詐欺やフェイクをする人はいなくなると思います。

 

  しかし、インターネットそのものを無くします

3 性暴力
  相手の同意なしの性行為は「死刑」とします。
  こうでもしない限り、性暴力は無くなりません。
  相手が同意していたと思ったとが抵抗できない状態ではなかったなどと言い訳する場合でも、無

  期懲役か相手が不同意だと主張したら死刑にします。
  勿論、冤罪も、あるいは、わざと陥れる場合もあるでしょう。
  冤罪はかならずその証拠が存在すると思われますが、訴えられた時点でその人に何らかの落ち度

  があったことは明白です。
  人を陥れたら、即座に死刑にします。

4 詐欺に関しても死刑とします。
  闇バイトであっても無期懲役もしくは死刑とします。

5 交通事故
  かなりのスピード違反は故意によるものですから死刑にすべきです。
  事故を起こす起こさないは関係ありません。
  年寄りなどの踏み間違いで事故を起こしたり誰かを死亡やケガを負わせた場合も無期懲役、つま

  り、死ぬまで刑務所で暮らさせることです。

 

  個人所有の自動車もなくなりますから、こうしたこともなくなります。
  
6 盗みは無期懲役、強盗は傷害や殺人に至らなくても死刑とすべきです。

 

7 仕事上の不正により利益を得た者は死刑です。

 

8 怨恨などにより殺人をした者も死刑です。

 

9 をついた人もそれが明らかになった時点で死刑です。

  言い訳は認めません。
  
人間が人間を裁く時、完璧に間違いなく裁くことは不可能です。
騙す人がいるからです。
従って、疑わしい人は、まずは禁固刑にして調べを尽くすことです。
もし無実なら、その人に対する相応かそれ以上の補償をします。
訴えられた人が無実なら、訴えた人告訴した人告発した人は罰せられるべきで、これは誹謗中傷と同じで死刑か無期懲役とします。

人間は人に知られなかったり隠れた所では本性を表し悪いことをするものです。
人の心の傾向は悪いからです。
従って、厳罰がこうした点に於ける抑止になるのです。

悪人はすべて排除します。

もし私にその権限があれば以上のようにします
こうしないと悪と悪人が減らないからであり、人々は安心して暮らせないからです。

 

+++++++++++++++++++++++++++++++++

こうした国の最大の欠点は、外国から攻められたら「一ころ」だという点です。
幾ら軍隊を持ったとしても、自国だけでは守り切ることは出来ません

スイスのような国では国民皆兵制で、どの家にも軍用銃を置いてあり、核シェルターを備えています。

上で述べた国では、そこまでするには時間が掛かり過ぎます
加えて、核攻撃に勝る武器を手に入れなければ、外国からの攻撃を防げません。

しかし、私にはあるアイデアがありますが、
それをまだ作る段階にまでには至っていないのです。
もし、このアイデアを実際に作ることが出来れば、あらゆる武器を無能化することが出来るものです。
相手は武器を持っていることさえ恐ろしくなるものです。
何時か、このアイデアを実際に作って見たいと思いますが、わたしの能力で作れるかと言えば、不可能です。
誰かの助けが必要です。
ですが、完成すれば戦争さえ終わらせることが出来るものです。

皆さんには想像もつかないと思いますが。
ですから、現段階では、国家建設と同じく、空想に過ぎないのです。
残念ながら。 

知恵を求める人のためのブログです。

平和で自由な生き方を実現するのは科学の進歩?それとも道徳?あなたはどう思いますか?

戦前戦中の日本では「自由」に発言出来ず、また、多くのことが「自由」には出来なかった。
日本は「国を挙げて」戦争をしていたからであり、国民も勝利を願って「一体」となっていたからであり、
少しでも和を乱すと「非国民」などと言って「非難」だけでなく「差別」「暴力」さえ受けた時代でした。
誰もそれを咎めることもありませんでした。
国が戦争をするということはこういうことであり「普通の精神状態」ではなくなるのです。
しかし、
すべての国民の「秩序」という観点から考えるなら、素晴らしい「統制」だと思います。
事の是非を別にすれば
すべての国民が皆「同じ考え、同じ思い」を抱くことは素晴らしいことであり「奇跡的な出来事」です。

あらゆる宗教やあらゆる政治家は、皆これを目標としているのです。

紛争や争いということに関して言えば、
今や世界の人々は戦争に「嫌気」を指して「どの国民」もかつてのように「一体」とはならず「戦争反対」をしている人が大勢います。

もはや、戦って国の「威信」を保つということは「政治家」だけの思いであり、国民は「経済」での繁栄を望んでいるのです。
そのため、経済を破壊する戦争には「猛反対」をするのです。

こうした傾向と関係がありますが、
戦後はかつて奪われていた「自由」を手に入れそれを「権利」として誰でも行うことが社会に浸透し、
今や、人々の間に完全に「自由」が染まってしまい、人々は何でも思ったことを言ったり行ったりするようになってしまいました。

しかし
これは、ある人にとっては「自由な振る舞い」でも、それが誰かの振る舞や行動を「制限したり、縛ったり」することになることに、多くの人は「気付き始めて」います。

それは、単に犯罪という行為だけではありません

例えば、
いつも小言を言われている子供は自分の活動制限されることになります。
活動や能力の発揮は個人の「自由」の上に成り立っているからです。

今の社会は、国民のすべてが「小言を言う親」になって、あらゆることに「小言」を言っています。
それは、犯罪や交通事故などだけではなく「個人の自由な振る舞い」にさえ「小言」を、つまり「批判したり中傷したり」しているのです。

誰もが小言を言う親の元で生活したいとは思わないのと同じように、すべての人は今のような社会の風潮の下では生きたいとは思わないものです。

人は、犯罪を除き、誰からも何も言われず「自由」にしたいのです。
しかし、いわゆる「道徳」的には「規制」をしなければ、誰かと誰かの「自由」が衝突し「ケンカや争い」の元になってしまいます。

現代は「自由」はありますが「道徳」が廃れています
そのため、社会ではトラブルが多発しているのです。

これを解決するために根本的な解決策を政府は何もしていません
政府には政府の思惑や欲があるからです。
当選するために、ある支持者の言うことを聞かなければならないからです。
すべての国会議員、地方議員がこの有様です。
これでは、本当に善い政治が出来るはずはありませんし、平和で安全な社会を築くことが出来ないのです。

社会には、二つの「悪」があるということです。
一つは国民を正しく治めることの出来る政府がないこと。
二つは法律と道徳を守る国民が少ないこと。

これに国家間のトラブルが加わり、特に、貿易摩擦と民族や宗教による敵対行為とその脅威です。
原因は一国の場合と同じです。
世界を正しく治める世界政府が存在していないこと。
法と道徳よりも自国の利益を優先させる人々が多いからです。

国連は世界政府の働きもしませんし、その権限もありません。
また、
世界中の人々が守るべき法と道徳も存在していません。

特に、ある人々は聖書を基にした考え(実際には、聖書の教えには従ってはいませんが)で振る舞い、ある人々はイスラム教を基にした考えで振る舞い、ある人々はヒンズー教を基にした考えで振る舞うと言ったことのため、
決して、人々は「同じ思い、考え」を抱くことはありません。

こうした状態で、人々は一体どのようにして世界平和の希望を抱こうとしているのでしょうか?
世界平和に対する希望や願いはいわば公言はするものの現実には不可能なのです。

話しを始めに戻しますと、
誰も「小言を言う」社会で生きたいとは思いません。
もっと、自由に伸び伸び生きたいのです。
そのためには、必要以上に、つまり、犯罪でもなければ「人のすることに口出ししない」ことです。

個人を尊重し、また気遣いを示すことです。
しかし、
道徳的「批判」は社会秩序のためには「欠かせない」ことを忘れてはならないのです。
道徳的「批判」と、いわゆる「小言(誹謗、中傷、批判など)」とは全く別物です。
一方はしなければならず、他方はしてはならない行為なのです。
この分別を、「すべての人は認識」しなければなりません。

しかし、これを子供に教え徹底させることの出来る「親」はいるでしょうか?
答えは「」です。

 

(追記)

こうした一方で、

科学の進歩は著しく、あらゆる産業にコンピュータに加え、最近ではAIプログラムが搭載されたソフトが出現して来ました。

 

多くの人は、AIによる安全性を確保できると考えてのことです。

AIによって、

安全に正確に速く行うことが出来ます。

加えて、初期投資以外の経費はそれ程掛からず人件費よりはかなり節約出来ます。

AI搭載の自動運転自動車が後継されていますが、

これが危険になるのは、安全な通行に関してではなく、サイバー犯罪に使われる危険があるということです。

こうした車に乗ったとき、外部により「車内に閉じ込められ、身代金を要求される」という危険が非常に大きいということです。

おそらく、今は実現だけに関心が向いていますが、実現すると必ずこういう事例が出て来るものであり、その時「危ないんだ」と思っても遅いのです。

 

更に、

社会を見て見ますと、

監視カメラなどが増え犯罪検挙に役に立っている一方で、依然として「盗撮、盗聴」が行われています。

こうした点で安全な場所がもはやないと言って良いくらいです。

更には、SNSでの誹謗中傷は跡を絶たず、良く考え、良く確かめもしないでただ自分の思いや感情だけで他人を批判したり中傷することが日常茶飯事になっています。

更には、

性犯罪が非常に多発し続けています。

人々の性的欲求に歯止めがかかりません。

立場を利用した性犯罪が、最近やっと日の目を見ていますが、氷山の一角に過ぎません。

しかも、

訴えることが難しい上に、裁判での被告に対する量刑が余りにも小さすぎ、被害者が浮かばれません。

皆さんもこうしたことを絶えず耳にし記憶にも残っていると思います。

 

最近では、検事の同僚に対する性暴力が裁判になっています。

被告の主張は、犯罪を取り締まる者の発言を逸脱し「開き直って」います。

これは、有罪は覚悟しても、量刑を軽くするための手法です。

このような悪質な元検事は「死刑」でも足りないと思うのは私だけでしょうか?

 

警察官の犯罪も増加し、信頼を失っています。

今、警官を信頼している人がいるでしょうか?

 

実際、問題やトラブルを警察に相談しても、何の役にも立ちません

犯罪が起きなければ警察は動かないからです。

警察は、予防的処置を講じないのです。

ストーカーにしても相手に注意したり近づかないようにと言うだけで、実際に、その人を「監視」していないので、相手は自由に振る舞っています。

加えて、そうしたことが相手の会社に通報されないので、相手はのうのうと暮らしているのです。

こうして、

被害者が殺害された例は何度もあります。

如何に、警察が市民を守っていないかという現実です。

 

スマホやパソコンを使ったネット上の犯罪は年々増加していますし、その手口も悪質なもの高等技術を使ったものになって来ています。

 

その内AIを用いた犯罪が出て来るでしょう。

 

現代の、最新科学技術は良いことだけではなく、悪用される危険が益々増えているのです。

 

良い例では、AI診断は人間の診断より正確で見過ごされることが殆どないと言われています。

加えて、外科手術も進歩し正確な手術、安全な手術が可能となっています。

しかし

これらは高額な医療費を必要とし誰もが受けられる訳ではありません。

加えて、

保険医療費が増加し、保険料が毎年増加している原因となっています。

今や、

病院は老人で溢れています

この人たちの大半は仕事をしておらず保険料も余り治めていない人たちなのです。

こうした人のために、若い人たちは多額の保険料を支払わされているのです。

特に年金に関しては、

若い人は割に合わない負担を強いられています

 

明らかに、社会の在り方、政策の在り方が間違っています

 

科学の進歩に関して、私がとやかく言わなくても皆さんの方が良く知っています。

その功罪も知っているはずです

 

それゆえ、追記する前は殆ど書きませんでした。

 

皆さんは、本当に科学が安全な生活を築き上げてくれると思っていますか?

ただ、便利に利用しているだけではないですか?

利用すること自体は悪いことではありませんが、そうした科学技術が「悪」の根源となっているという事実にも目を向けるべきです。

 

あなたはどう思いますか?  


科学にしても道徳にしても、十分な制御がなされない今日、社会、世界が向かっている将来は「破滅」以外ありません。
今の状態では、科学がどんなに進歩しても人類には明るい希望はないのです。
明るい希望「科学の進歩」では実現できないのです。

 

道徳を取り戻すことも「直ぐには出来ません」

時間が掛かりますし、政策も必要ですし、社会の風潮も必要です。

 

ですが、何時か始めないと決して「良い方向には向きません」

すべての人は「目を覚ます」べき時なのです。
あなたは「目覚めていますか」

 

知恵を求める人のためのブログです。

普通の人には出来ない天才的な能力は、

記憶や思考の「フロー(流れ)」最中の瞬間瞬間の閃きによって生じると考えています。

これは特別な才能というよりは、一人ひとりの意識の持ち方で発揮されると思っています。

つまり、誰にでもある能力なのです。

上手く説明出来ませんが、
例えば、思考を例にとれば、
テレビを観ている時に、あるアイデアが突然脳に浮かぶことがあります。

そうしたことが連鎖反応的に段階的に次々とアイデアが頭に浮かんで来ることは良くあることです。
後は、それを書き出すだけですが、書き出している間に「忘れてしまうことが多い」のです。

それらの閃きの多くは、

1 以前の活動における気持ちや考えをふっと思い出したり、

2 以前考えても分からなかったことがこうすれば出来るんじゃないかと閃いたり、

さまざまです。

これを思い出すための「ヒント」を頭の中で短い単語のようなものにし、それを記憶することです。

それもメモっておくことで、容易にその時のアイデアを思い出すことが出来ます。

ですから、

それらを記憶する方法を身に付けることが自分の能力を発揮するための「最初のステップ」となります。

 

後で、そのヒントとなる単語を思い出し、そこから物事を深く考えていくことで、様々なアイデアについて深く考えることが可能となるのです。


勿論、これだけでは纏まった内容にはなりませんから、更に「思考を続ける」必要があります。

これらは、殆ど「思い付き」なので、断片的であり一貫性がなかったりすることが多いものでもあります。

そのため、

それを一貫性のあるものにし、全体的に内容の整ったものにする必要もあります。

その後、そのアイデアを誰かに話すことが出来るのです。

   

また、そうしたアイデアを誰かに話すことで更なるアイデアが生まれるということさえあります。


しかし、
この思考の展開や推敲は書き終わってすぐではなく、更に2、3日から一週間ぐらい間を置いてから再度推敲することでより優れた内容に変えることが出来ます。
書き終わって直ぐではその時点での思考が脳を支配している、つまり、思考が偏っている場合が多いので新しいアイデアは生まれにくいものです。
時間を置いて、脳をリセットさせた方が更なるアイデアが生まれやすいのです。
こうして、最初のアイデアに更なるアイデアが重なって優れた内容となっていくのです。

皆さんはこうした経験をしたことはありませんか?

もしなければ、
やって見て下さい、あなたの中の天才的な能力が顕在化するかもしれません。

 

これは、いわば訓練です。

慣れていない人はこうしたやり方に慣れることが必要です。

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一般的に、
左脳と右脳の関係で、通常左脳が優位脳と呼ばれ、いわば、右脳を抑制していると言われています。
一方、天才的な脳は、
左脳の優位性が失われ、右脳の働きが抑制されない場合が多いと言われています。
いわゆる、サバン症候群などやギフテッドの人はこれに該当します。

十才で神童、十五才でただの人というような言われ方をすることがあります。
つまり、
幼い時に天才的な脳力が発揮される場合が多いのです。
これは、
おそらく、左脳が十分発達していないので起こる現象だと考えられるのです。
そして、
大人になるにつれて左脳が発達してくると右脳が抑制され普通の人になってしまうのです。

一般的に、

左脳は言語や計算力、論理的思考を司る脳です。

情報を知識として認識し整理する役割を果たしています。

右脳はイメージ力や記憶力、想像力やひらめきを司る脳です。

視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚の五感に関係し、感情をコントロールしています。

右脳の働きが活発なのは、言葉がまだ未発達な3歳前後の幼少期。成長するにつれて次第に言語を司る左脳が活発に働くようになり、左脳優位になっていきます。
これには、学校教育が関係しています。
言葉の使い方や漢字などを覚えたり、計算や様々な知識を学ぶことで、左脳を発達させているからです。
また、
成績を気にし、覚えることに熱心になる親子もいます。

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更に、
左脳が優位脳であることによって、
道徳観が感覚や欲望を抑制していると考えられます。

従って、道徳上の問題のある人は、特に若者たちは左脳の働きが弱いと考えられるのです。

こういう人は、
直ぐに切れたり、感情的になったり、暴力的であったり、他人の迷惑を余り考えなかったり、
犯罪を犯したりすることが多いのです。

また、
天才的な芸術家が道徳的ではないというのは良く聞かれる話です。

つまり、芸術家たちは理性的ではなく感性的、感情的だということです。

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従って、
左脳優位は理知ある人間として、自制心を持った理性的な人間を形作るためには「良い」ということになります。
他方、
右脳優位は特殊な能力を発揮するには有利だということになります。
左脳優位の人は、いわば、普通の人間であり、右脳優位の人は、いわば、特殊な能力を持った人間と言えるかも知れません。

左脳優位の普通の人間でも、冒頭に述べたことを参考にするなら、自分の能力を最大限発揮出きるかも知れません。
人間は急いだりとっさの場合には、十分能力を発揮出来ないばかりか失敗や事故などを起こす危険が増すものです。
しかし、
時間を掛けゆっくりと、ある意味自然に閃きが出るまで「待つ」ならば、失敗を最小限に抑え物事を首尾よく成し遂げることが出来ると考えています。

しかし、会社などでの仕事はそのような「悠長」なことは許されません。
それゆえ能力に個人差が生まれるのです。

首尾よく短時間で物事を成し遂げる人は出世し、そうでない人は中々出世出来ないし給料も上がりません。
現代はこの格差が非常に大きくなっていると思います。

むしろ、今の社会現象が自然にこうした格差を生み出しているのです。

スピード感、情報過多、プレッシャーによるストレスに加え、様々な詐欺、強盗殺人、アクセルの踏み間違いによる死亡事故、煽り運転、カスハラ、セクハラ、パワハラなどが人間の感情を「異常」なものにさせています。

これらに、打ち勝てない人は社会生活で脱落してしまう世の中になってしまったのです。

 

こうした背景には、情報過多でありながら、それがどのようになされているのかが「見えない」点にあります。

ネット上のことは、結果しか見えません

誰が何をどのようにしたのかなどは全く見えていないのです。

これは「非常に恐ろしいこと」です。

 

科学技術が進歩した時代は、こうした時代、社会を生み出したのです。


個人的には、こういう時代に会社で働かなくて良かったと思っています。
ストレスと緊張で狂ってしまいそうです。
自分にはとても耐えられそうもないと思うからです。

今の時代で働いて生きなければならない人は大変です。
高度成長期に働けて良かったと思っています。
少なくとも、当時は貧しくても殆ど生活の不安は全くありませんでした

しかし、今はかつてのようには生きられません。
科学が進歩し社会が発展しても、ではなく、したので昔のように安心して暮らせなくなったのです。
一体何のための発展だったのでしょうか?

人々が安心して暮らすための発展だったのではないでしょうか。
現実は、全く逆行しているのです。

科学技術の発展は、人間の愚かさ、あるいは、本性をむき出しにさせていると言えます。

今の人々は本性を隠そうとしません、むしろ、本性を出すことに意義を見いだしているようにさえ思えます

あたかも、それが個性でありその人の特別な才能であるかのように。
 

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人間は何のために優れた頭脳を用いているのでしょうか
利己的な目的のために用いることは、能力の「悪用」と言えます。

なぜ、世界がこうなってしまったと言えば、
人類全体を導くものがないか、あるいは、指導者がいないのでこうなってしまうのです。
誰か力ある者が、
世界の強いレーダーが良い社会を作るために人類を導く必要があるのです。

ちなみに、トランプやプーチンのような人間は強いレーダーであっても、世界を破壊するための力です。

世界に平和と安定をもたらす強いリーダーは、今のところ不在です。

しかし、人類が出来なくても、
まもなくがイエスを用いて世界を正しく導いて下さることが聖書に預言されています。
誰も逆らうことは出来ません
逆らう者たちは皆滅ぼされてしまうからです。
しかし、
その後の世界は平和で安定した世となると言われています。
おそらく、楽な生活ではないと思われますが、十分満足の行く生活となると思われます。
つまり、苦労してもそれが水泡に帰すということが全くないからです。
すべてのことが思い通りに達成出来るからです。
ただし、人を害したり悪いことは別です。
そうしたことはすべて「おそらく、直ちに処罰を受ける」と思われるます。

人間の優れた頭脳は、自らのためだけに用いることが出来ます。
新しい世では他人のために用いることはないのです。
しかも、他人を害することには用いることもない世の中にして下さるのです。

そういうことが有り得るのかというかも知れません。
聖書では、新しい世ではそのようになると教えています。

あなたも聖書を良く読みそして調べて見てはどうでしょうか?
そうすれば、今とは違う考えになるかも知れません。

       

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脳の能力の一つである記憶について考えて見たいと思います。

どんな人でも、記憶は雲をつかむようなもので難しいものです。
例え、記憶力の良い人でも難しいことの一つです。
学んだこと、経験したこと、話したこと、聞いたこと、見たことなどすべてを記憶している人は存在しません。
ただし、
生まれる前からすべての記憶は蓄えられていますが、それを思い出さないだけだという考えもあります。

実際、頭の中で記憶がどのようになされているかは正確には分かっていません
海馬が関わっていることは誰でも知っています。

そもそもにおいて、人間の思考や意識がどのようになされているかは分かっていないのです。
ただ、海馬や脳神経という、いわば、メカニック的なことや機能的なことしか分かっていないのです。

また、
心は、実際は脳の活動なのですが、現実にはと言うと「胸」もしくは「心臓」などが連動していることも事実です。
例えば、人は極度に緊張すると「」が痛み顔面が蒼白になります。
胸が締め付けられるような痛みと共に吐き気をもようす人までいます。

あるいは、衝撃的なことが起こると「気を失う」人もいます。

こうしたことは、
解剖学では解明出来ないことです。

あくまでも、人間をブラックボックスに例えて、原因と結果で人間の、いわゆる霊的な働きを推測したり理解する以外、今のところ方法はありません。

悲しいとなぜ涙が出るのか、人の失敗を見るとなぜ笑ってしまうのか、批判されるとなぜ怒るのか、
嘘をつくとなぜ良心が痛むのか、暴言を吐くとなぜ気分が悪くなるのかなど、
分からないことだらけです。

しかし、それでも、人間は普通に活動し生きて行くことが出来ているのです。

不思議な生き物です、人間は。

人間には、未だに分かっていない「能力」が秘められていることは容易に想像出来ます。
特に、サバン症候群の人を見るとそのように思います。

これは、学習して身に付けた能力ではありません
突然、現れる能力です。

訓練や才能ではありませんから、誰にでも起こり得る現象でもあるのです。

 

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また、何事にも確信を得ることは大事です。

人は大抵確信のないことを言ったりやったりすると失敗することが多いものです。
逆に言えば自分が何をしているか分かっていないということです。
あなたにもそういう経験があるのではありませんか?

では、確信はどうやって得られるのでしょうか
それは、主に経験と知識と確かな推測もしくは想像です。

スポーツなどではイメージを大事にします。
何かをプレーしている時「イメージ」したことがその通りに出来たということを経験したことのある人は多いと思います。

確信を抱くとはこうすれば出来るというイメージを持てることです。
そのためイメージを抱くことを重要視している人は多いものです。

これによって物事が上手く行くと人は自信が付き自尊心を抱けるものとなるのです。

 

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人の能力の高め方


ある事柄を教えようとする時
丁寧な指導を心がける人は少しずつ段階を追って教え、それを繰り返すことで覚えさせていくものです。
これも一つの方法ですが、
教えられる方は少しずつ覚えるので、ある意味楽ですが全体像が見えないので殆ど考えることが出来ません。
ただ、覚えることに集中するだけですし、教える方もワンステップずつ確実に覚えることに集中すべきだと考えているものです。
私はこうしたやり方は好きではありません。
なぜなら、教えられる方は教えられる人と、ある意味上下関係が出来てしまい、何でも教える人の言いなりならなければならないからです。

以前はこうしたやり方で教えていました。
それで教えられる人が上手く出来ない時は多少の苛つきやストレスが溜まったものです。

それでも、
中には[自分でこの先何をすべきかを理解している人]もいました。
こうした人に教えることは簡単でした。
するべきことを示すだけで出来るようになるからです。
その人には方向性を示すだけで良いのです。
技術的なことはそれ程教える必要がないのです。
しかし、理解していない人に教えることは困難です。
何をどうして良いかが分かっていないので上手く出来ないからです。

 

なぜこうしたことが起きるのでしょうか。
それは、教えられる人が何をどうすべきかを考えることが出来ないからです。
それが出来たら教える必要がないではないかと言うかも知れません。
こうしたことが分かっていても出来るとは限りません。
そこで実地訓練が必要となる訳です。
その実地訓練のやり方を上で述べた通りにする訳です。
これでは、教えられる方は殆ど考える余地がなく、初めは教えられたことをひたすら覚えるだけで、ストレスが溜まるものです。
これに耐えられない人は覚えられない人「能力の低い人」「適性のない人」などと評価されてしまうのです。
こうした「誤った指導で能力が伸びなくされている人」は実に多いものです。

最も効果的だと考えている指導方法は以下の通りです。
参考にして見て下さい。
1 初めに全体像を示し、教えられる人が理解し考えるだけのことを示すこと。
2 指導者が自らやって手本を見せること。
  これは時間を置いて何度か見せることで、教えられる人が自ずと考えられるようにすること。
3 教えられる人に段階的に一人で実際にやってみさせること
  分からないことを質問させるのではなく自分で考えさせること
  ここが重要なポイントです。
  理解している人は早く出来るし理解していない人は上手く出来ないものです。
  兎に角考えさせることで、将来自立出来るように導いているということです。
4 段階的にやらせることがすべて上手く出来るようになったら、
  最後に全体を通してやらせることです。
  何度かやらせている内に「こうした方が効率的だ」などと自分のアイデアが出る人もいるかも知

  れません。
  それを実際にやれせてみることです。
  こうすることで、
  教えられる人は教えた人と同程度かそれ以上に成長していくものです。


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人間の脳について

脳の物理的な面を考えて見たいと思います。

人間の脳の働きを殆ど理解するところまで来ています。
しかし、なぜそのように働くのかまでは理解していません。
この点はあくまでも原因と結果から推測しているだけです。

 

ブラックボックスに対する考えではありますが・・・
例えば、
音声を増幅する回路を考えて見ましょう。
入力に比較的小さな信号を入力するとその回路の増幅により大きな音を出すことが出来ます。
その回路には調整機能がついていて音量の大小を調節し心地よい音量で聞くことが出来ます。
この回路を動作させているのは電源と電気信号です。
電源はその回路が正常に動作するためのもので、信号はその回路の働きによって大きさや質を変化することが出来ます。

人間の脳も同じで、神経回路がありそれが正常に動作するために血液を通して必要な物質が供給されています。
血液はいわば脳神経回路の電源のような働きをしているということです。
この神経を流れるのが信号です。
それは時には思考であり視覚情報であり聴覚情報であり感覚情報などです。
更には、そうした物理的な信号だけではなく感情という信号も流れることもあります。
は、様々な回路が緊密に結合された複雑なものです。
単に一つの現象だけを捉えて考えることが出来る程単純なものではありません。
ですが、
最初の一歩として単純な回路だけを考えることで二つかそれ以上のを考える時の足掛かりとすることが出来ます。

例えば、増幅器は物理的には半導体やボリュームや抵抗やコンデンサなどで出来ています。
しかし、電源を入れ信号を入力するとあたかも別の生き物かのような活動を見せます。

人間の思考は脳の活動そのものです。
脳はセンサーの働きもしますがそれらは無意識の活動です。

思考は、脳全体が意識的に一つの活動をしているのです。

人の活動を判断したり評価する時には、その人の脳の活動を評価しているのです。
これが、いわゆるその人の考えであり性格なのです。

しかし、現象としては存在してはいるのですが実体はないのです。
ですから、
電源である血流に問題があると人は活動も思考も出来なくなり、脳の活動が停止すると思考も存在しなくなるのです。

増幅器の電源を切ると信号である音は存在しなくなるのと同じなのです。

ですから、
人は死んでも霊魂が残るとか、天国へ行くとかということはないのです。

死んだ人の霊魂が残って天国で活動しているということはなく、人が死ねば意識は存在しないのです。