都知事選挙と明治からの東京都 | 二条マスターの料理と音楽と仲間(5)

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とんかつ二条は今日、明日と連休になりますのでよろしくお願いします。


さて、候補者のパネルを見ると区議会議員選挙か?ってくらい候補者乱立の東京都知事選挙が始まっています。


なんだかバカバカしくもあり、面白くもある今回の選挙ですが、ひときわ目立ってるのが石丸伸二候補ですかね。


とにかく物凄い人気。

あそこまで民衆を熱狂させる候補は今までいなかったんじゃないですかね。


明治の初めに板垣退助らが自由民権運動を起こし、大演説で人々を熱狂させたことがありましたが、それを彷彿させる気さえします。


ということで、今回は東京都について書いてみます。


私も東京の東の一番端っこに住んでもう40年近くになりますが、自分が東京人という感覚は1ミリもないですね。

マインドはいつまでたっても対馬人ですから。


さあ、そんな東京ですが、皆さんご存知ですかね。明治の中頃まで東京の西、そう三鷹市辺りから向こうはぜ〜んぶ神奈川県だったということを。


だから吉祥寺も、町田も八王子も多摩地区も全て神奈川県でした。


じゃなんで東京に編入されたかというと、これには先程書いた板垣退助らが関係してくるんです。そう、政治的な理由ですね。


これを説明すると長くなるので簡単にしますね。


明治の初め、国会の開設を求めるその板垣退助らの自由党の本拠地は町田辺りだったんですね。町田は当時神奈川県でしたから、まだ国会をつくるのは時期尚早という考えの神奈川県知事と物凄い対立をするわけです。


なぜ知事が国会をつくりたくないかというと、当時の知事は選挙で選ぶのではなく政府が任命する形でしたので、知事の方針イコール政府の方針というわけです。


それで、民衆を味方につけた自由党の勢力があまりにも凄くて、神奈川県では手に負えなくなったということで、その勢力を削ぐためにも現在の三鷹市を含めた西の地区をぜーんぶ東京都にあげた?というわけです。


まあ、表向きの理由は当時問題となった‘’玉川上水の汚染問題を東京都が一括して管理するため‘’なんてことを言ってましたけどね。

まだこの頃は廃藩置県の後遺症もありましたし、大変な時期だったと思います。


その後の東京はというと、東京府の中に東京市を置いたりしましたが、それも戦時中に廃止にし、1968年には小笠原諸島も編入させ、現在の東京都が完成したというわけですね。


あそう、小笠原諸島って、最初は静岡県が統治する予定だったみたいですが、離島の管理には相当のお金がかかるということもあって東京都が引き受けたというわけです。実際地理的には静岡県ですもんね。


ということで

まあ簡単に明治からの東京都について書いてみましたけど、そんな巨大都市 東京のこれから4年間の舵取りを誰が担うのか楽しみですね。


私もそのうち期日前投票に行ってみたいと思います。

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