突然ですが、カメの息継ぎを
見たことがありますか?
家政婦は見た
私は見ました。
具体的にはウミガメではなく
河川に生息するクサガメだと思われます。
場所は大分県豊後大野市で
「東洋のナイアガラ」と呼ばれる原尻の滝です。
川がまるごと半円形にゴッソリ落ち込んで
巨大な滝つぼが形成されています。
ドライブがてら滝に立ち寄り
ぼんやりと滝を眺めていたところ
視界の端に何やら動くものが。
よく見るとカメが四本足をバタつかせています。
一見すると溺れているように見えます。
「ほう、これは珍しいな」と思いスマホのカメラを
起動して再度見たら、もう姿を消していました。
はて、あれは何だったんだろう・・・
察するところ「息継ぎ」を
していたんだと思います。
亀は基本的に肺呼吸なので、
時々水面に出て息継ぎを
する必要があります。
ここで思い出したのが
『盲亀浮木(もうきふぼく)』の話。
これは、お釈迦様がお弟子さんに
人間に生まれることの難しさを、
たとえ話で説明したものです。
<以下、参考サイトより引用>
「太平洋のような広い海に、
目の見えない亀がいる。
その目の見えない盲亀が、
100年に1度、海面に顔を出すのだ。
広い海には一本の丸太棒が浮いている。
その浮木の真ん中には小さな穴がある。
阿難よ、100年に1度浮かび上がるこの亀が、
波のまにまに風のまにまに東へ西へ、
南へ北へとただよう丸太棒の穴に、
頭を入れることがあると思うか?」
「お釈迦さま、残念ながら、
それは到底ありえません」
「では、絶対にないと言い切れるか?
「絶対ないかと言われれば、何億年、何兆年、
幾億兆年の間には、ひょっと顔を出すことが
あるかもしれませんが、ないといってもいいくらい、
難しいことです」阿難が答えると、
「よいか、阿難よ。
私たちが人間に生まれることは、
この盲亀が、浮木の穴に頭を入れることが
あるよりも、難しいことなのだ、
有り難いことなのだよ」
といわれています。
<引用終わり>
この話を頭において、
もう一度、考えてみてください。
年に一度か二度、訪れるかどうかという滝で
カメが息継ぎする場面に出くわす確率って・・・
そりゃーもう、すんげー低い確率ですよね。
もう「ありえへん」レベルですよね。
ちなみにカメの息継ぎを見たのは
滝の近くの二宮八幡社に参拝後の事でした。
それにしても・・・
カメの息継ぎを見るなんて
幸運すぎるやろ!
超幸運!カメの息継ぎを見た話
でした。
てな訳で、幸運にもこの記事を読んだ方は
私の超幸運にあやかってくださいね~♪
「いやいや、それなら自分だって
こんな凄い場面に出くわしたよ」と
珍しい体験をお持ちの方も多いと思います。
ここで私が言いたいのは
小さなことを大喜びしましょー♪
ということです。
カメの息継ぎを見るために
滝行をしたり定点観測カメラを
設置するのは、あまり意味がないかと。
それより、そういう珍しい場面に
出くわした自分をホメてあげましょう。
自分はなんて幸運なんだろう!
ワタシって凄い!俺って最高!
おっと、申し遅れましたが実はワタクシ
「小さなことを大喜びする会」の会長を
しております。あくまで自称ですが。
私達は日々の暮らしの中で
色んな出来事に遭遇します。
それらはきっと、ほとんどの人が
気にも留めないような、そんな
ささいなことなんだと思います。
そんな小さなことを、どうとらえるか。
私の好きな言葉に
喜べば喜びごとが喜んで
喜び集めて喜びに来る
というのがあります。
小さなことを喜んで感謝する人には
さらに喜んだり感謝したりすることが
次から次へとやってくるということです。
また、ささいな出来事に対する感受性を
育んでいくと観察眼を磨くことにもなり
神仏からのメッセージにも気付きやすくなる
というオマケも付きます。
そうすると神仏へ感謝する回数も増えるし
それに比例してご利益もガッポリ(←言い方)
引き寄せの法則で言えば
いま、どんな言葉を発して
どんな感情を持っているか。
その内容がオーダーとなって
引き寄せるということです。
つまり、知らず知らずのうちに
注文しているということです。
さて、あなたのご注文は?
不動君「亀もいいけど鶴の息継ぎも見たいど~」
うすさま君「そもそも鶴は息継ぎしないでしょ」
<参考サイト>
神社で蛇に遭遇
神社でネズミに遭遇
高尾山薬王院(真言宗智山派)
飯縄大権現
大分市霊山寺(天台宗) 十一面観音
大分県豊後大野市
蓮城寺(高野山真言宗)薬師如来







