アレクサンダー・テクニークは、問題が生じた時に大いに活躍していると実感する。
身体から痛みのサインが発せられた時。
先ずは、病気や怪我の判断をする。
その枠にあてはまらなければ、この痛みのサインを探求しながら、解剖学的な要素を含んだATが活躍するでありましょう。
パフォーマンスを含む身体の動きで、何やらスムーズにいかない時。
身体のデザインに合わない事をしているサインと捉えてみれば、感覚器官を目覚めさせながらATが活躍するでありましょう。
身体や思考が固まり出した時。
それが生命を守る為のシステムであるのか?自分の思い込みが引き起こしているのか?選択をしながらATが活躍するでありましょう。
さて、今日は意見を述べるという場面について考えることがありました。
意見とは、その先に目標があり、そこへ目指す為のアイデアの卵達が含まれている。
「社長が社員の意見を隅々までよく聞いて、イノベーティブな企業へ躍進した」といった話が出てくるのは、そのためである。
ところが、これまで、とんでもない場面に遭遇して目を疑うことが何度かあった事を思い出した。
大きな会議の中、意見を募るというのに、意見に感情のお土産を付けて、相手や周りを威嚇してしまう人がいたのである。
せっかくのアイデアの卵を集める場面が台無し。カラフルな卵をそっと抱えて準備していた人は、身体を固めて言葉も出ずとなってしまったわけです。
意見の出てこない中、時が経つばかり。
ため息だけが増えて、何と勿体ない時間だったことか…。
意見とは何ぞや?
脊椎動物の叡智を思い出し、心身しなやかに動かしながら、「意見と文句は異なる」という線引きを明確にして、アイデアの卵をそれぞれの身体から生み出す時、人は活き活きとするのではないかしら?
2022.1.11