僕の読む小説のジャンルは主に恋愛ものが多い。
そして今回この作品を読むキッカケになったのは昨今大人気のジャニーズアイドル、なにわ男子の道枝くんが写った映画のポスターだった。
僕はそのあたりの情報に疎く、道枝くんは顔と名前が一致する程度で、ヒロインの福本莉子さんに至っては、失礼ながら存じ上げなかった。
それでもこのポスターに惹かれたのは、おそらく今現在芸能界で絶賛売り出し中なのだろうキャスティングにも関わらず、明らかに感動モノの恋愛作品であることが窺えた為である。
夕日をバックに見つめ合う二人という構図は誰がどうみても泣ける作品であることに間違いない。
唯一間違っているのはそのポスターに魅せられた上で、映画ではなく小説を読むという選択をしたこの自分である。
※この先ネタバレ注意
今夜、世界からこの恋が消えても
この物語は前向性健忘という記憶障害を持ったヒロイン日野真織と日々を無気力に生きる神谷透というふたりの高校生が「本気で好きにならないこと」を条件に付き合い始めていく。
インパクトの強い設定である。恋愛小説というジャンルの中で特殊な設定は付きものであり、それが作品の良し悪しを左右する重要な要素の一つである。
たまに「恋愛小説の設定って似たような設定で泣かせてくるもの多くね?」という声を耳にすることがある。
その意見を真っ向から否定するつもりはないが、僕自身の意見としては作品一つ一つに違いがあり、その設定を一から作り出してくる小説家というのはとんでもないほどに天才だと思う。
経験や実話を基に作成している部分もあるかもしれないが、そもそも存在しない物語を作り出している時点で普通の人間よりも突出し、秀でているのである。
という個人的な所感を前提に、この作品の中で天才だった部分について個人的な所感を次に記してみる。
「もし僕が死んだら、日野の日記から僕のことを消去してほしいんだ」
この作品で1番の天才ポイントはやはり主人公の自己犠牲のような恋愛表現である。
物語終盤で主人公の神谷透が病で急死してしまうが、その前日に遺した「もし僕が死んだら、日野の日記から僕のことを消去してほしいんだ」というセリフが転換点であり、いわゆる ”まさかの結末” への始まりでもある。
言うまでもないが、このセリフには記憶障害を利用して透の記憶を真織から消してしまうことで、最愛の相手が傷つかないようにという優しさが込められている。
同じ立場になった場合、この言葉が言えるだろうか。
この優しさが貫けるだろうか。
愛する人との別れ際に自分のことを忘れてくれと願える人間は尊くもあると同時に馬鹿でもある気がする。
だが、この馬鹿にすら僕はなりたいと思ってしまう。
この選択をできるくらいの男になり、この選択をできるくらいの相手に恵まれたいと思ってしまう。思わされてしまう。
冷静になれば、こんな人間がこの世に存在できるかどうか怪しいとは思っている。
やはりこのセリフは物語であり、理想なのである。
現実世界では相手の悪いところも目につき、本作のような綺麗で純粋な恋愛は皆無なのかもしれない。
しかしながら、恋愛においてこの理想に近づきたいと願い、追い求める精神こそ捨ててはならないものなのではないだろうか。
いや、単に僕が捨てたくないだけかもしれないが。
………という願望に、現実逃避に、逃げさせてくれるのが恋愛小説なわけで、確かに似たような構図で恋愛の理想郷を見せてくるだけなのかもしれないが、僕はそれで構わない。
理想をわすれないようにするために本作のような作品は僕にとって必要なのである。

