その①と②もあるんでよかったら見てってください。
国道230号線が破壊された現場を見て、私は火口の南側に進んだ。
坂を下ると先には、屋根には穴が無数に開き、まるで原型をとどめていない建物の残骸が見えた。
この建物はあの有名なお土産、「わかさいも」を製造していた工場だった。
今でこそ建物を立てるにはおおよそ不適当な立地だが、この場所はかつて原料に使用される豆畑が広がっていたという。(もちろん工場自体も平らな場所にあった。)
上からは噴石に襲われ、下からは隆起と陥没、地割れに遭いめちゃめちゃな姿に。
これでも建物が残っているだけまだマシかもしれない。
この工場のすぐ北側にはアパートがあったらしいが、火口が出現した際の噴出物で崩壊・埋没してしまった。
工場の南側にはこちらも変わり果てた姿の民家が。
調べてみるとここはかなり立派な家だったらしく、目の前のこれは門だったらしい。
見ての通り門は破壊され、母屋は木々に覆われて見ることは出来なかった。
説明書きの写真を見ると住宅の全景が見れるが、建物の下に断層帯ができたために破壊されてしまったことがよく分かる。
また、朽ち果てたスカイラインの姿も。
”ヨンメリ”こと、4代目スカイラインの4ドアセダンの成れの果てである。
外装はもちろん、内装も荒れ果て、エンジンは今では珍しい2000cc6気筒SOHCのL20がむき出しに放置されていた。
さらに、運転席にはシュロスの4点式、ダッシュボードにはトキコのプロドラG(ダンパーの商品名らしい)のステッカーが貼られており、これを持ち出せなかったオーナーは相当悔しかったろうと推察される。
その傍らには謎のボックスカルバートが。
これは町道の地中に埋め込んであったものだが、隆起による断層帯の形成によって7m持ち上げられ、地上に露出したようだ。
上部に見えるガードレールは町道に設置されていたものだ。
函渠の南に進んでいくといよいよ散策路の終点が近づく。
相変わらず町道跡は路盤が波打ち、ところどころに飛んできた噴石と思われる大きな石が転がっている。
坂を下り、「順路」と書かれた看板に従って歩道を逸れると、「とうやこ幼稚園跡地」に到着。
「噴石が無数に降り被害を受けた」とあるように、園内のあちらこちらにかなり大きい石がゴロゴロ転がっている。
敷地内にはまたもや変わり果てた姿のバスが2台。
当時は入園式の準備をしていた時期だったが、避難指示の発令によって、人的被害をゼロにすることが出来た。
無人ではあったが建物はものすごい様相だ。
経年劣化の影響もあるだろうが、壁や天井に大きな穴が開き、そうした部分から侵入したであろう植物によって飲み込まれそうになっていた。
ここではこうして成長した植物の様子を、人の手を加え入れること無く残すことで、人と森林の持続可能な関係を学べる場所としているようだ。
これで北から南へ散策路を歩ききった。
有珠山は20年~50年の周期で噴火すると言われている。
前回が2000年であるから、いつ噴火してもおかしくないのである。
もし次に噴火したら、この場所の地形もまた一変する可能性がある。
現在遺されている遺構は、もう見れなくなるかもしれない。
また、いつ何が起こるかわからない状態であるから、日々の備えが必要不可欠である。先日も関係あるかわからないが、少し大きめの地震が頻発していた。
ただ、こうした火山の存在による恩恵を受けていることも忘れてはならない。
洞爺湖の風光明媚な景色。洞爺湖温泉に始まる周辺温泉地での癒やし。熊牧場。
日々の備えを怠らず、火山の恵みを十分に受け取ることで、より自然への正しい向き合い方ができると思う。
なお、今回洞爺湖温泉側の団地跡の探索をすっかり失念していました。
いつになるかわかりませんが、きっと探索したいと思っています。