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Echo de chouette

横山仁子の徒然日記です。
音楽の話・日々の気持ちを気ままに綴っていきます。



歳を重ねる毎に、自分が八百万の神様が祭られているこの日本という島国に生まれた奇跡に思いを馳せるようになっている。


長女が孫娘を授かったと知った時、気がつけばお百度参りをせっせとしていた自分。

誰かに教わった慣わしでもなく、気がつけば毎朝、神棚と仏壇へご挨拶をしている自分。

気がつけば、直感に入り混じる八百万の神の声を聞いている自分。

気がつけば、木剣を手にとり、日本人の精神性を問う自分。

…枚挙に遑がない自然発生に、日本人というルーツがその様に導いているのか?人間という生き物がその様なシステムを持っているのか?霧がかるお題に考えあぐねている。


建国記念日の今日、空を仰ぎながら歩き始めると、氏神さまのいる神社へ足が向いた。

参拝をして、今年初のおみくじを引いてみると"半吉"。

古典の崩し文字で書かれた神歌には、"人は、何事も満ち足りてることを喜ぶものだが.手放すことで執着がなくなるということを忘れないようにしましょう」と記されていた。

〜NAGOMERU より引用〜


的を射た言の葉に、ドキッとした。

執着がなくなった時、私の瞳はどんな世界を映し出し、この世の中がどんな景色に見えるのでありましょう。

なんだかとっても、執着への探求がしたくなっています。

2024.2.11







大学時代の恩師、田中光子先生のことを事あるごとに思い出す。


今日は、大安。

お雛様🎎を飾ることにした。

長女が生まれた時は、マンション住まいだったので、親王飾りのお雛様を探すことにした。

母が「お顔がふっくらしていいわね」と言い、温かみのある木目込み人形のお雛様を選んだ。

次女が生まれた時、飾る場所も限られていて、京都旅行中に目がとまった、西陣織で作られた小さな小さな親王雛を選んだ。

娘達の幸せを願いながら、増えたお仲間と共に毎年欠かさずに飾っている。

そしてその時に必ず、奥ゆかしい暮らしぶりをされていた田中光子先生を思い出す。


レッスンを受けにお伺いすると、整然としたお部屋には、いつでもお庭から生けたお花と季節に関する上質な可愛い置き物が飾られていた。それらの小さな飾り物は、長年大切に紡がれてきた香りを秘めていて、目にする度に私の心身は虹色にときめいた。幾重にも積まれたそのトキメキが、今の私に繋がっていて、先生からの無言の教えと贈り物だったのだと思い返している。


ピアノの部屋には母が持っていた小さな親王雛を飾ってみた。

入り口にはいつもの様に、優しく香るお花を添える。


先生から紡がれた春が、また生徒さんへ紡がれていきますように❤️


2024.3.9






人の顔に笑顔の花を咲かせるのが、好き。


あまたの楽しいサプライズ作戦を積み、その時々に咲いた色とりどりの笑顔の花を見ては、こちらの人体が豊かに広がっていた様に思う。


久しぶりに長女の演奏を聴きに出かけた。

♪なんの木合唱団♪の伴奏とソロ演奏。

仕事と子育ての両立をしている中、どこで練習をしていたのやら?

演奏を聴きながら、粛々と準備をしていた姿が目に浮かんだ。


幼い頃から曲の分析が長けていて、全体像を掴むのが早かったが、現状の中で平静にステージに立っているのはその力が功を奏しているのだろう。


ソロは、山田耕筰作曲の主題と変奏〈母に捧げる更衣曲〉。恥ずかしながら、私は初めて聴く曲だった。彼女が好んで選曲した心情が溢れていて、酔いしれつつ、感心した。

帰り道にそんな感想を簡単な言の葉に託して送ると、「ありがとう。この曲は、母に捧げましたから」…と、思いがけない返信がやってきた。


「聴きに来て欲しい」と言った延長線にこんな心に沁みるサプライズが待っていた。

彼女らしい、はにかみ色のサプライズ。

こちらこそ、ありがとう❤️


*プログラムノートより→【大正元年にドイツで起草し、大正4年に完成。更衣曲とは、変奏曲の耕筰流造語。主題の讃美歌は耕筰の母が好んだ歌であり、母の病床を慰めました。】

*山田は自伝の中で「Variationenを変奏曲と訳すのもいや」であったと述べており、「主題が、色合いの違った衣を更える、というふうに考えて、〈母に捧げる更衣曲〉とした」と説明している。(山田1962:399)

この作品は、単なる変奏曲ではなく母への思慕を様々なかたちで表したものである。感傷に溺れることなく、優雅さと悲哀を秘めた一曲に仕上がっている。



2024.2.5